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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.2 ~携帯電話、人市、本当のいくさ
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鵺噛童子の正体! 本当のいくさって・・・・

 結局煉介さんたちが帰って来たのは、その日の夕方になってからだった。

「みんなー、無事だったか?」

 騒ぎの最初から最後までいたにも関わらず、煉介さんの顔は煤と擦り傷に汚れたくらいで、目立った外傷はほとんどなかった。化け物だこの人。

 あの後、真菜瀬さんは『くちなは屋』に戻ると、二十人ばかりの人数がすぐに出撃して、北国から来た人買い商人たちとその護衛をしていた足軽衆たちと対峙した。相手がたは倍近い数がいたらしい。敵方の人数が増えてくると、煉介さんは加勢の人数でひと当たりしただけで、後は混乱の極みになったあの場の人混みを利用しながら、上手く自分の手勢だけを引き上げて戻ってきたのだと言う。

 しかも―――そのときに、人買い商人が連れてきた三十人近い奴隷たちを解放して、ひとり残らず下京に連れてきてしまったのだ。

 それで今、『くちなは屋』では、煉介さんたちを含めて五十人近い人数を受け入れなければならなくなり、大騒ぎだ。他の客はみんな追い出されて、当然煉介さんは裏で真菜瀬さんにすっごい叱られていた。

「みなに振舞ってやってくれ! 向こうもだ! 食えるうちに腹に溜めとけよー」

「酒が足りねえ!」「こっちは飯が足りねえぞ」「こっちは女もだ!」

「うるさい! まったくこいつらー、昨日も騒いだ癖に!」

 足軽たちは、どさくさに紛れて、相手がたの荷駄を襲って酒樽や食糧まで奪って来たらしい。あちこちで勝手に持ち寄った酒樽を開けて直接飲んでいたり、茣蓙の上に無造作に干し魚や燻製肉、煎り豆などの食べ物が投げだされたりしている。

「皆、この娘はマコトの妹御だそうだ」

 煉介さんは絢奈を連れて、僕と同じように紹介している。

「成瀬絢奈、十六歳、現役の女子高生です! よろしくお願いします」

 アイドルのオーディションか。でも、僕の時と比べて反響はケタ違いだった。

「おぉ、ええぞ!」「色が白うてかわいいのう」「髪が栗色じゃ」「女子高生ってなんじゃ」「然様なこと、構うか。こっち来て喰え」

 僕の時とはえらい違いだ。つーかソラゴトは信用できないんじゃなかったのか。

「まったくお頭はいくさが上手い。いつもながら感心するぜ」

 と、言ったのは確か―――七蔵。昨夜の顔に向こう傷のある男だ。この人はこの人で、『腸抉刃(わたぐりば)の七蔵』と言う、聞いただけでぞっとするような、とても物騒な通り名があった。

「無茶すぎます。室町通りから上京にかけては、皮首党(かわくびとう)の仕切り―――故なき諍いを仕掛けるいわれはないはずです」

「まあ、そういきり立つなよ、凛丸。仕方ないだろ、あそこまで来たら」

 煉介さんは軽く言ったが、確かに大事なのだ。あの後、戻ってきた凛丸に僕は責められた。この京都は上京から下京にかけてのいくつかの地域に跨って、悪党足軽たちの縄張りが散在している。その縄張りを煉介さんは侵したのだ。妹を助けてもらうためとは言え、煉介さんが相当の無茶をしたことは想像に難くない。そのとき、僕には凛丸に対して返せる言葉がなかった。

「気にしなくていいよ、マコト。こっちにはこっちの考えがあって、やったことだ」

「考えって―――」

 すでに僕はそれに、何度も助けられている。僕にも煉介さんがやっぱり何か違う視点でものを見ているのだと、言うことだけは分かる。でも―――その本心はいつも、この人が持つ不思議な感じにはぐらかされてしまって、霧みたいに消えてしまうのだ。

「おいつまんねえとこ引っ掛かるな、この男はいつもそうだ。ガキの頃から、とんと何を考えてるのか分からねえ奴なんだ。まあ、おれは暴れられりゃそれでいいけどよ」

 と、七蔵さんは、にごり酒を口に含み、

「で―――あっちの件はどうなんだ。鵺噛の奴は」

「あの外套と凛丸の似顔を持って、唐物屋を廻ったよ。はかばかしい成果は得られなかったけどな」

 そう言いながら、煉介さんはなぜか特に困った様子もなさそうだった。

「奴の首を獲るなら獲るで、早く決着付けてもらわねえと困るぜ。出入りが近い」

「ああ、大丈夫だ。マコトのお陰で目星も付いたし、近い内にはかたをつけるよ」

 かたをつける。そう言って煉介さんは微笑んだ。でも―――

 煉介さんは本当に、鵺噛童子を斬る気なのだろうか? それとも。僕には分からなかった。あの人市で突然、暴れ出したときみたいに―――煉介さんの心の仕組みは、普通の人には理解できない。

 煉介さんが、鵺噛童子に興味を持っていることは、昼間の話からしても確かだ。

 でも―――

 僕としては、鵺噛童子―――あの女の子と煉介さんが対峙する姿を見たくはなかった。

 だからあの壊れた携帯電話について、絢奈が言っていたことも黙っていた。

 絢奈は煉介さんに何も憶えていない、と話していた。たぶん、鵺噛童子と煉介さんたちのことを訊いて、考えた結果なのだろう。あのとき、絢奈が何を言おうとしたのか、僕には薄々分かってしまっていたから。


「お兄い、あのね―――さっきの話なんだけど」

 絢奈が話をし出したのは、その日の夜が更けてからのことだ。

「え?」

「ほら、絢奈が誰に助けてもらったか、って言うことなんだけど」

『くちなは屋』の騒ぎはまだ続いている。僕は絢奈に、裏へ呼び出された。

「煉介さんたちが話してたでしょ。あの、鵺噛童子って・・・・・」

「絢奈は、鵺噛童子に―――会ったのか?」

「うん―――」

 小さく、絢奈は肯いた。

「会ったって言うか、出くわしたって言うかなんだけど―――」

 と言って、絢奈は少し、顔を曇らせた。

「あの人たち、あの子を捜してるんでしょ? 確か、仲間を殺されたとかって」

 無言で、僕は肯いた。鵺噛童子に噛み殺された人たちの姿が脳裏にちらつく。彼らの身体につけられた無惨な傷痕のこともだ。

「絢奈、その人に助けられてさ。お兄いもそうだと思うけど、何も分からなかったから―――ああやってどこかに売られそうになってた時に助けてくれたの」

「でも絢奈、お前―――人買い商人に捕まって、どこかへ売られそうになってたじゃないか」

「うん、それはね、絢奈が、自分で頼んだんだ。あの子、大切な人があの中にいたみたい。それですごく遠くの国から、ずっと追いかけてここまで来たみたいで。あの子は、やっとその人を見つけられたって言ってたんだけど―――」

 そこまで話すと、絢奈は口ごもった。

 それにしても――――

 月の冴えた晩だ。現代とは比べ物にならないほどの中世の闇も、今夜はそれほど気にならない。街灯も電柱もない、だだっ広い通りに薄闇が柔らかく横たわっている。薄墨を刷いたような雲が風で流れて、涼しげな夏の晩だった。

「月が明るいな」

 ふいに、声が立った。僕の背中越しに―――そこに煉介さんが来ていた。

「もう飲まないのか? あっちでみんなまだやってるぜ」

 と、手にした甕をふらふらと揺らす。

「煉介さん―――あの、わたし、話があるんですけど」

 その姿を見ると、絢奈は決意したように伏せていた顔を上げた。

「話があるなら、ここで聞くよ。―――酔ってるから寝るかも知れないけど」

 煉介さんは酒甕を持ったまま、そこに座り込んだ。ちょっと眠そうに言った。

「どうぞ」

 言われて、絢奈は恐る恐る話し出した。

「実は、煉介さんたちに隠してたことがあって。さっき煉介さんには、わたし、鵺噛童子って人に会ってないっていいましたけど、本当は彼女に助けられてて」

「―――うん、それで?」

「あの場所で売られそうになっていたのも、その子との約束があったからなんです」

「つまりわざとだったってことか」

 はい―――と、小さく、絢奈は肯いた。煉介さんは半分瞳を閉じた表情のまま、永く無言だった。やがて、絢奈は思い切って、

「それで、煉介さんに一つ、お願いがあるんですけど―――」

 すると煉介さんは、絢奈の言葉を遮って右手を上げた。人差指を突きだして、

「マコト、そこ、開けてくれるか―――」

 僕は一瞬、煉介さんが何を言おうとしているのか、理解できなかった。ただその指し示している方向を見た。

 そこは、この『くちなは屋』の裏木戸だ。この建物は、外敵の侵入除けに築地塀と堀が張り巡らされているのだが、表門を除けば唯一簡単に侵入することが出来るのが、その裏木戸だった。僕の背丈ほどもないその小さな木戸は、庭に植えられた柏の木と紫陽花の茂みに埋もれてなりを潜めていたが、頑丈そうな閂が嵌められている。

 煉介さんはその扉を指差して言った。

「―――そこになにかいる」

「どう言うことですか―――」

 まさかそこに――――?

「鵺噛童子」

 煉介さんはその言葉を口にする。僕は、驚愕で身体を強張らせた。

「感じるんだ。いるんだろ、そこに」

 静かな声で、煉介さんは言った。

「マコト、開けてくれ。奴がそこにいる」

 煉介さんに言われ、僕は恐る恐る閂を外す。硬くて重いそれを外した後でも、その木戸は頑丈そうに沈黙を保ったまま、なんの反応もなかった。煉介さんは座ったまま。

「みなが寝静まるのを待ってたのか?」

「――――」

「絢奈ちゃんにそこを開けさせる魂胆だったんだろ。出てこいよ」

 するりと衣ずれの音をさせて、煉介さんは立ち上がった―――左手にあの大太刀を持って。そして歩み寄ると、片手で木戸を引き開ける。

 次の瞬間僕が見たのは―――

 黒く大きな影だ。

 雲のように風を駆って、その巨大な塊が煉介さんに飛びかかった。それは煉介さんの上体を覆い尽くそうとするばかりに巨大な、灰いろの何かだった。

 化け物――――

 その言葉が口をついて出そうになるほど―――

 そこにいたのは、大きな獣だった。

 狼―――あれは、たぶん狼だ。

 仔牛ほどもある、銀の髪を逆立たせた狼。

 それが唾液のしたたる鋭い牙を剥いて煉介さんに襲い掛かったのだ。僕の目には煉介さんの上半身のほとんどは、生臭い息を吐く猛獣にのしかかられて見えなくなり、強靭な顎が煉介さんの首を頭ごと喰い千切ろうとしているのが辛うじて見えただけだった。そのとき煉介さんには剣を抜く暇も間合いもなかったのだ。

 しかし、実際には煉介さんは一瞬早く、半身をかわしていて―――

 左手に持った刀の柄を押し上げて、獣の顎を取り押さえていた。無事だ。そして右の拳を固めた煉介さんは―――巨獣の圧倒的な重量を担いだまま、腰を踏ん張ると。

 その眉間に思い切り、右の裏拳を叩きこんだ。

 ギャウウウンンン・・・・・・

 短く尾を引く悲鳴を上げて、猛獣は後ずさりする。その隙に間合いをとった煉介さんは両足を開くと腰を沈め、左手の大太刀の柄に手をかけた。

「なるほど、遺骸の傷は、こいつに喰われたゆえか―――やっぱり、鵺噛童子の正体は、化け物、ってことなのかな」

 煉介さんがこちらを見たが、僕も絢奈も答える言葉がない。

「そうか。じゃあ、やっぱり」

 ――――斬るしかないか。

 ふうっ、と息を吐くと、煉介さんは刀の鯉口を切った。

 雲が晴れて、そこに浮かんでいるのは完全な満月――――

 煉介さんと対峙して、銀色の毛を逆立てているのは人喰う巨大な狼。

 まさかこんなことになるなんて―――

 あまりの恐怖と愕きで、僕は声もなく小刻みに身体が震えた。

 煉介さんの傍で―――絢奈も顔色を失って佇んでいる。

 煉介さんがその巨大な刀を抜こうと、身体を傾けると―――

 背後で大きな悲鳴が上がった。

「中か」

 行け、と言うように、煉介さんが僕に視線を投げかける。その言葉で魔法に掛かったように僕の身体は動き出した。

「夜討ちぞ」

「誰が引き入れた」

 男たちの立ち騒ぐ声。物が倒れ、女たちの悲鳴がそれにつぐ。

「酒樽の中じゃ」

「中に隠れておった」

 広場に戻ると、そこは混乱の渦だった。

「マコトくんっ、煉介どこ行ったの! 大変だよ!」

「真菜瀬さん―――あの」

 こっちも大変なのだ。言う間もなく、真菜瀬さんが僕の袖を引く。

「あっち―――」

 そして無数の篝火が焚かれ、男たちが入り乱れるその中で僕が見たのは。

 あの日、河原で会った女の子だ。

 昨夜と同じ、黒い木綿の生地に金色の蝶の刺繍があしらった小袖に緑色におどした胴丸を着けた彼女は―――

 目も眩むような熾り火の中で、濃い紫色にうねる黒髪を波打たせていた。

 やっぱり、彼女が鵺噛童子だったのだ―――

 腰に差した鍔なしの黒漆の太刀を抜いた彼女は、

「おのれ―――何者ぞ」

 と、誰何する声に応えず、かすかに細い首をもたげた。

「鵺噛童子」

 その名を呼んだのは、凛丸だった。凛丸はその小柄な身体に合わせて作った、細身の素槍の穂先を彼女に向けていた。

「おのれは鵺噛童子だな」

 言い捨てた後、凛丸は僕の方を見る。確かにそうだった。

 間違いない。おれも似顔を見た、と口々に声が上がる。

「我らのただなかに独り踏み込むとは、血迷うたか」

「用があるゆえな」

 鵺噛童子と呼ばれた―――彼女は、澄んだ声で言うと、小さく息を吐いた。

「昼間、うぬらの親玉が、いらぬ横車をかけて我が狙うた獲物を横どった。我は、賊に盗られた荷を受け取りに来たまで―――刃向うならよし、その場で斬り捨てる」

虚仮(こけ)め。周りを見ろ。鵺噛童子はおのが立つ瀬も弁えぬ慮外者か」

「ふん」

 四方を足軽の男たちが取り囲んでいる。しかし、彼女は歯牙にもかけなかった。

(わっぱ)、数を誇る気ならば、しゃしゃり出ぬがよい」

「ほざけっ」

 凛丸が踏み込んで、素槍を突き出した。

「誰も手を出すな。こやつ、私が仕留めるっ」

 まともに顔を狙った一撃を軽くいなして、彼女は小さく微笑む。

「小癪」

 凛丸を挑発することで、多数対一になる恐れを回避したのは駆け引きの上手さだ。

 そして―――

 軽くて速い、槍の穂先を一瞬で避ける目の良さと身のこなしの勘の良さ。凛丸の突き出した槍を、彼女はほとんど目の前で避けた。

「くそっ」

 引っ込めた槍を突くと見せかけて、足を払う。その後の胸を狙った刎ね突きも彼女は半身で避け、身体をひねって飛びあがった瞬間、後ろ脚で凛丸を蹴りこんだ。重い鎧を着ているとは思えない身のこなしだ―――まともに喰らった凛丸は、槍ごと身体を吹っ飛ばされた。

「くっ」

 さすがに、ダメージが強くすぐには立てない。―――その凛丸を見下ろして、さらに挑発するように、彼女は冷然と言い放った。

「まだ遊ぶか? 次は死ぬな」

「凛丸がやられた」

「おのれ」

 男たちはどよめいた。しかし、今の、彼女の身のこなしを見ていて―――誰も挑むものはいなかった。

「囲め」

 言ったのは、七蔵さんだった。

「何も付き合うことはねえ。捕りこめて殺せ。逃げられはしねえ」

 その合図で落ち着いた男たちは長柄や刀を持ち、彼女を取り囲む。それには怯まず刀の目釘に唇をつけて軽く湿らせた彼女は、ゆっくりと切っ先を持ち上げた。

 ――――待てよ。

 煉介さんの声が上がったのは、そのときのことだ。


「ふうん―――君が鵺噛童子か」

 人波をかき分けて、煉介さんが姿を現す。荒ぶる男たちを手振りで押さえ、七蔵さんに凛丸を助け起こさせる。

 彼女は首を振った。

「知らん。その名はお前らがつけた名だ」

「じゃあ、本当の名前があるのか?」

「悪党足軽に、名乗る名などない」

「厳しいな。じゃあ、おれから名乗ろう」

 煉介さんは言った。

「童子切の煉介。ここじゃ、そう呼ばれてる。おれがこいつらの親玉なんだけど」

「―――話は分かるか」

 と、切っ先を下さずに彼女は尋ねた。

「ああ―――分かるさ。ちゃんと話はついてる。荷物を返そう。絢奈ちゃん」

 と、絢奈が足元にあの巨大な獣を連れて現れた。

頼光(らいこう)

 彼女はその獣の名前を呼んだ。頼光―――と呼ばれた狼は絢奈に撫でられて喉を鳴らしていたが、巨大な顎を持ち上げると、今度は彼女の足もとに歩み寄った。

「そいつも君の郎党(なかま)か?」

「そうだ。人買いに獲られたは、この頼光の守り役よ。お陰で、随分要らぬ者どもを噛み殺したわ」

 言うと、彼女は絢奈の方へ顔を向けた。

「兄じゃに会えたか」

「うん。ありがと、虎っち」

 虎っち?

「・・・・・虎っちが君の名前?」

「虎千代。我が名は虎千代と言う」

「虎っちのがかわいいのに・・・・・」

「虎千代だっ。―――それにしても、奇特な男だな。分捕った荷をそのまま返すか」

「おれの目的は、北国から売られてきた人足なんかじゃないんでね。ようやく、君と話が出来た。それがおれの本来の目的さ」

「我と話とは」

 不信げに、虎千代は片頬を歪めた。

「ありていに話すよ。要は君が欲しいのさ」

「お頭っ、狂うたかっ」

 満座がどよめき、煉介さんの言葉に動揺した。凛丸などは怒りに震えている。

「この女は、賞金首ぞ」

「―――話を聞こう」

 と、虎千代は言った。

「おれたち、足軽の仕事は、いくさをすること―――この街は、今日みたいないくさが絶えないし、いつでも戦えるおれたちを欲してる。明けても暮れてもいくさはある。その限りにおいては、おれたちの生計(たつき)は絶えはしない。だが、問題はある。それは、そいつがいつまで経っても、人のためのいくさでしかないことだ」

「―――何が言いたい」

「つまりは、こう言うことさ」

 煉介さんは、澄んだ声で言った。

 ――――おれたちは、これから、おのれのためのいくさをする。

「そのために、君が必要なんだ」

 煉介さんは微笑んだ。それは、出会った時と同じ微笑みだ。

「埒もないことをぬかすな」

 失笑すると、虎千代は肩をすくめた。

「それほど埒もないことでもないさ。君が北国から来たなら、加賀のことを知ってるだろう。例えばあそこは、百姓の持ちたる国なんだろ?」

「武士が持たぬと言うばかりで、一向坊主の持ちたる国よ。それに我は流れてここへ来ただけで、どこぞで国を持ちたいとは思うてさすらうているわけではないしな」

「だからこそ、この街は面白いのさ」

 と、煉介さんは言った―――虎千代から視線を外さずに。

「例えば―――こうだ。ここに集まった者たちをみてみな。おれたちのような門地も身分も持たぬ無足者がいると思えば、君のような、あやかしに似たる流れ者もいる。―――それに、マコトや、絢奈ちゃんみたいにここではない世界から来た、と言う者たちも。おれはすべてを拒まない。―――そうしたら、どうなる? この世の誰も見たことのない国が出来るかも知れないだろ」

「夢がたりよ。今は末世ぞ」

「今は、乱世さ―――」

 だから。何が起きてもおかしくはないんだ。いや―――煉介さんの言いたいことは、違った。

「何かを起こさなくちゃ、面白くはないだろ?」

「訊いたこともなき考えをする男だな」

 虎千代は初めて、微笑んだ。それは、僕が彼女に初めて、見た―――煉介さんのように、どこまでも澄んだ微笑みだ。

 戦国は失望の時代―――

 ここは争いや裏切りが絶えない、恐ろしく過酷な時代なのだ。確かに実際、そうだった。京都の街はたびたび焼け野原になり、悪党と言われている足軽たちが横行する世界。各地から売られてきた人たちが、縄でつながれ、一枚の借書に一生を左右される世界。

 それでも―――

 煉介さんの瞳が語っていたのはその世界を突き抜けた、一つの―――志、なんだろうか。

「せっかくだが、今の我にお前の語るもののすべてが分かるとも思えぬ。あまりに突拍子もない話だしな」

「今は分かってくれなくてもいいさ。まずはおれの近くにいれば、君も嫌でもこの街のことが分かるようになるよ」

「馬鹿な」

 そのとき、遠くで陣貝を吹く音が鳴った。

「皮首党の奴らだな―――」

 煉介さんが、北国から連れてきた人たちを強奪した。その人買い商人たちと結び付きのある上京の足軽たちが軍勢を率いて来たのだ。

「どれくらい来ると思う?」

「恐らく、二百ほど」

 と、凛丸が答えた。煉介さんは虎千代を見た。

「積み荷を連れて、今から京を出るのは難しいだろうな」

「どうする気だ?」

 煉介さんは楽しげに微笑んだ。

「決まってるだろ。―――ひといくさして行きな。話はそれからだ」


「まずは人の整理だ。逃げられる者は逃げな」

 と、煉介さんは、連れてきた人質たちを集めて言った。

「お前らの借書はおれがすべて処分した。逃げられる者は逃げていい。いくさの邪魔だ。落ちのびる道はおれたちが案内してやる」

「そうは言われてもな」「戦わねば、結局、同じではないか」「どうせ棄てた命ぞ」「武器を」「わしにも武器を」

 さすがにこの時代の人はすごい。そう言われても逃げる人たちは、ほとんどいなかった。むしろ、武器を渡されて、戦闘に参加する人たちの方が多いくらいだ。

 それでも煉介さんの指揮下で、戦闘に参加する人たちは五十名前後―――

 敵は四倍近い数だって言うのに、女の人や子供ですらその場から逃げたりはしない。

「で、わたしら足弱の者はいかにいたしましょうず」

「武器を使えない人たちにも、仕事はあるよー!」

 と、言ったのは真菜瀬さんだ。

「館に立て籠もる人たちは、火消しの準備。火矢かけられるから、戸板や塀に泥を塗って! 合戦中は火矢だけじゃなくて、色んなものが飛んでくるから、当たって死なないように!」

 死なないようにって言われても。

「で、マコトくんたちは、なんだけど」

「僕たちは―――」

 槍や刀を渡されても、まともに使えるとは思えない。

「絢奈も、戦うよ!」

 そりゃ無茶だ。

「僕たちに何か出来ることありますか?」

 言うと、真菜瀬さんは、嬉しそうに微笑んだ。

「蔵に消火用の砂を入れた樽があるからそれを運ぶことね。あと井戸から水を汲んでおいて、火が回ってきたらこまめに水桶を被るのを忘れないこと。いい?」

 僕たちは肯いた。何かで、聞いたことがある。

 炎の中では、知らない間にみるみる身体の水分が失われていくのだ。

 僕と絢奈は、迷わずその火消し班に入った。

 それにしても――――

「不安かい? 敵はおれたちよりはるかに多い人数だからね」

 煉介さんは僕の不安を見透かしたように、言った。

「まあ、見てるといいよ。おれたちのやり方をね」


「敵は上京から押し寄せて、いくつかの路地に分けてここを包囲するつもりだろう」

 と、街路図を広げた煉介さんは言った。

「大人数だけに、包囲が完了するまでには時間が掛かるはずだ。まずはおれたちだけで討って出て、奴らのいくさ立てを掻き乱す策略に出る。ここまではいいかい?」

 手はずを承知しているのか、凛丸と七蔵さんは黙って肯く。

「遊撃部隊は、寄せ手を正面入り口におびき寄せる。合図で大門を開いたら、中の人数が一斉に打って出て、寄せ手を押し返す。その役目を虎千代、君に任せていいか?」

「ああ」

 虎千代は肯いた。

「―――我が伏勢だな」

「そうだ。君には、まず真菜瀬と城方の人数を率いてもらう。そこには君が連れてきた人質たちと、『くちなは屋』の人員を好きなように使ってくれて構わない」

「承知した」

「マコトたちは、虎千代の下知に従ってくれ。頼んだぞ」


「ねー、お兄い、虎っちのことなんだけど―――」

 防火の準備をしていると、絢奈がおかしそうに話しかけてきた。そんな場合か。

「なんだよ。虎っちのことって・・・・・」

「虎っちおかしいんだよー」

 僕が虎っちと口にすると、虎千代がいちいち不機嫌そうに僕を睨んでくる。

「煉介さんが連れてきた人たちの中に、虎っちの大切な人がいるって言ったでしょ。絢奈、聞いたんだけど、その人ってお兄いにそっくりだったんだって」

「要らぬことをっ、絢奈―――」

 虎千代が絢奈に掴みかかる。

「だから最初にお兄いに会ったとき、本当にびっくりしたんだって」

「ああ、だからそれで―――」

 最初に会ったとき、あんなに動揺してたのか。

「慮外者っ、勘違いするな。わ、我は、お前らみたいなソラゴトビトのことなど―――大体、お前らを見ても、すっ少しも、驚きはしておらぬわっ」

 絢奈ともみ合いになりながら、虎千代は真っ赤になって怒っている。

「へえ、それは面白いな」

 二人が掴み合っていると、煉介さんや真菜瀬さんもわらわら集まってくる。

「で―――それってどこにいる人のこと?」

 特に捜すまでもなく、さっきからむしゃむしゃ干し肉を喰う頼光のところにやけに色の黒い大きな男の人が座っていた。頬被りに手拭いを被って農夫のような格好をした、がっちりとした人だ。短いあごに、定規で測ったみたいに四角い顔をしている。その人が僕たちのところへ来て、

「あのう・・・・・わしは、新兵衛言います。こたびは、ほんきに済みませんでしたて。―――わしも姫様もすっかり世話んなっちまって」

「―――もしかしてこの人が、マコトくんのそっくりさん?」

「似てなっ」

 僕たちは目が点になった。

 まさか―――毛ほども似てない。でも案の定だったのか、虎千代は、もっと真っ赤になって顔を反らす。

「う、うるさいっ、我が似ていると言ったら、似ているのだ」

 そんな無茶な。

「うん、そっくりだ」

 と、煉介さん。

「よく見ると目元とか似てるかも」

 真菜瀬さんまで適当なことを言う。絢奈に至っては、そっぽを向きながら、

「虎っちが似てるって言うから、やっぱそっくりなんじゃないかなー」

「似てないよ!」

 大体お前が言い出したんじゃないか。


 煉介さんは鎧を着けて、馬に乗る。着ているのは、あのときと同じ、黒い糸で威した馬鎧―――兜は被っておらず、頭は鉄製の鉢金を巻いただけだ。そのせいで束ねた長い髪は、露わに後ろに流れたまま。そんな煉介さんをはじめ、そこに表れた足軽たちはほとんどが、驚くほどの軽装備だ。中には上半身裸で、その上に胴だけの鎧を着ているだけの人もいる。

「太刀を」

 と、馬上の煉介さんは、凛丸から例の大太刀を受け取る。

 刃渡りで自分の身長すら超えそうな、長大なあの太刀を―――

 背中に背負った煉介さんはそれに、ふわりと桜色の小袖を打ち掛ける。

「行くぞ」

 煉介さんの声で、男たちは盛大なたけりを上げた。

 その声のどよめきは、僕が今までに訊いたことがないくらいに、力強く―――篝火に照らされてぎらぎらと黒光りする鎧姿に、理由のない感覚に気圧されて、自然と身体が震えてくるほどだった。

(これが、いくさなんだ―――)

 煉介さんも声を上げて、叫ぶ―――

 その姿は、咆えると言った方が正しいかも知れない。

 巨大な黒い影をまとった煉介さんは夜のなまぬるい風におぼめく炎の中で、まるで別の生き物になりかわったみたいに、恐ろしく、途方もない存在に思えて―――

 それは―――そう。闇に奔る獣たちを率いる、漆黒の狼の王だ。


 大太刀を背に、煉介さんは馬を奔らす。

 それに従うのは凛丸、七蔵さんに続く、十騎前後―――

 これだけの少人数なのに、怯む者は一人もいない。

 ――――いくさは人数じゃないんですね。

 そう言った僕に、煉介さんは首を振って、即座にノーと答えた。

「いいや、いくさは人数だよ」

 と、煉介さんは、間近に迫る寄せ手のどよめきを感じつつ、話してくれた。

「想像してみなよ―――今、外に二百人いる。おれたちの四倍近い数だ。つまり、ここにいるおれたちの四倍、色んな奴がいるってことだ。そう言う奴らはどんな人間たちなんだろうな?」

 煉介さんはゆっくりと、そこにいる人たちを見渡す。

「ここから見ただけで、この場にも色んな奴がいるだろ? いくさに慣れきってる奴、そうじゃない奴、ただ連れて来られただけの奴。やる気がある奴、やりたくない奴、どちらでもない奴―――外の奴らだって同じで、それがもっとばらばらに、それもいっぱいいるってだけの話だ。二百人ってのは見せかけだけで、それだけの数に過ぎない。つまり」

 ―――問題は、戦える人数が何人いるか。それが、いくさが数ってことさ。

 僕たちは矢倉に上がり、煉介さんたちの動きを見ていた。

 黒い群れは、煉介さんを先頭に錐で穿つように、三角形の陣形を組み―――

 展開する部隊の只中に入り込んでいく。

 狙うのは大将首ではない。男たちが狙うのは、戦う気構えのない獲物たちだ。

 戦う気のない人間たちから散らしていく。

 ちょうどそれは、煉介さんが味方の陣でもしたように―――

 それが、いくさのやり方なのだ。

「放てっ」

 凛丸の合図で、馬上の数人が一斉に矢をつがえ。

 槍を持って路地から動き出している男たちに向けて放つ。低い風切り音を上げて、重たい矢が飛び散る。勢いに怯んで、男たちは逃げ惑う。その首を。

 煉介さんと、七蔵さんが、馬上で通り過ぎる数瞬で狩り獲っていく。

 それは、愕くほどの速さだ。

 煉介さんは背中の太刀の他に、数本の替え太刀を装備している。人を斬ると、脂が回って、刀が切れなくなる。そのために、戦場には何本も刀を携帯するのが普通なのだそうだ―――ほんの一瞬の間に、二本の剣を使い、煉介さんは、五人の首を突いて刺し殺した。腹巻きだけを着けた足軽たちは、首の急所が無防備なのだ。不安定な馬上でその鎧の隙を煉介さんは的確な動きで捉えていく。

 まったく無駄のない、あっけないほどの殺戮。

 ほんのひとときで十人近くを殺害された男たちは叫び声を上げ、一気に崩れ立った。

 予期しない襲撃にあった足軽たちは煉介さんたちが現れただけでおそれ慄き、わけのわからない叫び声をあげて、あられもなく逃げ散る。彼らにとってはこのいくさは、ただ役目に従って、動員されただけの仕事に過ぎないのだろう。

 つまり―――

 戦う準備のない者たち。

 そうした人たちは最初から、戦場にいる人数ではないのだ。

 血にまみれた二本の刀を刺したまま打ち棄てた煉介さんは馬を下りると、背中の大太刀を抜きとった。

「おのれ、ふらちな人盗人が」

 問答無用で逃げ去る足軽たちの中にも、踏みとどまる豪傑が残っている。

 煉介さんの前に立ちはだかったのは、頭に白い頭巾をかぶった大柄な男だった。法師くずれ―――つまりは、元はお坊さんの傭兵だ。真菜瀬さんが言うには高名な僧兵だったらしいその男は、身長は一九○センチ近くはある。全長で二メートルに近い薙刀を持っていた。それを鉄筋を束ねたみたいに赤銅色に日焼けした二本腕で、自在に振り回した。

「なますにしてくれるわっ」

 その元・僧兵の持つ薙刀の刃の幅は、煉介さんの顔の三分の一くらいはありそうだ。まともに受けたなら、鎧ごとぶち割られそうなその一撃を―――

 煉介さんは姿勢を低くして、真っ向から受けに行く。

 かすかな微笑みさえ、その顔には浮かんでいた。

 誰もがその脳天に刃が叩きこまれ、煉介さんが、真っ二つになる様を想像したが―――

 その長い柄を差し出した煉介さんは薙刀を、鍔元の位置で留める。

 薙刀の刃と、樫で作られた柄のちょうど、境だ。切れ味も鈍く、力もかかりにくいその場所に―――刃で受けていたなら、刀ごと押し切られていただろうその一撃を。

 大胆にも懐に飛び込んだ煉介さんは、柄を抑えて留めたのだ。

 それでもそのままなら、巨漢の坊主に押し切られて、圧し斬られてしまう―――しかし、それを逆らわず、身体を崩した煉介さんはなんと仰向けに地面に寝転がり。次の瞬間には両足を伸ばして、その坊主の腰に絡みつき、ブレイクダンスをするように腰をひねって、一気に引き倒したのだ。

 予測不可能な煉介さんの動きに坊主は完全に意表を突かれた。

 なんとか反撃しようと、泥にまみれて坊主は身体をひねったが、

「あっ」

 一足先に立ちあがった煉介さんの大太刀が薙刀の柄ごと、その脳天を断ち割る。

 恐ろしく硬いもの同士が当たって砕ける、鈍くこもった音がここまで響いてきた。熱い血しぶきが上がり、坊主の白い頭巾を見る間に黒く濡らしていく。たぶん、即死だ。その法師が立ち上がることは、二度とないだろう―――

 刀を振り下ろした姿勢のまま、煉介さんは右拳で柄を叩いて、軽く血ぶるいをした。

 意外に弾力がある、長い刀身がぶるっ、と震えて、濃密な色の血の珠を弾き出す。

 手術を終えた外科医みたいに、太刀の血を落とした煉介さんは、次の瞬間にはもう、何事もなかったかのように立ち上がっている。

 煉介さんと対峙した男たちは、気圧されて一瞬、魂を抜かれたように棒立ちになった。

「悪鬼―――」

 血を沐浴(あび)たその姿は確かに、人を慄かせる。だけど―――

 男たちの悪罵を浴びながら、煉介さんは平然として静かに剣先を持ち上げ、太刀を水平に前に向け直す。その一連の所作が、初めからそこに決まった形があるかのように無駄が無かった。

「童子切の煉介じゃ、童子切が出た―――」

「魔性じゃ。こやつ、魔物の剣を使うと訊くぞ」

 ―――童子切か。

 と、僕の横で虎千代がつぶやく。

 童子切―――つまりそれは、鬼でも斬る、と言うことからついた、ふたつ名なのだと言う。煉介さんが背中に負うのは―――確かに鬼でも斬れそうな恐ろしく大きな日本刀だ。煉介さんがあの巨大な大太刀を使うのを見たのは、これが本当に初めてだったけど―――その剣は、素人の僕が見てもそのふたつ名に似ず、美しく流麗だった。

「なにを見ておる。―――ものども死ねやっ、童子切の首、獲ったれ」

 今度は三人の男たちが一斉に煉介さんに打ちかかる。

 左から槍、鉄棒、大太刀の男たち。

 突き出した槍の穂先が大太刀の切っ先に軽く触れ合ったと思った一瞬―――

 なぜか槍は脇にそれ、踏み込んだ煉介さんの太刀先が相手の顔面を真正面から突き通す。

 続いて鉄棒を振り上げた男は―――

 すれ違いざまに右の腰から胴を両断される。

 大太刀の男は、無防備になった煉介さんの脳天を真っ向から斬り下ろそうと太刀を振ったが―――

 さらに腰を深く下ろした煉介さんが、鋭い角度で突き上げた、大太刀の切っ先が咽喉を食い破り、うなじから兜の裏を貫通するほど串刺しにした。

 まったく―――愕くほどのあっけなさで三人が、煉介さんの大太刀の餌食になった。

「冴えたる業よ」

 と、―――感心した声で口にしたのは虎千代だ。

「見よ」

 と、虎千代は言う。

 あれほどの長大な太刀を、煉介さんは決して大振りに振り回したりはしない。

 ごくごく最小の動きで、最短の急所への道を狙っている。

 後で煉介さんが僕に話してくれたことによると―――

「余計な力は別に必要ないんだ」

 相手の動きの勢いを利用して剣の動きを調整すれば、後は、刀の重みが勝手に刃先を滑り込ませていくのだと言う。だから、まるで煉介さんの剣をその肉に食い込ませるために相手が吸い寄せられていくかのように見えるのだ。

 もちろん、口で言うのは簡単だ。でもそこにはちゃんと刃筋を相手の身体に通すための筋力が必要不可欠なのは言うまでもなく、相手と自分の動きを見極める合理的な間合いの取り方をする、確かな経験と勘が必要なのだ。

 ただ、そのときの僕にとっては―――

 煉介さんの剣は、まったく得体の知れない魔法みたいなものにしか見えなかった。

「すっごい、煉介さんって―――」

 僕の横で絢奈も茫然として、言葉を失っている。

「すごいでしょー。煉介強いんだよー」

「ただにこにこしてて、真菜瀬さんに怒られてるだけの人だと思ってた」

 いや、それは言い過ぎだろ。

「ふん」

 虎千代だけは腕を組むと、なぜか不機嫌そうに鼻を鳴らしている。

「あれでは、()にならぬ。あれほど押し返しては、寄せ手も迂闊に手を出せぬわ」

 煉介さんたち十人足らずの奇襲は大成功して、屋形を取り巻こうとした敵は路地の彼方に逃げ散っている。正面の大門の前には今や、ほとんど人が残っていないほどだ。

「もしかして、楽勝じゃない?」

「馬鹿を言え」

 絢奈の言葉を喰って、虎千代が言った。

「あれはただ、先手(さきて)を押し返したに過ぎぬ。こちらが兵を幾手に分けたように、向こうも寄せ手を分けてあるはずだ。いくさはこれからぞ」

 と、話していると、真菜瀬さんのもとに、誰かが駆けこんでくる。

「どうかした?」

「裏手に火が―――」

「やばっ」

 はっとして真菜瀬さんは虎千代と、顔を見合わせた。

 やっぱり―――すでに裏手に伏兵が回っていたのだ。

 僕たちは、館の裏手へと急いだ。


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