虎千代の急変?『神妙』の一端とは……
(いったい何だったんだ、今のは……?)
何度、思い返してみても、分からない。
僕の背中に貼りいていたはずの虎千代の重みと体温が幽霊のように、ふっ、と消えた。いつ虎千代が去ったのか、僕に一切、感知させないままにである。
しかもその虎千代の手首を、ミケルが掴んで動きを封じていたはずなのである。
その虎千代が二人の人間の目を盗んで、誰にも留められることなく、その背後へすり抜けたのだった。
「おっ、おいおい!ちょっと待て!今何をした!?」
ミケルの声が、上擦っている。
そもそもこいつだって、いきなり自分を驚かすようなことなど出来ないだろうと、たかは括っていたに違いない。
怠けぎみの虎千代を稽古場に引き出すために、無茶苦茶を吹っ掛けただけなのだ。それが本当に物凄いものを目の当たりにさせられて、度肝を抜かれてしまったのだ。
「今のは奥義か?」
「奥義?」
しかし当の虎千代は、要領を得ない顔で首をかしげるばかりである。
「別に何もしてないが」
「何かしただろ!?とぼけるなっ、今、何か絶対したぞっ!」
むきになるなよミケル。いや、無理もないけど。
「虎千代、いつどうやってミケルの後ろに回り込んだの?」
「いや、普通に」
「普通にってなんだ!?」
虎千代の答えは、ますますミケルをむきにさせたようだ。それはそうだ。虎千代は今、僕たち二人には想像もつかないことをしたはずなのだ。しかしその本人がこんな、要領を得ない答えをするのだから、余計に理解しがたい。
「もっ、もう一回だもう一回!早く、こっちに手を出せ鬼姫!今度は絶っ対逃がさないからな!」
うわ、むきになったミケル。そんなに必死にならなくても。
そして当の虎千代だが、とんでもないものをいきなり見せておいて、今度はあからさまに面倒くさそうな顔だ。
「真人、二人で温泉行こう。背中流しっこしたい」
「やる気あるのかおいっ!!」
ついにミケルがキレた。これも無理もないとは思うけどもさ。
「ミケル、そろそろ止めとけよ。虎千代疲れてるんだよ」
さすがに僕は取りなそうとしたが、
「疲れてるで済むか!」
ミケルは完全に頭に来てしまったらしい。強引に虎千代の腕をつかもうと、立ちはだかる。
「別に、鍛練場でやり合おうって言ってる訳じゃないんだ。ただ、さっきと同じようにしてくれればそれでいい。……今度は絶対させないけどな。鬼姫、あんたがやる気になるまで、おれは引き下がらないぞっ」
止める間もなく、ミケルは飛びかかった。そんな無茶な。
だが虎千代は抗うこともない。両腕で抱きつく勢いのミケルをまた、さらりといなして、再び僕のところへ戻ってきたのだ。何の緊張感もない。まるでミケルなど、最初からそこにいないかのような振る舞いだった。
「くっ、またか!一体、どんな技を使ってるんだ!?」
ミケルが力み返って問い質しても、虎千代は、きょとんとしている。
「別に、そんなものは技ではないぞ」
「おかしい!明らかにおかしいぞ鬼姫!真人が考えた修行で何があって、どんなものを得たか言え!」
「言葉にして言え、と言われてもな」
虎千代は本当に困っているようだった。ただ、僕の方からすると虎千代が要領を得ない答えをしているのは誤魔化しているのではなく、本当にただ、答えようのないことなのだなと言うことは、分かるようにはなってきた。
思えばこれまで虎千代が体現した『燕の居合』も『無拍子』も、そして『真中』と言うのも。
どれもが乾坤一擲、極限の緊張感の中で放つ奥義、言ってみれば必殺の剣技であった。
だが『神妙』は、それとは決定的に違うようだ。剣の境地と言われると、それはやっぱり技を使うことなのかなと思ってしまうが、実際そうではなく、もっと違う『何か』としか、言いようがないのだ。
しかし、あのとき虎千代は、何度も敗退を喫した久世兆聖の幻から生き残った。これは揺るがしがたい事実である。
ただ実体のない幻術との戦いであるにしろ、虎千代が今ここへ生きて戻ってこれたのには、何かしら具体的な理由があって然るべきなのだ。
それで『神妙』。
虎千代の旧い記憶の中にある八潮の末期の剣は確かに、驚くべきものではあったもののだ。いざとなったみると、結局それが久世兆聖を倒す何に成り代わって虎千代に備わったのかは、僕たちには判らない。
(でも、片鱗は見た……のかな?)
虎千代は今、何も言いはしなかったが、ミケルに言われた通り、その一端は示したのだろう。恐らくはそれが「一言では言えない」と言う『何か』の最も端的な見せ方であり、虎千代からするならば、精一杯の僕たちへの譲歩とも言えるのだろう。
確かにこれまでとは、違う。
だが、果たして本当に大丈夫なのだろうか。
ミケルが逸るのは、よく判る。それはそのまま、僕の中で日増しに強まっていく『危機感』と同義なのだ。
「一緒に湯を浴びよう」
虎千代は、無邪気に僕の腕を取ってくる。残りの日数は本当にこうして、過ごす気なのだろう。
かつてのがむしゃらな鍛練に燃えていた様子とは、まるで別人だ。
今までの研ぎ澄まされきった、仕上がりたての銘刀のような虎千代は、そこにはいない。
風向き次第で流れる雲のように気の向くままで、流れに任せて落ちていく水のように、屈託がない。なんの掴み所もなく、拍子抜けしてしまう。これがあの、虎千代なのだろうか。
(『何か』が違いつつある)
僕たちは、これまでの認識を改めなくてはならないのだろうか。




