死中の太刀!一刀、先師を降す技は……?
「動くんじゃねえってんですよ……!」
ぎりり、と、黒姫は鎖を引いた。
「この黒姫が、力一杯お願いしてやってるんですからねえッ」
鎖は鍔元まで落ちて引っ掛かっている。黒姫が力を込めて引いても、その鎖分銅は容易なことでは外れなさそうだ。
「御見事」
得物を封じられても、龍勢は揺るがない。黒姫が全力で引いても、びくともしなかった。しかし得物を絡めとり、動きを封じ続けていれば、虎千代に攻勢の好機を作れる。
「卑怯とは言うまい。……騙し討ちをしたのは、お前からだからな」
「御意に。……自分が姫様を闇討ちにしようとしている卑怯は、とっくに存じておりまするよ」
虎千代が、抜刀してにじり寄る。すかさず付け入って、龍勢を仕留める腹積もりだ。黒姫に利き腕を預けながら、龍勢の目は虎千代に向いた。
「されど、殺らねばならぬ。……卑怯と言え、残忍と言え、鬼になってせねばならぬことがこの私にはあるのです」
少し深く、龍勢が腰を落とした瞬間である。
「ふわあっ!」
引っ張られまいと、全身の体重を使って鎖を引いた黒姫が、のけ反った。急に手応えが全く無くなったのだ。
(得物を棄てた)
一旦、強く引き、黒姫が全力で抗うのを見すまして、長刀を手放し、肩透かしを喰らわせたのだ。剣を絡め取ったまま鎖が大きく宙に舞い上がり、黒姫は思わず、尻餅をついた。
暗殺刀を棄て、丸腰になった龍勢だが、肉薄する虎千代を迎え撃つ気だ。
抜いたのは、腰に残る短刀である。
(こちらへ来る)
虎千代が気づいたときには、すでに遅かった。虎千代の斬撃をかわし、するりと脇へ滑りでた龍勢は、虎千代の胴を抜いた。
「とっ、虎姫さまッ!」
布が切れる音と共に、血飛沫が散り虎千代は、もんどり打って前へ倒れたのだった。
「撃ち込みが浅い」
脇差しの切っ先から一寸ほどについた血の曇りを見て、龍勢は嘆息した。この刺客にしてみれば、短刀を使わざるを得なかったのが、誤算につながった。
黒姫にしてみれば、不幸中の幸いだ。奇しくもその嘆きの声から、地に伏した虎千代がまだ、致命傷を負っていないことを知ったのだ。
「剣を教えた師としての気持ちがある。……故に姫にはいっそ、ひと思いに死んで欲しかった。息の根を止める太刀をつけるのは、これぞ遺憾 (残念だと言う意味)の至り」
「何をぶつぶつ!勝手なことを言いやがるですかッ!?」
虎千代のために、黒姫は初めて目を剥いて怒った。
「あーたは所詮、手前勝手な理由で人殺しを請け負った外道じゃあねえーですか!?今さらどこの誰が、あーたの詰まらない言い訳をはいそーですかと聞いてくれると、思ってやがるですかッ!」
「空しい気持ちもある。……今まで培ってきた縁を棄てるのだ」
と、龍勢は冷たい声で言った。
「軒猿風情に、同意を求める気はない。私は外道だ。すでに、地獄行きは覚悟している」
「だったら寄り道なしで直行させてやりますよッ!!」
黒姫はついに、とっておきの炮烙玉を取り出した。
「爆薬かよ」
江戸川凛が口を挟んだ。
「無謀じゃあねーか?」
「わたしもそう思う」
虎千代は苦笑した。昔から頭に血が上ると、無謀な手段を取る黒姫である。それじゃあ、下手すると怪我してる虎千代まで吹き飛ばしてしまう。
「その場はそれでいいのだ。……黒姫があんな啖呵を切って、暴走してくれたからこそ、わたしが立ち上がる時間が出来た」
(出血は止まった)
虎千代は、袖から流れてくる血が乾き始めてきたのを確認する。ほんの一瞬だが、気絶していた。まだその強烈な斬撃の衝撃は身体に響くものの、肋骨は折れていないらしい。もう少しで何とか、動けるくらいには呼吸は回復するだろう。
「黒姫」
虎千代は、ひび割れた声を精一杯張った。
「無茶をするな」
その声で、黒姫と龍勢は立ち上がる虎千代を見た。それを見届けてから、虎千代はゆっくりと構えた。
「剣の勝負は、剣でつけるものだ」
そして虎千代は、平正眼を択んだ。自然とこの形になったのは、これが初めてだった。
今の、真中に通じる。
「だが、当時のわたしとしては必死に己の身を守った結果だろう」
と、虎千代は辛笑する。
両手で正眼に構えれば、腰が据わる。
自らを殺そうと死力を尽くして向かってくるのは、格上の剣の師だ。そうでもしなければ、腰が退けて立ち向かう姿勢にもなれない。
しかも、先刻は脇差しで、胴を抜かれている。
(切っ先を外したら駄目だ)
虎千代は、龍勢の身のこなしよりも、そちらに集中した。脇差しの寸の短さが、逆に、仇となっているのかも知れない。さっきは影のように、すり抜けられた。小回りの利く脇差しに、翻弄させられたのだ。
(惑わされまい)
次にそこを、読み外せば死ぬ。全身全霊を、この一合に込めるのだ。
(狙いは知れている)
もし、仕留める気ならば、龍勢は虎千代の胴を抜いたりはしない。刺突で喉を狙うか、真っ向、胸を貫き通す。
(懐に入ってくる)
狙い通り、龍勢が踏み込んできた。
(狙いは、同じなのだ)
と、虎千代は、想う。こちらは正眼で身体の中心を護っている。これを外すには、別の場所を狙うか、それとも、護りを外すかだ。
(だが、真っ向来る)
虎千代は、抜き胴の可能性を棄てた。たとえここで、変手を交えられたとして、出す手を変える気はない。
(擦り上げ……!)
どの技を使うにせよ、攻撃は虎千代の正眼を外すことから始まる。故に初手は擦り上げと読んだ。脇差しで虎千代の剣を絡めとり、遥か頭上へ護りを崩す。
(退くな)
同じタイミングで、虎千代も擦り上げ動作を行っている。故に龍勢の脇差しも絡め取られ、あらぬ方向へ跳ねる。
(一刀に己を籠めるのだ)
決死一合。
ここで斬られて死ぬ覚悟を決めた虎千代は、退かずに一刀を振り下ろした。同時に龍勢も、斬り下ろしている。しかし、寸が足りない。虎千代の頬の皮を浅く、斬り裂いたのみだ。
「御見事ッ……!」
袈裟に斬り下げた虎千代の太刀が、龍勢の乳下へすり抜けた。肋をぶち割られ、血肉が吹き出した。
顔に血潮を浴び、虎千代は、残心を取り続けた。龍勢の反撃はない。それでも、この残心の姿勢を取っていないと、そこにへたりこみそうだった。




