守る武の意味、遠ざかる兆聖、迫る血戦……
「君とは一度、話し合いをしてみたかったところだ」
斬人の姿勢を崩さずに、久世兆聖は言った。その切っ先は、天を衝いている。視線をそちらへやらずに、相手から目を離さないでいるのに苦労した。
その一時、僕は無意識に、あの『蛮神雷』の間合いを測っていたのだった。あの虎千代が信頼を寄せる備前鍛治の太刀を綺麗に切り払ったあの秘剣の射程が及ぶ範囲を。
だが、そんなこと、結局無意味なのだと、すぐに思い知った。
『蛮神雷』も『嵐神脚』も『震脚』に依る技。どちらが繰り出されるにせよ、起こりは同じなのである。なので、とっさに広く間合いをとったところで、追い討たれて仕留められてしまうに違いない。
「嵐神脚と、蛮神雷は二つで一つの殺し技なんだな」
と、僕は思いついたことを心のままに、吐露した。
「防御不可能、必殺の至近距離技と、退避不能、必殺の追撃技の二者択一だ」
すると久世兆聖は、無邪気に笑った。
「なるほど、君は切れるね。……身のこなしは素人だが、見る目は達人並みってやつだ」
「買い被るなよ」
と、僕は突き返した。
もし僕に目があると言うなら、それは虎千代の姿を追うことで養われたに過ぎない。
大切な人が、技を究めていく姿が尊いから、僕もそれを全力で守っていこうと、思った結果に過ぎない。
「お前が人から奪い、自分で鍛えた技は、他の誰かのためになったか?」
「んんっ?」
兆聖は、見事なほど目を丸くした。
「一体どうしてそんなことを考える必要があるんだい?……変わってるなあ、君も長尾虎千代も」
「そう思うならば、そう思えばいい。……だが、僕に……いや、僕たちにとって虎千代は、あいつ一人の命じゃないんだ」
「ふうん、それは上杉謙信としてと言う意味かい?」
「違うさ」
そんな理屈は、すでに超越している。多くの人にとって虎千代と言う存在が、すでに救いとなり、支えとなっている。その絆の深さは、僕にとっては自分の血肉と同じように重いのだ。
「『武』とは『矛を止める』と書く。……虎千代がいつも言っていることだ」
「抑止力としての武力論だねそれは」
久世兆聖は、鼻で笑った。
「強ければ、守れる。誰にも何も奪われることはない。確かに正論だよ。だが、つまるところそれは『強ければ』と言う前提があってこその話だろう?」
兆聖が一歩間合いを詰めた。剣はまだ、振り下ろされてはいない。だがほんの一瞬、それこそ僕が瞬きをする間には、この男の剣は僕を斬殺しているかも知れない。
「守ってみろ。……僕より強いなら長尾虎千代を奪われないようにしてみろ」
「守ってやるさッ!」
僕が叫んだその刹那だった。
「『蛮神雷』」
脳天から久世兆聖の刃が、僕を斬り裂いた。避ける暇もなかった。反応するどころか、意識する間もなく、僕の身体は、真っ正面から両断されていたのだ。
「……幻戯か」
残心をとった兆聖が、吐き捨てるように吼えた。
「なんだ結局、逃げるのかッ!?この僕に、あれだけのことをほざいた割りには、ご立派だなあッ!」
虚空に向かって、久世兆聖はうさを晴らしている。
切り裂かれた僕の幻影が手応えもなく消え去り、再び辺りにはそれよりも、もっと不確かな手応えの濃霧が立ち込めてきたのだった。
「守りきるのが、僕の勝ち方だ」
それが、僕の答えだ。
「お前に誰も奪わせはしない」
僕の声は、久世兆聖に届いただろうか。あの罵声を最後に、相手の声は聞こえなくなった。
(何とか上手くいってよかった)
霧を発生させ、幻術の結界にする手段は、準備はしていたものの、あの久世兆聖から全員の気配を誤魔化すに至るまでには、時間が掛かったのだ。
あまつさえ、僕の居場所を嗅ぎ付けられてしまった。そこで話をして間合いを測るふりをしながら、少しずつ立ち位置をずらし、幻術と取って替わったのだった。
さすがの久世兆聖も、雲化するまでに具現化した霧に映した僕の姿に惑わされて、目測を誤ったようだった。
もしあのとき、ほんの少しでも呼吸を間違っていたのなら、敗亡ていたのは僕の方だった。
万一、兆聖の刃にかかっていたなら、幻も霧も立ち消え、虎千代たちにまで追跡は及んだに違いない。
(動けなかった)
至近距離に奴が出現したとき、全身の筋肉が言うことを聞かなくなった気がした。あのときもしそこから、立ち直ることが出来なかったとしたら。
虎千代の愛刀を断ち切ったその刃は、僕の身を引き裂いていたに違いない。
心底ぞっとする。虎千代はいつも、こんな死地に身を置いているのかと思うと、何度、経験しても身の毛がよだつ。中でもあの久世兆聖の間合いのうちは、別次元だ。
(勝てるのか、虎千代は……)
胸に兆した不安を僕は、必死に呑み込んだ。
「全員、無事だ真人」
霧が吹き去る道のはてに、虎千代がひとり、待っていた。負傷している黒姫は信長に頼み、自分は殿の僕を待っていたのだろう。武器も壊してしまった癖に。
「……助かった」
とだけ、虎千代は言った。
剣士としては、苦い生還だったろう。余計な言葉を掛けても、仕方がない。
「黒姫が無事で良かったよ」
と言うと虎千代は、ほろ苦い笑みをにじませてうなずいた。
「奴はもう追ってこない」
しつこく追跡してくるかと思ったが、その気配はすぐに消えていた。
「そのようだ。……奴にとってはまだ、余興に過ぎぬ。急ぎ技を究めなくてはな」
虎千代の闘志は消えていない。僕はそれに、残る望みを賭けた。
決戦の日は、江戸川凛の手にした招待状によって、もたらされていた。
まだその技量の差はいぜん埋まっていない。
命運を賭けた死闘はもう、目前に迫っていた。




