葬られる達人技!佐藤の奥の手とは…
「つまり、刀は囮だ」
ついに久世兆聖は、佐藤の仕掛けを見破った。
「実際にはその『爪』で、皮膚の弱いところを掻いている。血管の重要な部分、出血が容易に致命的になるような場所だ。…それを実現するのには、例えば剃刀のように薄い一枚刃でもあれば、十分なわけだ」
秘密を暴くように、兆聖は佐藤の指をあらためた。
「ふうん、つけ爪をしているのかと思ったら、自前の爪なのかな?…あんたは周到にこいつを隠していたな。自分に不利な短い剣をわざと使うのはもちろん、近接での格闘技すら、相手の目をごまかす布石だったってわけだ」
「これは、加工品だ」
観念したように、佐藤が種を明かす。
「ダイアモンドに次ぐ硬さのタングステンが使われている。場合によっては人体だけでなく、衣服やワイヤーも挽き切れる代物さ」
「ダイアモンドは、金剛石です」
戦前生まれの兆聖にも分かるように、春水が言い添えると、
「なるほどね。…だが、達人のあんただ、タネはそれだけじゃないね。その爪、のべつまくなしに切れるわけじゃない」
「当然だ。刀を使うように、きっちり刃筋を通さない限りは、切れないようになっている」
「ははは、そうだろうね。さすがは達人だ」
しかし、久世兆聖の目にはまだ、見通しているものがあるようである。
「だがそれだけじゃあ、まだ、あんたらしくないねえ。…恐らくその爪で、あんたはまだ、とっときの隠し技を持っている。違うかい?」
佐藤の目が、気味悪げに見開かれたのはそのときだった。
「とことん嫌な奴だな、君は。…人が、長年苦労して練り上げた技を見破るばかりか、さらに命に関わるときしか使わない、とっときを披露しろなんてな」
「見破ったのは、僕なんだ。…当然の賞品だろう?」
「『達人殺し』め」
佐藤は、観念したようにため息をつく。だがこの奥の手を使わなくては、勝負は終わらない。
佐藤は一瞬だけ、春水の方を見た。
「わざわざ助けに来てくれたのに済まないな、春水君」
「いいのです。…それより、わたしの名を、憶えていてくれたのですね」
春水は、意外そうに目を見開いた。
「君の太刀筋を憶えていた」
佐藤は、押し返すように答えた。
「技が練れている。君も随分、達人を殺してきたんだろう。遠慮なく、勉強するといい」
それが佐藤の別れの言葉のようなものだった。
「で、どうする?」
久世兆聖がもどかしげに、尋ねる。
「このまま続けるかい。それとも間合いをとって仕切り直すかい?僕は別にそれでも一向に構わないが」
「とっときが見たいんじゃなかったのかい、久世兆聖君」
佐藤は、無理にほくそ笑んだ。
「とっときって言うのは、今みたいなときに使うものさ」
息つく間もなかった。
ふらり、と佐藤の身体が心持ち沈んだかと思われる瞬間、そのまま、兆聖が掴んだ手首が押し込まれたのだった。実に自然な動作だ。まるで握手を申し込むときのような。だが、狙ったのは胸板だった。
その心臓を真っ向、突き込むような貫き手が、兆聖の胸に飛び込んだのである。
「うううっ!」
(ゼロ距離射程の貫き手…!)
これにはさすがに、春水も目を見張った。薄い爪の刃が、普段、斬りつけにしか使われないことの見事に裏をかいている。
しかも起こりを察知させず、重心の変動だけで兆聖の制止を振り切り、急激に伸びのある一撃を急所に叩き込む技量は、恐るべきものだ。
今の刹那、普通の人間ならば何をされたのかまったく見当がつかないまま、肋骨のあわいから心臓をえぐり抜かれていたに違いない。
「なるほど、貫き手か。…実に見事な技だった」
しかし、兆聖は平然と答えを返す。今の技でも、兆聖の肺も心臓も無傷だ。
「琉球空手にちょうど、爪を使う武術があったと、思ったんだけどね。この達人の奥義が、貫き手で牛の臓物をつかみ出す技だった」
(通用していない…?)
春水は目を見張ったが佐藤には、その理由がもちろん、判っていた。
「この手の技は、間合いが繊細だな。至近距離でしかも、起こりを察知させず、間合いを使わないとなると、どうしても地面の力を使わざるを得なくなる」
佐藤の貫き手が、届いていない。
通用していないことが判るのも当然だ。その手応えがまったくないのだから。
「勁の力を使うとなれば、これは僕と同じ原理だ。だとすれば僕にとってはその力を地面に逃がすのも、間合いを微妙にずらして、攻撃を外すことが出来ると言うのも必然。…故に、この非凡な貫き手にも、初見で対応できたってわけさ」
兆聖は高らかに、『達人殺し』を宣言した。
「そうがっかりするなよ。いい『学び』になった。…あんたの間合いの取り方も、勁の使い方も、僕にとっては独特で魅力的だったよ」
と、兆聖の姿が佐藤の視界から消える。
(まさか)
佐藤が息をつく間もない。その胸板に、己が放ったのと同じ、ノーモーションの突きが放たれたのだった。
「うぐっ…ううううっ!」
佐藤は、激しく後退する。これこそまごうことなき、自らの技の衝撃である。心臓を貫かれ、即死していないことだけが、不思議だった。
「あんたに敬意を評して、掌底にしたよ」
兆聖の拳は、貫き手ではなかった。だから死ななかったのだ。
「なんて…やつだっ」
すでに手加減されている。佐藤は血を吐いて、その驚愕を噛み締めた。技を盗まれた。ただそれだけで、これほど力の差を見せつけられるものなのか。
「さあ次は、あんたが全力で僕から取り返す番だぜ」




