陰陽道の因縁!道満の術力は…?
異郷の月は、限りなく白かった。
淡く藍を含んだ広漠な満州の夜空を、『無』と言う名の鋭い鎌で切り裂いたかのようだった。
その月明かりの強さだけは、目も眩むようである。夜を欺くかのように、光る月。しかし強烈なだけに、そこに生まれる光と言う空白は、作り物のように胡散臭くも感じられた。
その場違いな光芒を思わせる、上古の女呪術師は、艶な微笑を投げかけて、こちらを見ている。
(あまり見るな)
と、晴明が僕に思念で指示をして来た。
(目が合っただけで、何か術をかけられるかも知れん。どんな術を持っているか、この私にも判らん)
晴明の常ならぬ警戒心が、相手を大きく見せさせる。それでも、武力に恃む敵であれば、その実力を見誤ることはなかったろう。
虎千代はじめ、ここには武の達人が勢揃いしているのだから。まやかしの威勢や、虚勢の武力など、通用しない。だが、相手は呪術師なのだ。その正体を見極めるのは、僕か晴明かしかいないのだ。
「久しいなと言ったのだぞ、道満よ」
晴明は再び、声を張った。
「まさかお前に、再び生身の人間として出逢う日が来ようとはな」
「ふふふ、うちも意外です、晴明さま。…昔はええ加減、お世話かけましたですしねえ」
道満は、道端で学生時代の恩師に会ったように答えた。
「ついでにもう一つ意外な。まーだ、その中途半端な状態を、神仙の境地などと称してさ迷っておられるとは思いませんでしたわあ」
「己のように、新たに生まれ出づるはずの人間の魂を乗っ取って転生を繰り返す…外道な真似は出来ぬわ」
「外道?…ふふふ、相変わらず口だけはご立派な。晴明さまだって、生まれ出づる誰かの一生を犠牲にして助かっておいででしょう?貴方と極めた泰山府君の反魂法は、確かそのような禁呪だったはず」
「黙れこの外法の申し子め。…この私が天地自然の理を敢えて冒したのは、お前の罪を止めるためと何故心得ぬか!?」
晴明が激昂した。思えば長い付き合いだが、これほどに琴線に触れられたのは、初めて見た。
無理もないとは思う。
日本の呪術史に残る天才、安倍晴明は、弟子であるこの道満法師に一度は、呪殺されているのだ。
肉体ある生は限りあるもの、と言う理を冒してでも、蘇りざるを得なかった晴明の無念は、察して余りある。
おのれが極めてきた陰陽道の最大の禁忌を敢えて冒そうとも、この道満を阻もうと言う意志には、晴明の意地を感じる。
「外法」
道満は、晴明の言葉を捕まえて歪んだ笑みを浮かべた。
「よう言われますなあ。そもそも、天地自然の理に従うと言うならば、この陰陽の術そのものが外法やないの?」
「外法ではない。よく聞け、道満よ。この世の光と闇、是と非、理を守ってこその陰陽道。理そのものをいじれとは、私はお前に教えてはいないはずだぞ」
「ええ、確かに教わりませんでした。…だからこっちで目覚めたんやないですか。うちの陰陽道の進む道を」
「口の減らぬやつめっ」
晴明は、怒りが収まらないようだった。
「もういいっ、お前らやってしまえ。遠慮はいらん。どーせなら殺したって構わん」
「おい」
慎重にって言ったろ。さっきと言ってること随分違うぞ。
「いや、やれってーんなら、さっさとやるぜ陰陽の先生」
江戸川凛は、このやり取りに至る経過がよく判っていないらしく、ただじりじりして待っていたようだった。
「要はこの女ボコれば終わりなんだろ?」
こいつもまた、身も蓋もないな。
「ここまで振り回してくれたんだ。陰陽師だか本能寺だか知らねえが…今さら暴力反対なんて、言わねえよなあッああッ!?」
しかも無茶苦茶ガラ悪い。
だが、道満は、身構えもせず口許に含んだ微笑を崩さなかった。
「ふふふ、そんなんよう言わへんよう。それよりもなあに、随分ガラ悪いのねえお嬢さん」
「アタシに…なあッ!お嬢さんなんて言う奴ァッ!いねええーんだよおおッ!」
たった、一言で挑発が利いた。
江戸川凛は、一気に距離を潰してきた。肉食獣が走り寄るように、みるみる道満の眼前に迫ると、一撃必殺を見舞う。縦回転のロシアンフックを大振りだ。
二メートル級の巨漢でも、まともに喰らえば一撃で墜ちるであろう殺人フックを、腕力に自信があるように見えない芦屋道満は、いかにして迎えたか。
右の手のひらを。
前に突き出した。ただ、それだけである。凛の殺人打撃を受け止めようとするなら、それは無謀すぎる。だがもちろん、それだけではなかった。
「うわあああーッ!」
悲鳴を上げたのは凛である。
起きたのはそれほどの爆風だった。
(風の呪…!?)
風を溜め込んで放つ、僕がいつも使う呪だ。鋭く圧縮すれば『刃』になり、勢いに任せて放てば、『壁』となる。
それにしても今のは、いきなり強烈すぎる。
僕のように、風の力を溜め込む時間も、その素振りも見せなかった。ただ手を差しのべただけ。そこから、爆風を放ったのだった。
いくら猛獣でも、実体のない風は殴れない。悔しいほど見事なカウンターだった。身体ごと背後に、数メートルぶっ飛ばされて、凛はどうにか踏ん張ってこらえた。
「てンめええええーっ!何しやがるッ!」
凛が獣の咆哮を放った。刹那、その隙を狙ったものがいた。
虎千代だ。
元々、示し合わせていたのか、それとも達人同士の呼吸の賜物か。凛が怒りに任せて叫び声を上げた瞬間を狙って、死角から虎千代が道満に向かって斬り込んでいたのである。
十分に腰を沈めた、必殺の切り下ろしである。風をも切り裂く一撃に、爆風は通用しない。真っ向から斬人刀は、道満を斬り伏せたかに見えた。
だがここも、一筋縄ではいかない。
「ふーっ!危なーっ!」
剣は危うく、虎千代の足元を割りかけたのだった。
(かわされた!?)
僕はその刹那を見た。道満は再び、風の呪を最大出力にして放ったのだ。
今度は、相手にではない。
放ったのは自らの足元であった。
虎千代の目には、道満が斬り伏せられる寸前に、丸ごと消えたように見えたに違いない。実際は、ロケット噴射のように、上昇気流によって空へ打ち上げられていたのだ。
さらにはその上昇気流をクッションにして、道満はふわりと降りてきたのだった。
「腕っこき二人も!えらいの連れてきてはるわあ」
(なんて実力だ)
効果には時間と手間を要する風の呪を二回も。僕にはその仕組みも判らない。
道満は想像以上に、上手の術師だった。




