久遠の本音、満州式の襲撃、打つ手は…?
「どういうことだ…」
僕は久遠の意図が判らず、問い返した。
「誰の影を盗むって?」
単刀直入に突っ込んでやると、久遠は、眼差しを険しくした。
「仮定の話だ。誰にその術をかけろと誘導しているわけじゃない。ただ、おれには理解の及ばんことについて尋ねているだけだ」
「歯切れの悪い口ぶりだな」
僕は、からかうように言った。
この男がこんな口調になるのは、珍しい。あの晴明の術の何が、琴線に触れたのかは判らないが、掘り下げてみる価値はありそうだ。
「ほざけ。…当たり前だ、歯切れも悪くなる。おれにはお前たちの言う、陰陽術だの、憑依だのの話がいまだ信じられん」
「まあ、気持ちは分からなくはない」
久遠とてまた、現代人である。近代文明のただ中に生まれ、呪術とは無縁の生活をしてきた。僕と晴明が呪術を使うのを目の当たりにしても、最後のところまでは、飲み込みにくいと言うことも、分からなくもない。
「だが、今さらじゃないか。そもそも今、僕たちは芦屋道満の夢の中にいるわけだし」
「信じるしかない。だから、聞いてるんだ。その影縫いで、例えば閣下に憑いているものだけを呼び出すことが出来るのか、どうなんだ?」
「…それが核心か」
久遠の真意が分かり、僕はため息をついた。
「なるほど。あんたは、劔を『護っている』何かについて、並外れた強い関心を示している。…思うに恐らくはそれが、あんたがあの劔から離れがたい理由なんだろう。あんた自身は、それについてはどう思う?」
この際だから僕は、久遠の急所を遠慮なく、探ってやろうと思った。
「ふん、随分、遠慮なく聞くもんだな。お前はおれのことになど、関心がなかったんじゃないのか?」
「そんなわけないだろ」
僕は、まるで謀略に憑かれた亡霊のように振る舞っているその男の正体を捉えておきたいだけだ。
「あんたは亡霊じゃない。今、ここで僕たちと動いているのも、本当の理由があるはずだ」
「まだ、おれを裏切り者扱いするのか?」
「違う。…あんたが執着するのは、間諜になる時点より前の、あんたのためだ」
「なるほど、分かったふりをしたいわけだ」
「あんたにだって、生きている理由はあるだろう?…間諜として人を欺くこと以外に」
久遠は、応えずただ目を剥いた。不本意だが、付き合いは短くも、薄くもない。そろそろこの男の生身の姿が、何となく、この手に捉えられる気がしたのだ。
「あんたは正教徒だ。…なぜそれほどまでに、奇跡の実在を疑う?」
「つまらん男だ。…それでおれの正体をッ!突き止めたつもりか!?」
思った以上に激しい語気だった。だが、ここで退くわけには行かない。この際、飛び出しかけた久遠の本音を、逃さず捕まえておくのだ。
「おれは、奇跡を信じない」
激情を抑えつつ、久遠は言った。
「おれは十字架を手に祈るが、奇跡が自分を救ってくれるものだとは思わない」
「…久遠、お前は劔に救われたんじゃないのか。それは奇跡と思わなかったのか?」
僕はあえて、意地の悪い聞き方をした。劔に対して、久遠が複雑な感情を抱いているのは判るのだが、僕にはそれがどんかものなのか、想像もつかなかった。しかしたぶん今、その核心に触れかかっているのかも知れない。
「主と言うものがいるなら、おれをなぜ救ったのか。…救われるべきものらをおれの前で決して救わず。おれはシベリアで助けられたが、それはおれに起きた奇跡じゃない。すべては閣下、劔劉志朗のためのものだった」
「久遠、あんたもしかして、劔に嫉妬しているのか?」
久遠はそのまま、僕を刺し殺すような目をした。
「馬鹿言え」
図星を突いたのかも知れない。つまるところ、この男は、劔が羨ましいのだ。
故に、劔によって救われたことに恩は感じながらも、その信憑性を疑わざるを得ない。奇跡に見初められた劔を妬みながらも、その挙動に目を見張らざるを得ないのである。
「劔から『奇跡』を盗めたとして、それであんたはどうしたいんだ?」
「どうもしないさ」
突き返すように、久遠は言った。
「だだ確かめたいことがあるだけだ」
「何を二人で、話し込んでいたのだ?」
屋台の側で虎千代が不審な顔をして待っていた。僕はふと、返す言葉を見失った。久遠の話は、虎千代に話せるほどには要領を得ない内容だ。
「あいつの本音を聞き出そうと思ったんだ」
「あの男のか。どんな魂胆だ?」
虎千代は、目を丸くした。無理もない。確かに久遠には何度となく裏を掻かれたが、今は別にそんな理由もない。
「あいつも要は、血の通った人間だってことだよ」
人の心を操る間諜の鉄面皮を被っても、底の底には、生臭い人間の欲望を持っている。
「確かめたいことか…」
僕は、久遠の残した言葉を反芻した。
恐らくはその目的のために久遠は、僕たちや劔の間をさ迷っているのだろう。久遠もまた、救いを求めているのかも知れない。
やがて異郷の月明かりが美しく、冴え渡り出した。
「よし、皆の者、支度は良いか」
初めて見る満州の月を眺めながら、晴明は、僕たちに語りかけてきた。
「すでに我が結界に、道満が集めた人数は捉えている。把握した人数は、三十名ほどだ。人通りが絶えた頃、この建物の表口、裏口から突入してこよう」
やり方はつまり、久遠の言う満州式である。夜目の利く馬賊たちを雇ったであろう道満は、火力にものを言わせ、僕たちを一挙制圧する電撃戦を仕掛けてくるつもりだろう。
対する僕たちは、闇に紛れたゲリラ戦法を採る。銃器の備えはないがここには、静かに人を殺せる達人が揃っているのだ。不意を突けば三十人くらい、難なく仕留めてみせる。
「おい、小麦粉あったぞ」
僕に頼まれて、江戸川凛が山ほど小麦粉の包みを担いできた。
「こんなもんで何するんだよ?」
僕はそれに用意した呪符を張った。まずは僕が、口開けに連中を圧倒してみせる。
「凛、全員、屋根裏に隠れるように言ってくれ。合図で飛び出して、敵を始末するんだ」
「合図だあ?なんだか事前に教えろよ」
目を剥いた凛に、僕は言った。
「言わなくても分かる。馬鹿でも分かりやすいやつだ」
ほどなく階下に、馬賊たちが侵入した。戸口から中も確かめず、両手持ちした拳銃をバカバカ撃ってくる。それが狙い目だ。
「風刃の呪よ」
僕が呪印を切ると、呪符が炸裂し、小麦粉の袋が盛大な音をたてて破れ、中身が飛び散った。
馬賊たちがその音に驚き、入り口から裏口から、一斉に拳銃を撃ちならし始めた。それがこちらの狙いである。
暗闇に銃火が閃くや否や、凄まじい爆発が、何もかもを吹き飛ばした。
僕が作ったのは、即席の粉塵爆弾だ。
微粒子が充満する部屋では、火気は厳禁なのである。空気中に充満する小麦粉が一気に点火し、炸裂した。陰陽術と科学兵器の合わせ技が、人数を圧倒する。
「今だッ!」
道満との直接戦闘が幕を開けた。




