虎千代の極限!死の際へ、目指す境地は…?
(わたしの剣は、そもそも戦国の太刀技…)
虎千代は、自分の剣の成り立ちを思い返す。元々の師は、親代わりに育ててくれた金津新兵衛だが、両手が塞がっている状態で八人斬ったと言う伝説を持つ新兵衛もまた、ほぼ我流である。
そして虎千代も、斬り倒すこと、生き残ることで腕を磨いてきた。道すがら野伏せりを斬り、或いは武芸者を斬り、戦場では足軽を斬り、あまつさえ鎧武者を斬ってきた。考えてみれば、無数の相手と渡り合ってきた。
もちろん相手とは性別も体格も違うし、持っている得物も、戦法も、さらにはどこまで戦う覚悟があるかまでまちまちだった。
「斬る、と決めたら、とことん食らいつくつもりで斬ることよ」
と、新兵衛はある時言った。姫である虎千代には、そんな物騒なことは言わなかったが、城の若武者を囲んでの酒宴の折りに、そう諭しているのを盗み聞いたのである。
「逃げるもの、懐が深いものにも、必ず叩き斬れる間合いはあるっちゃ」
(そう言えば新兵衛は、小太刀の名人だった)
その新兵衛は、脇差しも戦場渡りの豪刀を愛用していたのである。厚重ねの人斬り包丁は、生半可な鍛えの刀など一撃でへし斬ってしまう。
(思えばその剣の有り様を、わたしは遠ざけてきたのかもな…)
三島春水の剣は、音無の剣である。撃ち合いはしても、剣線を交えたりはしない。その技巧の余りの見事さに、虎千代もいつか同じように、音無の剣を志向するようになっていたのかも知れない。
だがその剣の本質は、違う。
(わたしの剣は、音無などではなかった)
「吽…餓亞亞亞ッ!」
不死身の怪物は、いぜん太刀傷を恐れずに立ち向かってくる。これに相対するには、音無の剣を操っていては、埒が明かない。音無の剣に光明を見出だしたのは、あくまで三島春水なのだ。
(落ち着け)
と、虎千代は必死に百震の起こりを音無の剣で迎え撃とうとする己れを取り押さえた。
(春水どのもそうしていたはずだ。…自分の本来、まず自分の剣の始まりに立ち返らねば、勝ち目は見えてこない)
天然自然の剣。
間合いの駆け引きに練れ、複雑な太刀筋を工夫したとしても、元はたった一つが自分の天性にあった剣の線なのだ。
(思い出せ、自分の剣を)
じりじりと、身を炙られるような斬殺の恐怖に堪えながら、虎千代は光明を探った。
(そして忘れるのだ)
音無の剣に追いつき、追い越そうとした幾多の工夫を。
(音無の剣を外せば、わたしは斬られる)
息を飲み込むその一秒の暇もなく。
怪物の剣に、虎千代の身体は両断されている。剣は左の首の付け根から入り、乳房の間を斜めに割って、腰骨を斬り折っていた。
そうなれば虎千代は、即死していたはずだ。
だがその致命の太刀に、剣線を絡めて、一気に振り下ろす。
「愚亞亞亞亞ッ!」
スラッ!と鉄が擦れ滑る音がしたかと思った刹那、虎千代の渾身の一撃が、剣を持つ百震の拳を割っていた。
今のは一刀流に謂う『切り落とし』である。虎千代よりやや遅れた戦国末期に伊藤一刀斎景久が技法として確立したこの剣は、剣と言うものを知り尽くした人間にしか出来ない、危険極まりない絶技だ。
それは相手の攻撃に合わせて出した振り下ろしを、相手の剣線に絡めると言うものだ。すなわち相手の太刀筋を狂わせて、自分の太刀筋だけを通す。
現在でも一刀流の技の基本原理になっているが、至難である。特に実戦においては。少しでも太刀筋の読みが狂えば、斬られるのは自分なのだ。
ある意味、音無より鋭い紙一重。
まさに肉を斬らせて骨を断つ戦場の剣だ。
日本刀を愛し、幾多の戦場で剣に命を預けてきた虎千代だからこそ、極め得る剣である。
「入った…!」
百震の拳を割ったと思った刹那、虎千代も灼けるような痛みを、左の二の腕辺りに感じた。
怪物の太刀が、肉を削いでいったのだ。まさに命懸けの一刀だった。ほんの少しでも読み違えば、頸に太刀を喰らったのは虎千代だし、百震の拳を割っていなければ、最悪、左腕を落とされたかも知れない。
(際どかった)
だが、まだ幸運とは言えない。
この一撃でさらなる出血を強いられ、虎千代の顔は青褪めはじめていた。呼吸も浅く、意識もまだらに飛び始めている。寒さが、失血の影響を強めているのだ。これ以上、活動して最後の体力を喪えば、先に力尽きるのは虎千代かも知れない。絶息丸の効果を考えれば、そちらの確率のが高い。
(だがここで退けぬ)
虎千代は、深い息を白く棚引かせた。
ようやく、己れの剣理を掴みかけているところなのだ。諦めればもはや見ぬことのない天地がそこに見えている。死に瀕している今だからこそ、至れる境地があるのだ。
(どのみち、この傷では逃げられぬ)
虎千代は即座に、死ぬ覚悟を決めた。こうなるともはや、目の前の相手と己れの剣しか見えない。
百震は、残る左手で剣を構えた。右手にまともな指は残っていない。だが左手の力だけでも、あの剣速と威力は衰えることはないだろう。
(対手にとって不足はなし)
虎千代は、剣を構えた。これほどの相手と渡り合えるならば、結果の如何などもう、どうでもいい。
「来い」
「うおおおーいッ!虎姫がおっ始めてやがるぞッ!すンげーことになってやがるッ!!」
大声で触れ回ってきたのは、江戸川凛だった。
「こいつは見逃せねえぞッ!!ほれっ、野郎共早くしやがれッ!さっさと来いやあああッー!早くしないと終わっちまうぞおっ!」
「終わったらダメだろ!?」
僕は思わず、突っ込んでいた。
(虎千代が…!)
単身、三島百震と斬り合っている。僕が、ミケルが、信長が、追い散らされた相手だ。虎千代の得物、剣一本でどれほどまでにあの怪物と渡り合えるものなのか。僕は気が気でなかった。
薄ら明かりが射し始めた、小雨混じりの原生林の中を僕たちは、息せききって走り出した。
「戦況は?」
と、江戸川凛に、僕は虎千代の戦いぶりを聞いた。
「それはっ!…えーっと、やっぱお前は見ねえ方がいいかも…だな!?」
聞かなきゃよかった。
しかし、江戸川凛の言う通りだった。
ようやくたどり着いた僕はそこで、壮絶な光景を目撃することになる。




