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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.7 ~国盗り始末、まさかのすれちがい、いくさ姫の涙
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かささぎ、煉介ついに激突!かささぎの秘儀に翻弄される煉介、勝敗は…?

煉介さんから正式に、虎千代の申し出を受ける、と言う打診が来たのはそれから間もなくのことだった。砧さんから直接、書状を預かった虎千代は、僕を連れてかささぎのいる伏見の寓居を訪れた。

その日も晩秋の穏やかな陽が降りそそぐ一日だった。かささぎはゆったりとした藍染の木綿服をまとい、洗いざらしの白い布巾で結い上げた長い黒髪をやわらかく包んで出てきた。やっぱり農婦風のいでたちをしている。普段こうしているこの人を見るととても、戦場で剣を振るう姿が想像できない。

「長尾殿、稽古にまで付き合ってくれて何から何までありがたい」

と、かささぎは澄んだ目を細めた。

「心ばかりのものしかないが、粗餐を差し上げたい。今日はわたしが腕をふるう」

かささぎは料理上手だ。遅いお昼ご飯を頂いたのだが、何気なく鉢に盛られた一品一品がびっくりするほど美味しかった。もちろん品はすべて、この付近で採れたものだ。

山の芋をすりおろした麦とろご飯を中心に、くわいを茹でて軽く塩をしたもの、コゴミやコシアブラなど山菜の胡桃味噌かけ、さらにはこの時期、旬の落ち鮎(たっぷり卵を孕んでいるそうだ)の塩焼き。感動したのは庭で採れた柿を大根の細切りと甘酢に漬け込んだ柿なますで、食べると程よい酸味と甘さで口の中が一気にさっぱりした。

食後は、揚げ餅に柿の葉茶だ。

「食事が終わるが惜しい。まさかこれほどの腕前とは」

思わずご飯をお代わりした虎千代なんかは、ふんわり熱い揚げ餅を摘みながら苦笑していた。僕も食べ過ぎた。陽だまりの落ちる縁側の木の温もりの暖かさと言い、そよ風にかすかに葉鳴りを立てるだけの竹林の静けさと言い、ここは平穏を絵に描いたような山家だ。

「お前なら、剣に頼らずとも、どこかでのどかに生きられるではないか」

虎千代が思わず口にした言葉に、

「まさか」

と、かささぎはふと困った笑みを浮かべた。

「剣に捧げ尽くすべく、拾われた命なれば、わたしにこれ以外の道はないさ。そのために死ねることは、本望と言う他ない」

「まだ死すると決まったわけではあるまい」

と、虎千代が言うと、かささぎは貼りつけたはずの笑みをひそめた。

「ああ、勝算はあっての勝負ではある。しかし、煉介との決着は菊童丸様とのこととは最初から別儀。そのつもりで、あたらねば光明は得られまい」

「御曹司のことは、我に任せておけばいい。結果如何にかかわらず、必ず朽木谷にお連れするゆえ」

「心強いお言葉かな。お蔭で後顧の憂いなく、一番に全霊を捧げられる」

この頃のかささぎの表情には、まったく余計な力みが感じられなかったのだと、虎千代は後で言った。かささぎは砧さんの鍛錬から何か得るものがあったらしく、この山家に籠もり、しばらく一人で何か工夫することを繰り返していたようなのだ。

あの圧倒的な煉介さんの剣に、かささぎは何か突破口を見つけたのだろうか。

ただ煉介さんの実力は、やはり圧倒的だ。

二人が真剣での立ち会いを行えば、無事で済むことはないだろう。死闘に勝ったとしても、今のような状態で戻っては来れると言う保証はないのだ。それでもかささぎは、やる、と言う。

「真剣での斬り合いと言うものは、うつろいものよ。弾みでどこへ転ぶか、それは実際に、立ち合うてみねば分かるまい」


立ち合いは無尽講社が取り仕切り、そこには長尾家の兵力も煉介さんの勢力も介在しない。完全な中立地帯で行われることになっていた。

場所は伏見のとある寺領の杉林の中で行われる。立ち合いの前に僕は準備を見に行ったのだが、時代劇で見るような幕下で行われる試合ほど派手なものとはまったく様子が違った。検分役の席を整えたりはするが、ただそれだけなのだ。

ほとんど野試合の体だと言う。

「貴人に御覧に入れるものとは、違うからな」

と、かささぎは苦笑していたが、これは煉介さんの希望でもあるらしい。

かささぎのたっての希望なので試合は容れてはいるが、煉介さんにしてみれば自分は武芸者ではない、と言うことだろう。もともと、技を披露する目的のものではない、だから野試合と言う形式にして一対一と言うルールだけは守ろうと言うことに過ぎないのだ。それ以外にはルールはあってないようなもの。

まさにこれは試合の形式に置き換えた、戦場での殺し合いと捉えても、まったく間違いではない。


その日はまた、うららかに澄んだ秋晴れの日だった。試合場の隅にたった一本、炭焼きに燻されたみたいに黒い柿の古木があるのだが梢からはすべて葉が落ちきっていて、陽に倦んで、卵黄色に熟しきった柿の実がいくつも残されているだけだった。時間を待つ間、かささぎは、じっとそれを見続けていた。

僕はあの山家でかささぎが出してくれた、甘柿を刻んだなますを思い出した。あれは本当に美味しかった。同じことを連想しているのか、そんな僕を見て、かささぎがふいに唇を綻ばせた。

「これは渋柿だ。これでは、なますにはならないな」

だが、と、かささぎは言った。

「粕漬けにすると、渋柿も美味しく食べられる。真人殿、機会があれば次回、ご馳走しよう」

あっ、と息を飲みそうになった僕に、かささぎはふんわりと、微笑んだ。

「あれは御曹司もご好物なんだ」

不覚にもこのとき僕は、思ってしまった。

なぜ、この人は刃物を取って斬り合いをすることをこれほど望んだのだろう。虎千代が言うように、かささぎにはもっと違う、平穏に身を委ねていい、そんな生活の方を取ることだって出来るはずなのに。

ふと僕は、かささぎの方を見直した。しかしかささぎはもう、僕には関心を向けず、足元にほたれて落ちた柿の実を足で避けると梢にさらに近寄り、ふてぶてしく方々に枝を張る柿木を見上げていた。まるで架空の世界に棲む怪鳥(けちょう)の爪のような、細く尖った空枝の向こうは、秋色に煮詰められた、濃厚な青を湛えた空が拓けていた。


約束の刻限を過ぎても、煉介さんはまだ来なかった。検分席の幕下で虎千代はしばらく、砧さんと話していたのだが、僕はふと、あることに気づいた。煉介さんを見届けるのは果たして、いったい何者なのだろうと言うことだった。僕は最初、砧さんがその役目をするのかと思っていた。しかし、当の砧さんに聞いてみると、そこはにべもなく否定された。

「いや、私はあくまで中立。煉介くんの方の立ち会いは、別の方にお願いしてあるよ」

まさか、真菜瀬さんとかじゃないだろうな。いや、さすがにそれはあり得ないだろう。そう思って待っていると、

「いやーっ、すまん。遅れて悪かったなあ」

どこかで聞き慣れた金属質の甲高い声が、僕の耳を打った。

なんとそこにいたのは、間違いなく松永弾正だった。

戦国の悪謀を代表するようなこの男は、ふてぶてしく豊かな黒髪を茶筅に結いあげていた。朱柄の鞘に薄い緑色の派手な柄巻の二刀をたばさみ、まるで悪党時代のような着流しの腰に虎皮を巻いた無頼な格好で、いかにも無防備に歩いてきていた。武装した供は一人も連れず、揚羽蝶の柄の派手な小袖を着た遊女らしき連れが緋色の日傘を差しかけている。これではまるで、若い頃の織田信長だ。

この決闘自体、型破りな形式にしてもこれは桁はずれに不謹慎な格好だった。

隣で虎千代がみるみる不快げに、表情を歪めたのが僕にも分かった。

砧さんは早々に席を案内するように蜜火さんに言うと、

「お久しく、松永弾正殿。大分御出世なされたご様子で」

と、挨拶した。

「おう、侘阿弥の親方も元気そうやな。最近、京も物騒やさかい、なかなか足が向かんで難儀しておるわ。今日は、中々の趣向やな。昔のおれに戻ったつもりで、存分に楽しませてもらうわ」

「弾正」

殺気を帯びた鋭い虎千代の声が、その空々しい陽気を寸断したのはそのときだった。

「ようここへ、顔を出せたものよな」

「これはお久しく、物騒な長尾のお姫さま」

さすが弾正は表情も変えず、涼しい顔で皮肉った。

「朽木谷の件では、お世話さんやったなあ。あれから三好家も、ようやっとしのげるようになって、おれもこうして遊ぶ暇が出来たわ。だがまあ、今日は政治向きのことは忘れて、仲良うやろうや。なにしろ無尽講社のお招きは、御曹司のこととは別儀のことやと、言うことやさかい、煉介もおれも応じたわけやし」

無言の殺気が、二人の間を刺すように飛び交った。なにしろ戦国の聖将と言われた上杉謙信と、悪鬼梟雄と言われた松永久秀だ。立場的な対立のせいばかりでなく、本質的にも性格は水と油なのだろう。

「場を弁えぬか。命を賭けた果しあいに、その様は不謹慎とは思わぬか」

虎千代の叱咤に、弾正は露骨に鼻を鳴らした。

「心得違いをしておるのはそちらや。お姫さまはどうお感じかは分からんが、これは、上覧試合やない。野足軽の殺し合いや。おれらの間じゃ、こう言うもんはこうやって気楽にみるものやと昔から、相場が決まっておるのや」

と言うと、弾正は女に命じて弁当を広げさせ、ガラスの瓶に入った赤黒い液体とグラスを取り出させた。

「堺から取り寄せた、南蛮の葡萄酒や。血の色に似ておるが、これも飲みつけると中々、悪うないで。侘阿弥の親方も一杯どうや」

「…虎千代」

腰の脇差の柄に手をかけた虎千代は、一撃でワインのボトルを寸断するつもりだったのだろうが、僕が寸前で止めた。見え透いた挑発に乗ったところで、なんの意味もない。

「しかし、煉介も難儀な試合を引き受けたものや。相手が女子ではやりにくいやろ」

弾正は肩をそびやかすと、自分の席に座って虎千代の方にあごをしゃくった。

「ところで最期までやれるんやろな。非公式の野試合とは言え、どちらかが死ぬまで斬りあう掟は変わらんで」

今のはかささぎを言うようで、暗に虎千代を揶揄してのことだろう。さきの人質事件の腹いせをしているのだ。しかし、そんな安い挑発に乗るほど、さすがに虎千代も感情的ではなかった。血震丸のことで、虎千代にも大将としてさらに一枚分厚い皮が加わっている。

「弾正よ」

虎千代はいかにも、つまらなそうに言った。さっきの煮えたぎる表情から一変して冷たく澄んだ目だ。

「いかにも腑抜けた言いざまよ。興ざめさせるな。悪漢を地でゆく、おのれの言い分とも思えぬわ」

「おれは、わざわざ無様な試合はみとうないと言うておるのや」

ざわっ、と虎千代の一言で弾正の表情に本気の怒りが滲んだのが分かった。

「見る前に分かるなれば、見ぬがいい。こちらとて恥を知らず推参せしえせ芸者の空騒ぎも鼻につくでな」

「なんやと」

虎千代は冷笑すると、鼻の頭に癇癖のしわを浮かべた弾正を真っ向から睨んだ。そして刺すような声で、

「黙って見ておけ」

今の一言は効いたようだ。ふん、と弾正は鼻を鳴らしては見せたが、その後は軽口も叩かずに供の女性に酌をさせて葡萄酒を飲みだした。


煉介さんが支度を設えてやってきたのは、それから間もなくのことだった。あの大太刀を一本だけ背に挿して、藍の着物に袴は白だ。その真新しい衣装にたすき掛けをしてある。完全に果たし合いに臨む武芸者の姿だった。

「よう、真人、元気だったか」

と、煉介さんは僕に何気ない口調で話しかけようとしたが、やっぱり場違いだったことに気づいたらしく、それから少し微妙な表情をした。僕だって今、どんな顔をして会話していいのか、よく判らない。だから会釈はしたものの、気まずい表情で後はうつむいているしかなかった。

「煉介」

と、代わりに口を開いたのは、虎千代だ。

「私憤を述べる気はない。だからとりあえず礼を言っておく。果たし合いの件、忘れずに応じてくれたこと、率直に感謝する。繰り返すがこれは御曹司の件とは別儀、相手方のかささぎも我と同じ意志だ」

「俺は一鵡斎の仇だ。俺は武芸者ではないけど、それ自体は事実だからな」

と、しばしの沈黙の後、煉介さんは言った。

「そのことでは、俺は俺なりにけじめはつけなきゃならないとは思うさ。だから、今日は全力でやらせてもらう」

「それでいい。よしなに頼むぞ」

煉介さんは返事はしなかった。ただ小さく頷いた。

「おう、煉介。その装束、お前にしてはよう仕立てたやないか」

葡萄酒に酔い始めた弾正が再び軽口を叩く。

「借りものですよ。もともとこういう衣装がないんで、急遽、無尽講社に仕立ててもらったんです」

なんか立派だと思ってたら、まさかの貸し衣装だ。

「本当はいくさの格好をしてこようと思ったんだけど、彼女も具足はつけてはいないようだしね」

と、煉介さんは隅に控えているかささぎの方を見た。

「例の件、これが終わったら話をしようや。まあ、適当に生き残ってこいや」

と言うと弾正は、自分の話をしめくくった。例の件、とあんまり野放図に言うので僕は思わず息を飲んだ。それって、やっぱり菊童丸のことだろう。煉介さんは僕の方を見ると、

「菊童丸様は、まだ弾正様には会わせていないんだ。俺がもっとも信頼している人に今は預けてある」

えっ、と僕は声を上げそうになった。つまり引き渡し交渉は、まさにこれからと言うことじゃないか。

「真人、出来たら彼女には話しておいて欲しい。菊童丸様はずっと元気に過ごしておられる。これからも俺たちは菊童丸様を粗略に扱うつもりはないし、まして危害を加えたりするつもりは全くないと」

煉介さんはそう言ったが、弾正に引き渡すと言う時点で僕はすでにそれに素直に頷くことが出来なかった。それでつい、聞いてしまった。

「それはすべて、煉介さんがこれから自分で手に入れる国のためですか」

僕の意外な反問に、煉介さんは初めて戸惑いの色を少し見せたようだった。でもその動揺は浅瀬に打ち寄せたさざ波のようにすぐに消え去り、やがて無表情に塗り固められて、影も形も見えなくなってしまった。煉介さんは何かを押し切るような声でああ、そうだ、と言い、僕にはっきりと頷いて見せた。それでもう、僕はこれ以上を問うことをやめた。堪え切れなくなって口には出したが、今日のこの場所は、それを追及しないと言う条件の上で成立しているのだから。

それでも、菊童丸の近況が分かったことは幸いだった。この言葉を僕はかささぎにそのまま伝えることは出来ないが、今日の結果はどうあれ、僕たちはまだ人質奪還に向けて動くことが出来るのだから。

かささぎの控え場所から、支度を整えるのを手伝った黒姫が出てきたのは、煉介さんが去った直後だった。

「虎さま、こちらは支度相成りましたですよ」

虎千代は砧さんに目配せをして、準備が完了したことを告げた。

間もなく、命がけの果し合いの幕が上がる。


時刻は現代の時間で言えば、もう午前十時を回ったところだろうか。

朝方の冷気も去り、うららかな小春日和だ。

かささぎと煉介さんが武器を携え、そこに現れた。

この日、二人の初の顔合わせだ。

荒れ地のままの試合場の地面を沓で、軽く踏み固めながら、ふいに煉介さんが顔を上げ、

「やっぱり君だったか」

と言った。この二人、やっぱりすでに面識があるようだ。

「一鵡斎の遺骸を引き取りに来たのが、君だったな。かささぎ、と言うのは本名かい」

「師が与えてくれた名だ。それ以外にわたしに名乗る名はない」

ふっ、と小さく息をつくと、かささぎは煉介さんの問いに大儀そうに応じた。

「お前と戦い、師は剣客として本意を遂げた。そのことで、お前に恨みはない。わたしはわたしの、武芸者としての本意を遂げるためにお前を斬る」

「妙な理屈をつけたって、殺しは殺しだ。俺はそれを否定しないし、君が俺を恨み、仇をとりたいという気持ちも否定はしないよ」

と、煉介さんは言うと、自分の胸を握った拳で叩いてみせた。

「がむしゃらに殺す気で来ないと、俺の命には届かない」

「元よりそのつもりだ」

二人は数メートルの距離を隔てて、しばし無言で対峙し合った。

やがて砧さんが割って入り、ついに真剣をとっての勝負が始まる。

二人とも得物をとり、なめらかな動作で構えをとる。鞘を捨てて大太刀をゆっくりと肩に担ぐように構えた煉介さんに対し、かささぎは刃を抜かず、鞘ぐるみお腹に抱え込むような異様な構えだ。

空気が張りつめて、見ているこっちも胸が詰まるのが分かった。

開始と同時に仕掛けたのは、やはりかささぎだった。鞘にしまった刀を抱えたまま、地を蹴って間合いを詰めたかささぎは、煉介さんの大太刀の刃圏の中に大胆に飛び込むと、ぱっ、と天を掃くように飛び去った。

それはまさに息をつく暇もない速さだった。

飛び去りざまの、垂直方向の抜刀術。

あれは伏見の庵で双刀の薙刀を使う九傷の久慈右衞門を仕留めたときのものだ。

まるで藪に隠れていた燕が一瞬で地を蹴って空を縦断するまっすぐな線を描くように。

煉介さんの左の頸動脈を狙って、縦一閃の致死の一撃が襲いかかったのだ。

奇襲としては、まったく申し分ない意表を突く斬撃だった。並の相手であったなら、次の瞬間には着地したかささぎの背後で頸から血をまき散らして無惨に倒れていたに違いない。そうなれば勝負はあっけなく終わっていたはずだ。

しかし言うまでもなく、煉介さんも並の相手ではない。

「危ないな。死ぬかと思った」

暢気そうな煉介さんの声が響いたのは、次の瞬間だ。僕たちは驚いて煉介さんの様子を探った。

刃は皮一枚。煉介さんの首には確かに血がついていたが、それは大きな動脈が破れたせいではなかった。なんとあの一瞬で、半身を開き首だけひねると、煉介さんはかささぎの居合いを外していたのだ。

「いい反応だな」

と、かささぎが思わず褒めたほど、煉介さんの動きは無駄なく、そして際どいものだった。

「あの刹那で、ここまで見切るとはな」

達人の虎千代さえも呆れたように声を漏らしていた。

「しかしこれでかささぎに、無傷の勝利はなくなったやも知れぬ」

と、虎千代はうなった。確かにあの一撃は開始際、唯一無二と言っていい奇襲のチャンスだった。一分の隙もない煉介さんの巨大な太刀の結界をこれほど至近距離まで侵すことは、これから至難の業に違いない。

「とは言え、かささぎの剣もさらに速くなっている。あれでは煉介めはなかなか先には仕掛けられまい」

「どうかな」

と、虎千代に異論を挟んだのは同じ大太刀を使う砧さんだ。

「前に言ったと思う。大太刀を使う人間はよく知っている。自分の利点も弱点も」

砧さんは言うと、ゆっくり巨大な太刀を構え直した煉介さんに向かってあごをしゃくった。

「あれは言い換えればどうやって、大太刀の限界を超えるかってことなんだよ」

砧さんの話は分かったのだが、煉介さんは果たしてこれほど速く攻撃できるかささぎに対して先に仕掛けることが出来るのだろうか。言うまでもなく大太刀は間合いが広く守りには万全だが、重たい武器のため、攻撃に際しての隙が大きすぎる。それは一度仕掛けてしまうとすぐに態勢が整えられず、反撃をもらいやすいと言うことだ。ある意味では一撃必殺の博打性の高い武器と言えなくもない。

そのため煉介さんが戦場では、大太刀を大降りすることはほとんどなく、むしろ相手の動きに合わせて無駄な動作を極力少なくしている。しかし速く隙のないかささぎの剣の前ではなかなかその機会は生まれ得ないだろう。となると、こちらから仕掛けない限りは、防戦一方と言うことになる。

かささぎは、ある意味では余裕だ。今の剣の速さに対応は出来ても反撃までは出来なかったと見切ったかささぎは煉介さんの間合いの外で悠々と剣を構え直している。

「またこちらからゆくことになるか」

「いや」

と、煉介さんが言ったのはそのときだった。

「今度はこちらからゆく」

だっ、と煉介さんの長身が一気に間合いを詰めて来たのは次の瞬間だ。山が迫ってきたような圧倒的な迫力にかささぎは虚を突かれたに違いない。

(だが)

と、かささぎは思ったはずだ。煉介さんの大太刀にはそうそう攻撃のバリエーションがあるわけではない。

狙いは肩口、一撃必殺の右袈裟掛けの振り下ろしとすぐに読めた。

まるで鉄骨建材のような、その大きな刀の間合いは目測でかささぎには読めている。

(この一撃は外せる)

と踏み、かささぎは身をかわすことにした。とっさに地を蹴り、小さく背後に飛び退く。軽く飛び下がるだけで煉介さんの攻撃はすんででかわせるはずだった。

しかし砧さんが言った大太刀の攻撃の限界を煉介さんが難なく超えてみせたのは、まさに次の瞬間だった。

大きく足を踏み込んで、左肩ごとぶつかるように撃ち下ろした煉介さんの一撃が、斜めに空を斬り払うと見えた刹那だ。

刃は宙で停まり、そこでぐん、と前へ伸びた。上半身のばねと踏み込みを利用した、変則の片手突きだ。まるで山猫を丸ごと飲み込もうと飛び出す大蛇のように煉介さんの身体が刃にひかれて前に、飛び込んだ。

縦に振ると見せかけて突く、そんな技は確かに剣術の中にある。しかし、自分の身長ほどの大太刀で煉介さんはそれを難なく再現したのだ。

両手ではなく、しかも片手の一本突きである。上半身の筋力を最大限に利用し、半身を開くことで攻撃が通用する間合いはさらに広くなっている。

完全に虚を突かれたのはかささぎだ。気を抜けば空中で煉介さんの大太刀に串刺しになっていたに違いない。

宙に向かって牙を剥きだした巨大な切っ先をかささぎは自分の剣で受けた。真っ向から受けたならそれは、その刃ごと押し切られ、臓腑まで刺し貫かれていたに違いない。かささぎがその一瞬でとっさにやったことは、自分の刀の腹を使い、巨獣の牙の軌道を急所からわずかにずらすことだった。

刀身で身体を守らず、飛び込んでくる刃に刃筋を沿わせ、その力に逆らわずに斬撃の軌道をほんの少しずらしたのだ。

音を立てるほどの勢いでかささぎの肩口から血しぶきが上がり、僕は彼女がやはり串刺しになったのではないか、と勘違いしてしまうほどだった。

際どい生死の際を、かささぎは切り抜けた。

辛うじてそれに成功したかささぎは、右肩の肉をえぐられただけで済んだようだ。紫色のその小袖の布は黒く滲み、弾けた布がささらのようになってめくれあがっている。まさに獣に喰いちぎられた痕と言った悲惨な傷痕だ。だがかささぎは、大事な部分は守っているようだ。出血は派手だが、剣を振るうのにまるで支障はないようだ。

「愕いた」

と、かささぎは素直に言い、大太刀を構えなおした煉介さんを見やった。

「想像以上の迫力と技だ。師の最期の相手には、相応しかったかも知れない」

「愕いたのはこっちだよ」

煉介さんは大きくため息をつくと、かすかに首を傾けた。

「さすがに今の突きをかわせるとは思わなかったな。あの男の弟子とは何人かやったが、君が一番だよ。目の良さと反応速度なら、一鵡斎を超えるかも知れない」

「それは年齢の問題だろう。だが、過分な褒め言葉痛み入ると言っておこうか」

と、言うと、かささぎは肩の傷を抑えた。

「出血を強いるつもりが、強いられるとはな」

煉介さんの頸の傷との程度の違いを言っているのだろう。かささぎは急所を外したとは言え、傷口の大きさと深さは、煉介さんのそれと比べ物にならない。

「今ので、よく分かったよ」

大きく息をつくと、かささぎは言った。

「もはや、様子見する暇もないのだとな」

「様子見だって?」

意外な言葉が現れた。序盤から、あれほどの際どい殺し合いにかささぎはまだ、様子見をする余裕があると言ったのだ。

「まだ、出し物があるのかな」

と、煉介さんが訊いたが、かささぎは答えない。口元にかすかな笑みが浮かんだが、すぐに消えた。

今のやり取りで、僕は思い出した。かささぎは砧さんの鍛練が終わった後も、伏見の寓居へ戻り、独自の鍛錬に時間を費やしていたのだ。恐らく、虎千代と別行動をとったのは、かささぎが早崎一刀流の仕太刀に関わる修行を積んでいたからに違いない。

あの天を掃く独特な居合の他にも、早崎一刀流にはまだ驚くべき技があるのか。

かささぎは呼気を整えると、各部を動かして身体を温め始めた。やがてその場で軽く跳び、動きを作った。それを見たとき、僕は剣術と言うよりも、陸上競技のウォーミングアップを連想した。やがて、とつとつ、と軽いステップが独特のリズムを作り出したのに、僕たちは気づいた。

「さて」

と、かささぎは言った。

「早崎一刀流をお見せしよう」


さっ、とどこかで野鳥が梢を立つのと、かささぎが跳んだのは同時だった。

その身のこなしはさっき、居合斬りで煉介さんを急襲したときより、さらに速い。

大きく懐の深い武器を持っていて、反応できるようなものではない。

煉介さんの目には、かささぎの動きはどう映ったのだろう。辛うじて身をかわした煉介さんだが、気づけば、かささぎにつけたのと同じ肩口の傷を二筋も逆につけられている。しかもその攻撃が風のように通り過ぎたのも束の間だ。煉介さんの背後に回ったかささぎは、息を吐く間もなく間合いに入り込んでくる。

かささぎが煉介さんの前に後ろに、飛び違うたびに煉介さんの身体に新しい傷が増えていく。

速すぎる。

苦し紛れか、大太刀を振り下ろした煉介さんだが、その瞬間再び、かささぎが地を蹴って飛び立ち、あの垂直の太刀筋を煉介さんに浴びせる。

煉介さんの首の根元に、さっきより深い傷口が開いた。

とつとつと、独特のリズムを刻みながらかささぎは間合いを取っている。煉介さんの肉を斬った三条宗近の刀身をふるい、血を弾いた。黒い滴が、試合場の土を濡らした。

「奥の手があると言ったのは、はったりじゃなかったみたいだな」

と、煉介さんは言った。さっきの攻防でかなり消耗したのか、肩で息をつき始めている。

「それが早崎一刀流の真髄か」

「ああ」

息を整えようとしている煉介さんに対し、あれほど奔って跳んだかささぎは毛ほども息を切らしていない。

「この仕掛けは師も、見せなかったはずだ」

まるでヒヨドリが高い梢の枝を歩くような、ふんわりとした足取りを続けながら、かささぎは言った。

「見ての通り、刃のついた真剣を使えばこそ、威力を発揮する禁じ手だ。仕太刀があまりに陰惨ゆえ、亡師も伝える人間を限った」

「技の名は?」

「山犬だたら、と言う」

「山犬だたらか」

ほう、と唸ったのは、虎千代だった。

「山の獣は、大きな獲物を仕留めるとき、この手を使う。速さで、あるいは手数で翻弄し出血を強い、身体の力を奪い、最期には致死の一撃を決める。砧殿の話を聞いたときに、かささぎは己の流儀の中に似た技があったことを思い出したのだろう。しかし、たたら、とはよう言うたものよ」

たたらを踏む、と言うのは、昔の製鉄技術者がふいごを踏むときの足の動きを、言うのだがふらふらと足踏み、その場に立ち往生することをさしたりもする。

「見ての通りだ。喰いちぎられた獲物は怒り狂うが、攻撃を振り払えずその場に足踏みをする。そのうちに身体の力をすっかりと奪われてしまう。なるほど、むごい剣だが理にはかなっている」

虎千代の言うとおり、かささぎが身につけてきた早崎一刀流の禁じ手は煉介さんの大太刀に対して大きな効果を発揮し出した。

再び、かささぎが山犬だたらを仕掛けたが、煉介さんはなす術もなかったのだ。

あれほど一瞬で間合いに入られたなら、大太刀では有効な攻撃をすることが出来ない。

気づけば煉介さんは肉を切り裂かれ、徐々にその力を削がれていった。かささぎが飛び違うたびに煉介さんの身体から血が飛沫き、地を濡らした。

最初はがむしゃらに攻撃を繰り返していた煉介さんだったが、体力も気力も喪われつつあるのか、どんどん手が出なくなり、今では防戦一方になっている。

勝負はこれで決まったものか。

「あかんな、あいつ。何やっとんのや。生きて帰ってもらわな困るで」

葡萄酒を飲みながら、弾正は呑気に毒づいていたが、虎千代と砧さんがさっきから異様に緊張した表情で試合の行方を見つめていることに僕はやがて気づいた。

でも、もう煉介さんははっきり言って手詰まりだ。

二人は、勝負をかささぎさんの勝ちと、決めたわけではないのか。

「真人、よう見てみよ」

と、虎千代が言ったのは、そのときだ。

「え?」

「煉介めは一方的に斬り立てられてはいるが、肉は斬られておらぬ。かささぎの太刀傷は浅いのだ」

僕は血まみれになりつつある煉介さんを見たが、とてもそうとは思えなかった。

「さすがは煉介くんだな」

と、砧さんも虎千代と同じ感想を漏らす。

「かささぎさんは派手に斬り込んでいるように見えるが、煉介くんは微妙に刃筋を狂わせている。だから皮は斬れても、刃が肉まで喰い込んでいかない。むしろ無駄に体力を使っているのは、かささぎさんの方かも知れないな」

かささぎの動きが停まったのは、そのときだった。何度目かの切り返しに、煉介さんから間合いをとってかささぎは休むのだが、両手を屈めて身を守っていた煉介さんがゆっくりと身体を起こしたのだ。

その姿を見て、僕は初めて気づいた。

煉介さんの腕や足には傷がついているのだが、身体にはほとんど傷がついていないのだ。

煉介さんはほとんど体力を消耗していないのでは?

虎千代や砧さんが何を言おうとしているのかが、ようやく僕にも分かったのは、そのときだ。

「そろそろかな」

ふうっ、とお腹の底から溜めた息をついて、煉介さんがつぶやいた声に僕は不気味な悪寒を禁じえなかった。

かささぎが呼吸を整えて、さらに山犬だたらを仕掛ける。彼女はまだ、迫りくる絶望的な運命に気づいていなかっただろう。

煉介さんの驚くべき反撃が始まるのは、実はここからだったのだ。


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