魂との再会!究極の一合へ、秘剣『音無』!
(入った…!)
蹴られた内臓が、皮膚下でぶるんと震える。
確かな手応えを、春水は感じていた。
春水の経験では、普通はその蹴りを喰らえば、勝負はついてしまう。
肝臓が破裂するか、そうでないまでも臓器が傷いついたショックで相手は行動不能になり、次のとどめは防げない。
だが怪物は違う。鉄鋼よりも固いと思いきや、その肉体は思いの外柔らかいのである。
本物の猛獣である虎がそれと同じであった。虎の肉体は強靭だが、その力は柔軟さから生まれる。
ネコ科の生き物全般に言えることだが、その肉体はゴムまりのようになっている。外部から与えられる衝撃をすべて吸収してしまうのだ。
それこそ、地上最強の筋肉の最大の利点なのだ。たとえどれほど高所から落ちようとも、激しい打傷を受けようとも、常人よりも遥かに肉体への損傷は少ない。
どころか、切り傷や銃傷、火傷まですぐに跡形もなく治ってしまう。あらゆる外傷に、百震の肉体は生まれつき強いのだ。
春水は老人のときですら人間場馴れしていた百震の、恐るべき肉体の回復力を目の当たりにしている。
八十翁の肉体とは思えないほどに、百震の身体は柔軟な筋肉が残っていて、日本刀を振るっての斬人に衰えを見せたことはない。
(あのときもすぐに皆が斬られました…)
と、春水は遠い北海道の原野の息苦しいほどの暗さと寒さを思った。
ツワブキの大きな葉陰に、幼い春水は隠れていた。檀須惠から学んだ気配を殺す技だ。命がけで習得した技法が役立ったのである。
人工的な昭明が一切ない、自然が作り出した真の闇の中を百震は移動できた。明かりに頼るものは、即座に斬られた。闇稽古とは、百震による人狩りのようなものだ。
月のない晩を特に選んで、百震は、弟子たちに真剣一本だけを持たせて立ち向かわせた。夜明けまでに生き残れば、それはその闇稽古を乗り切ったと言うことだった。
弟子たちがいなくなれば、檀須惠が連れてくる。武道家として百震を崇拝するような志願者はしだいに稀になっていった。多くは暴力に慣れたただの犯罪者だ。
どんなつてがあるのか前科者はもちろん、刑務所に服役中のはずのものまで、先がない者たちが勢揃いしていた。
日本刀を扱い慣れた人斬り極道や、ナイフで人を刺し慣れた少年鑑別所帰り、暴走族や半グレの武闘派から元通り魔までいたが、草でも刈り取るように百震は無造作に殺していった。
街灯明かりすらない、厳寒の北海道の原野で突然、放逐されて命がけで戦うことを強制されるのだ。大抵の人間はパニックになり、一時間と保たなかった。
中には武器を放り出して土下座し、命乞いをするものまでいた。しかしそこには死以外の救済はない。百震の首斬り稽古の稽古台にかるだけだった。
逃げれば殺されると分かっている者たちが、必死で襲いかかろうが、息を合わせて取り囲もうが、結果は同じ。百震の刃から、逃れ得ぬ者はいなかった。
日本刀で首を狩る濡れた重い音と、獣じみた絶叫が、静まり返った原野の凍りついた空気を震わせる。また一つ命が消えていく。凄まじい断末魔だ。助けを呼ぶ声を聞き届けるものはいない。
最初は必死に気配を殺し、朝まで堪えていた春水だったが、次第にその犠牲者たちの最期を見極めるようになった。
目の前を塗りつぶすような暗黒の彼方から、聞こえてくる音。風を斬っていた剣が肉を撃つ音、争い入り交じる人の呼吸、致命傷に至るタイミング、死に至る出血量を強いられたものの呼吸。
『柔術』に代表される古武術は、戦場で多くの人間の死に様を基に、研究された技術であると言われる。
春水が春水たる『初等教育』は、それで完了した、と言っても過言ではないだろう。
その最初の関門である、肉親百震を斬殺することで『極東の亡霊』とまで言われた現代の人斬りは、人界の一際闇の深い場所に産み落とされたのだ。
(実際、あのときの記憶はほとんどありません)
百震の熱い血を浴びたのも、春水の中ではもはや、自分のものではないような記憶だ。だがそれが今、再び百震と斬り合うことで、檀須惠と出逢ったことで、春水の中で蘇ってきている。
百震を蹴れたのは、その成果だ。怪物の呼吸は身体に染み付いている。全盛期へ対応のための改編は、すでに済んでいる。
(斬れます)
もはや、完全に手が届く。
そんな実感を春水は、得ていた。
「調子に乗りおってッ!」
百震の咆哮が、森にこだました。確かに野獣は、肝臓を蹴り込まれたくらいでは仕留められない。しかし、今のは逆上しているいい徴だ。
つまりは今、この野獣を初めて手負いにした、と言うことである。
「一期一会」
春水は、呼気を変えた。野獣は変わらず、この頭上へ振り下ろしてくるだろう。その肉体へ今度は、斬り上げの一撃を見舞うのである。
春水は半身を隠し、脇構えを取った。
太刀先が見えないこの構えは、真の間合いを隠し、相手を惑わすのに使う。
だが無論、これ以上の小細工を春水が弄する気は全く無かった。
(信じます)
春水は太刀におのれの命を載せる覚悟だ。もちろん今までも、そうであった。自分の剣は、人間一己が人間の命を断つために斬る剣。その想いを忘れたことはない。
春水が尊重するのは、魂だ。人が人を斬るとき、それは必ず、相手から何かを奪い、背負っていくものだ。春水はその正体を、魂だと思っていた。斬られたものたちの魂が、自分の剣には宿っていく。
だからこその、一期一会。
一度あいまみえては、再び邂逅することはない。
万が一、背負ったもので太刀先が鈍れば、それはその運命。相手に魂を託せばいい。
人斬りは、魂のやり取りなのである。
俗でも聖でもない。これは紛れもない春水の実感だ。
だから一合一合が尊い。
そこに、二度はない。
一瞬一瞬が、貴重で儚いやり取りだ。
春水はそれを、知っている。そんな人斬りを何度も何度も、重ねてきた。それは最初にこの百震から背負った魂のためだと思っていた。
(しかし、背負いきれていなかったですね)
春水は、苦笑した。
やっと、見つけたのだ。置き去りにした、背負うべき魂は、そこにある。
(背負いきれなければ、それまでのことです)
檀須惠も死んだ。
自分も大地に血を流して、土に帰るだろう。
夢想はひと刹那、しかし、恐ろしく長く感じた。
斬る。
春水の目にはすぐ目の前の命運しか見えていない。
決着のときが迫っていた。
(いきます)
「秘剣『音無』」




