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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.17 ~新たなる鬼才、頂上血戦、生き残るのは…?
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さらされる切り札!底知れぬ兆聖の力…

 それはラウラがいまだかつて、感じたことのない類の衝撃だった。


 どう思い直しても、不可解としか言いようがない。いったい今ここで、何が起こったと言うのか。


 高精度のラウラの目は、その衝撃の瞬間を見ていない。恐るべき衝撃を目の当たりにしたのが余りにも凄まじい一瞬で、まったく視認(みえ)ていなかったのだ。


 しかし、耳だけは記憶していた。鋭利な(のみ)でするように、刻みつけられたのだ。衝撃の際の、凄まじい打突音を。それは他のどの音に似ているとも、形容しがたいものだった。


 何しろ、樫の木刀で、鍛え上げられた鉄を折ったのだ。常識でありうべからざることが起こった。それにただ、斬ったのか、へし折ったのか。それもまず、定かではないのだ。



「…あっけなかったがこれで、勝負はあったかな」


 兆聖の声が、折れた剣の柄を握ったラウラに降る。そのときなんと、樫の木刀は折れていないことに、ラウラは初めて気づいた。



「察しているだろうが、教えてあげるよ。…今のが嵐神脚と並ぶ、僕のもう一つの切り札と言うところだ」


 ラウラは息を呑んで兆聖を見返した。まさか、久世兆聖はまだ、手の内をさらしきってはいなかったのだ。一つではなかった。虎千代を追い詰めた嵐神脚の他にも、人間技を超えた奥義を隠し持っていたのだ。


「『蛮神雷(ばんじんらい)』」


 それが、切り札の名のようだ。


「…今日は、得難い学びをさせてもらったからね。僕からも君に返礼だ」

 兆聖は不敵に顔を歪めた。

「ま、『宿題』だとでも思ってくれ。君にはまだまだ学ばせてもらおうと思っている。君も、君自身と長尾虎千代のためだと思ってせいぜい学びたまえ。君の剣は修復しておく。…それまでの代わりなら、用意させるから心配するな」


 それだけを言うと兆聖は、さっさと自分だけ引き上げていく。ふと気づくと、その傍らで立ち合いを見守っていた覆面の娘の姿はなかった。


「戻るぞ、もたもたするな」


 と、口早に吐き捨てながら、近寄ってくるのは真冴姫である。


「戻る前にそいつを寄越せ。…こちらで直しておく」


 ラウラは折れた切っ先と柄を、言われるまま、真冴姫の手に預けた。


 ラウラはそのとき初めて、まともにあらためたのだが折られた剣の切り口は、柄の方に残った刃も、折れて飛んだ方も、平たく、真っ直ぐになっていた。つまりこのレイピアは、強大な圧力をかけられて、無理矢理へし折られたと言うものではないと言うことだ。


(蛮神雷…)

 ラウラは密かに唇を噛んだ。


 久世兆聖は、『宿題』だと言った。この奥義の秘密を解き明かさなくては、虎千代の勝ちにない。



 その虎千代は今、常闇(とこやみ)のただ中にいる。洞窟の中をさまよっての江戸川凛との立ち合いは、いぜん続いていた。


 ここまでで延べ二日に渡る過酷な闇闘(あんとう)である。荒行とも言える、この仕合を無造作に仕掛けてきた江戸川凛の底知れぬ実力に、虎千代は密かに感動を覚え始めていた。


(…なるほど)


 疲労と緊張のある時点を越えると、尋常でなく感覚が澄み渡ってくる。


 この境地まで至れる人間は、ごく限られたものだ。普通の人間なら、このままならぬ暗闇で、一昼夜も過ごせばあらゆる感覚が狂ってくる。


 時間の概念のないこの場所ではまず、生理感覚が失調を来たし、そのずれが幻覚や幻聴などの錯覚にも及ぶ。


 相手の様子もさだかに分からないまま、手合わせは夜通し行われているはずで、いつ襲われるか分からない緊張感はまず眠気を奪い、その疲労が、精神の屋台骨を揺るがしてくるのだ。


(だがそこを乗り越えると、変わる)


 心身共に、不定形の闇に自分が溶け出していくように感じられるのだ。そもそも夜陰を味方にする真味はそこちある。


 虎千代は戦国時代人だ。そのためもちろん、現代人より元々、闇には慣れているが、これほどまでに闇に馴染んだことはなかった。


 それだけに、この手合わせを望んだ江戸川凛の発想には、感嘆の一言しかない。天然の洞窟を利用して、ここでしか鍛えられないものを鍛えようなどと、真人と同じ現代人である、江戸川凛がまさか、思いつくとは。



「…さすが、早いねえ。もう、『越えた』ってか」


 江戸川凛の声が、反響を伴って届く。疲労しきった心身なら、音量も方向も定かではなく、いたずらに動揺しか出来ないはずだが。


 続く垂直蹴りを、虎千代はかわした。足元から鼻先を、江戸川凛の爪先が掠めていく。


(これくらいなら、目を閉じていてもかわせる)


 虎千代は、ほくそ笑んだ。


 実際は明るい場所で放たれても、必死に間合いを取るしか回避する手段はないタイミングだが、今の虎千代なら皮一枚、切らせるか切らせぬかのうちに外せる。


 今や、そこかしこに(こご)っている闇が、自分そのものであるかのような感覚である。


 かわしながら虎千代は、右の打ち下ろしを放った。真っ直ぐ踏み込んで、肩口を切り下げる一撃である。


 放った斬撃は空を切ったが、手応えがないわけではない。証拠に、影のように飛びすさったはずの凛が、苦痛のうめき声を漏らした。


「木刀で良かったな」

「ちっ」


 虎千代が口に挟んだほのかな皮肉を、凛は耳ざとく聞きつけていたようだ。


「…いくらあんたでも、これには参ると思ったんだがな」

「いや、脱帽している。…それにしても、よく思い付いたものだ。…それにこれほどの鍛練、思いついても付き合えるものは長尾の家中にも、そうはおるまい」

「今ほめられても嬉しかねーよッ!」


 洞窟じゅうに響き渡る声で江戸川凛は叫んだが、虎千代はすでにその距離も方向も読んでいる。


(…真人が使う止観(しかん)に近いな)


 まったくその通りである。感覚を円のように広げていくこの術は、元々は忍術でもなく、禅道に通じるものだ。禅寺にいた虎千代にとっては、むしろ懐かしい概念であるかも知れない。


(今だ)


 殺到してきた江戸川凛の連撃を、虎千代は後退することなく、かわした。こうなれば目をつぶっていても、同じことだ。闇の中にすでに虎千代自身が溶け込んでおり、それがいち早く、実際の肉体を動かしてくれる。


 かわしざま虎千代は、退くどころか、どんどん前へ出てくる。


 正眼から放たれた小回りのいい刺突が、五月雨が降りかかるように、凛のリズムを乱していく。凛も同じように『乗り越えて』いるはずなのだが、次第に虎千代の剣線を読みきれなくなってくる。どころか気づけば斬り立てられて、後手に回っているのだから、不可解だ。


「おいおいッ!いつの間にか攻守が入れ替わっちまってるじゃアねーかよオッ」


 凛もさすがに歯噛みをした。


「何のためにやってるか分からなくなっちまってるじゃーねえかッ!」


 虎千代にとってはいい鍛練だが、江戸川凛にとっては、勝負なのである。


「クラアッッ!!」


 どうにか態勢を立て直した凛が、渾身の正拳を放ったとき、虎千代はすでに間合いの内で斬撃を放っている。


「ぐっ!」


 降り下ろしの斬撃は真っ向、その拳の勢いを殺して止められた。真剣ならば、斬り落とされていただろう。


「引き分けか?」

 虎千代が尋ねると、凛は鼻を鳴らした。

「引き分けじゃねーよッ!あンたの勝ちだよ!チックショウ!頭来たッ!」


 このとき二日徹夜のテンションが切れたらしい。凛はやけくそになってわめき散らした。


「ああもうッ!やあってらんねえッ!やってらんねええええぜッ」

「そろそろ手仕舞にするか?」

「んなわけねーだろ!休息して再開だよッ!」

 凛はうるさそうに手を振った。

「くっそおお!次はもうちょい引き延ばすか!」

「良い修行だな。これならあと三日くらい行けそうだな」


 ところ構わずキレまくる凛を、虎千代がからかっていると、油皿に火を灯して黒姫がやってきた。


「そろそろ、休憩で宜しいですか?」

「ああ、そろそろ一度座りたい」

「あと飯だ飯ッ!」


 黒姫はてきぱきと、用意してきた食事をそこに広げた。


「食ったらすぐに再開するぜ!」

「ああ、いいだろう」


 二人は車座になって、めいめい好きなおにぎりを取り上げる。


「あ、そう言えば連絡事項がありましたですよ」

 黒姫がふいに言う。虎千代は、食べかけたおにぎりを置いた。

「もしや真人か!?」

「はい。銅鏡の晴明さまが通信を」

「くらあ!再開するんじゃねーよかよ!?」

「しばし待て!」


 虎千代は言うと、黒姫が持ってきた銅鏡に話しかけた。


「晴明どの!早く!」

「そう急かすな。それに良い知らせではなさそうだまず覚悟をしろ」


 たちまち銅鏡から闇の中に、人形が立ち上がった。


『…虎千代』


 僕にとって、しばらくぶりの再会である。それは無論、三島百震によってすべての計画を狂わされた後だった。


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