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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.1 ~天文15年、ドロップキック、鵺噛童子
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足軽たち! 凛丸との出会いと500年前の一夜

 煉介さんたちに連れられ、僕は二階へ上がった。

 二階は板敷きの、僕がいた部屋数部屋分、ぶちぬきの大広間になっている。それが普通ならサッシの部分になる板戸が一面取り外され月明かりが十分に入っているのと、沢山の燭台が設けられて惜しげもなく明かりが灯されているので、電気のない夜でも不便じゃないくらい明るかった。

 そこをずらりと占拠した男たちは、だいたい、二十人前後くらいの人数だった。見たところ、ほとんどの男たちが、煉介さんと同い年か、僕より少し上くらい。それが煉介さんみたいに着流し一枚だったり、鎧腹巻をつけたままだったり、思い思いの姿だったけど、全員が太刀や槍など自分の武器を肌身から離さずにいて、列を作るわけでもなくばらばらのまま、お店の女の子たちと、楽しそうにお酒を飲んでいた。

「なんすか、そいつは?」「鳥辺山で拾って来たんだ」「ソラゴトじゃねえですか。信用できるんすか」「なんか変ななりしてやがるな」「女子じゃねえのか」

 満座の中を通る間、僕は多くの無遠慮な視線に晒された。でも意外に僕のような未来から来た人間はそれほど珍しくないのかも知れない。僕の姿を見て、どよめくものはいてもあからさまに驚く者は少ないのが救いだった。

「お前ら、聞いてくれ」

 上座に戻った煉介さんが僕の肩に手を当てて前に押しやる。すると男たちのどよめきが消え、その視線が僕に一点集中した。

「こいつは、おれの新しい客分だ。これからよろしく頼む。名前を名乗ってくれ」

 僕は自分の名前を言った。再びかすかに周りがどよめいた。

「知ってると思うが、こいつは鵺噛童子の顔を見ている。この外套、やつが遺していったものだそうだ」

 僕の手から、その外套を取り、煉介さんはみんなに示す。さっきよりも大きなどよめきが走った。

「まさかお頭、そいつは本当にあの化け物だって言うんすか」

「おいおいソラゴトの言うことだろ。同じ化け物同士、信用出来るはずがねえ!」

「そういきり立つなよ。他に見てるものもいるはずだ。七蔵、お前はどうなんだ? 無骨の一味のうちで、この装束を見た人間がいたんじゃないのか?」

 煉介に呼びかけられたのは、すぐ足もとにいた、ひと際大きな男だった。垂直に岩壁を切り出したように四角く張り出した顔の頬に、縦十五センチほどの向こう傷を持ったその男は、かすかに見覚えがある。さっき煉介とともに帰ってきた男たちのうちの一人だ。

 巨大な毛深い脛を投げ出したその男は、白眼を剥きだして、怪訝そうにその外套を受け取ると、

「さあな。おれは、無骨のお頭の手下から話を聞いただけだからな。まあ、やつはガキだって話だ。ちょうど、お前が連れてきたこいつぐらいの年頃くらいのな」

「そのガキがその化け物なんじゃねえんですか?」

 誰かが冷やかすように言ったが、煉介は顔色一つ変えなかった。

「鵺噛が遺してったのはその外套だけじゃない。こっちのものは妹御のものだそうだ。こいつの傷痕、見覚えがあるだろ」

 と、彼が取り出した携帯電話を受け取ると、七蔵も気色を変えた。

「ああ、この噛み痕…確かにやつのもんだな」

「知ってると思うが、こいつが洛中で手にかけたのは、十は下らない」

 宣言するように一座を見渡して、煉介は言った。

「このマコトには鵺噛の追捕を手伝ってもらうことになる。それまでうちの客分だ。みんなもその積りで、動いてくれ」


 その後で、僕はもう一人、少年と出会った。

 年齢は、僕と同じくらい。前髪を切り揃えて、おかっぱ頭のようにした小柄な少年だ。

「こいつは、禿首(かむろくび)凛丸(りんまる)。こう見えても元は東大寺の学僧の出なんだよ。手ごめにされそうになって、先輩の学僧を痛めつけて辞めたけどさ。おれたちの中じゃ一番頭がいい」

 不機嫌そうな凛丸の横で、真菜瀬さんなんかはくすくす笑っていた。

 ちなみに真菜瀬さんに後で聞いたところによると。

 かむろ、と言うのは簡単にいえば見習のお坊さんのことらしい。この時代のお坊さんと言うのは、今の時代とは少し立場が違って、色々な学問を修めたエリートだったのだ。漢籍、つまり中国語が読めた彼らは遠く外国から渡ってきた、数多の専門書―――宗教書だけじゃなく政治学や兵学、医学や天文学などを読みこなした。東大寺と言えば、奈良時代から続く由緒のあるお寺だから、その中でももっと、選ばれた秀才たち。

「凛丸、お前はマコトの話を聞いて、これから鵺噛童子の似顔(絵)を作るんだ。それから反物商いの商人をあたって、この外套の出所を探ってみてくれ。見たところ、こいつは堺渡りの貴重品だろうから唐物を扱う店を回れば買い手の手がかりくらい見つかるだろ。マコト、この凛丸が君の面倒をみる。これから分からないことがあったら、色々と訊いたらいいよ。頼むぞ、凛丸」

 凛丸は、顔を上げて殺気の籠った眼で僕を睨み上げた。そして大きくため息をつくと、その顔のまま、煉介さんの方を向き、

「煉介お頭…ソラゴトビトは、一味には入れない。そう決めたのを忘れたのですか」

「そうかりかりするなよ、凛丸。マコトは一味には入れない。ただ、鵺噛童子を探すのを手伝ってもらうだけさ」

「あなたは諸事に鷹揚過ぎます。もっと一味のことをちゃんと考えてもらわないと」

「でもなあ、もう連れてきちゃったわけだし」

「そのことだけを言ってるんじゃありませんよ。まったく、真菜瀬さんもお頭をとめてくれると約束したはずですよ。それがいつもどうしてこんなことになるんですか」

「そう言われてもなー…ほら煉介ってさ、いっつもこう言うのりだしねー」

 二人は苦笑いしながら、ちょっと意味ありげな視線を交わす。

「一味のことならちゃんと考えてるさ。最近はいくさ日照りで、実入りも減ってるんだ。鵺噛童子の首があれば、しばらくはしのげるじゃないか。新しい具足や打物だって買えるだろうし」

「で、溜まりに溜まったうちのつけも払ってもらえるわけだー。凛丸もほら、そのつもりで頑張らないと」

 二人に言われて、凛丸は納得していない様子だったが、やがて諦めたようだった。

「…いいでしょう、出来る限りのことはやりますよ。でもお頭、相手は昼夜人を喰らう鬼です。これだって遺骸から奪ったものかも知れない。ただ、この彼の言うことがあてになるかも含めて、外套の持ち主を探すのも期待薄だと言うことは、覚悟しておいてもらいますよ」

「ああ、分かってるさ凛丸、お前の言うことももっともだ」

 と、煉介さんは言った。そのとき、なぜかどこか寂しげな微笑が口元に浮かんだ。

「それより、明日からちゃんとマコトを面倒みてやってくれよ」

 凛丸は返事をしなかった。黙って僕を一瞥すると、身を翻して去って行った。

「ったく、相変わらず可愛げのないやつだ」

 煉介さんはひとりごちていた。真菜瀬さんがすかさず、とりなすように言った。

「凛丸も、悪い子じゃないから、マコトくんも気にしない方がいいよ。そろそろ寝る? わたし、床用意しといてあげる」


「疲れたでしょ。ちゃんと寝なー。明日早いから」

 真菜瀬さんは言った。板戸の部屋へ戻ると、そこに床がのべてある。彼女が大急ぎで用意してくれたのだ。そこにあったのは枕も、シーツもない、申し訳程度の夜具だったけど、今はありがたかった。こうやって薄明かりに浮かび上がる風景が、五百年前の世界だとは、まだどうしても実感が湧かなかった。でもどう考えても、これが現実なのだ。

「眠れなかったら、言ってねー。なんとかするから」

「なんとかって…」

 どうする気なんだ。

「まだ時間早いよね。女の子いた方がいい? 今、わたししか空いてないけどマコトくん、わたしでいいかなー?」

「いや、あの…」

 答えに困っていると、真菜瀬さんは笑って、拳で僕の額を軽く小突いた。

「まずはよく寝た方がいいよ。この世界で生き残りたいならね。君はまだ知らないことがいっぱいあるから」

 暗闇のなか、ふいに瞳を澄ませた真菜瀬さんに、僕は言葉を喪った。

「妹さん、見つかるといいね」

 そう言い残して、真菜瀬さんは去って行った。

 その夜、僕は初めて電気も水道もないこの世界で眠った。

 床に入ったのが早かったから夜は長く感じたけど、眠りは意外にもすぐにやってきた。考えてみれば、朝から一日中。心も身体も、張り切っていた。絢奈が思いっきりドロップキックを喰らわしてくれた首はずきずきしたし、歩き通しで足は痛かった。

 眠る前に考えたのは…

 本当に脈絡のないことばかりだ。この一日が、すごい速度と密度で僕の目の前を流れていったように、色々な想いの集積が行き場もなく、未整理なまま、僕の中に置き去りにされている。

 ここは本当に、気が遠くなるほど遠い場所なんだろう。

 誰にも、想像もつかないくらい。誰にも、決して触れることの出来ない場所。誰も僕を捜せない。現在ではない、どこか。あの朝…だけじゃない。ずっとどこかで、僕はそれを求めていたのかも。どこかへ行きたい。誰も知らない場所へ。僕はそれを望んでいたのかも知れない。

(でも、まさかこんな場所に…)

 五百年近く前の、過去。今、僕がいるのはこんな場所だ。

 こうして天井を見つめながら、横たわっていると、僕を強引に連れ去って何物かが、物凄いスピードで、この五百年前を立ち去って行ったように思える。僕はある日、過去に置き去りにされたのだ。その理由も、意味も分からないまま。僕の事情を何も聞かずに、まったく問答無用で。でも、僕はどこかでそれを望んでいたのかとも思う。それぐらい、あの世界に僕は居なかったから。

 ただ気がかりなのは、絢奈のことだ。

 絢奈が僕と、この世界に来ていることは間違いない。ある日突然、途方もない過去に置き去りになったのだ。絢奈は違う。僕のように、どこかへ消えてなくなりたいと思ったわけじゃない。心のどこかで、僕がこの事態を望んだことが一因だとすれば、絢奈はその巻き添えになった、そう断言したって言い過ぎじゃない。

 今の僕のように、運良く助かっていたらいいんだけど。ここは、戦国時代の京都だ。今から考えれば僕だって、何度か命の危険に晒された。絢奈がどんな目に遭っているか考えただけで、僕の胸は苦しくなる。

 あの携帯電話につけられた無惨な傷。それは鵺噛童子。人を喰う鬼の仕業。そう、皆は言うけど…

 昼間見たあの女の子が、本当に鵺噛童子なのだろうか。あの子が人を喰う? 

 まさか。

 実は凛丸に連れられてあの後、僕は、恐ろしいものを見せられたのだ。

 鵺噛童子に殺された、二体の遺骸…

 そこにつけられた無惨な傷は確かに、獣の噛み痕だった。絢奈の携帯電話につけられた、大きな牙の痕。僕が想像もつかないような、恐ろしい化け物がこの世界を徘徊している。絢奈がその餌食になっていたら。考えるだけで気が遠くなる。

 でも、僕は甘かった。僕自身にとっての脅威は、それだけじゃなかったから。僕は今、戦国時代にいる。そんな場所で生きる覚悟がないどころか、僕は実感すらしていなかったのだ。よりによって戦国時代なんて。それがどんなに過酷な時代か、そんなこの時代のことを本当によく、知らなかったせいだ。自分が助けられたなんて考えるのは、とんでもなく甘っちょろい考えに過ぎなかった。まだ僕は、ここで生きると言うことを真剣に考えてはいなかった。僕は、過去に棄てられた死人も同然だったのだ。


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