目的は奇跡の再演?久遠の要求に劔は…
「…何を考えているのだね?」
それが、短剣と銃を突きつけられた劔の第一声である。僕もまったく同じ気持ちでそれを聞いていた。
これは紛れもない脅迫だ。
空砲が一発しか詰まっていない弾倉を使って、つまりは劔にロシアンルーレットをやらせようと言うのだから、いかれている。いくら劔の本性を暴くためだとは言え、これはやりすぎだ。まかり間違えば、劔が死んでしまう。
(こいつ、どう言うつもりなんだ)
久遠は、僕がこの部屋の状況を把握していることを知っている。どんな方法かは知らせていないが、それを分かっている。
理解した上で、もしかしたら監視している僕を試そうとしているのか。
…いや、それにしてもこれは、芝居が過ぎている。先達て三島春水が、その場のたわむれにせよ、劔の命を脅かす尋問をしたが、これはさらにまずい。そこは提示した側も後には退けない鍔際なのだ。
「何かあったのかね…?」
信玄が、即座に僕の顔色を読む。止観と言うこの方法では、僕にしか部屋の状況は分からない。どんな微細な兆候も見逃さぬようにするには、僕がどれだけ皆に状況をシェアしてよいものか、その判断にかかっている。
「…実は」
迷った末、僕は素直に現状を説明した。躊躇はあったが、これはさすがに言わざるを得ない。実際ことが起これば、急いで現場に踏み込んで行かざるを得ない状況だ。
「っ!…もうっ、何やってんのッあの馬鹿は!」
真紗さんは立ち上がりかけたが、信玄は動かない。真紗さん以外の誰もが、それにならっていた。息を潜めて、信玄の采配を気にかけている。
「…取り押さえるなら出るぜ、大将」
ミケルがわずかに、視線を動かした。信長も三島春水も、静観を貫いて黙っている。
「…まあ、ここは待ちたまえ」
信玄が暢気な口調で、言った。全員に走った緊張感を見透かした形である。内心、僕も同意見だった。
様子を見る、と言ったのは、こう言うことなのだ。
信玄ではないが、動かざること山のごとし、と言うところである。ここで軽率に動いてしまっては、まず何も情報が入ってこない。
ここから先のことを見透かすことは出来ないと言う局面なのだ。うかつに腰を浮かしてしまったら、情報分析するつもりが、こっちが足元を見られるきっかけを作ることにだって成りかねない。
「いいだろう」
全員の肚が決まるのを見極めて、信玄が言った。
「…久遠が図らずも、鬼手を張った。真人くん、君の話では劔にすらも彼の行動は予測できていなかった様子だった。今はこんな状況でいいかね?」
「はい」
僕は、頷いた。
信玄に言われて確かめたが、あれから二人、無言で微動だにしない。劔の問いかけに、久遠も答えないままだ。何らかの不審な合図があれば、僕にもそれと察せるはずだが、今のところそれらしい感じはしない。
と、拳銃を前にした劔の咽喉仏が、かすかに上下した。表情の色を消しているが、内心の動揺は隠せていないようだ。
つまり、今の久遠のこの行動は、誰にとっても不可解なものだったのだ。
真意は久遠にしか分からない。
問いかけた劔は共謀者ではなく、純粋に久遠の答えを待っていると考えていい。
「おれは、ずっと疑問に思っていました」
やがて久遠が口を開いた。
「確かに閣下、あなたはおれの前で奇跡を起こしてくれた。それはおれが、長年求めど、ついに起こることのなかった奇跡だった」
「なるほど。…もともとは君は、奇跡を信じないたちだ」
劔が重たい口ぶりで言葉を発した。
「春水…あの百震の孫娘もそうだ。自分しか信じない。でなければ、生きてこれなかった。そんな人間の多くが諜報員になる。いや、国家の機密運営に関わるものすべてが、そうだろう。信じられるのは国家元首でも、建国の理想でも、イデオロギーですらない。ただ自分の目の前で起きている物事。それだけがすべてだ」
「だからこそ、あなたは、おれの前で起こらざるはずの奇跡を次々と現実のものにしてきた。おれの気持ちは確かに、揺らいだ。…おれは、所詮は人間の行動が、それだけがすべて、この世界を変えるものだとそう思ったからこそ、この稼業に手を染めた。まっとうな軍歴すら抹消して人生を捧げて」
「それも私は、間違いだとは思ってはおらんよ。久遠、君の行動原理は純粋であり、確固たるものだ。だからこそ、私は君を択んだ」
「『択んだ』?」
久遠は、その言葉に、反応した。
「『択んだ』のは、一体何者なのです?…あなたはときに何者かがそれを『択んだ』といい、自らも『択ぶ』と言う」
「詭弁を弄するつもりはない。私は、私の意志で『択ぶ』ことも当然あるし、否応なく『択ばされる』こともある。君に見せた『奇跡』もその結果でしかない。別して矛盾はしていないさ」
「運命、と言う言葉で片づけるには、複雑すぎはしませんか。閣下、正直、おれは混乱しているんです」
久遠は、手のひらの中で弄んでいた短剣の切っ先を喉元に向かって擬した。
「で、どうするつもりです」
劔はまだ、拳銃を手に取ってもいない。三島春水がその運命を試したときと同じだ。表情を消して相手を見つめているだけだ。久遠が視線を下げて、手元の拳銃を見たとき、劔もかすかに目線を移したが、何か行動を移す気配はない。
(撃つのか)
劔が銃をとるかは、僕たちにとっても、止めに入る最後のきっかけである。肚のなかで久遠が何を考えているにせよ、劔に実弾をこめた銃を渡そうとしている時点で、すでに、裏切り行為に等しいのだ。劔の本意を探るために、久遠を泳がせるのも、ここまでが限界である。
いざと言うときだと僕が合図すると、ミケルと信玄が動いた。
すでに瀬戸際である。劔が銃を手にしてから動いては遅いのだ。ここからどう、ことが転ぶにせよ、二人を引き離さなくては、取り返しのつかないことになってしまう。
「分かった」
と、劔が言った。そこで僕は、思わず息を呑んだ。劔の手が、銃にかかったからだ。これ以上、逃げ向上するつもりはないようだ。引き金に指をかけると、劔はその銃口を自らのこめかみに向けた。
「君が見たいものを、私は、今一度、目の前で見せる必要があるようだな」
(やめろッ)
気づけば、僕も立ち上がっていた。ミケルたちはすでに、部屋を出ている。
直後、銃声がした。
僕はそこを飛び出そうとしたその姿勢のまま、背筋を強張らせた。




