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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.6 ~もう一人のいくさ姫、軍神憤激、川中島の記憶
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虎千代、反撃へ!暴かれる四手詰みの正体!

次の朝、僕は虎千代に頼んで、朝食後みんなを集めさせた。

「なっ、なんですかなんですか一体真人さん、朝から重大発表ってなんですか?はあああっもしかして昨夜、虎さまと何かあったですかっ」

まくしたてる黒姫の顔は僕が話し始める前からすでになぜか引き攣っている。

「うん、ちょっとみんなに大事な話があってさ」

「はっ、まさか真人しゃま、ついに姫さまとご婚約の発表を?」

動揺するこのえの横でぽん、と新兵衛さんが上機嫌で手を打つ。

「さすがは真人殿、ご決心のほど、許した甲斐がありまする。昨日の今日でもう夜這いにいかれたとは」

「かっ、金津の旦那なんつうことを・・・・・小僧っ、てめえ、とうとうお嬢を手ごめにしたのかっ」

「手ごめっ、わたくしの虎さまを真人さんが無理やりものにして、こっ、こ、こ、婚約まで」

黒姫はダウン寸前だ。

「婚約とっ!」

プロポーズと勘違いした当の虎千代は明らかに動揺して、目を泳がせながら柄にもなく髪などをくるくるいじりだしている。

「ま、真人・・・・・こっ、このようなところで婚約などと・・・・・わっ、わたしは嬉しいし、そんなお前も武士らしゅうて好きだが、もっ、もし我らのことで大事な話があると言うならいきなり面と向かっては恥ずかしいと言うか、み、みなの前で話す前に・・・・・出来れば二人きりで話して欲しかったと言うか」

うん、やっぱりと言うか、誰ひとり真面目に聞いてくれない。

「あの、ちゃんと聞いてくれるかな」

事態が収拾できなくなるので少し、はっきりした声を僕は出した。

「話したいことは、血震丸のことなんだ。これからみんなでよく話したいと思うんだけど。血震丸が千二百貫もの身代金を、虎千代に要求してきている、そのことについて、もう一度虎千代と、それにみんなともよく話しておきたいんだよ」

「真人、身代金についてなら心配無用ぞ。千二百貫、確かに大金だがどうにか我が懐から捻出出来ぬでもないでな」

「何より一番大きな問題はそのことなんだよ、虎千代」

と、僕は釘を刺すように言った。

「ううむ・・・・すまぬ真人、どうもぴんと来ぬな」

先がまだ見えない僕の話に、虎千代は不思議そうに眉をひそめた。

「血震丸たちは、今になってどうして身代金を要求してきたのか。かささぎの話では、血震丸たちは菊童丸を攫うときになぜか念を押すように、金銭目的でないことをほのめかしている。僕たちは本当は、そこから考えなくちゃならなかったんだ。血震丸たちがなぜ突然、身代金を要求してきたかそのわけを」

そこで、僕は一同の反応をうかがった。昨夜僕に血震丸の四手詰みを話してくれた新兵衛さんだけは、少しはぴんと来てくれてはいるようだが、虎千代も含め、そこにいる人たちはみな、怪訝そうな面持ちだ。案の定、ひと際眉をひそめて僕の話を聞いていた黒姫が異議の声を上げる。

「今さら考えるまでもないですよお、真人さん。あいつらはわたくしたちと流れてる血の色が違うのですよ。筋道立てて考えるだけ、無駄です。むしろ奴らの術中にはまるだけではないですか。なにしろ、狂っているのですから」

「あいつらは狂っている。だからと言って、そこで考えをとめていいわけじゃない。黒姫だって自分で言ってたろ。狂っているのではなく、奴らには奴らの筋道の立った考え方があってそれに基づいて行動してるんだって」

「し、しかしな」

反射的に虎千代も、何か言い淀んで黒姫と顔を見合わせる。

「憶えてるかな、虎千代だって前に僕にこう言ったはずだよ。きちんと様子をうかがって奴らの考えを読まなくちゃいけない。敵を知らなかったら戦いようがない。怒りにまかせてその考えを読むのをやめるのは、何より危険なんじゃないか」

「う・・・・うむ、それは、その通りだ。だが万が一を考えれば期日までに金は用意せねばならぬ。そのことだけは動かすわけにはいかぬのだぞ」

「だからその金をどこから用立てるかが問題なんだ。このえちゃん、一つ聞きたいことがあるんだ。いいかな?」

「はっ、はい、なんでごじゃりましゅるか、真人しゃま」

僕は、長尾家の財政を預かる幼女の名前を呼ぶと用意していたことを訊いた。

「このえちゃんは長尾家のお金を運用しているんだよね。身代金はその中から出すんだろうけど、それらは本当は普段、どんなことに使われているお金なんだろう」

「それは・・・・・この根城の維持費や、姫しゃまはじめ皆様の滞在費用ほか、生活費などを、方々に貸しつけている資金から少しずつ捻出しておりましゅる。・・・・お金を出す際は無論、まずはそれらに支障ないよう致しまするが」

「確かに通常時でそれは問題ないだろう。じゃあ、非常時になった場合は?」

「非常時?」

「つまり、このえちゃんが扱っているお金は、元は違うことに使うお金なんだよね?もしそれ自体が血震丸の目的だとしたら、どうなると思う?」

「なんと」

はっとしたように虎千代は目を見開いた。

「・・・・・もっとはっきりと説明してくれ」

「少し目先を変えるんだ。この件、血震丸の魂胆は確かに千二百貫の金銭だ。でもそれは誰からとったものでもいい千二百貫であってはいけないんだよ。金銭は目的ではない。血震丸たちが言ったことは半分当たりで半分間違いなんだ。要は、こう言い換えようか。つまりこの身代金要求は、虎千代から戦費を奪うためだけに画策されたものだと言うことなんだ」

「戦費、だと!?」

その言葉が大きな動揺をもたらしたのか、ざわっ、とその場にいる全員が色めきたったのが分かった。

「たっ、確かにそのこのえがやりくりしているお金は、いざと言うときに姫しゃまをお守りするためのお金として運用しているものではありましゅが」

「このえちゃんたちは最初、京都にいる虎千代をお兄さんの追っ手から守るつもりでやってきたって言ってたよね。つまりいざと言うときに虎千代が使うべきお金は、ここにいる長尾家の人間たちとともに兵を挙げて立つお金、すなわち、戦費になるんじゃないか。そのうちから千二百貫、一気に消費したとすれば非常時になったときには、まったくお金がなくなることはないにせよ、対応は確実に遅れることになる。違うかな」

「どうなのだ、このえ」

「はい。千二百貫もの銭を一度に消費するともなれば続けて非常時があった場合には、多少の難儀はごじゃりまする。改めて戦費を調達するとなれば更には、ある程度の期間、猶予を頂きませぬととても出兵はおぼつきませぬ」

「虎千代、それがまず血震丸の第一の目的なんだ。値を吊り上げるふりをして姿を晦まし、罠をかけて上手く大金を虎千代自身が吐き出そうとする方向に、血震丸は流れを持っていってるんだ。だからこそ、血震丸は直接朽木谷へ要求を出さずに僕らに交渉を持ちかけているんだよ。この千二百貫という額もその場で適当に決めた額じゃない。これこそ決して払えない途方もない額を設定せず、虎千代の戦備に影響を与えるためにぎりぎりの線を見切って計算されつくした金額なんだ」

僕が投下した第一の爆弾はきちんと効果を表して、みんなに聞く耳を持たせたようだ。しかし、

「おのれあの鬼ども、なんと小ざかしい真似を・・・・・」

底響きする声を立て、毛が逆立つほどに虎千代は怒気を発してしまっている。その剣幕に誰もがたじろぐ灼けつくような殺気が込められていた。

「注意しなきゃいけないのは、その怒気だ」

そこで、はっきりと僕は言った。

「その気になれば誰よりも冷静で的確な判断を下せるはずの虎千代が、血震丸に乗せられてのぼせ上がってしまってる。そこが何より相手の付け目なんだ」

はっ、と弾かれたように顔を上げ、虎千代が我に返ったのは次の瞬間だった。

「何度も言うよ。本当ならこんなことは、虎千代なら真っ先に気づくはずのことだ。それが僕を人質にしたり、無関係の人間を殺めたりして、血震丸は上手く虎千代を怒らせながら、自分のペースに巻き込んでくる。冷静にならないと詰め手に組み込まれてしまうんだ。血震丸の得意の四手詰みに」

僕はポケットからメモのページを一枚ちぎると、虎千代の前に置いた。昨夜から朝方にかけて組み上げた、血震丸の四手詰めを予想したものだ。虎千代はそれを手に取ると、眉をひそめ、それからさっと顔色を変えた。

「これは・・・・・?」

「僕なりに、考えてみたんだ。新兵衛さんから血震丸の四手詰みの話を聞いて、次は血震丸がどんな手を打ってくるんだろう、って」

「真人しゃまが・・・・・?」

まだ不審そうなこのえの頭の上から、黒姫、鬼小島が群がって虎千代の手にした、小さな紙片に視線を集めている。新兵衛さんは僕の言葉を待っているのか、無言で状況を静観しているようだ。

「ふんふん、なるほどお。確かに四手詰めになってますですねえ。・・・・・ですが、これを真人さんが考えたですか?」

「悪いが小僧、お前、この時代の人間でもいくさ人でもねえじゃねえか。戦国の軍略のいろはってものが分かってなきゃこんなこと考えたって」

「真人」

鬼小島の声を遮るように、虎千代が強い語調で僕の名前を呼んだのはそのときだ。まったく相手にされないんじゃないか、そう言う懸念はずっとあった。こうして鬼小島やっ黒姫の怪訝そうな反応を見ていると、後悔がわだかまりはじめた。でもだ。

僕が、どきっとして彼女を見返したとき、そこには全身総毛立つような怒りで周りの空気まで震わせているような虎千代はそこにいなかった。修羅場に立ち、怜悧に立ち回る達人の冴えを宿らせた冷たく鋭い目の光が戻っていたのだ。

「詳しく、話を聞けるか。お前が予測した血震丸の四手詰み、そのあらましを聞きたい」

「うん」

よかった。

やっと、虎千代が正気に戻った。

それだけでも僕のしたことは、ある程度やった甲斐があった。

虎千代はすぐに筆とすずりを持ってこさせると、巻紙に僕のメモの内容を書き写した。僕も一応清書したのだが、虎千代が一つ一つ、僕から内容を聞き、彼らの分かり易いように噛み砕いて描くと、また違った雰囲気がそこから立ち上った。

「一手目」

そこには、銭千二百貫虎千代より戦費を奪うこと、と虎千代の力強い字で描かれている。筆の尻で虎千代はその条項を指すと、

「まずここはすでに話してもらった。我から戦費を奪い、力を削ぐ。これは有事にあって我が即応出来ぬよう、予め財力からその足をもぐ布石の策。では次の二手目、話してくれるか」

「二手目は、さらに肝腎な布石だ。今度は人質、菊童丸を返す段のこと。身代金を受け取った血震丸だけど、ここで素直に人質を帰す。だがそれは朽木谷ではなく、虎千代の元に、だ。今度は約束どおり人質を受け取った虎千代は菊童丸を朽木谷に返す段取りをかささぎと組まなきゃいけないけど、すぐには返すことは出来ないはずだ。血震丸を退けても、十二月に即位する菊童丸の身柄を狙うものは他にも沢山いるからね。そこでその間、血震丸は二手目を打つ」

と、僕は虎千代が書いた二手目を指差した。

そこには、こう書かれている。

二手目、虎千代たちより、ひと足早く朽木谷に急を送り、菊童丸誘拐の罪を虎千代に着せる。

「なんと」

「二手目、こここそ、謀略の要となる場所なんだ。血震丸たちはなんとしても虎千代たちより早く朽木谷に密使を送るはずだ。そこで将軍義晴にこのように言上する。『身代金千二百貫』で長尾虎千代が菊童丸の身柄をかどわかしから買い上げた、と。つまりは今回の誘拐の黒幕こそ、虎千代なのだと強調するはずだ。そうしてまるで最初から金銭目的で、人質を買い上げたのは虎千代だと将軍に思わせるよう工作するんじゃないかな」

「馬鹿な、ですよ」

声を上げたのは黒姫だった。

「それこそ、無体なお話です。菊童丸様が攫われたのも、これを救うために虎さまが手を差し伸べたのも、早崎衆のかささぎさんを通じて、事情は朽木谷の将軍家に伝わっているはずですよ!そんな無茶な物言い通用するはずがないですよお」

「栃尾城での贄姫との一件を、思い出してほしい」

その言葉で黒姫と虎千代の表情が固まった。

「新兵衛さんから話を聞いたんだ。あのときもあいつらは、捕虜殺害事件の罪を虎千代に着せようとした。だとすれば、この人質誘拐の罪を虎千代になすりつけるくらいは造作もないと思う。・・・・・それに確か、血震丸と贄姫と言う名前は偽名、ただの足軽たちの間での通り名に過ぎないんだよね」

「う、うむ。あやつらならやりかねぬとは思うが」

「わたくしは納得いきませんですよ!だって無事、菊童丸様が朽木谷に帰れるようにはからったのはなにしろ、虎さまなのですから。朽木谷の公方様もそこまでの経緯は、かささぎさんを通じてご承知のはずですよお」

「虎千代、朽木谷への連絡一切、かささぎさんに任せてあるよね?」

あえて、僕は聞いた。

「ああ」

と、虎千代は息を呑んだ。不安を無理やり飲み下した顔だった。

「かささぎも在京ゆえ、情報が伝わったのかは使いが帰ってこねば確認のしようがない。かささぎにも確認はしてみるが、それでも血震丸たちが先方に情報が届かぬよう画策しようとする手立ては、いくらでも思いつく。例えば将軍の身辺に血震丸の意を含ませた間者ひとりいるばかりで情報はまともには伝わらぬだろう」

「し、しかしこれまでの経緯がまったく伝わってないなんてありえないですよ」

「黒姫、かささぎは隠密理に行動していたのだ。あやつめがどこまで朽木谷にことのなりゆきを報告しているか、それはきちんと確認せねば何も分からぬ」

虎千代の言うとおりだ。これは情報のタイムラグやブランクを利用したかく乱工作なのだ。そもそもがかささぎ自身が京を離れられない以上、本当に朽木谷に情報が伝わったのかを確認する手段は、直接行って確かめる以外に方法はない。携帯電話やスカイプと言ったリアルタイムな通信機器が存在している現代とは違い、情報の伝達速度も精度も拙いこの時代にあってその弱点を見事に突いた謀略なのだ。

「虎千代に菊童丸誘拐の罪名を着せた、そこで三手目だ。次に打つ手は、越後本国で虎千代追討の兵を出してもらうことだ。虎千代からの情報が届く前に、朽木谷へ工作した血震丸は将軍の名前で虎千代追討の命令を出してもらう。虎千代が菊童丸を故意に匿っていると知れば将軍はすぐに追討の指令を出すはずだ。そしてそれがもし、越後へ渡ったらお兄さんの晴景さんは兵を率いざるを得なくなる」

「それが三手目か。確かに、将軍の御内書(ごないしょ)(命令書)が越後へ伝われば兄は兵を出さざるを得まい。さすれば我も兵を上げざるを得ぬと言うわけだ」

「万全の状態なら別だけど戦費を消耗している虎千代は、お兄さんの追討兵を十分に迎え撃つことが出来ないだろう。負けないにせよ、相当の苦戦を強いられる可能性は高い。いずれにしてもいつもよりいくさが長引くことだけは確かだろう。そこで血震丸は最後の一手を放つ」

四手目。そこにはこう書かれている。

越後本国で反対派を蜂起させ、一気に春日山城を占拠する。

ううむ、と、低い声で虎千代がうなった。

「これが血震丸めの真の狙いか」

黙って僕は頷く。これは巨大でいて、実に手際の良いクーデターなのだ。

この謀略のもっとも際立ったところは本来なら越後国内で起こるべきはずの長尾家の争いを、遠く離れた京都で起こさせること。それによって一時的に越後を空っぽの状態にし、その上で一気にクーデターを完遂させる。なんと際どくて、見事な策だろう。

もしこの謀略が成功するならば、血震丸は戦国の謀略史に名を遺すほど鮮やかな計画を練ったと言えるだろう。つくづく背筋の寒くなるような男だ。

「問題は越後を乗っ取るまでにどれだけ虎千代をこの京都に足留めし、消耗させるかなんだ。例えば黒田秀忠の一回目の謀反が失敗した要因は、虎千代の迅速な反撃にあった。それがこの作戦では完璧に封じられる。たったの四手で、本当に恐ろしい謀略だ」

僕は自分の言葉を少しずつ噛み砕くようにして、この話をしめた。

「正直、愕いた」

ぽつん、と、虎千代が言ったのはそのときだ。

「うん。僕も血震丸はすごいことを考える奴だと思ったよ」

「そんなことはどうでもよい」

うわっ、と声を上げる間もなく、虎千代は僕に抱きついてきた。

「な、なんだよ、虎千代」

虎千代は潤んだ瞳で僕を見上げた。そんな真っ直ぐな視線で見つめられると、意図が違っても、こっちは思わずどきっ、とする。

「感動した。みなをまとめる弁舌もさることながら、なんたる軍略の才か。あの血震丸の策をここまで読み切るなど、尋常ではないぞ。なにも知らぬふりして兵法書でも読んでおるのか?さすがは我が婿と見込んだ男じゃ」

「だっ、褒めすぎだって。何度も言ったけど、虎千代ならちゃんと気づくことだって」

「なにを言うか。お前がおらねば、今度こそ血震丸めに越後一国、盗みとられるところであったではないか。長尾家一同をあげて、お前に感謝する。いくら感謝しても言葉が足りぬぞ。本当に助かった」

虎千代は顔を上げると黒姫たちに命じた。

「血震丸が描きし棋譜、かくのごとしじゃ。これから我らでこの死手詰み、食い破ろうぞ。黒姫、このえ、弥太、死力を尽くしてもらう。まずは手筈を決めるぞ」


それからの虎千代はほとんど迷わずに、的確に指示を下した。

「まずは黒姫、お前はかささぎと朽木谷との連絡状況を整理すべし。我らも見逃していることがあるやも知れぬ。場合によってはあやつに我が直接事情を話す。

ついで、新兵衛と手分けをして、越後本国における反対派の活動状況を精査せよ。黒滝城のあった弥彦山周辺から春日山城にかけての様子、または帰伏した揚北衆の豪族たちとの関係は徹底的に洗うのだ。血震丸たちが越後に残した足跡は、徹底的にあぶりだせ。よいな」

「はいはいっ、お任せ下さいですよっ」

「このえ、お前は弥太とともに軍備を進めるべし。いざと言うとき遅滞なく、いつでも兵を挙げられるよう、万事計らってくれ」

「分かりましたでごじゃります!」

「弥太」

「おっ、お嬢、つつ、ついに陣触れですかい?」

身体ごと乗り込んでくる鬼小島に、堂々と虎千代は頷いた。

「ああ。お前は武器を鍛え、抜かりなく兵を練っておけよ」

「うおおおおおっ」

鬼小島は顔をくしゃくしゃにして拳を突き上げた。

「ついに来やがったぜっ!お嬢、クソ野郎どもの支度は、おれに任せて下させえ。いつでも極上の状態に仕上げておきます!」

「くれぐれも慎重に、静かにやれよ。我らが動きが慌ただしくなったこと勘づけば、血震丸がどのような手を打ってくるか判らぬゆえな。この数日が正念場ぞ。みな、死地におるつもりでがんばってくれ」


ばたばたと黒姫や鬼小島たちが先に出ていく。座敷には、僕と新兵衛さん、それに虎千代が残された。

僕はと言うと一気に話し終えると、後半は半ば放心状態だった。

ああ、緊張した。まさか自分が戦国時代に来て、こんなことをするとは思わなかった。プロの戦国人相手に、策略を説くなんて。しかも相手は戦国最強と言われる越後勢だ。虎千代だってふと、最近忘れそうになるけど、あの上杉謙信なのだ。そんなメンバーにど素人で未来人の僕が意見を言うなんて、今思い出しても嫌な汗が出る。

よく、歴史物のドラマに出てくる信長や家康の前で「殿、恐れながら言上仕ります」とか言って出ていく武士がいるけど、相当の度胸がなかったらこんなことは出来ないと思う。虎千代ならまだしも、信長の前で噛んだり言い淀んだりしたら、その場で殺されそうだ。

「真人」

ぐっ、と、虎千代が手を握ってくる。

「お前の一言、胸に響いた。・・・・・確かに我は物事に熱くなる性分ゆえ、血震丸にはそこを見透かされているのやも知れぬ。お前がいなくば今度こそ、うまうまと奴らの策にはまって、この京洛で立ち往生をしていたであろう。そのような諫言を、はっきりと言うてくれるは新兵衛が他にはお前だけじゃ。ほんに頼りにしている」

「う、うん」

虎千代の頬はほんのり赤らんで、目に涙まで浮かんでいる。そこまで感謝されると、こそばゆい。思わず僕は目をそらした。

「しかし真人殿がここまで血震丸が絵図を読み切るとは、この新兵衛も思いもしませんでしたぞ。念のためお聞き致すが、やはり名のある師について軍法をお学びか?」

「あっ、いいえ。そんなことは全然ないです。ただ、父のおかげ、と言うか」

自分でも信じられないけど、きちんと考えられたのは強いて言えば、やはり父親のお陰かも知れない。歴史の話は始まると、止まらない人だった。

「姫さまを御して下さること、この新兵衛の先に立ち、これほど見事にやってのけるとは思うても見ませんでした。やはり、真人殿こそ姫さまに相応しいお方。後は早々に、作るものを作っていただければ、この新兵衛、思い遺すことは何もござらぬ」

「ええ・・・・・ええっ?」

危うく、頷きかけるところだった。

「し、新兵衛っ・・・・・・そのようなことを、あ、いや、どんどん言うてほしいというか、真人をけしかけて欲しいというか。作るならなるべく早い方がよい。い、いつでも心の準備は出来ているでな。まずは一子、あっ、では今夜にでも」

落ち着け、虎千代。突っ走るなって言われたばっかりだろ。

「さしあたっては言うべきことはござりませぬが、では一つ、この新兵衛からもお二人に一言申しまするな」

今度こそ真面目な話なのか、新兵衛さんの顔は引き締まっていた。

「真人殿、血震丸の策、よう読まれた。しかし、油断は禁物でござる。我ら戦国のものが謀略戦を棋戦に喩える真の意味、いずくにあるかお判りかな?」

僕は素直に首を振った。

「よい打ち手は、悪手と悟れば即座に打ち手を変えて流れを引き寄せまする。血震丸が策、十に九つは真人殿の言うとおりでありましょう。しかしながら達意のものほど、策を見破られてもそれほどの痛痒は感じませぬ。やもすると我らがそれに気づくことすらも、織り込み済みやも知れぬゆえ、気が抜けませぬ。姫さまにもこのこと、厳に肝に銘じて頂きたく、ご忠告申し上げる。よろしいか」

「う、うむ。まずそのためには己を律せねばな。よう判った」

その新兵衛さんの言葉を聞いて、僕が思わず胸の中にわだかまった嫌なものを飲み下したのは、虎千代とは別の意味でその意図がよく分かったせいでもあった。

つまり僕が察したのは、血震丸の計画の大きなアウトラインに過ぎないのだ。謀略の達人であればあるほど、そうした意図を事前に察知されてもそれすらも織り込み済みで自分が描いた絵図の流れに引き戻すことが出来る、新兵衛さんが語っているのはその恐ろしさのことだ。

例えばこの四手詰みを察知したとき頭に浮かんだ、武田信玄がまったくそう言う男だった。川中島の争奪戦をみてもそうだが実際の戦闘ならばいざ知らず、上杉謙信は武田信玄の絡みつくような策謀には、生涯悩まされたのだ。


贄姫に会う刻限、三日までの間にはこうして瞬く間に過ぎていった。

どこから贄姫がやってくるのか、それも音沙汰がなかったので僕はずっと根城にいて、外の様子をうかがっていたのだが、他の長尾家の面々は忙しく出入りしていて、言葉をかわす機会も少なくなっていた。

特に黒姫は配下を連れて外出しているのか、いつ外に出ていつ戻ってくるのか、分からないくらいだった。どうやら夜中虎千代とも随分打ち合わせを重ねているらしい。

日中は姿を見かけないのだが虎千代の食事は絶対に自分が作ると言って譲らなかったので、ご飯どきには帰ってきて必ず厨房には立っているようだ。朝、偶然でも、廊下で会うといつも青白い顔に隈を作って小あくびを噛み殺していた。

このえとひそかに戦備を整えているのは、鬼小島だ。広間に力士衆たちを集めてしばらく何かを話していると思ったらこの人たちもばたばたと武器を買い集めたり、夜中から朝方にかけて訓練に出かけたり、最近ひと際あわただしい。鷹野の訓練を装っているらしく、雉や鴨をとってくるのだが、それらがごっそりと夕餉の膳に並ぶこともあった。

虎千代はある小雨の降る昼下がりに、かささぎと会った。

黒姫との間にすでに行き来があるらしく、朽木谷との連絡について調べてきたことを離したのだが、やはり血震丸によると見られる妨害に限らず、思い当たる節は少なくないようだ。

「将軍近臣にどのようなものがいるか、今、素性を軒並み洗っているところだ。しかし、我々早崎のものも立場上、探れぬことも多い」

「さもあろう」

と、虎千代が言ったのは、そうした者たちが血震丸と言うよりも、野洲細川家の息が掛かった連中の可能性が高いせいだと睨んでいたためだ。

「この上はわたしが直接、朽木谷に行って公方様にお目通りし、お話申し上げる以外に方法はない。これからでも花折峠に発とうと思うのだが」

「それには及ばぬ。とりあえず将軍家のことはことを荒立てぬよう、かささぎ殿は目を光らせてくれればよい。血震丸に下手なことを勘づかれても困るでな」

血震丸の謀略の話を聞き、かささぎも憤り、顔色を変えていた。

「しかし、言うにことを欠き、長尾殿を御曹司略取の張本人に仕立て上げようなどと」

「心通じるものなればいざ知らず、人の口の先はどこへでも向かう。いちいち反応していてはきりがない。それよりかささぎ殿もいつでも、菊童丸様が身、お守り出来るよう、段取りを整えてくれ」


目の覚めるような橙で染められた千代紙を使って折られた、奇妙な鬼ユリの花が僕たちの根城の柴折戸にそっ、と挟みこまれているのに気づいたのは、ある秋晴れの朝のことだった。朝露に濡れてはいたが、紙で折られた花はまだ水を吸いきってくたれてはいなかった。すぐに僕は往来へ出たが、もやがたちこめる路地は果てまで人影一つ、見えなかった。

「ついに来たか」

丁寧に折りこまれた鬼ユリを一同の前で解き、虎千代は言った。そこには血震丸たちのものと思われる、メッセージが書き込まれている。

『明日、辰の刻、三年坂。家中のソラゴトビト独り来るべし』

辰の刻と言うと、午前中の早い時間だ。

「三年坂と言うと、清水の寺の辺り?」

僕は虎千代に聞いた。三年坂は平安の昔からある、京都古刹への古道だ。

「ああ、くれぐれも気をつけて頼む。おのれの命をまず、大切にしてくれ。・・・・・黒姫は同行の準備は出来ているのか?」

「はいはいっ、黒姫も行きますですよっ」

なんとなく、いるだけでとっても目立ちそうな黒姫が手を上げる。

「ほ、本当に大丈夫なの?」

確か一人で来いって言われたはずだけど。

「ちょっとした賭けをする。黒姫、お前の腕だけが頼りぞ。万事抜かりなくやれるな」

「お任せ下さいです。黒姫、これぞ忍びって言うところを、真人さんにも見せちゃいますよ!」

これぞ忍びって。ここにきて黒姫、まさか変な忍術とかを使う気なのではないだろうか。

「なにをする気なの?」

「ふっ、ふう。それは、ここでは言えませんです。なんて言うかちょっと説明しにくいことなので」

黒姫はいつも軽い物言いをするけど、虎千代の命令だけにそれほど変なことをするわけではないはずだろうけど。

「贄姫を尾行(つけ)るのだ」

と、虎千代は僕に言った。え、まさか本当にそんなこと出来るのか?だってなにしろ、贄姫はどこからどんな姿をして現れるか分からないのだ。

「ああっ、真人さん、不可能だと思ってますですねえ?軒猿衆を甘くみてもらっては困りますですよ!」

妙にテンション高い黒姫を連れて行ったら、いきなり交渉がこじれる気がするけど。

「真人独りで来いとは言い条、さすがにお前を危険にさらすわけにはいかぬ。それにだ」

みておれ、と、虎千代は言った。

「ここが黒姫の腕の見せ所よ」


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