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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.17 ~新たなる鬼才、頂上血戦、生き残るのは…?
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極限から奇跡の帰還、玲力尽きる…?

 そのとき、虎千代と玲は、すでに走ってはいなかった。

 麟美に言われた通り、その方向へ全力で移動してはいたのだが。

 ほんの数百メートル行ったところで、二人はくぼみの中へ落ちたのだ。薄い雪庇と藪が隠していた切通のような空洞だった。


「起きるな」


 もがくように立ち上がろうとした玲の身体ごと、虎千代は押し倒して抑えた。


「そのままだ。…しばらく、そのまま」


 もう間もなく、雪崩(なだれ)がやってくる。そのことを、虎千代は麟美との別れでいち早く察していたのだ。山は気まぐれだ。確信がなかったため、そうだと口にしなかったのだろうが、麟美の態度から事態の急変を感覚的に悟ったと言えよう。


 そんな二人を、地を這うような底深い轟音が襲ったのは、次の瞬間だった。虎千代の腕の中で、玲は、思わず息を呑んでもがくのを止めた。瞬間的に起こった不思議な破裂音と衝撃波が、致命的に凄まじかったからだ。


 それは大地から根こそぎ、何もかも引っぺがしていきそうなほどに強烈な激震を伴っていた。くぼみに落ちた二人の足元それ自体が、今にも吹き飛んでいくかと思える揺れだった。間近に爆撃機の降下弾が落ちたとしても、これほどの衝撃になるまい。


 その衝撃波はたったの一撃だったが、余韻は地震を伴って底深く、地鳴りが巨獣の断末魔のようにどこまでも低く、響いていた。


(…生きている)


 恐ろしく長い時間が、頭の上を過ぎ去っていった気がした。虎千代の腕に抱きすくめられて、玲がたった一つ、考えたことは今、自分が生きているのだ、と言う、そのことだけだった。


 自分たちがここでやっと生きているなら、外にいたものはどうなってしまっているのだろう。

 それにこれは本当に、ただの雪崩だったんだろうか。


「妙だ…」


 玲の想いが伝わったかのように、虎千代がつぶやいたのはそのときだった。言葉を発した虎千代の白い吐息が玲の顔に間近にかかる。それに気づいた虎千代は、あわてて身を離した。


「すっ、すまぬ、つい」

「いや、僕も。ごめんなさい、取り乱しちゃって」


 二人はなぜかうろたえながら、気まずい顔を見合わせた。どうも密着しすぎた。

 まー無理もない。だってお互い違う相手がいるわけで。そんなことにすら二人は、今さらながらに気にかけたのだった。


「あの…虎千代さん、さっき言いかけたのは?」

「うん?」

 虎千代は、小首を傾げた。

「なんのことだ」

「妙だ、って言ってた」

「そうじゃな」

 言われてみて初めて我に返ったように、虎千代は目を丸くした。思わぬハプニングで気まずくなったが、いや、その前に虎千代と玲は、この雪崩になんらかの違和感を持っていたのだ。


「言われてみれば…雪崩にしては、雪が、かからなんだな」


 言われてみて、玲は確かにもっともだと思った。


 今の雪崩の瞬間、虎千代と玲が落ち込んで助かったのは、この偶然、地面にぽっかりと開いた穴だ。雪崩の直撃は幸運にして防げたにしても、ほとんど雪を被らないで済んだのは、妙と言えば、妙である。


 なぜならそもそも雪崩と言うのは、降り積もった雪が滑り落ちてくるものなのだ。二人がいる場所は地上からはうかがえない深さの窪地とは言え、何か天蓋(やね)があるわけではないから、雪崩に巻き込まれたとしたなら、思いきり雪を被るはずなのである。


 なのに二人の身体は雪に埋まっていない。上から落ちてきたのは、風で枝から落ちる程度の雪つぶてなのだ。


「静かだな」


 と、虎千代に言われて玲は真上を見た。そこには、さっきまでの悪天候の名残すらも見えない、暮れかけの空が晴れ渡ってあった。


(空だ)


 あまりの美しさに、玲は呆然としてしまった。そこには雲の塊すら見えない。のっぺりとした光沢を放って輝く空は、リンゴの果肉のようなごく淡い黄金色。さっきまで荒れ狂っていた風は気配すらなく、いくら耳を澄ませても物音ひとつ聞こえない。


「出てみよう」


 空を見上げて立ち尽くしているだけの玲に、虎千代は言う。

 ここでいつまでも様子をうかがっているわけにはいかない。差し迫った危険はなさそうだと、虎千代は判断したようだが、玲の方はそんなに早い気持ちの切り替えが出来そうにない。


 なぜなら、さっきと違って平和すぎるのだ。銃声も爆撃音も、人の気配もない。たとえは悪いが、あの世に行ったようだ。しかし虎千代に手を引かれて、穴の中から這い出たとき、そこにはさらなる驚くべき光景が広がっていた。


「えっ」


 ないのだ。

 何もない。さっきまで確実にそこに存在したものが。見渡す限り、まったく見当たらない。ただただ、一面の雪原になっている。二人は、言葉もなかった。


 この背後には白豹と、そして狐狩たちと死闘を繰り広げた燃え盛る森が暗い影まとって鬱蒼(うっそう)と存在したはずなのだ。しかし今、そこには一本の木も見当たらない。ただの断崖になっている。


「あれは…ただの雪崩ではなかった…?」


 半信半疑な口調で、虎千代は玲と顔を見合わせる。ではこの現象はいったい何なのか、虎千代ですら合理的な説明を見出せそうにない。


「地面が、削れてるね…」


 ふと、玲が言った。確かに、森の樹木が茂っていたとは言え、ここはどうにか人が登れる斜面であったはずだ。だが、今やそれは、地肌がむき出しの岸壁になってしまっている。


 恐らくはあの低い地鳴りのような音は、斜面が削れた音のようだが、崩落したなら斜面はどこへ行ったのだろう。何もかもが爆撃で吹っ飛んでしまったかのようだ。


「…分かった」

 と、突然、玲が言った。

「もしかしたら、『ホウ』が起こったのかも知れない」

「『ホウ』だと?」

 聞きなれない言葉に、虎千代は眉をひそめた。

「『ホウ』と言う雪崩があってね。昔、北海道に住んでいるときに母さんが、教えてくれたんだけど」

 玲は、三島春水の名前を出した。


「玲ね、雪国で本当に怖いのは普通の雪崩じゃないのよ」

 雪崩で塞がった車道で事故が起き、渋滞で進めなくなったとき、三島春水がふと、こんな話をしたと言う。

「一番危ないのは、『ホウ』と言う雪崩なの」


 僕たちが、一般に認識している雪崩は『底雪崩』と言うものだ。

 これは、古く凍った雪の上に新雪が積もり切った圧力で、崩落が起きるもの。大量の雪が土石流のように何もかもを押し流す。それが『底雪崩』が起きるメカニズムである。


 対して『ホウ』は、気泡の泡。泡雪崩(ほうなだれ)とも書く。これは降り積もった新雪の中に圧縮された空気が一気に解放されて起こる極大の爆風である。瞬間風速は毎秒一千メートルに達する。威力は爆弾どころではない。台風の十五倍の破壊力を持つとされる。


 かつてオーストリアでは、村を丸ごと一つ吹き飛ばす事故があったと言う。しかしその威力を最も知らしめたのは戦時中、黒部第三発電所建設に伴う志合谷宿舎で起こった大事故であろう。


 一九三八年十二月二十七日の深夜、突如巻き起こったホウ雪崩は、鉄筋コンクリート造の工員宿舎の三階・四階部分を丸ごとそっくり吹き飛ばした。宿舎は前方にあった標高七十五メートルの尾根を飛び越え、六百メートル先の奥鐘山に衝突して大破した。死者計八十四名はすべて、激突死である。


「なるほど『ほふら』か」

 虎千代も、思い当たったようだった。このホウ雪崩、虎千代の住む北越では古くから知られているのである。

「麟美は、これを察知していたのだな…?」


 底雪崩は雪解けの春先に起こることが多いのに対して、ホウ雪崩は厳寒の吹雪の直後などに起こることが多い。

 それが例えば、鳥のはばたきほどの微かな振動で一気に起こる、と言われているのである。


 それなのにさっきまで軽迫撃砲まで使ってここで銃撃戦をしていたわけで。考えるだけでぞっとする話だ。虎千代たちはずっと、爆弾の起爆スイッチの上で戦っていたようなものだ。


「麟美さんはどうして、僕たちだけを逃がしたんだろう…?」

 誰にともなく、玲は問いかけた。

 虎千代は小さくかぶりを振った。分からない。分かりようがない。あのホウ雪崩と共に、すべてが持ち去られてしまったそのあととなっては。

「…麟美殿はもう、天に『白豹』の名を返したかったのであろう。あのもう一人の『白豹』の命とともに」


 山の陽が暮れていく。

 取り残された二人は、元の目標地点を求めて最後の移動を始めた。

 ホウ雪崩によって、大きく崖が削り取られてしまっている。う回路は想像以上に、険しいものに変じていた。


 虎千代にしても余裕はないが、玲はすでに限界を超えている。何度も立ち往生を繰り返しながら、道なき道を進んでいたが、ついにその足取りが停まった。


「玲、諦めるな。…もう座ってはならんッ!立てッ!」

 虎千代は叱咤し続けたが、ついに地べたに座り込んでしまった玲にもう、再び立ち上がる力は残されていない。

「わたしたちは、いくさに勝ったのだぞ。ラウラを救うのは、これからであろう…?頼む、立って歩いてくれ」

 小柄な虎千代では、玲を担いでこの山路を往くことは出来ない。残された手は、ここに玲を残していち早く黒姫たちと合流して救助に引き返すことだが、一旦山の陽が暮れきってしまえば、体力のわずかな玲に生き残る術はない。一瞬、虎千代の脳裏に最後の決断がよぎったが、彼女は首を振ってそれを打ち消した。


「いや…むざむざと見捨ててなるものか。玲、ラウラがお前を待っているのだ。わたしは諦めぬぞ!玲ッ、立て!立つのだッ」

 虎千代も、残された力を振り絞って玲を抱き起そうとした。そのときだった。


 すぐそばの雪庇が、とんでもない勢いで持ち上がり、雪の粉が散った。野の獣か、それとも敵がまだ、隠れていたのか。虎千代は玲を下ろすと、腰を落として身構えた。


「出てこいッ!何者ぞッ!?」

 すでに戦う力はどれほど残されているか。だが、虎千代は柄に手をかけた。

 すると、

「知ってるその声ッ!長尾の鬼姫だ!やあーっと見つけた!」

 立ったのは、女の声である。

「敵じゃねえよッ、今回はな!アタシだよッ、見覚えあんだろ!?」

 熊のようにのっそりと出てきたそいつを見て、虎千代も目を丸くした。確かに見知った顔だ。

「お前は…」

 そいつはうるさそうに雪を払いながら、答えた。

「ああ見りゃ分かんだろ!江戸川凛(えどがわりん)だよッ!死ぬ気でありがたがれッ!あんたらを援けに来てやったんだっつーのッ!」






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