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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.17 ~新たなる鬼才、頂上血戦、生き残るのは…?
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懸けられる白豹の名!馬賊たちの決着は…?

「さっきの銃声だな…?」


 肩口を抑えながら、白豹はおめいた。薄もやの中から、ゆっくりと麟美が姿を露わにする。油断なく向けられた三八式狙撃銃からはまだ、白煙があがっていた。


「当然だ。満州馬賊なら、どんな悪天候でも聞き分けられる。…銃声があったなら、使った銃、弾丸の飛んできた方向、そして狙撃手の居場所までな」

「おれは、満州馬賊じゃないと言いたげだな…?」

「いや、違う。張紫竜…お前は、満州馬賊の面汚しさ」

「なるほどな」


 白豹は片頬に引き攣りのような不吉な笑みを張りつけると、防寒着に開けられた焦げ跡に目を落とした。


「で、これからどうする気だ?」

「動くな、とは言わん」

 すかさず答えた麟美の声は、いささかの感情の淀みも含んでいなかった。

「好きに動け。お前がどうあがこうと、ここで仕留めてやる」

「あの小娘の仇だとほざきたいんだろう!?…このおれの名に、お前の泥を被せたいわけだ」

火舜(ホアシュン)の死も、当家の死も…わたしが、背負うべきものだ。白豹として仕事を請け負ったときから、その覚悟はしていた。…白豹の名を騙ったお前ごときに、背負えるものなんかじゃない」

「相変わらず、御託だけはご立派だな!」

 憎悪を吐き散らすと、白豹はブーツを履いた足を振り上げた。その足元に、血みどろで倒れたままの玲がいる。

「結局お前は、誰一人救えていない!」


「麟美…さん…」

 どうやら、玲の意識はあるようだ。瞳だけを動かしてようやく、誰が自分を救いに来たのかを知った。だが肩口からの出血で身体は冷え切り、その命は風前の灯火である。


「馬鹿な真似はやめろ。ここからなら、わたしがお前の脳天をぶち抜く方が早い」

「果たしてそうかな…?」

 白豹のつま先は、倒れている玲の頸を狙っている。鉄板入りのブーツで、そこを踏みつぶせば、玲の息の根はあっと言う間に停まるだろう。

「そうなる。いいから、試してみろ」

 麟美の銃口は、まったく動いていない。寸分違わず、白豹の眉間を狙っている。

「そうかあ。…いいだろう。じゃあ、遠慮なく…」

 白豹が振り上げたつま先で、玲を蹴りつぶそうとしたそのときだ。麟美は、白豹の上体の筋肉の動きの不審さに気づいた。

「まずお前が死ねッ!麟美!」


 撃ち抜いたはずの、右腕が機敏に動いた。防寒着に防弾の仕様が施してあったのだ。さらに袖を引いたその手にバネ仕掛けで落ちてきたのは、コルトの二十五口径である。当時の大陸スパイが多用した隠し武器だ。玲を殺すとみせて、白豹は前進しながら撃ってきた。


「くッ!」


 小銃を前に、無謀と言う他ない。しかし、狙撃銃は単発、拳銃は連発しながら近づける。接近戦の局面では、拳銃が有利だ。


 草原のくぼみに落ち転がりながら、麟美は奇襲攻撃を避けた。ライフルで相対していたなら恐らく、白豹の火力に押しつぶされてしまっただろう。


 仰向けに転がりながら、麟美は小銃を構えなおした。その銃口はなお、白豹を捉えている。間髪入れず、引き金を絞った。


 弾丸は、突進する白豹を真っすぐに狙った。乱射するコルトの銃身に当たり、大きく銃が跳ね飛ばされた。利き腕を持っていかれながらも、白豹は停まらない。


「くたばれえええッ!」


 左袖にもナイフが仕込んである。麟美が銃を取り換える間を与えずに、一気に寝首を掻く覚悟だ。渾身の力を込めて、地を這う麟美に切っ先を叩き込んだ。


「死ねッ!死ね!死ねえッ!死ね!死ねえいッ!」


 白豹は執念深く、ナイフを突き立てる。その憎悪は、余人に計り知れぬ凄まじさだ。麟美は銃身を使い刺突を効果的に(さば)くと、反転して垂直蹴りを放った。打突、天頂を突く一撃だ。


「うッ!」


 ナイフを振り上げかけた白豹は、頸をひねって辛くも蹴撃をかわした。しかしそれは、麟美にとっては、上手く距離を取るための布石に過ぎない。銃身をてこに、麟美は、その小柄な体を跳ね上がらせた。


 そして寸毫(すんごう)の隙も見せぬ間に、そこから立射の姿勢に入っている。仰向けに転がっている間に排莢を済ませ、三八式狙撃銃の銃口は、わずか数メートル先の白豹の喉元にぴたりとつけられていた。


 だが素早さで言うなら、白豹も同様だ。麟美が距離を取ると同時に、自分は地面に跳ね飛ばされたコルトに手を伸ばしていたのだ。


 かくして相対する銃口が二つ。どちらも狙うは、急所である。白豹も、麟美も引き金を絞らない。お互いに、どう言う結果になるか、すでに分かっているとも思える。


「やるな」

 最初に口を開いたのは、麟美だった。

「満州馬賊の面汚しにしては、か…?」

 白豹は苦々しげに応えた。

「それほど腕があるなら、自らの二つ名で旗を上げられたはずだ」

「なのにどうして、自分の名をおれが羨むのか?…つまりお前は、そう言いたいのだろう、真の白豹よ」

 くしゃりと、双眸を歪めると、白豹は邪悪に笑った。

「だが、間違えるな。羨望ではない。…憎悪だ。お前のお陰でおれは、関東軍に偽者に仕立て上げられ、お前の名を貶める特殊工作に巻き込まれた。


 白豹の雷名は、満州馬賊たちの間だけではなく、華北一帯に住む者たちの間にも『義賊』として鳴り響いていた。…おれはな、そいつを貶めるいわば『汚れ役』をさせられたのだ。


 かつての同志を裏切り、同じ華北人には『外道』と蔑まされてな。お前の影に徹し、決して称賛されることもなく、むしろお前の受けるべき侮蔑と嫌悪を一心に背負って生きる…そのおれの気持ちが、お前に分かるか…?」

「お前がその白豹の名で得た者は、汚名と侮蔑ばかりではないだろう」

 麟美は言下に、白豹の独白を切り捨てた。

「今あるお前の生は、同志同胞たちの血で(あがな)ったものだ。…わたしが背負った真の『白豹』の名は、お前のような人の生き血をすする『悪鬼』に、相応しい報いを受けさせるためにあるべきもの。お前を『白豹』の汚名と共に、葬ってやろう張紫竜よ」

「ほざけッ!」


 それでも、白豹は撃てない。麟美はそう見ていた。ここで決めなければ白豹は殺せない。たとえこの身は、白豹の弾丸を喰らっても、である。だがそのためには、白豹から動かねばならない。


 剣で言えば、いわば待剣(まちけん)である。相手の起こりを捉えて、尚且つそのわずかな隙を掻い潜らねば、白豹ほどの使い手を相手に一撃必殺は難しい。


「殺してやるッ!お前を葬るのは、このおれだッ!」

「相変わらず、口だけは達者だな。そのよく回る口で、どれだけの同胞を売ったんだ?」

「くそおッ!」


 口を極めての挑発が、功を奏した。まるで銃身を押し込むように白豹が発砲しようとしたとき、麟美は小銃を抱えるようにして転がりながら撃った。上から下へ動くものを撃ち抜くのが、射撃では最も難しい。案の定、白豹の銃身は下がり切っていなかった。弾丸は虚空を切った。


 麟美が撃った。

 ほんの一拍あとだ。弾丸は白豹の手の甲を撃ち抜き、コルトの銃身は血にまみれて落ちている。


「ぐおッ…」


 白豹はうめき声をあげて、撃たれた自分の手を抑えた。あれではもう、使い物にならない。勝負は着いたのだ。


「次は、頭だ。…言い残すことがあるなら、聞いておいてやる」


 がしゃりと麟美はボルトをスライドして、次弾を装填するとゆっくりと白豹に近づいていった。


「話すことはない。…お前に言いたいことはすべて話した」


 白豹は、苦痛に顔を歪めながら、答えた。すでに死を覚悟している。この男なりに、矜持はあるのだろう、と麟美は、独り合点した。


「覚悟しろ」


 麟美は照準を、白豹の頭部に合わせた。今度こそ、とどめの一撃を見舞うつもりである。


 寒風煙る奥只見の雪原に、短く尾を引く銃声が轟いた。

 白豹は目を閉じている。しかし、弾丸は届いていない。


「くっ…!?」


 うめき声を上げたのは、麟美だった。持っていた小銃は暴発して、あらぬ方向の天を撃っていた。着ていた防寒の熊皮が弾けて毛羽立っている。そこから新しい血が、噴き出していた。撃たれたのだ。弾丸は背後から。さっきの銃声を頼りに、どこからか狙撃されたのである。


 ここへ来てまさかだ。


「誰だ…」

 小銃を取り落とした麟美は、うつろな声で誰何した。もちろん、誰、と言うのは分からない。玲が作った煙幕の彼方から、一人、また一人と、小銃を携えた山岳部隊の影が、こちらへ歩み出してくるのが見えてきたのだ。


「援軍のようだな」


 勝ち誇った白豹の声が、その背を刺した。形勢逆転だ。あと一歩のところで、麟美は千載一遇のこの勝機を取り逃がしてしまったのだ。


「どうする!?連中と戦うか!?今、おれを殺しておくか?どちらも無駄だと言うことを、思い知らせてやるぞ!(なぶ)り殺しにしてやるッ!覚悟しろッ!最期に息を引くまで、お前の命はおれの手の中だからなアッ」

「くそッ」

 小銃を棄てた麟美は、装備の中からモーゼルを取り出し、背後の狐狩たちに向かって応戦した。しかしそれは空しい抵抗と言わざるを得ない。すでに物量の差は明らかなのだ。


「もう諦めろッ!」

 白豹は、とどめを刺すように叫んだ。この男の狡猾さは、これに極まった。ここへ来て、白豹は立ち上がると、血を喪って立ち上がれない玲の頸に足をかけたのだ。

「武器を棄てろ。そうすれば、このガキの頸をへし折るのだけは、勘弁してやる」


 猖獗極(しょうけつきわ)まる外道である。しかし、戦場にはもともと、倫理など入り込む隙などない。かつての満州がそうだったように。路傍に屍をさらしたものこそ、恥を受くべき敗者なのだ。


「麟美さんッ!…僕に構うなッ!どうせ皆殺しにするつもりだッ」

「黙れッ」

 白豹は容赦なく、玲を蹴りつけた。もはや玲にはそれを避ける体力すらも残されていない。

「どうするッ!?ガキが死ぬぞ!お前ら揃ってここで犬死したいかッ!」

 麟美は唇を噛み、銃口を下げた。ここで(したが)ったところで、玲の言う通りになることは分かっている。しかし、麟美は玲を見捨てるに忍びなかった。

「上出来だ。だが、おれは、武器を棄てろと言ったんだ。…その銃を離して、両手を頭の上に組め。それが今のお前にふさわしい格好だ」

 反撃がやみ、狐狩たちはこちらへ近づき始めている。白豹が合図しなければこのまま連中に、撃ち殺されてしまうだろう。やみなく麟美は、銃を棄てると頭の上に手を組んだ。

「そうだ、よし!それでいい!罪人のお前には、それがお似合いだッ!いいだろう、今、殺すのはやめてやる」

 白豹は、味方に向かって手を振った。

「撃つなッ!捕虜が二人だッ!連れ帰って、存分にもてなしてから殺してやる。聞いたか、お前は捕虜だぞ麟美ッ!そのままで済むと思うな!その場にひざまずけ!おれに許しを乞うようになあ!」

 麟美は黙って、その通りにした。確かにこれで、死の瞬間は延びる。しかしもはや、どこかに反撃の余地はあるのだろうか。

「ふはははッ、戦果は上々だ」

 白豹はついに、玲を解放すると麟美の前に歩み寄ってきた。そして大きく足を振り上げると、ひざまずいている麟美の顔をつま先で蹴り上げた。

「うッ!」

「どうだ、ちょうどいい格好だろう。これで、蹴りやすくなった」

 仆れた麟美の身体を、そのまま白豹は蹴り続けた。すでに勝利は確定していた。だが蹴らねば、この男の憎悪は収まらなかった。

「分かったかッ!おれがッ!真の白豹だッ!お前はウジ虫だッ!このおれの靴のシミになる程度にしか値しないクソカスだッ!」

 憎悪を籠めて狂ったように、白豹はブーツを叩き込み続けた。骨が折れる音が聞こえ、歯のかけらが飛び散った。麟美はやがて、意識を喪った。

「ふんッ!もうくたばったのか。おい!ここで、殺しはしないぞ。あのガキと一緒に、悲鳴を上げさせてやる」

 白豹は叫ぶと、唾を吐きかけた。そして中々こちらへ来ない味方を、怒鳴りつけた。

「お前ら何をしてる!さっさと来るんだッ!何をもたもたしているッ!このゴミどもを運べッ!」

 怒声を発してから、白豹の表情がなぜか固まった。こちらへやってくるはずの、狐狩の陰が、なぜかさっきより低く見えるのだ。

(どうなっている…?)

 ついに白豹は、訝りだした。しかし、すでに時は遅かった。


 そこにいた狐狩の影から、ぐらりと何かがこぼれ落ちたのだ。同時に、傾いたその影も倒れる。見えなくなった。


(あれは死体だ…)


 白豹はやっと、気づいた。あの影はこちらに近づいてきていたのではない。ずっと前から死体だったのだ。そうか今、するりと落ちたのは、人の首だった。


 そこまで至った時、白豹の顔から血の気が引いた。煙幕の彼方から、小柄な影が現れたからだ。あれは死体じゃない。白刃を引っ提げている。


(そうか…)


 銃声を頼りに、ここまでやってきたのは麟美や狐狩たちだけじゃなかったのだ。ただ一つの、剣だけを恃み、反撃の好機を待っていたものが、たった一人だけいる。それが今、狐狩の首を落としたのだ。


「長尾…虎千代…」

 あの白豹がついに恐怖に目を剥いた。

「まっ…まさかッ!?」


 夢でも幻でもなかった。血と脂で濡れた刀を引っ提げて、なんと虎千代が独り、死線を突破してここまでやってきたのだ。


「お前で最後か」


 無数の死をまとったいくさ女神の双眸が、白豹を捉える。歴戦のはずの白豹に、冷厳な死の影が触れたのは、その瞬間だった。








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