暗謀に憑かれし悪鬼、露にする野望…
それにしても、何から何までそっくりだ。
剣を構えた久世兆聖の立ち姿が、である。
上杉謙信の剣は、後世に伝わってはいない。記録には、かの豊臣秀吉が謙信公は馬上剣を使うので、丈の長い剣を持っているはずだ、と評した程度であり、具体的な刀法や構え方などは調べようがない。そのはずなのだ。
だが似ている。いや、似すぎている。
久世兆聖が無造作に構えをとったとき、そこにいる誰もが息を呑んだに違いない。僕だけじゃなくてみんな、知っているからだ。ミケルも火舜も信長も、その眼前で幾度となく目にしている。一瞬でそうだと思うくらい、虎千代なのだ。その構えから繰り出される剣も動きも、恐らく、そのものに違いない。
「何か…?」
言葉もなく呆然とした僕たちに、虎千代を見て、怪訝そうな顔をしたのは、むしろ久世兆聖の方だった。
「おっ、おいお前!その剣は、誰に習った…!?まさか鬼姫の剣をお前がッ…?」
ミケルが耐え切れずに問いただすと、久世兆聖は一旦構えを解き、無邪気に首を傾げた。
「これは、我流だよ」
「うっ、嘘つけ!」
ミケルは反射的に言い返したが、そもそも上杉謙信の剣など習いようもない。虎千代の剣は、誰と言う師にも習わず、彼女の独特の身体感覚と戦闘経験から磨かれた超我流なのだ。
「嘘はついていない。確かに幼少の頃、少しは手ほどきを受けたし、身のこなしなどは真田忍術が入っているかも知れないけどね」
久世兆聖は、こだわりもなく手の内を明かす。やはり本人は特に、意識などしていないようだ。
「なるほどな」
虎千代も、納得したらしく、かすかに唇を綻ばせた。
「剣に限らず、人の技は最も己の理に適う形になるもの。…考えてみれば、わたしと言う人間の技が、無二と言うわけでもあるまい。自然と同じ境地へ、足を運ぶものも出てこよう」
おもむろに虎千代は長刀を、体に引き付ける。こちらもいつもの身構えだ。厚重ねに鍛えた備前無銘の一刀を片手にぶら下げて、虎千代も飛び上がるような構えを取る。こうしてみると、偶然とは思えないほどに瓜二つだ。二人とも、一見、矮小な体格をものともしない筋肉の質の良さと全身のバネに絶対の自信を持っているからこそ、たどり着く構えだ。
虎千代を高山の岩場を這いつたう虎とするならば、久世兆聖は密林の樹上を飛び渡る豹と言ったところだろう。
「へえ。そう言うことか。…みんなが驚いたわけが分かったよ」
虎千代の構えに、久世兆聖も思わず目を見張る。やはりだ。剣に関して図らずして両者は、同じ結論に至ったと言うことである。
(でもまさか、虎千代の剣に迫るなんてことは…)
上杉謙信の剣腕については、いくつかの伝説はある。だが、その真の実力を、目の当たりに出来たものは、いない。僕以外には直に虎千代を知っている人間だけだ。
たまたま、構えが同じであったとして、同じ型の剣であってとして、どこまで虎千代の技量に迫れるものか。
「こうなったら、ぜひ、知りたいものだね。…僕の剣が、戦国最強にどれだけ、迫れるものか」
そう言う久世兆聖の言葉に、気負いはない。たくまぬ偶然が、どれほどに神のいたずらなものか、試してみたい好奇心だけだ。
「面白い」
生けるいくさ女神の興味の矛先も、同じようだった。ミケルもさっきから、黙り込んで目を見張るばかりなのも、分かる。この二人、手が合いすぎている。嚙み合わないもの同士と違い、何にせよ、決着は一瞬で着くはずだ。
しかし、次の刹那、僕たちの予想は、まったく覆された。
瞬きもしないうち、久世兆聖が身体ごと、視界から消えた。
さっきと同様、虎千代の剣にはない、九度山真田忍術の身のこなしだ。
だが飛影のごとき、久世兆聖の斬撃が虎千代には視えている。証拠に、虎千代に浴びせかけられたはずの、一撃は空を切った。凍りつくようなキレのいい太刀音が、虎千代の前髪をかすめていったのが分かった。
「今のも見えたか」
と言う久世兆聖はいぜん、卓の上である。十数人の列席を許すサイズの卓とは言え、野戦用である。これほど目まぐるしく飛び回ったにも関わらず、久世兆聖の足はこの卓の上へ吸い付くように立ち戻ってくる。
黙って虎千代もそこへ、飛び上がった。相対する二人の間合いの接点は、ほぼ間近になる。機動力に絶対の自信がある二人が、今からこの狭い卓の上で斬りあおうと言うのか。
「どうぞ」
久世兆聖は挑発するように、軍刀を持たぬ左手を差し伸べた。
「そろそろ僕にも、踊らせてくれませんか?」
無拍子の連撃が、その手をめがけて襲ったのは次の刹那だ。虎千代の斬撃は速いのは言うまでもないが、無拍子を極めてくると呼吸を悟らせないため技の起こりが察知されにくく、その剣速は実際のものよりはるかに速く感じるはずだ。
狙ったのは二刀である。
久世兆聖が誘いをかけている左手首を斬り飛ばそうとするかのように、左の切り上げから、さらに間合いを踏んで肩口へとどめの一刀。太刀風は一見緩く浅く見えるが、絶妙の緩急が行き届いている。しかも決めの太刀とも言える返しの切り下げは実は、虚である。本命はそこから幽かにしゃがみこんで、喉元を突き上げる諸手刺突にあった。
戦国の粋とも言うべき必殺剣である。この突き上げは、本来、鎧武者の咽喉輪をすり抜けて、骨肉もろとも兜裏のしころにまで刃を突き通す問答無用の殺人技なのだ。緩急の肝は左右から上下へ、動きの速さばかりでなく方向まで変わることで、斬撃への対応を遅らせる工夫が隠されている。
備前刀の鋭い切っ先は、右斜め上に久世兆聖の喉元を突き上げた。
だが貫いたのは、軍帽のみである。
「今のは危なかった」
その少し後方で、久世兆聖は手の甲で唇を拭っている。太刀風は顎先をかすめ、その唇からは華が咲いたような鮮血が滴っている。生死を分ける差は、僕たちにも見えない寸毫であったろう。
容赦ない虎千代の刺突で自分の首を、文字通り槍玉に上げられそうになったにも関わらず、久世兆聖は笑っている。その白皙の雪肌に、爛漫の曼殊沙華を思わせる血の死に花を咲かせつつ。
「やはり、貴女が最高だ。もうしばし、踊らせて頂きますよ」
くるりと刃を翻して、久世兆聖は軽い刺突を見舞った。手首のスナップを利かせた、ミケルの洋刀使いを思わせる、速射性の連撃である。
反撃の機会をうかがいつつ虎千代は、妖しく煌めく刃を掻い潜ったが、久世兆聖に付け入る隙はない。とっさに卓を蹴って、やや広めの間合いを取った。
「怜悧な判断だ。その名の通り、まるで満州虎と相対しているようだ」
「遊んでいるつもりか。人の気も知らで、いい気なものよ」
どこまでも屈託のない久世兆聖に、虎千代は苦笑した。
「どうせならもう少し、物語ってもらおうぞ。お前たち久世機関が裏で馬賊たちを焚き付け、関東軍とやらの益になるよう利用していたのは分かった。だがそれは過去の目的であろう。今は何がために動いている?あの劔のためになろうと思っていないことは分かった。だがつまるところ、お前たちはこの戦国の地で何を目指している?」
すると、久世兆聖の顔から初めて無邪気な笑みが消えた。
「話を戻したね。…まあ、いいだろう。ごくごく単純な話なんだけど、やはり話しておくべきだろうな。さっきも言った通り、僕は劔に忠誠を誓ったわけでも恩義を感じているわけでもない。だがここまでは、大人しく命令を聞いて行動を共にしてきたわけだ。何度も言うがそれは、別に彼に服従したわけじゃないよ」
「話が読めんな。お前たちは、敵か、それとも味方なのか」
「敵だよ。たぶん、そうなると思う。まあよく言えば、僕たち久世機関は大陸にいたときと何も変わっていないと言うことだよ」
「変わってない…だって?」
思わず口をはさんだ僕に、久世兆聖は顔を向けて返事をした。
「そうだよ。何も変わらない。むしろ明確になった、と言っていい」
この男の目に初めて、本性らしき凄まじく黒いものが宿ったのを僕は見た。
「斬り順えるんだよ。…久世機関を統べる僕が、僕自身の意志で、この地を制圧する。それが僕の新しい『領有計画』さ。あの満州の地を統べるより、さらに興味深く、素晴らしくなったと思わないかい?ここは、上杉謙信が制圧した関東の領野だ。僕が腕を揮うのには、これ以上ない最高の舞台じゃないかッ!」
久世兆聖がそこまで言った時だった。その頬を、一発、銃声とともにオレンジ色の炎が掠めた。撃ったのは僕の隣にいた火舜だ。袖口に隠していた二十五口径のベビーブローニングがきな臭い白煙を上げている。
「悪鬼」
これ以上は耐え難いと言うように、火舜は魂切る絶叫を放った。
「すべてお前だ!お前のせいだッ!お前のせいでッ!当家も長もみんな死んだッ!」




