雪中暗闘!白豹の魔の手迫る…
山間の闇も明けきらない、午前六時ちょうど。
ついに総攻撃が開始された。莫大な火力を投入した容赦なしの一斉攻撃である。前触れがなかったわけではないが、このとき起こった轟音には、さすがに足が停まった。
「立ちすくんでいる暇はないぞ、真人くん。…ここからは、寸分の手抜かりも許されないのだから」
恐るべき地鳴りの中でも、信玄の声は冷たく徹る。このとき僕たちはまとまった人数を連れて際どくも、平地を脱し、再び厳寒の深山を分け入っていたのだ。
「いちいち振り返らないことだ。立ち止まればその分、士気に影響する」
致命的な秘事を耳打ちするように謂う、信玄の言葉は、何よりも冷徹に僕たちの現状をえぐり出している。
(すごい…)
確かに、一度立ち止まって見てしまえば、足に根が生えてそこに竦んでしまっただろう。一斉攻撃の爆音の振動はこの広い深山の懐を彼方までどこまでも揺るがし、どす黒い煤煙を含んで燃え上がった紅蓮は、まだ紫色で煮え切らない明けもどろの空を、天高く焦がしたからだ。
かつて精鋭と言われた関東軍の全火力が、そこへ投入されているのだ。すべての建物は破壊され、大地は塵埃に満ちた煙に穢され、きな臭い炎に洗われている。もはやそこに、何者も生き延びる余地はない。
「なあ大将、余計なことを言うなよ。あくまでおれたちの相手は人間だ。あれだって、人間の仕業だからな」
僕のそんな夢想をはぎ取ろうとするかのように、ミケルが言う。そうだ、あそこがどうなっているかなんて、考えていてはいけないのだ。僕たちはあくまで、あの兵器を操る人間たちと戦っている。それを忘れては、戦えないのだ。
「わたしたちの仕事は、いずれにせよ同じだ。…兵火を掻いくぐり本陣を急襲し、大将首をば斬り捨てる」
虎千代の目にも、すでに先の戦局しか映っていないようだ。ライフルを持った兵士たちに真っ向斬り込んでいく二人にしてみれば、いざとなれば死ぬ覚悟を決めると言う点では、どんな兵器を前にしても同じことらしい。
「その意気でござる。だが、修羅場まではまだ遠いゆえご自愛召されよ」
闇の中、遠い爆炎に顔を照らされた信玄は苦笑する。
「言うまでもなく、これは長丁場になる。体力の温存にだけは、各自責任を持って行動してほしい」
信玄の言う通り、ここから先は戦闘ではなく、避難行動が主になった。雪山では移動するだけで体力を消耗するが、逃げると言う行為はそれだけで、心理的な消耗を強いる。どこまで拡大するか分からない戦火から遠ざかるわけで、ある意味終点のない逃亡を強いられているような錯覚にすら陥る。
「しょぼくれた顔しないのよ。あたしたちは負けたわけじゃないんだから」
信玄といい、真紗さんも、僕たちの士気を下げぬよう、ところどころ気遣いをしてくれている。
「そうだぜ。兵隊ってのは移動が主なんだ。満州じゃこうやってよく山道を歩いたぜ。敵を探して、敵から逃げて。気合と根性がねえやつから、死んでいくんだよ」
大きな荷物を背負った廣杉が、叱咤する。古豪の関東軍の兵士が従軍していることは、雪まみれの山野を彷徨する僕たちにとっては心強い要素である。
「食事は歩きながら摂れよ。焚火は起こせねえんだ。手足の感覚にがなくなってきたら言え。凍傷になったら、戦うどころじゃねえからな」
ところで僕たちが抱える問題の一つである、非戦闘員たちの避難は、すでに手配済みだと言う。夜明けを待たず彼らは引き揚げ、別動隊がこれを守っていた。黒姫や玲、ラウラはこちらへ行っているらしい。最も敵に発見されてはいけないのが、この先発隊であった。
「残るわたしたちが、囮になるわけですな?」
「半分正解と言うところですな」
虎千代の質問に、信玄は苦笑して応える。
「常の陽動作戦なれば、我らは陽動と言うことになるが、実際は私たちも見つかってはならぬ陰の部隊なのでござる」
ゲリラ戦を展開する僕たちも、攻撃の痕跡を遺しながらも決して敵に発見されてはならない。まさにそれが、この作戦の至難な点である。
二時間後、奥深い谷のような場所で、僕たち攻撃に回る部隊は顔を合わせた。ここならば、湯を沸かすくらいは平気である。
「火は使わなくてもいいのよね?」
真紗さんが当たり前のように水のたっぷり入った大釜を沸かすように、僕に言ってくる。確かに炎の鬼子の力を使えば可能だ。なんだか湯沸かし器になった気分だった。便利な家電扱いはやめてほしい。
「各自、沸かした湯で暖を取ったら部隊ごとに分かれてくれ。…それぞれに細かい指示がある」
信玄は言い出した。なんと、少数の攻撃隊をさらに割ろうと言うのである。
「これは禁じ手だ。危険だと言った意味が分かったろう」
信玄は地図を出して説明する。どうやら僕たちはここでさらに二手に分かれて、同時作戦を決行する。これが一か八かの乾坤一擲になる、と言う。
「まず私と真紗は、黒姫殿たちと手勢を率いてこの軍道の地点に留まる。目的は、今、基地を攻撃している重火器兵器の簒奪だ」
信玄は月島京子の遺した人たちの中から、すでに砲兵経験者を選出していた。この人たちならば奪取した高射砲塔をはじめとした野戦兵器の取り扱いが出来るだろう。
「指揮官たちは私たちが暗殺する。そのあと、部隊の指揮は彼にとってもらう」
と、信玄は廣杉を見た。つまりこちらは今、彼我の差が出てしまっている兵力を逆転するための急襲作戦を決行するようだ。
「司令部を抑えても、これらの重火器兵器が沈黙していない限りは、戦況は好転しないからね。こちらが成功すれば、君たちの後詰(応援)にもなろう」
信玄は朱筆を司令部に向かって真っすぐ引いた。信玄たちは兵器を奪取後、正面突破を狙って攻撃をかけるつもりでいるのだろう。
「だが言うまでもなく、それまで君たちは単独で動いてもらう。全滅の危機に瀕しても、私たちは見捨てるしかない」
「委細承知でござる」
湯で温めた手ぬぐいで、両手を包んでいた虎千代は即答した。
「そのために覚悟のある連中を択んで下されたのだから」
こちらは虎千代を筆頭に、僕、ミケルに、麟美、火舜と長、と言う馬賊組と言う、白兵の手練中心で構成だ。
「…されど本拠へ挑むには、火器が足りなかろう。一人、加勢をつかまつる」
と、信玄は言った。誰かと思ったら、全身兵器で固めたやる気満々の信長である。
「何を言うとりゃあすか!わしが最後の一人ではにゃあ、一番槍だでや。この信長がありがたくも水先案内を務めるゆえ、どいつも、畏まってついてくるがええでや!」
「お前、道分かってるの?」
極秘作戦なのに騒がしい奴が、まさかくっついてきた。
「当たり前だでや!お前たちが囮になっているうちに、この信長はすでに本陣に到達しておる。営倉(軍隊の保管庫)に入り込んでつまみ食いまでしてやったわ!」
僕はさすがに呆れた。昨日、姿を見ないと思ったら、そんなことまでしていたのか。
「織田のいたずら小僧め、道案内に抜かりはないな?」
虎千代が笑いをこらえつつ聞くと、信長は目を剥いた。
「問われるまでもにゃあわ!奇襲こそ、この信長が得手だでや!」
言われてみれば確かにそうだけど、こっちの信長は、まだまだ少年だ。桶狭間やってない癖に。
つかの間の暖を取ると、僕たちは移動した。ここから先は、一刻の猶予もない。攻撃した基地内がもぬけの殻と知られれば、前線部隊は僕たちの作戦意図を察知するかも知れないのである。
「一番近道を行くでや!真人、崖から転がり落ちるでにゃあぞッ!」
なぜか信長、僕の肩だけをどやしつけていく。
それもそのはず、信長が択んだルートは、さっきの道とは比べ物にならない。虎千代たち身軽な連中や満州の奥地に慣れた馬賊たちですら、一瞬身構えるような断崖コースである。
「遅れるなよ、大将ッ」
いつもは手を貸してくれるミケルも、僕に構っている暇はない。たとえば目の前は鬱蒼と茂る熊笹の斜面だ。そこをまっしぐら、高速で駆け下っていく。ほんの一瞬の油断で味方の姿すらも見失ってしまいそうだ。
「陽が昇り切る前に行け!されば奇襲は功を奏さぬで」
三八式歩兵銃を構えた信長を先頭に、モーゼルとコルトで武装した麟美が後衛する。熊笹の茂みを通り抜けた僕たちは、冷たい土砂降りの雨を浴びたようにびしょ濡れだ。
「身を下げ、頭を低くせよ。そろそろ、人の気配がする」
と、虎千代が言った瞬間だ。樫の大木を背にした信長が、げえっ、と場違いな声を漏らす。
「こっ、こら!なんだよ急に!」
「静かにせえ。気が散るでかんわっ」
信長は声を抑えて僕を叱りつけると、傍らの虎千代に目配せをした。
「嫌な予感がするでや。…そう言えば、おのれには判るな?」
「だが、ここで退くわけにはいくまい」
虎千代は刀の目釘を雪で湿らせると、僕を見た。
「白豹めが待っている」
「えっ」
言われて僕は、察気術を行った。まだ敵がこちらに気づく気配はない。
「奴らもさるものよ。まんまと我ら、おびき出された」
虎千代が言うが早いかだ。熊笹の中で、一気に気配が増えた。なんとここまで気づくことが出来なかった。狐狩たちは野生動物のように、息を潜めていたのである。彼らはすでに僕たちを包囲していたのだ。
「笹に隠れよッ這いつくばれッ」
虎千代の声は、火薬の破裂音にかき消された。
一斉に筒を揃えた小銃の銃声が轟き渡る。




