性質の違う使い手、対中国刀!
熊皮の双剣は、あくまで虎千代と相対したいらしい。長刀の男にミケルを任せ、静々とそこへ立ちはだかる。
「なるほど、預けた勝負をつけにきたと言うわけだな」
虎千代は、長刀の鯉口をくつろげる。だが抜刀はせず、対手の様子を見守るだけだ。
「悪いが急ぐ。存分に稽古をつけてもらいたいと言うなら、他日を期した方が良いぞ」
露骨な挑発にも、熊皮は反応を見せることはない。ただ携えた双剣を、両翼のように拡げて、構えるだけだ。虎千代はそれでも抜かない。
「霧が晴れる前に、決着をつけるぞ。…準備はいいな?」
虎千代は傍らのミケルに、話しかけた。
「おれは、遊ぶ気はない。…先に済ませて、待ってるぜ。もたもたしてたら、妹にどやされる」
ミケルに相対しているのは、大きく湾曲した長刀使いである。中国槍を制して、長柄の相手は慣れっこになっているとは言え、その技前は未知数だ。剣は片刃で、その拵えは日本の大太刀に酷似しているが、刀身は細く、反りの深さは刀と言うよりは、長弓のようにすら見える。
「おいあんた、こっちはさっさと済ませようじゃないか」
ミケルはエスパーダを抜いた。なんのてらいもない。ごくシンプルに、真っ向勝負を挑む肚だ。相手もそれを察したのか、深く腰を落として大太刀の鯉口をくつろげる。
(…本当に日本刀みたいだな)
ミケルは訝った。だがあの剣、どれほどの速さで振れるものだろうか。
(試してみるしかない、か)
躊躇は、一瞬である。ミケルは遠慮なく仕掛けた。
ミケルはみるみるうちに、間合いを詰める。だがかなりの間合いへ入っても、相手は泰山のように動かない。
(まだ振らないのか)
大太刀での一撃必殺によほど自信を持っていると見える。肉を切らせて骨を断つ、とでも言う気か、ミケルのエスパーダが目前で閃いても、男は、瞳の色すら動かさない。
一気に決着をつける、と言った通り、ミケルは正面きって心臓を狙う。
しかし刹那、その足が停まった。
ついに男の腰から、長刀が抜き放たれたのである。
(速い)
ミケルは、日本刀の間合いとタイミングを想定していた。虎千代が振るう太刀の剣線に、ミケルは慣れ切っていたのだから、当然だ。だが、日本刀に似ているようで、やはり大陸刀、その性質は、決定的に異なる。
「ちっ」
腰間からほとばしる斬り上げを、ミケルはすんでで外した。と、ここまでは、虎千代がやる抜刀の居合と同じである。しかし振り上げた一閃が次の瞬間、恐ろしい速さで旋回してきたのだ。抜刀術にも返しの振り下ろしがあるが、それよりも速くスムーズだ。これほど長大な刀な見た目にして、想像もつかない小回りの良さだ。
そもそも長大な武器の得手は、懐の深さである。その間合いの広さに反比例して、超接近してくる相手には小回りが利かないと言う欠点がある。槍は押し引きの緩急を使ってその欠点を埋めるが、斬り薙ぐ武器は、それが出来ない。斬る、と言う動作には、それだけ間合いがいるのである。接近武器を持ったミケルにしてみれば、そこが付け目のはずであった。
しかし、抜刀術からつなげての、剣戟は止まない。返しの振り下ろしまでミケルが回避したと見るや、男はくるりと手首をひねり返して追撃してきた。ミケルの真骨頂、手首のスナップを利かせた速突きである。変幻自在の刺突をかわすだけでミケルは、精一杯だった。ここは間合いを離れるしかない。
地を蹴って大きくバックステップした。
そのとっさの判断が、明暗を分けたと言って良かった。
変幻自在の刺突から、男は大きく身を反転させ、大胆にステップインして蹴り込んできたのだ。大陸拳法由来の、鞭のようにしなる蹴りである。ミドルから顔面を狙って蹴りあがる絶妙な蹴りを、後退しなかったらミケルはまともに喰らっていただろう。
この寒さでミケルの額に、冷や汗が垂れた。
ミケルにしては、珍しいことだった。
小回りの速さと反射神経で翻弄するはずが、逆に同じ得手でいなされ、手も足も出ずに後退するしかなかったのだ。
(あれだけ大口叩いといて、かっこ悪いぜ)
気づくと、前髪が斬り飛ばされている。右目の横や左腕の袖口にも軽い裂傷を負っていた。最後の蹴りをかわせたのは幸運にしても普通の人間ならば、あれだけの攻勢をこの程度の傷でしのいだのは奇跡、と言うべきだが、ミケルにしてみれば、沽券に関わる事態だ。
(…油断した)
遠目で見ると、その原因が判る。なんとあの得物は、もともと片手で使う武器なのである。
証拠に、柄が短い。あれでは両手で握れない。柄頭についている紐飾りを手首に絡めて、使う仕組みになっているのである。だがそれだけでは小回りの良さは説明できない。一見日本刀と同じ片刃だが、あの細身の刃にも工夫がしてあるはずなのだ。
恐らく重心を工夫して、遠心力で扱うのだ。手首のスナップが利くのは、そのせいなのだ。どっしりと腰を据えて、低重心で斬る日本刀とは異なり、その本質はミケルのエスパーダと同じなのである。
「いい武器だ」
素直に、ミケルは相手の得物を誉めた。油断を誘おうとか、特に戦略があったわけでもない。今の攻防で自分の技前にも通じる、相手の技量の深さが分かったからである。
「苗刀」
ぐるりと刀身を翻して、男は誇らしげに柄頭を叩いた。それが武器の名前なのだろう。実に理に適った武器と術だ。
「なるほど、世界は広いぜ」
ミケルは態勢を取り直すと、自分の得物を拳で叩いて見せた。
「エスパーダ。おれの得物だ。…どうやらあんたからは、学ぶものが多そうだ」
対し、こちらは虎千代である。
熊皮の猛攻を、虎千代は身体のこなしだけで切り抜ける。どこか伸びやかな苗刀の男の大陸武術と異なり、双剣術のかなめは怒涛の連撃である。豪雨のように降りしきる刃の嵐を、虎千代は傷ひとつなく、かわしきる。スピードで攻める相手に対して、虎千代は見事なほどに体を動かさない。その間合いも剣線も、虎千代はすべて把握してしまったかのようだ。
「なるほど、日ノ本の剣とはこうも違うか。だが心地よき拍子よ」
熊皮の双剣も苗刀の男と同じ、いわゆる重心を載せきらない手打ちである。その手数も、攻撃の種類も、本来、両手で取り扱う虎千代の剣ははるか及ばないはずなのだが、かすりもしない。
「もうよいか。…もはやお主の技前を楽しんでいる猶予はない。あちらも思ったより、愉しんでいるようなのでな」
虎千代は、ミケルたちの方へ視線を配る。早めに終わらせる、とミケルは言っていたが、この熊皮の双剣よりも、苗刀の男の方が出来る物腰なのを、虎千代は一瞬で見切っていた。
「やめるなら今のうちぞ」
虎千代が抜いたのは長剣ではなく、脇差の方だった。刹那、熊皮が怒りの声を上げた。どこまで侮るのか、と言っているのだろう。だが虎千代にしてみれば、手っ取り早い方法を選んだだけだった。一尺九寸の脇差は、熊皮の双剣の間合いと回転の良さに合わせている。だが問題は、二本の剣のあれだけの手数を、たった一本の脇差で受けて立てるかどうかだった。
しかし短い脇差の切っ先を突きつけるようにして、半身に立った虎千代の刃圏からは、ただならぬ気が立ち上っている。直接相対したものならば、分かるはずだった。たとえ小柄一本持ったとしても、虎千代の間合いを侵すには、決死の覚悟がいると言うことを。
「唖唖ッ!」
一閃、叩きつけた片方の剣に合わせて虎千代は脇差を斬りつけた。するとどんな工夫をしたものか、熊皮の手からは剣が弾き飛ばされる。狼狽したまま熊皮は左手の剣で、追撃を狙おうとした。だがそれよりも速く踏み込んだ虎千代は、熊皮の顔面を真っ向、斬り上げた。
刃風を顔に浴びて、熊皮が後退する。その刹那、獣皮が剥がれた。
「やはりか」
虎千代はうすうす、感づいていたようだ。
熊皮の正体は、虎千代と同じ年頃の少女である。
「退くがいい」
と、虎千代は切っ先を擬しつつ言った。
「別に死に急ぐ身の上でもあるまい」




