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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.5 ~京洛陰謀、煉介さんの秘密、武士の生きざま
33/592

判明した陰謀!虎千代と越後を狙う黒幕とは!?

重苦しい話になる。そんなことは覚悟はしているつもりだった。

僕と鬼小島は虎千代と黒姫に連れられて、座敷にのぼった。そこには新兵衛さんとこのえが真剣な面持ちで何かを話している。

「あうう、ひしゃしいですな、真人様。絢奈殿が心配しておりましたじょ」

ちょこちょこ、このえは歩いきて声を上げる。

「はっ、ま、まさか姫さま、もしやこのお方にもあのお話を」

このえは幼い顔に緊張の色を走らせて、僕を睨む。

「そもそも隠すことではない。弥太、お前にもきちんと話しておくべきことだったのだが、我にも、それなりの覚悟が要ってな」

そう言う虎千代の表情にも、ここ数日にちらちらと現れた優れないものがはっきりと見える。

「と、言うとやはり挙兵の相談ですかい。京都のことも一段落したし、ここは一発、京洛で兵を掻き集めて晴景公のいる越後、春日山城まで一気に攻め込んじゃ」

逸る鬼小島を虎千代はやんわりと目で抑えて、

「土中で死んでいた女、やはり我が長尾家に縁深い出のものであった。国元のことに関わることゆえ、裏を取ってもらうのに黒姫や新兵衛にそれなりの労を取らせたが、その甲斐はあった」

新兵衛さん、黒姫はじめ、そこには虎千代の決断を待っていた者たちの目があった。虎千代は彼らと一渡り視線を交わすと、意を決したように、

「お蔭で真の敵の何たるかが分かった」

「真の敵だって?」

ざわついたのは、僕と鬼小島だけだった。

「いったい何の話ですかい、お嬢っ」

鬼小島が納得がいかないらしく、真っ先に声を上げる。

「お嬢を狙ってたのは当然、越後から晴景公の命令があってことのはずじゃあ」

「真人、我らが初めのでいとの時に、刺客に襲われたことは憶えておろうな。例の、割符をもった剣客じゃ」

「う、うん。でもさ確か、あれってこのえの話じゃ、国元から命令を受けて雇われた暗殺者だってことだっただろ?あの割符って言うのがその証のようなものだって」

「そうじゃ。その割符が曲者なのだ。黒姫、おぬしが刺客を頼むとして、忍びのものなれば割符をどのようなときに使うか?」

「そうですねえ。外部から、まったく我々と関わりのない人間を雇うときに使いますですが。上手くいけばそれはそれでよし、用済みになれば使い捨てることを考えてです。でも本当ならわたくしたちはあまり割符は使いませんです。持っているのを知られること自体が命取りですから。合言葉や催眠、記憶術を使って身体に叩き込むのが常です。わたくしたち忍びは、文字通り身体に訊かれても死ぬまで、しらを切らなきゃですからねえ」

「よく訓練された仕手とはそう言うものよ。ましてや、ことは外に漏れては長尾家の家名に傷がつくやもしれぬ密殺だ。確実に、しかも隠密裏にことを運ぶならば、割符を使って仕事をする連中などを雇ったりはせぬ。黒姫の言うようなものたちを使う方が心配事が少なくて済むであろう」

「ふうむ、姫さまの言われること、正鵠かも知れないです。そう言えばこのえたちが見つけた暗殺者は検分役も含めて、越後とはそもそも関わりのなきものと後で分かったのです。刺客から身元が割れぬよう、注意を払ってのことと最初は思ったのですが、そのように考えるとやはり、不自然に思えてきましゅです」

「確かにこの暗殺者も含めて、虎さまに面識がある人物がいないというのは、杜撰すぎますねえ。本当に面識のあるものが加わらない限り人違いも十分考えられますし、雇われ者はそもそも依頼遂行をでっち上げる可能性だってありますですし」

と、このえの意見に黒姫もそれに和す。確かにあのときは、実の妹を暗殺しているのがばれないよう、割符を使ってまったく足がつかない人物を暗殺者として雇ったのだと思ったのだが、それはよく考えてみたら不自然だ。写真や映像データがある現代と違ってこの時代に、しかも広い京都で面識のない人間が虎千代を識別すること自体、困難なことなのだ。また、雇われ者を使えば報酬欲しさに偽者を殺して仕事をでっち上げることだって、考えられる。

「そして第二が、あの明人の屋台での、襲撃じゃ。あやつらは完全に現地で雇われただけ、まったき金ずくの暗殺者どもよ。恐らくは京中にそうした者共を手配しておるのやも知れぬが、これもまた野放図な差し金としか言いようがあるまい。まるでこちらにつまらぬ警戒を促しているだけのようじゃ」

と、そこまで話すと虎千代は小さく息をついて一同を眺め渡した。

「さて肝腎の第三の刺客だが、これはまた趣が違った。なんと、我を真に思い恨む者の犯行と言うのだ」

虎千代の言葉に僕は、あの恐ろしい呪いを行じた女の人の異様な死に顔を思い出した。

「金ずくの殺し屋から一変、恨みを持つ女。しかも直接に命を狙うのではなく、我らが心の間隙を見透かしたかのように、幻術をもって、我らを誑かそうとしてきた。妙とは思わぬか。我らを呪い殺そうと思うなればもっと恐ろしい幻覚を見せることも出来たはずじゃ。それが何故むざむざ兄が軍勢を見せ我を失望に誘うような幻を見せたのか」

と、虎千代は言葉を切り、また重苦しい声を吐いた。

「兄への憎悪を高ぶらせるためよ。我が悩乱し、お前らを率い、兄・晴景に骨肉の争いを強いるがため。すべては野に隠れた我を謀反の大罪人に仕立てんがための鬼の一手。まさによく仕込まれた大詐術よ」

「虎千代を挙兵させるため・・・・?」

つまりは自分から兄に挑ませるように仕向けるため。肉親骨肉の争いを越後に起こし、虎千代を実の兄に謀反を起こした大罪人に仕立てるため?

「で、でもそれってやっぱり晴景公の仕業じゃないのか。虎千代を挙兵させて謀反人にさえ仕立てられば、得をするのはお兄さんじゃないの?」

「我が謀反を起こして兄が得をすると思うか」

むしろ、きっぱりと虎千代は言った。

「兄とて身を以って知っている。父の死以来、おのれの周囲がどのように変わったのかもな。我らを利用しようとするもの、あわよくば滅ぼそうとするもの、幼き頃より命を狙われていれば自然と見分けはつくようになる。それに長尾の家を利用して身代を肥やそうと言うものなら、このように回りくどい手を使って我に挙兵を促したりはせぬさ。道按の奴めがはからずも申しておったであろう。あやつめ、かまをかけるまでもなく語るに落ちたわ。陰謀の黒幕は長尾家にただ、骨肉の争いを起こさせたき、純粋な憎悪だけを抱くものだと言うことよ」

純粋な憎悪。凄まじい言葉を口にすると虎千代は、黒姫に合図を促した。恐らく、虎千代の命を受けて調べをつけたのは女の正体だ。どさりと広げられた調書には、楷書の細かい文字で何かが描かれている。

「まさかこれは・・・・・」

このえと新兵衛さんは真剣な顔つきで、それをはぐっている。

すると、果たしてあの呪われた刺青を顔中に施した女の似顔がそこにある。虎千代は大きく息をついて言った。

「墓穴で死んでいた女の身元じゃ。この娘、弥彦山の(そま)(木こりのこと)に匿われる以前は、黒滝城におった」

「黒滝・・・・・」

はっと、全員が息を呑むのが分かった。黒滝城、そう黒滝の大いくさのことだ。その名がついに出た。鬼小島が、絶対に虎千代の前で口にするなと言っていた、禁断のいくさだった。

「景虎様・・・・・つまりはこの女」

と、やがて新兵衛さんは深刻な声音で言った。

「あの黒田和泉守秀忠くろだいずみのかみひでただが縁者、と言うことでござりまするか」

「ああ、陣中、検分の際に見届けた記憶がある。恐らくは黒田の血族であろう」

「黒田、秀忠・・・・・・」

僕は頭の中で、上杉謙信に関係する人たちの名前を思い浮かべた。が、敵でも味方でもなかなか、それに思い当たるものはない。僕が難しい顔をして置いてけぼりになりかけているのを察したのか、新兵衛さんがとりなすように言った。

「真人殿、この黒田和泉守なるは亡き為景公よりの股肱の家臣でござってな。もと、胎田常陸之介(たいだひたちのすけ)と言うものが為景様の侍大将を仰せつかっておりましたのだが、その子で、早くからその秀才を見込まれておりました、為景公が目をおかけになって多年、取り立ててこられた長尾家の腹心でござりましたが為景公が亡くなられるとにわかに変節」

「その話はよく訊いてるぜ。為景公は、その黒田を若い頃からかわいがって、最後には名門の黒田家の名跡を継がせてやるまでに至ったんだと。黒田家といや、長尾家の主家、上杉家の重臣にあたる名家なんだがよ」

珍しく鬼小島が、話を補足する。

つまりは話をまとめると黒田秀忠と言うのは、虎千代のお父さんの代から可愛がられてきた生え抜きのエリートだったと言うことだ。それにしても名家の名跡を優れたものに継がせる、と言うのは当時本当に、破格の待遇でそう言えば、景勝の片腕として有名な直江兼続(なおえかねつぐ)も元は他家の人で余りに優秀だったので、謙信自らが直江家の跡継ぎに抜擢したのだ。

そんな重臣が謀反を起こすとは、まず到底考えられない。

「しかし、また、わかんねえぜ。そんな野郎がなんで裏切りやがったのか」

「黒田の実家、胎田の家は、元は越前朝倉家の家人にて、罪人の汚名を被り放逐されたものにござる。黒田秀忠の心にあわよくば長尾にとって代わらんとする意志が為景公の下で育っていったとしても不思議はありませぬ」

「黒田は何を思ったか、春日山城を突如襲って謀反の旗印を上げた。我は兵を整え、栃尾から弥彦にあるあやつの居城、黒滝城を攻めて叛乱を鎮めた。それが昨年(天文十四年、一五四五年)の秋、十月のことであった」

どこか影のある表情で、虎千代は述懐した。

「虎さまの活躍で、謀反は数日中のうちに片がついたのですよ。黒田はあっさり降服したです。黒田の命乞いを、虎さまは受け入れ、奴めを赦したのですよ。さすがは虎さまですよお」

と言う黒姫以外はなぜか顔色を変え、苦いものを飲んだような表情で押し黙っている。まるで本能寺の変のような、股肱の家臣のまさかの裏切り、本拠地を襲った叛乱事件を苦もなく虎千代は解決したのだ。それには、なんの問題もないように思える。

「しかし問題はそこからでござった」

と、新兵衛さんが言った。

「その景虎様のお気持ちを踏みにじるかのように、黒田は今一度反旗を翻したのでござる。やむなく、景虎様は黒滝城を攻め、この冬、見事落城せしめ申した」

「あやつめにはまず、腹を切ってもらうしかあるまいと思うたのだ」

と、虎千代は目を閉じて小さく息をついた。

「しかし黒田の申し入れは、ひどく厚かましいものでござった。一族郎党、城を引き払い、おのれ一人は坊主になって流寓するゆえ、泣く泣く一命を賜れとの武士の恥を棄てた、まさかの助命の嘆願。さすがの景虎様もこれにはお怒りになられた」

「・・・・で、どうなったの?」

恐る恐る僕は聞いた。ちらりと虎千代を見ると、僕の様子を見るように虎千代はこっちを見返してきた。そしてやがて口にするのも心苦しいと言う口調で虎千代は、

「城内根切り、皆殺しにせよ、と下知した。黒田の一族縁者、雑兵、雑仕女、年端のいかぬ子供に至るまで引き出してその場で斬り捨てたのよ。むごいことをした。・・・・斬り落としたばかりの女子の化粧首の瞳の色、年端もいかぬ童や赤子の悲鳴、今でも思い返す」

城内皆殺し。恐ろしく苛烈な処置だ。虎千代の性格から言って、彼女はただ命令を与えただけでなく、その一切を見届けたに違いない。沈んだ表情に暗くほのめかされた救いのない虎千代の苦痛に、僕は言葉もなかった。

「忍人非道の措置であった。弁解はせぬ」

やっとそれだけを言った虎千代の顔を、僕はしばし見ることが出来なかった。封印したい過去を僕の前でやっと話してくれたのだ。でも、僕にはそれにどうやって応えてあげればいいのか判らなかった。虎千代もそれを察していてあえて話すことに踏み切ってくれたのだろう。どこかいたたまれない、申し訳ない気持ちを胸に抱えながら僕も虎千代とうつむいているしかなかった。しばし、不気味な静寂が座を支配した。

「おいっ、誤解すんなよ、小僧」

鬼小島が重苦しい沈黙を破るように、僕に言った。

「胸糞悪いって言ったのはなあ、お嬢のことじゃねえぞ。てめえ一人が死ねば、他の人間は助かったってのに、浅ましくも命乞いをしやがった黒田のことだ。武士として、お嬢が赦せねえのも当然のことなんだよ。ねえ、お嬢」

ちらり、と、鬼小島を見た後、僕と視線が合いそうになって虎千代はなぜかやましそうに目を伏せた。

「・・・・・私情がなかったかと言えば、それは嘘になる」

「真人殿、春日山城にて、黒田が蜂起した際、景虎様は兄君を殺されてござる」

はっ、と、僕は新兵衛さんを見返した。そう言えば虎千代自身の口から訊いたことがあった。そう。虎千代のお兄さんは二人、一人は殺されたのだと。

「次兄の景康(かげやす)様は、十八歳年上の晴景公と異なり、景虎様と年も近く、なにくれとのう、世話をしてくれた方でござる。黒田秀忠一味が城内にて刃を抜き連れた折も、景虎様を床下に隠し、おのれ一人、太刀をふるって討ち死にのご顛末」

「兄に、我は助けられた。栃尾城からの救援も景康兄が手配してくれたゆえ、返す刀で黒滝城を叩けたのよ。いわば景康兄に命を救われ、功名まで拾ったようなもの」

「ともかくそうした下知がおありになり、黒滝は無人の屍の野になった、はずだったのですよ。黒田の血縁者は残らず死に絶え、禍根は残らなかったと。しかしどうも、一族の主だったものはいち早く城を抜け出していたようなんですよ。今思えばあの場、白洲に引き出された黒田秀忠以下数名はそっくり影武者と入れ替わっていたのではないでしょうか。まさに愕くべき話、なのですがねえ」

「黒田は美男の評判高く、父、為景の小姓の頃から、特徴的な顔立ちであったはずなのだが」

実際に処刑を検分したと言う虎千代は訝しげに眉をひそめる。

「弥彦山を見張る軒猿衆から、昨年秋の黒田の内乱が起きて以来、不可思議な修験者の一味が庵を結ぶようになったとの報せがありましてねえ。その一味、怪しげな薬草を煮炊きし、夜通し不気味な荒行をおこなっていたと言うことなのですよ。修験者は下界で罪を犯して逃げてきたものも多いので詮索は無用の掟があるのですが、山には姿かたちはおろか、声まで変えてしまう薬草調合の秘伝がありましてねえ。わたくしが察するに黒田のものどもは、早いうちから替え玉を造り上げ、復讐に奔走するべく計画を練っていた。影武者との入替は天文十四年の秋から翌年の冬にかけて行われた。これに間違いないです」

「つまり二度目の謀反はもともと失敗を見越してのこと、と言うことか?」

こくり、と黒姫は頷いた。

「あの娘、もともとは黒滝城で見棄てられるところを、辛くも城を脱したもののようです。弥彦山で運良く、黒田の一味と合流することできたのでしょうねえ。まあそれが本当に幸運であったのかは別としてですが。しかし、唯一の誤算だったのは虎さまがその娘の顔を憶えていたことでしょうか」

「ああ、それに気づかねば黒田の策略に危うく乗るところであった。あやつめの目的はただ念入りに長尾の家を破壊することよ。名を棄て、顔を棄て、我を追って京へ来たは、怨霊よ。野洲細川家から、あやつめの影を炙り出さねばならぬ。それが出来ぬうちは、我は京を去れぬのだ」

虎千代の声は強かったが、暗く、重かった。


まさに苦渋に満ちた、虎千代の告白だった。

黒滝城での非道は、戦国大名としての虎千代が必然に迫られた措置であって、間違いではあるとは言い切れない。城内皆殺しの措置には、見せしめの意味合いもある。他の戦国大名もそうだがこれ以上の無用の争いを避けるためにあえて踏み切るのだ。覇道を通ることのできる戦国大名だけが潜り抜けねばならない道なのかもしれない。しかし虎千代の心に深い影を落とした事件であることは疑うべくもない。

過去からの贈り物だよ。

暮坪道按が意味ありげに残した棄て台詞が、僕の心にも焼きついて離れない。虎千代はそれをどんな思いで訊いただろうか。あいつはいつも、忌まわしい過去でも忘れ去ったりはしない、そんな人間なのに。

僕はいつか虎千代が発した、殺気とも言えない凄みのある気配のことを思い出した。あれは無数の魂を負い、屍の上に立つ戦国大名として虎千代の身体に備わったものなのだ。誰かが上杉謙信を越後の龍、と称したが、それはまるでちっぽけな人の命など軽く一呑みしてしまいそうな巨大な怪物に等しい。

そんな途方もないものを飼い慣らし、自分の中で御することなど、ほとんどの人間には不可能に違いない。僕には想像もつきそうにない。でも虎千代はそれをしている。必死で己を律しながらも。天に与えられた才能?万人に一人の、選ばれた人間?そんな言葉など、まるで陳腐に思える。それほどに。

「真人しゃま、あれはたぶん姫さまがあなたに一番知って欲しくなかったことですよ。でもあえてお話しすることを決めた、その意味、察して頂けましゅな」

そのとき、僕はこのえの言葉に堂々と頷くことは出来なかった。

たぶんきちんと、虎千代のことを僕はまだ知れていないから。上杉謙信のこととして、知っているつもりのことも、目の前にいる虎千代自身のことも、まだまだ。

そう、でも、まだ、なのだ。


「やはり気分を悪くしたか」

しばらくして、やっぱり心配そうに虎千代が訊いてきた。

「そんなことないよ」

突然降ってきた虎千代の言葉に思わず突き返すように、僕は言ってしまった。言ってから後悔した。なんだか嘘くさく聞こえてしまったからだ。案の定、虎千代は苦い気持ちを噛み殺すかのように、顔に苦笑を浮かべた。

「隠すつもりはなかった。いや、隠したくなかった、と言うのがわざわざ話をした、率直な気持ちだった。いかにもむごい話じゃ、心持が苦しくなったのなら謝る」

「謝ることないと、思うよ。むしろ隠されてた方が、気分が悪かったし。ここ何日かずっとわかんなかったから。虎千代がなにを悩んでたのか、どうやって考えてるのか、どう感じてるのか。・・・・・確かに僕に話したところで、あまり役には立てないかもしれないけどだけど、力にはなりたいとは思ってたし」

「そうか」

ふっ、と虎千代は微笑んだ。それは少しほっとした笑みにも見えた。

「今でもこれでよかったのかと惑うことが多いのだ。大名識の傲慢さをもって、我は私憤を晴らしただけではないか、とな」

「ううん、そのこと、僕も・・・・一応、僕なりには考えてはみたんだけど」

と、僕は躊躇しながらも、思ったことを言った。

「こんなこと言うのは、いけないことなのかも知れないんだけど、僕は悪くはない、とは思うんだ。殺された、虎千代のお兄さんは・・・・・虎千代の大切な人だったんだろ。虎千代はどうしても、その人の無念を晴らしたかった。それでいいと思う。虎千代にだって、虎千代だけの気持ちがあるはずだろ。それだって大切な、はずだろ」

僕は深い色をたたえた、虎千代の瞳を見つめ続けながら話をつないだ。

「前にも言ったことかも知れないけど、虎千代だって普通の、僕らと同じ、十七歳の女の子だろ。そんな、神様みたいに振舞う必要なんてないと思うよ。大名だって、人間がすることなんだしさ」

言葉が途切れてぽつん、と僕の言ったことがそこに取り残されたように、僕には感じられた。虎千代はまだ暗い顔のまま、うつむいていたがやがて小さく息を吸って、

「景康兄にも昔、似たようなことを言われた。そう詰まらぬ肩肘を張るな、とな。父に逆らうて武士になると、あまりにわたしが片意地なゆえ」

今度こそ、虎千代は声を漏らして笑った。それは心底、力を抜いた笑いだった。

「しかし、お前は優しいな。ついつい、こうして甘えてしまう」

隣に座られてふんわりと、虎千代が香った。暑さのせいか最近、虎千代は頻繁にお風呂に入る。あれからこのえたちと話を済ませた後も湯を浴びたようだ。桃の葉の薬湯の匂いなのだが、虎千代がまとうと深い山の石清水に濡れた山百合の蕾が朝、香るようなひんやりと甘いひめやかな匂いになる。

「黒田和泉とは二度相対している。三度目なれば、己を律せる自信がなかった。お前がいなくば、わたしの心はまた闇に落ちて戻れなくなったかも知れぬ」

ぽそっ、と虎千代は頭を寄せて自然に寄り添ってくる。

うう、しかし、ポニーテールをおろした洗い髪のまま、そっ、と肩に頭を乗せられると、本当にどきっとするのだ。ああ、そう言えばなんだかなしくずしだけど、最近ごく自然にそんな仕草をしてくるようになってきた。そんな仲か、いやいや、全然いやじゃないけど、まずいまずいと思いながら進んで深みにはまってないか、最近の僕。

「そうじゃ、このえが絢奈と真菜瀬から我らに届け物があると言うたのだが」

ふと、気づいたように虎千代が言う。そう言えばちらりと小耳に挟んだな。何を送ってきたのか分からないけど、あんまりいい予感はしない。思わず座敷の奥を見るとそこに見慣れないつづらが一つ、置かれている。

「あっ、ああ、そう言えばこのえちゃんがそこに置いていったよね。・・・・・何が入ってるんだろ?」

「うむ、なにやら流行の装束のようなのだが」

僕と虎千代はつづらを引き出すと、恐る恐る中を開けてみた。そして唖然とした。

「はっ」

まず出てきたのは、ひらひらと薄い布で作った下着の上下のようなもの。もちろんのこと、女性用のようだ。ほとんど紐のような構成のそれにはご丁寧に虎柄が染め抜かれて辛うじてその布の薄さで中身が透けることを防いでいる。誰をイメージして作ったのかは、それでなんとなく分かる。けどこれはやりすぎだろ。危ない上下のセットには、他に綿を入れて編まれた虎耳や尻尾のようなものまでついていたのだから。

「むっ、むむ・・・・こ、これは・・・・・」

さすがの虎千代も顔を真っ赤にして、言葉を喪っている。たぶん自分がこの獣耳と尻尾をつけてこの下着にもならないようなこの、危険な衣装をつけている姿を想像したのだろう。うう、もし虎千代がこれを着てくれたら。ああっ、いや、僕は断じてそんなこと考えないぞ。本人を前にして、そんあ、危険な想像なんかしてない。

はっ、と気がつくと、虎千代と目が合った。

「と、虎千代、これはさ・・・・あの」

自分と同じ想像を、僕もしたと思ったのだろう。涙目のまま、虎千代はしばらく僕を見つめていたが、やがて意を決したように帯に手を当てて、

「おっ、お前が見たいと言うなら、わっ、わたしは着るっ」

「やっ、いいって虎千代っ」

て言うか、僕の前で服を脱ぐなっての。

それにしても、恐ろしいのは僕の妹だ。この服を虎千代に着せて、どういう方向にもっていこうと思っているんだろう。わが妹ながら、底知れない、いや恐ろしい奴だ。しかも僕と虎千代がその、薄い布を奪い合うようにして揉み合っていると。

「ああっ、虎さまっ、わたくし支度に手間取ってしまいました。今日こそっ、お背中をお流し、もとい、一緒にめくるめく昼下がり、湯気に身体を濡らして愛欲の湯浴みを・・・・・」

タイミングの悪いことに様子を見にきた、湯文字姿の黒姫と目が合ってしまった。

「な・・・・・なにしてるですかっ、おふたかたっ」

「い、いやあの・・・・・これはさ」

僕はなんとか状況を説明しようとしたが。虎千代はさらに顔を真っ赤にして、うつむいてしまうしよく見ると腰の帯はほどけかけて袂は乱れてるしで、どう見ても僕が無理やり虎千代にそれを着せようとしているかのよう。

「はああうっ!まっ、真人さんっ、も、もしやその恥知らずな衣装を、わたくしの虎さまに無理やり着せて、ここでは掲載出来ないようないやらしいことを・・・・・」

あらぬ妄想全開で黒姫は、虎柄のブラを握りしめている僕と虎千代を睨みつける。

「いっ、いや誤解だって。違うからなっ、黒姫っ、落ち着いて・・・・・・」

「ああああっ、なんてことをっ!もはや我慢がなりませんですよっ」

「わあっ」

今度こそ本当に、殺されるかと思った。しかし。黒姫は僕たちを押しのけて自分がブラを奪い取ると、次の瞬間、ぷしっ、とクジラが潮を吹くみたいに鼻血を吹きだして、派手にぶっ倒れた。妄想で鼻血を吹きだして気絶する人間を、僕は初めて現実に見た。さすがは虎千代だけでご飯は三杯いけると言う黒姫だ。

「ど、どうするこれ・・・・・・」

黒姫の血を浴びてしまった虎柄の上下は鄭重に畳みこまれて、このえちゃんに持って帰ってもらうことになったのは言うまでもない。


周到に準備を進め、自分の死を偽装し、ついに虎千代たちの目を掠めた、黒田和泉守秀忠とその一族たちの消息は、黒姫の調べによると次の通りだ。

今年の二月、黒滝城の落城を見届けた男たちは一路京へ向かい、時節の到来を待った。すでに越後では栃尾城のいくさの頃から虎千代たち長尾兄妹の確執が家臣団や国人衆の間でもたびたび取り沙汰されることも多く、もともと大名を望まなかった虎千代が国を棄て流寓する見込みがあることも掴めていた。

出奔した虎千代が長尾家と馴染みの深い京都を選んだのは一見偶然ではあったが、黒姫はそこにもある程度、黒田の差し金めいたものを感じるという。そう、そもそも虎千代は北国街道から、不審な人身売買の集団に新兵衛さんをさらわれ、まるでそれに導かれるようにして京都へやってきたのだ。あれほど気の長い、念入りな計画を実行する黒田秀忠と言う男の性質を考えあわせてみれば、虎千代を京都へおびき寄せるまでが陰謀の一部であったと言う事実は否定しがたい。

虎千代をおびき寄せる策謀を巡らしながら黒田は京都で、今度は虎千代に反旗の狼煙を上げさせるべく奔走していたに違いない。

足軽たちのいくさが盛んな京都では兵を集めやすく、挙兵も容易と踏んだと思われる。また、長尾家と縁のあった野洲細川家も、為景の死から疎遠になり始め、自分たちから離れだした長尾の現勢力を疎ましく感じ始めていた。現政権を掌握できる反乱を起こす力があるものがいれば、積極的に加担はしないまでも喜んで庇を預けただろう。

以上のことから黒田は京都政界に根を張りながらも、姿形を変え、野洲細川家にひっそりと流寓しているはずだと、黒姫はいう。その身分は食客、ことによると足軽大将に身をやつしているとも考えられる。遠隔の地から、まだみぬクーデターを虎視眈々と狙って、次なる一手を繰り出してくるに違いなかった。

越後本国にはこのえがすでにいち早く急を知らせている、と言う。晴景と虎千代の確執に乗じて内乱を扇動しようと画策する輩も多いこの時期だけに、間一髪だった。

黒田秀忠の不気味な影に重圧を感じつつあるなか、虎千代はついに煉介さんと再会した。会談の場所は嵐山の湯屋だ。道按と野洲細川家が狙っている中の極秘の会談だった。

「なんだかお互い大変なことになってるらしいな」

「まったくだ」

「生き残れるといいけどな」

自分の事態を他人事のように煉介さんはさらりと言った。話しぶりではあれからやはり、色々と後始末が立て込んでいたらしい。危険な仕事をした足軽たちに問題がないように煉介さんは残らず、面倒を見たようだ。

「まあ、弾正様から十分な報酬も頂いたし、後始末と言ってもその点では楽ではあったんだけど」

こころなしか、さすがの煉介さんもその日は、あまり顔色が優れないように、僕には見えた。

「それから弾正はどうしている?」

「京都にはいないよ。三好のご当主につき従って堺にいるそうだ。君の言うとおり、秋には阿波から大船団が到着する。準備もしなくちゃいけないし、野洲細川家も黙ってそれを見過ごすほど、馬鹿じゃないしね」

「お前は京を出ぬのか」

少し、沈黙があった。

「今のところはない。いくさにも足軽傭兵のお呼びがかからなくなるわけじゃないし、凛丸たちのこともある。真菜瀬にもなんとか許してもらわなくちゃだしね」

煉介さんはまだ真菜瀬さんたちに会ってはいないようだ。鞍馬山みづち屋の在所は伝えてあるのだが、身軽になったとはいえ煉介さんも中々近づきにくいのだろう。

「いずれにしてもおれはまだしばらくは姿を隠すよ。畿内の情勢が変わる頃、また弾正様からもお呼びが掛かるかも知れないからね。まあこっちは心配しなくてもいい」

それから鮎の馴れ寿司を肴にしながら、虎千代と煉介さんは黙って酒を飲んでいた。

こうして何か手ごたえのないものを感じながら、会談は終わった。

「そうだマコト、君に手土産があったんだ。君や絢奈ちゃんにも迷惑かけたし、そのお詫びってわけじゃないんだけどさ」

別れ際、ぽん、と煉介さんは僕に袱紗の長い包みを手渡す。何気なく包みを解いてみて、僕は驚いた。それは鮫皮に紫の柄巻で綺麗に拵えられた一本の日本刀だったのだ。

「憶えてるかな。古道具屋から、盗品の刀を引き取ってきたろ。あの中から、君が選んだ焼け身、実はすっかり研ぎあがってたんだよ」

「は、はあ」

正直その時点まであまり興味がなかった。

いまさら日本刀なんてもらっても僕のなまくらでは別に嬉しくはない。

「どれ」

すらり、と、虎千代が刀身を抜き放ってみる。

どくん、と僕の中で感じたことのある揺らぎを確かにまた感じたのは次の瞬間だった。

「こ、これ・・・・・・」

これがあの、ぼろぼろの焼け身とは思えない。いや、それ以上に。

それは反りの深い、豪壮、と言った言葉がぴったり来るような、力強い刀身だった。しかしそれは野卑な感じはなく、腰が高く張っていかにも大名道具といった感じだ。刃紋も小豆粒大の雪が滲んだような模様がまるで計算されつくしたかのように、鍔元から切っ先まで浮かび上がっている。虎千代はその刀に魅入られたように呼吸するのも忘れて見入っていたがやがて煉介さんを見て、

「これは備前刀ではないか。しかも相当の出来物よ」

と、恐ろしく興奮した様子で尋ねた。

「銘はないみたいだけどね。おれも詳しくは分からないから、危うく鍛冶屋に分捕られそうになったんだけど、マコトが言ってたことを思い出してさ」

「長光」

自分でも、はっ、とするような直感的な言葉が僕の口から出たのはそのときだ。虎千代は僕と刀を交互に見直し、やがて大きく胸を弾ませて感動のため息をついた。

「なんと、よう見たな。確かにこれはまさしく備前長光」

「なんだ、マコト、このこと知ってたのか。驚かせてやろうと思ったのに」

「いや・・・・・違うんだ」

くれぐれも言っておくけど、虎千代みたいに僕は日本刀に詳しいわけじゃない。でもその刀を見たとき、なぜか口をついてその刀匠の名前が飛び出た。それはちょうど、あの焼け身をみて何かを思い出しそうになった感覚と同じだ。

なんなんだろう。僕。

これって。

「ううっ」

「どっ、どうした真人っ!しっかりしろ!」

虎千代に肩をゆすぶられたことだけは覚えている。

ぐらり、と強い眩暈を感じて、僕はそのまま意識を失ってしまった。


意識を喪っていた間のことだ。

天分十五年の京都にいた僕から遮断されて。

強く白い光の中で、僕はじんじんと、さんざめくアブラゼミの声を聴いていた。

そうだ。

あのとき、僕は親父が消えた、あの神社に行ったんだ。

そうしてそこで。

親父が探していた、あれを見つけた。

それは史実という、僕たちの世界の史料的事実から、完全に否定された実在しないもの。

僕の親父は、それを探していたんだ。


「真人」

強い力で僕の体は抱き寄せられた。その温かい力に引っ張られて、ぐん、と驚くほどの勢いで僕は、どうにか現実に戻ってくることが出来た。

「きっ、気がついたか」

はっ、と目を開けるとそこに、虎千代と煉介さんの顔がある。気が抜けたように僕は大きく息をついた。その顔つきに拍子抜けしたのだろう、煉介さんがほっとしたように笑みを浮かべたのが見えた瞬間、目に涙をためた虎千代に僕は抱きつかれた。

「ううううっ、どうしたと言うのだ。お前、もう目を覚まさぬかと思うたぞ」

「う、うん。大丈夫だよ、二人とも心配かけた」

「刀をみていて倒れたのか。いけなかったかな、こんなものを持ってきたりして」

「ううん、そう言うことじゃなくて。いや、確かにこの刀に関係はあるんだけど」

僕は起き上がると改めて、煉介さんの持ってきたその刀を見た。

やはり間違いなかった。

この刀のことを、僕はよく知っている。

「煉介さん、これ本当にもらってもいいんですか」

と、僕は念を押すように聞いた。

「ああ、危険がないなら良かったけど、本当に大丈夫か?」

「大丈夫です。ちょっと、めまいがしただけでもう平気ですから」

「そ、そうか・・・・・?」

二人は怪訝そうな顔をしたが、僕は思考をとめられなかった。だってこれは、この刀は僕たちのタイムスリップの記憶に密接に結びついていたいわくつきの品なのだ。

しかしそれにしても、なぜこの天文十五年に存在するのだろう。

だってこれは、小豆長光だ。

伝説的な死闘となった、川中島の戦い最大の激戦、四回戦、八幡原での大いくさの折。

上杉謙信が武田信玄に直接斬りつけたとされる、その突撃の際に使用された、伝説の名刀だ。それが今なぜここにあり、僕の手に戻ってきたのか。

そのときの僕にはまだ分からなかった。やがてこの長光が、僕と虎千代の運命を決定的に握ることになるなんて誰にも予想など出来るはずがなかったのだ。

しかし、真実の核心は僕の見えないところでゆっくりと狭まりだしていた。

運命が激動して、僕たちの前にその過酷な本性を現す。

そのときが、静かに近づきだしていた。


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