狙え形勢逆転!残された時間はわずか…
すでに事態は、僕たちだけでは手に負えない。
虎千代の判断は、迅速だった。月島京子の身柄が敵方に渡った今、悠長に構えている道理はない。奪還には、ともかく人手が要る。ここは山上の信玄に働きかけて、救援を呼ぶしかないだろう。
薪から僕は、火種を油紙に移し、風の呪を唱えた。晴明がやっていたような式神を作るのだ。これならその晩のうちに、山上へ僕たちの危急を伝えられるだろう。
「済んだか」
気づくと、久遠が珍しくその一部始終を見守っていた。この男のことだ、待ち伏せの人数相手にかなりの抵抗をしたはずだ。重傷の白城の傷の具合を考えると、よく生きていた、と言わざるを得ない。
「こっちの動きは筒抜けだった。やはりまだ、内通者がいるぞ。誰かをこちらへ呼ぶときは、せいぜい気をつけるんだな」
「分かってるよ。でも、どう気をつければいい?」
僕は、反射的に聞き返した。久遠は内通者がまだいて、僕たちを罠に嵌めたような言い方をしているが、月島京子はさらわれ、残った二人は狐狩から暴行を受けているのだ。
「鈍い奴だな。少し、頭を働かせれば分かるだろう。おれたちは、そもそも裏切者の行方を捜しに来たんじゃないのか?」
久遠が言ったのは、行方不明の麟美のことだ。失念しかけていたことだが、現状から考えると、僕たちの動きを監視していたのは、誰あろう麟美に違いないと、久遠は踏んでいるのだ。
「あの女がどこかで、おれたちを監視しているんだ。でなければここまで、おれたちの動きが筒抜けになる道理があるまい」
僕は、何も言えなかった。久遠の理屈は、正しい。僕たちの中に内通者がいないと言うならば残るは、無断で行方を絶った麟美しかいない。姿を晦ました彼女は、僕たちが下山したこともすでに把握していて、狐狩たちの襲撃作戦に手を貸したのだろうか。そして今もどこかで、僕たちを見ている?
「当たり前だろう。…連中は、馬賊だ。この山にいる限り、おれたちは陸に打ち上げられた魚みたいなものだ。早く手を打たないと、こんな冗談も言ってられなくなるぞ」
久遠は顔をしかめて言った。やはり額の傷が痛むのだ。
「自己紹介は結構。…お前らのことについては、あらかた知っているからな」
久遠を前に白豹は、よどみない日本語で言った。背後には二人、少人数での奇襲だったが、いずれも油断なく銃を構え、久遠たちに勝ち目はなかったと言う。
(皆殺しにされる)
恐らく久遠が一番腕が立つと見られたのだろう、白豹は問答無用で撲りつけると、銃のストックで久遠を叩きのめした。
「やめろ、死んじまう。少しぐらい、話をさせてくれてもいいだろ、なあッ!?」
それを身を挺して割って入ったのが、なんと白城だったそうな。
「交渉させてくれ。あんたたちに、利益のある話をする。だから」
白城が顔を上げて話し始めた瞬間、白豹が撃った。弾丸は外したが、この至近距離だ。肉がえぐれ、血しぶきが炸裂した。
「ううっ!」
「話だと!…このおれに溝鼠と取引しろってことか!?」
それから白豹の暴行は惨烈を極めた。肩口を抑えた白城のあごをブーツで蹴り上げ、念入りに蹴りつぶして雪と泥まみれにするまで止めなかった。その間、久遠は残りの二人によって、頭と背中に小銃の銃口を当てられ、身じろぎも出来ない状態だった。
つまり白城は、久遠の身代わりになったとも言える。なるほど、と僕は思った。心なしか久遠の態度が白城に対して軟化したように見えたのは、そう言うわけだったのだ。
「三人ともここで処刑しろ!鉄条網に逆さ吊りにして、軍道にさらしものにしてやれッ」
ついに白豹がその言葉を口にした時だ。
「待ってください!」
月島京子が唇を噛んで進み出た。
「わたしがすべてお話します。だから、二人は解放してください」
「ふざけた真似をする。白豹は、すべて供述すると言ったら、心底上機嫌だったよ。初めから、それが狙いだったと判ったときには手遅れだ」
久遠の話では今頃、月島京子の供述で不穏分子の一斉摘発の手はずが整えられているだろうと言うのだ。
「あの女も助からん。しゃべり終えたら、真っ先に処刑されて人目につくところにさらされるだろう。そのときはおれたちにもはや、逃れ隠れ出来る場所はどこにもないんだ」
久遠の言う通り、すでにこれは僕たちの存亡の危機である。
「黒姫たちが来たら、一転、攻勢を強行すべし」
と、虎千代は迷わず果断に踏み切った。
「武田殿も肚を決めてくれよう。…もはや一刻の猶予もなし。あの基地を焼け野原にするつもりで征く」
処刑・摘発の前に、こちらから月島京子の奪還を強行する。この少人数で、無茶と言う他ない決断だが、ここが虎千代らしいと言えば、らしい。
「それしか手はもう、なさそうだな」
ミケルは、すでにやる気になっている。
「おれたちは人数が少ない。が、暗殺はいける。救援が来たら、ラウラと二人で出向いてかく乱してやる。その間に主力で、人質を奪還する作戦に出たらどうだ?」
「それは良い手だ。…しかしまず、月島殿が残した組織のものたちへの連絡と避難も考えなければならぬ」
虎千代が懸念を口にすると、暗闇からかすれた声が上がった。
「…それは、おれが担当する。…彼女がいない今、全員と連絡を取る方法はおれしか知らないからな」
白城が目を覚ましたのだった。痛みにうめきながら体を起こそうとするのを、僕と久遠に留められる。
「おい、死にたくなかったら横になってろ」
「派手に殴られたが、案外傷は浅い。あんたなら、分かるだろ」
白城は久遠に軽口を叩くと、右肩の傷を抑えて立ち上がった。
「実は少し、モルヒネを持ってる。そいつを打てば、明日は何とか動けるだろう。もちろん一人じゃまずいから、誰か一人、腕の立つのをつけてもらわなきゃならんが」
「おれが行く」
久遠が珍しく、進み出た。
「今度は不覚は取らん。こいつの有様には、おれに責任があるからな」
この男にもやはり、気に咎めるものがあったのだろう。久遠が言いにくそうにそれを口にすると、白城は苦笑した。
「悪いな。次は、見つかるようなへまはしない」
「当たり前だ」
一部始終を見ていた虎千代が微笑して尋ねる。
「では、そっちは任せてよいな」
「勝手にしろ。だが、半日以上の時間をかけるな。連中は処刑まであの女を無事に扱うわけじゃないんだからな」
久遠がぞっとするようなことを仄めかす。当然、尋問には拷問も含まれているだろう。居残された二人の有様を見ても分かる通り、白豹は欲しいもののためには一切の容赦はしない人間のようだ。
「それに連中が優先する作戦は、月島京子たちの組織の殲滅か、山上に隠れているおれたちへの攻撃か、どちらとも読み切れない」
久遠がタイムリミットが半日、と言う意味が、分かった。たとえどちらの作戦を決行するにせよ、連中が態勢を整え、攻撃の主導権を握られるまでが僕たちに残されたわずかな時間だと言うことなのだ。
真夜中、黒姫たちが手勢を率いてやってきた。考えうる限り、最短の下山である。とりあえず明朝到着予定の信玄と真紗さんたちを別動隊とし、現在集まった人数で作戦を展開する。
「もう少し、綿密に段取りをしたかったがもはや総攻撃しかあるまいか」
信玄の眉間には苦悩のしわが刻まれたが、決断の速さは虎千代と同等である。
電撃作戦は、ここからが時間との勝負だ。差し当たって黒姫たちの手勢が到着したことで作戦の幅が広がり、反転総攻撃までの時間に十分な下準備が出来る。こちら側は、ラウラと玲、ベルタさんとゲオルグがすでに到着したのが大きい。
「ミケル、ラウラ、玲は、久遠たちの指示に従って避難民の誘導、戦闘が開始したら遊撃隊に転じてくれ」
虎千代はそう指示した。その間、虎千代は僕と黒姫たちで最も危険な偵察任務に就き、主要作戦の段取りを取る。
「かく乱の方は、我らに任せておくでや!任せておけい!」
近代兵器の扱いに習熟した信長、ラウラ、ゲオルグの三人は、避難作戦に合わせ破壊工作に出る。爆破や放火、狙撃などのゲリラ戦を展開して、かく乱工作に出るのだ。
想定したタイムリミットは、昼すぎまで。
具体的には白豹が月島京子を人質に、反撃に出るまでに踏み込んで奪還する。そのままこの基地を、制圧・占拠にまで持って行く肚だ。
「みな、心しろ。この一局で黒白が反転する」
虎千代の声はむしろ生き生きしていた。
乾坤一擲と言える奇襲作戦は、まさに虎千代の独壇場である。
狐狩が駐屯するビルについては、把握のうちだ。だが向こうもそれを想定しての人質であることは、忘れてはならない。暁闇、信玄の到着を待たず僕と虎千代は、そこへ偵察に出た。それは鉄骨造りの二階建て兵舎だが、地下室がある様子だと言う。
「恐らく月島殿はそこに、監禁されておりますですよ!」
黒姫が言う。確かにこの兵舎近くは、厳重警戒である。敷地のぐるりを鉄条網で囲み、サーチライト付きの見張り塔に、不寝番の歩哨、さらには、小銃を肩に見廻りの小隊が巡回している。
(たった数時間で、ここを突破できるのか…?)
僕は思わず、建物の暗い影を見上げた。
今は夜明け前だ。空のすそ野は朝陽の気配に紅く燃えかけているが、空気の澄んだ上空には強い光芒を放つ星が煌めいている。山影が暗いこの時間では、人の影も遠くでは目立たないだろうが、陽が高くなれば鉄条網にすら近づけまい。
見張り塔に据え付けられた重機関銃は、小銃の威力の比ではない。当たれば、肩ごと腕が吹き飛ぶだろう。
「あそこまで上がるのは、骨だな」
虎千代も顔をしかめている。仕留めるには、狙撃手が必要になるだろう。
「小僧たちは、三人で手いっぱいだ。ここは優れた鉄砲放ちが欲しいところだが」
無理な要求である。そんな都合のいい人材がいるはずはない。こっちは本当にぎりぎりの人員でやっているのだ。昏いがさ藪の中で、ああでもないこうでもないと声をひそめて話していた時だ。
「…何者だ」
雪で濡れた柴を踏みしめるかすかな音を、虎千代の耳朶が捉える。相手もさすがに面食らっただろう。夜目の利く虎千代は的確に方向や距離まで捉えて、話しかけてくる。
しばらくあって桜の木の影から出てきたのをみて僕は、息が停まりそうになった。なんと、麟美だ。いきなり幽霊に出くわしたより、驚きである。
「なんだ、お前たちか」
「なんだお前たちかじゃねーですよくおの裏切者ッ!」
「控えよ黒姫」
疑惑の渦中の人物である。黒姫が殺気を発したが、虎千代はそれを留めた。僕も身構えたのだが、虎千代の口から出た言葉こそ意外だった。
「馬賊殿、いぜん狙いは白豹か?」
「当たり前だ。やつはわたしが斃すのだと何度言ったら分かるんだ」
当然のように麟美が言った。えええっ?なんか予想してた反応と違う。久遠の話では、やはり裏切者は麟美だったと言うことじゃないか。
「虎千代、麟美のことを…」
疑っていないの、とまでは僕は聞けなかった。が、虎千代は皆まで言うなと言うように、苦笑して首を振っただけだ。
虎千代は屈託なく麟美に近寄ると、言った。
「されば協力して頂く。狙撃はお得意か?」




