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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.5 ~京洛陰謀、煉介さんの秘密、武士の生きざま
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帰路の襲撃戦!?ついに兄と妹、争いを迫られた虎千代は…?

僕たちが弾正屋敷を出る頃にはもう夕方になっていた。まだ口やかましく、どこかで蝉がさんざめいている。往来と空の境目が淡く霞むほどの、うだるような夕間暮れだった。虎千代の馬を曳き、僕は歩いていた。顔に浮いてくる汗を拭いながら、僕は延々と続く長い土壁の向こうを見ていた。

あれから遅めの昼の膳が供され、歓談があった。長慶は座を設け、虎千代としばらく話をしていた。三好長慶と上杉謙信。のちの畿内の王者と、戦国最強の軍神だ。歴史ファンにとっては、これはかなり貴重な眺めだった。

「まさか貴殿が越後の龍、長尾景虎殿とはなあ」

虎千代を目の当たりにして長慶も目を丸くしていた。虎千代が女、と言うことで特に態度を変えたわけではなかったみたいだけど、素直な驚きが口に出るのはやっぱり仕方の無いことだったのだろう。中身はともかく、見た目、虎千代は若い女の子なのだ。

「栃尾いくさの初陣は諸国にも聞こえている。また、かなりの難戦であったとか」

と、長慶は水を向ける。それにしても長尾家が京都と関連が深いとは言え、越後の話題が中央にまで聞こえているとは、よっぽど虎千代のいくさぶりが評判だったのだろう。

「そして何よりも続く、黒滝の大いくさこそ、長尾家の盛名、面目を施しましたな」

そのときなぜかぴくり、と虎千代の顔に、奇妙な動揺が走ったのが僕には印象的だった。いったいどうしたんだろう?黒姫や鬼小島も何かに気づいたのか、色めき立つような表情をして虎千代の様子を見守っている。でもそれは一瞬で掻き消えた。虎千代はすぐ薄い微笑を唇に宿して、

「いえ、若輩にて語るほどの武功もまだなく、そのようなお話ばかり聞こえるのは恥ずかしき限りです。されど見ての通り女子の身ゆえ、我が家の家士がなにくれとなく、よう働いてくれます。わたしに多少の功があるとしたら、まずその程度でしょう」

と、珍しくつつましい。大名の顔なのだ。その後ろで鬼小島が、もったいねえ御言葉、と顔をくしゃくしゃにして感動していた。

「それは羨ましき限りのこと。我が三好家は周知の通り、阿波が本拠。近いように見えて京より遠く、なかなかつなぎをとるのに苦労している」

「されど、頼もしき股肱の家臣がおりますではないですか」

「ああ、この久四郎、松永弾正は我が育ての親がようなもの。この京はこの私にとっては祖父、父と二代を餌食にした魔都ぞ。久四郎のお蔭で大手を振って歩けるようなものよ」

なんの疑いもなく口にする長慶と会釈を返す弾正を僕は意外な目で見ていた。

育ての親か。

弾正と長慶の関係は、言ってみれば新兵衛さんと虎千代のようなものだ。あの弾正にまさか、守るものがあると言うのはらしくなくみえるけど、三好家の御曹司を守り立ててここまでやってきたことは間違いないのだ。

確かに弾正の長慶を思う気持ちは通りいっぺんのものではなさそうだった。後に弾正は長慶を毒殺したんじゃないかと言われていたのだが、それも陰謀家弾正の悪名に引きずられてことじゃないかとすら、思えてしまうほど。長慶を見る弾正の目は温かかった。

つくづく歴史が伝える人間像って、表面より複雑で分からない。


昼間から居座る暑さで、陽炎が立っている。夕陽に灼かれるように、砂埃立つ道の果てがゆらゆらと歪んでいた。

「早いうちに、煉介さんと連絡を取らなきゃだね」

「お?・・・・うん」

と、僕は言った。虎千代は考え事をしているらしく、一瞬返事が遅れた。

「そうだな。なんとか京洛を落ち延びる手はずもつけてやらねばなるまい」

「しかしあれだけの武備を構えながら、歯ごたえのねえ奴らでしたな」

と、戦闘する気満々だった鬼小島が言う。

「いくさをしに来たのではないですよ、分かってるのですかこのでかぶつが。虎さま、わたくしたち軒猿衆一同、お役に立てて嬉しいですよ。やはり兵法は戦わずして勝つ、調略の上首尾こそ第一なのですからねえ」

「馬鹿野郎、武士なら現場第一、いくさで一発、白黒つけるのが本道じゃねえか。こそこそ調略なんて武士のやることじゃねえんだよ。この腹黒姫が」

「やりますかっ、この大飯喰らいっ」

「上等だこの野郎っ」

「馬鹿者、やめぬかっ!」

ぬぬぬう、と日傘を構える黒姫と、長巻の鬼小島が睨み合う。しかし、本当にこの二人は仲が悪いな。

「でも、さすがは虎さまですよお。まさか、三好のご当主自ら足を運んでくれるとは手配したわたくしですら思ってもみなかったです。さすがの弾正も形無しでしたですね」

「あの場ではああするよりは仕方あるまい。だが、問題はあやつがあのまま引き下がる男か、と言うことだが」

と、虎千代は僕を見る。

「う、うん。まあ、一応は大丈夫だと思うよ。僕も、弾正があんなに当主の長慶のためを想っていたなんてことは知らなかったし」

「そうですよお。ご安心下さいよお、虎さま」

くるくる日傘を振り回して先頭を歩きながら、黒姫が言う。

「いざいくさとなっても、わたくしたち軒猿衆ががんばりますですよ。虎さまには指一本触れさせないです」

黒姫は浮かれているのか、隊列を離れて少し先に歩きすぎていた。今から思うと、それがもっとも危険だと言うことをもっときちんと認識すべきだったのだ。

僕がまず聞いたのは、鈍く籠もって少し濡れた物音だった。

空気のたっぷり詰まったタイヤを思いきり叩いたような、ドン、と言う芯に響く音。

「・・・あ・・・・」

続く、短い悲鳴は黒姫のものだった。声は誰かが空気中でもぎとったかのように、無遠慮にぶつりと絶たれた。彼女は声を上げられなかったのだ。なぜなら、その咽喉を貫いて大きな鏑矢の鏃が突き刺さっていたから。

まがまがしいその切っ先は背後から黒姫の細い頸を貫いてこちら側へ抜けていたのだ。

ぬれぬらと新しい血に濡れた鏃が黒姫の鼻先に突き出ている。自分にどんな事態が起こっているのか分からない。そう言うように目を見開くと黒姫は傷口を押さえようとしたのか、それとも引き抜こうと思ったのか、二つの震える手のひらを抱え込むような姿勢で前のめりに倒れた。

「黒姫えええっ!」

なりふり構わず駆け寄ろうとした僕の目の前にぬっ、と太刀の先が突き出される。

「動くな」

剣を突きつけているのは、虎千代だった。その瞳に今までにないほど、もの凄い光を宿した虎千代は強く押し殺した声で言った。

「次に隊列を出たものは誰だろうと斬る」

すると鬼小島が雷鳴のような声で怒号した。

「敵襲だああっ!野郎どもっ、お嬢を守れっ」

長柄に太刀をつらねた力士衆が色めきたち、虎千代を守るように前に出る。

敵?敵だって?一体どこから。

でも、黒姫が殺された。

一瞬でなんの前触れもなく。矢はどこからか、突然飛んできたのだ。

戦闘状態だと言うことを僕は理解できないと言うように、辺りを見回した。

「伏勢がいる」

と、虎千代は言った。

「黒姫は列を離れた。矢頃(やごろ)(射程距離)を測るには格好であったのだろう」

「そんな・・・・・」

それ以上は言うな、と言うように虎千代は首を振った。僕はこのとき、努めて虎千代が冷静になろうとしていることにようやく気がついた。

「弥太、伏勢の位置が分かるか」

黒姫が射られたにも関わらず、鬼小島は大胆にも虎千代の前に一歩踏み出すと、辺りをうかがった。

「恐らくは路地の向こう、あの小屋の陰かと」

「うむ」

屋敷の塀が途切れ、いつの間にか僕たちは街の外れに出ている。路の向こう、路地の果ては青田が広がり、農家のものらしき()れ小屋が点在しているだけだ。

そのうちの一軒から、弓を携えた足軽兵が姿を現す。

陣傘に手ぬぐいをひきかけ、黒い胴丸で身を固めている。引き絞った弓を構えてこちらに狙いを定めている。ひとり、そして、ふたり。見ていると、その数が増してくる。

すると。

田の中から旗が立ち、槍を伏せていた軍勢がゆっくりと姿を現した。

その数は数十、数百ではきかない。

雲霞(うんか)のごとく、と言うのはこういうことなのだろう。

青田を侵すように毒虫に似たまがまがしい甲冑姿の武者たち。それが続々と姿を現した。物々しい男たちの軍備は真新しく、漆塗りの甲冑に夕陽がてらてらと照り映えている。みるみるうちに緑色の草原が黒く染まった。

「こいつら・・・・・・」

陣借りの足軽たちとは違う。

まるで数日前にみた細川兵のような正規兵たちだ。

「弾正の野郎、なんだか大人しいと思ったら、やっぱりこう言うことかよ」

背後からも湧いて出てきた敵勢を睨みつけて、鬼小島は叫ぶ。

「上等だ、越後勢の心意気、ぶっこんでやろうじゃねえか」

「待て、弥太」

と、虎千代が言ったのはそのときだった。

「何かおかしい」

「ええっ?なんですかい、お嬢。こうなりゃやるしかねえじゃねえですか」

「あれは弾正の兵ではないぞ。旗印を見ろ」

と言われ、僕も目を細めて迫ってくる兵たちが背負っている旗印を見極めようとした。

白地に黒で染め抜かれた家紋は、九曜巴。

「まさか・・・・・・」

「兄上が手勢か」

まるで目に見えない何かに失望したかのように、重々しい声で虎千代が言う。

「くそったれっ、ついになりふり構わずきやがったか」

「このような真似をすれば国を割ることになることが、なぜ分からぬか」

虎千代はいたたまれないと言う風に顔を歪めると、思わず手で顔を覆った。

「虎千代・・・・・・・」

どうするのか、そんな愚問を虎千代に投げかけるように僕は虎千代を見てしまった。

実の兄との戦いを、何より望んでいなかったのは虎千代なのだ。

命を狙われようと、裏切り者の刻印を押されようと。

虎千代は心を押し殺して、それを拒んできた。本当なら、今はそんなことは迷っている場合じゃない。でも、虎千代の受けた衝撃の大きさは計り知れない。

「迷ってる場合じゃねえですよ。やるしかねえんだ」

鬼小島は同じ旗印を持った敵勢を憎々しげに睨みつけると、虎千代の馬を曳いた。

「とにかく、ここは突破しましょう。俺ら力士衆が命張って踏ん張ります。さあっ」

「ふ、ふふふっ・・・・・まさか・・・・・ああ、兄上、そう言うことか」

ぶつぶつと甲斐のない独り言をつぶやき、力なく笑うと、虎千代は太刀を腰に納め、ひらりと馬を下りた。

「なっ、なにをするんで、お嬢」

「もうよい。お前らは下がっておれ」

なんと。虎千代は自ら隊列を離れると、一人で歩きだしたのだ。

真黒な塊のような無数の軍勢に向かって武器も構えず。

「虎千代、だめだ」

思わず、僕は虎千代を呼びとめた。もしかして、自分を犠牲にして投降する気なのか。そんなことをしたって、ただの犬死だ。向こうの言いようにされて、殺されるだけだ。それが分かっているのか。

「な、なあ・・・・・・戦わないのか?」

「ああ」

虎千代はどこか気の抜けた声で言った。

「安心しろ。殺されはせぬ」

「ばっ、馬鹿な真似はやめてくだせえ、お嬢」

「下がって居ろっ!」

すがりつく僕と鬼小島を、虎千代は容赦なく叱りつけた。

「もう、よいのだ。お前らが関わることではない」

「なんでそこまでするんだよ・・・・・」

自分が殺されるかも知れないのに、自分を狙う兄にすすんで命を捧げるなんて。

そうしている間にも武者押しの声をあげて、男たちが迫ってくる。

まるで餌のように、虎千代はそれに引き寄せられていく。

僕たちからみるみる、虎千代の背が遠ざかっていった。その後姿はこれまでにないくらい、頼りなく小さく見えた。男たちが矢をつがえ、容赦なくそれを放ってくる。虎千代の小さな身体を狙って雨のように矢が降り注ぐ中、とぼとぼと虎千代は歩いた。

「やめろよ・・・・・」

足がすくんで動けない。鬼小島がそれを支えてくれたが、彼女はすでに僕たちのどうにも出来ないところまで行ってしまったように思えた。

虎千代は戦う気はない。失望した彼女を救うことなんて僕には出来ないのか。

そんな。

いつのまにか僕は、叫んでいた。

「行くなああっ、虎千代っ!」

はっ、と虎千代の身体が跳ね上がり、太刀が煌めいたのはそのときだった。

「ああああああああああっ!」

ぐるりと、身体ごとこちらに虎千代の剣が空を斬り払うと、なぜだか物凄い絶叫がそこからほとばしり出た。バタッ、と言う濡れた土嚢を投げ出したような音とともに、何か重たいものが落ちた音がして、僕は思わず虎千代の足もとを見た。

「あっ」

そこに落ちているのは、人の腕だ。

痩せた男の。青黒い皮膚には、経文のような文字がびっしりと描かれ、何かに爪をたてようとするようにおぞましく曲げた五本の指を天に向けている。

「前を見ろ」

と、虎千代の声がして、僕は彼女の方を見た。そして今度こそ、本当に驚いた。

そこには、誰もいないのだ。

あの黒山のような軍勢は一瞬でかき消え、青い稲が風にそよいでいるだけだ。

「と、虎千代これはいったい・・・・・」

「待て」

虎千代は血ぶるいをすると、刀を納めた。そして空に向かって、

「黒姫、いるか。声が聞こえたなら返事をせい」

『はいはいっ、虎さま、わたくしはここにおりますですよおっ』

わっ、またびっくりした。なんと、死体が返事をしたのだ。咽喉を矢で貫かれたはずの黒姫が、倒れたままぴらぴらと腕だけあげて虎千代の声に応じた。

「く、黒姫・・・・・?」

『真人さん、ちょっとこっちに来てもらっていいですかっ?』

え?恐る恐る、僕は黒姫の死体に近づいた。すると、いきなり黒姫の身体が起き上がってなぜか僕は頬を思いっきり張り飛ばされた。

「いったっ・・・・・」

なにするんだよ。

『気つけにはこいつが一番です。どうです、真人さん』

「えっ?」

なんだろう。痛みで、何かが醒めた感覚がした。

「幻術よ。さすが京は、魔都よな」

と、虎千代は言った。可笑しくてたまらないと言う風だった。

「幻術って・・・・・・じゃあ、今のは全部幻?」

「ああ、そうだ。まさか我ら軍勢ぐるみ巻きこむとは愕かされる」

いわゆる催眠術か何かの一種か。それにしても幻覚にしたってリアルすぎた。あの鎧武者たちの強烈な武者押しの声なんかまだ、本当にあったことのように耳に残っている。

「さすが、お嬢だぜ。でもどうやって見破ったんですか」

「はいはい、そこ、どいてくださいよっと」

まだ状況把握が出来ていない鬼小島を尻目に、背後の草むらからがさりと黒姫が姿を現す。あれ、と思ううちに黒姫の遺体は消え失せている。傷を負った蓬髪の男に黒姫は毒を塗った刃を突きつけていた。

「はぐれものの幻術師か。深山で出くわす幻覚によう似ておったわ。これは陰陽か真言の術か何かかな。黒姫の本拠、弥彦山は修験道の聖域ゆえ、なまなかな幻覚では惑わすことは出来ぬぞ」

やっぱりこの男、さっき虎千代に腕を落とされたのだ。血に濡れそぼった水干の袖をくしゃくしゃに握りしめた男は脂汗を顔中に浮かせて、虎千代を睨み上げた。

「とっときの密教の秘術よ。まさかに、見破られるとは思わなんだ・・・・・・」

「いくさ場は我がついの棲み家のごときものよ。いくらあやかしで誤魔化そうと、甲冑に身を固めた敵勢と相対したときの感覚は、肌が憶えておる」

さすがは虎千代だ。つまりは太刀を納めて敵の前に立った時はもう見破っていたのだ。

殺されはしない。

そう言っていたのは、全然違う意味だった。幻などには殺されたりはしないと言う意味だったのだ。

「さあて、じゃあ依頼の筋を吐いてもらいましょうか」

どん、と傷口を蹴りつけ、黒姫は男をひざまずかせた。

「ったく、こいつの術にふいを突かれて、結界の外へ追い出されてしまいましたよ。なかなか味な真似をしてくれるじゃねーですか」

「だ、誰に頼まれたかだと・・・・・おのれで、わっ、分かっておるのではないか」

肩で息をしながらも、男は歪めた唇に不敵な影を残していた。

「・・・・・おのれの廻状はこの京にも出回っておる。先のはただのあやかしではないわ。・・・・・いずれおのれが待ち受ける定めをほんの少し、先延ばしにみせてやっただけのことよ。潔く、国を騒がす大罪人として罪科を身に負うがいい。こっ、この罪人めがっ、さっ、さきに地獄でおのれを嘲笑うてくれるわっ・・・・くっ、ひひひひひひひ」

ぜえぜえと、男は喘息の犬のような笑い声を残すと、目を開いたまま倒れこんだ。

舌を噛んでいる。

「辺りを捜せ。まだ、誰か潜んでいるはずじゃ」

と、すぐに虎千代は言った。

「これほどの強力なあやかしだ。しかも黒姫を締め出す結界まで張れるとなると、数人の術者が絡んでいるとみてよい」

「お任せくださいですっ」

と、黒姫はさっきの日傘を取り出すと、その先を地面に突き立てた。何が始まるのかと見ていたら、黒姫は大仰に印を切ると怪しげな呪文を唱え始めた。

「オンキリキリ・・・・キャラアエイソワカ!」

すると、なんと傘の柄の部分からどん、と爆炎が上がり、煙がもうもうと立ち上った。

「なっ、なんじゃこれは、黒姫・・・・」

虎千代は怪しい煙を吸い込まないように顔をかばいながら、妙なポーズをとっている黒姫に話しかける。

「ああ、この前の花火の残りですよ。なんかもったいなかったので仕込んでみました」

「なんか大仰な仕掛けがあるのかと思ったら、花火かよ」

前回から微妙な形で引っ張った伏線の正体がこれか。

「ええ、でもびっくりしましたでしょ」

がたん、とどこかで物音がしたのはそのときだった。

「はったりですよ。まだ様子をうかがってるのではと思って、やってみたんです。さあ、行きますよ」

黒姫と虎千代はうなずきあって、さっさと駈けだしている。

まったく読めない忍者だ。


「気配はこの辺りで途切れているはずなのですが・・・・」

僕たちが走ってきたのは、幻覚がどよめいていた青田の中だ。近くにまとまった集落があるのか、いつの間にか共同墓地の中に入り込んでいた。

「すぐに辺りを探らせますです」

黒姫はついてきた軒猿衆に周囲の捜索を指示した。

「しっかし、縁起の悪い場所に出ましたね」

黒姫の言うとおりだ。ただの村の共同墓地、と言うのではなくここはどことなく荒涼としている。考えてみれば戦国時代の墓場だ。縁起の悪さでは現代の比じゃない。

「この辺りの土、柔らかいな。最近、掘り返したものか」

虎千代は不審そうに、足下を探っている。古い木札が立っていて楷書で『無縁塚』と書かれていた。行き倒れや身元不明の戦死者、身よりのないものを葬るところのようだ。ふと何かに気づいたらしく、虎千代は背後を振り返り、

「弥太、この下を掘れるか?」

「ええっ、墓土なんか掘ったってなんもねえですよ」

「いいや、分かりませんよ。忍法には、土遁と言う術もありますし」

なぜだか嬉しそうに、黒姫が鬼小島に都合よく落ちていた鍬を投げ寄越す。鬼小島は躊躇していたが、虎千代の頼みは無碍に断れないらしく、

「くっそお・・・・やってやるよ。野郎ども手伝え」

わらわら、屈強な男たちが寄ってきて墓を掘り出した。

「悪く思うなよ。祟るならおれやお嬢じゃなくて腹黒姫を祟れよ。・・・・・ああ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

「虎千代、追っ手を捜すんだろ。こんな土の中に一体何があるって言うんだよ」

「いやふと、さっきの幻術使いの今わの言葉を聞いて思い出すことがあってな。密教の秘術、とか申しておったがあるいは・・・・」

「お、おい・・・・・・」

と、墓土を掘り返していた力士衆の一人が、驚いた声を上げる。虎千代はすぐに穴の際まで歩み寄った。

「何かあったか?」

「箱のようなものが埋まってます。それがなんか、節を抜いた竹を差してあるようで・・・・・」

「やはりか」

どうやら中をくり貫いてある、竹がささり土中に埋まっている箱に空気を供給していたらしい。生きた人間が潜んでいたのだ。

土の中から現れたのは、かなり大きな箱の蓋の一部だった。棺、にしてはやや大きすぎるように思える。まだすべて掘り出してみないと分からないが、人が一人、座っていられるだけのスペースはありそうだ。

「これは・・・・」

まもなく木蓋が完全に露出し、思った通り中から人が引き上げられてきた。なんとそれは白い着物をきた若い女性だった。

僕は青白いその顔をまともに見ると、思わず息を呑んだ。

たぶん僕たちとそう年齢は変わらないだろう、長い髪を振り乱した娘は、何日も断食をしていたと言うように頬もやつれ、目も落ちくぼんでいたが、もっと異様なことが皆の顔色を失わせた。

その女の顔一面に不気味な刺青が施されていたのだ。

炎の形をしたのは朱で描かれた梵字だ。その刺青が細かく細かく彫りこまれ、まるで二度と治らない業病のように女の顔に根をおろしている。さらに恐ろしいことには女に耳たぶはなく、肉を削ぎ落された顔の側面にはその名残の穴が開いているだけだった。しかも瞼がしっかりと縫い合わされ、青い紐のようなもので念入りに綴じこめられていた。こうなってはもう二度と目を開くことはできまい。恐ろしく壮絶な風貌に僕は言葉もなかった。

「女にはもう息はありません」

さすがにそうだろう。こんな小さな節穴で、密閉された箱の中の人間に酸素が十分行きわたるとは思えない。

こんな状態の女性を生き埋めにするなど、どんな外道が考えたんだろう。闇の中で目を開くこともかなわず、ただ一人死を待つなんて。考えただけで胸が悪くなる。

「そうか」

ぞっとするような光景を目の当たりにしても、虎千代は屈んで黙々とその女の顔をあらためている。

「黒姫、見つけたぞ。この女がくだんの幻術の本当の術者に違いあるまい」

虎千代はどこかにいる黒姫に向かって声をかけた。あいつ、どこへ行ったんだろう。やがて数人の軒猿衆とともに黒姫はひとりの男を引き立ててきた。

「こちらも上首尾です。さっき逃げたお客さん、顔見知りでしたよ」

まだ何か仕掛けがありそうな日傘を突きつけながら、黒姫はじろり、とその男の顔を見る。まがまがしい風貌のその男は一度見たら忘れることはない。

検非違使の暮坪道按本人だった。

「これは久しいな。こやつ、お前からの贈り物か」

刺青をした女の顔をためすすがめつしながら、虎千代は道按を睨み上げた。

「おれからやない。過去からの贈り物だよ」

「さる方からの、か?」

ぴくり、と頬を動かした道按の表に現れた動揺の表情を虎千代は見逃さなかった。

「図星のようだな」

「ああ、おれは介添え人に過ぎん。まあ、おのれの胸に聞いてみるんやな」

にやり、と口角を歪めた道按は、不敵に虎千代を見つめ返した。

「ついでに言うがこの女、無体にそこへ放り込まれたわけやない」

「で、あろうな」

何かを知っているのか、虎千代は意味ありげに女の遺骸を見つめた。

「我にも密教の心得はある。これが幻術の類よりもむしろ呪いの仕業によるものだと言うこともな」

「では人外蠱毒(じんがいこどく)の法、あらましは知ってはおるやろう」

その言葉を聞いて、顔色を変えたのはむしろ背後の黒姫だった。

「この女、修験道の罪人の充満する坊で七日間、犯し尽くされ、その後にくりぬいた目の穴に硫黄を流しこまれ、さらに三日もまた同じ房に戻された。そうしてなお、恨みを持続したものにして初めて、その人外蠱毒の呪詛を身体に施されるそうな。わしも陰陽道の呪法については心得があるが、さしずめ生きた藁人形のごときものよな。こうして怨念と呪詛が身体の隅々にいきわたり、さらに暗い穴倉の中で一心に呪法を行いながら果てることで、本願を成就する。呪は九生祟ると訊くぞ。話だけで背筋が寒うなる荒行や」

道按の不気味な口調で言われると、恐ろしさが倍加する。吐き気がするような業だ。

「いやはや、恐れいる。かような凄まじき女の怨念まで使うて、実の妹を嬲り殺そうとは晴景公も、いかさま忍人の類よなあ」

「肉親を誹るはよしてもらおう。それに、数代祟る恨みなど、父祖の代より数えきれぬくらい被っている」

「女子の癖に憎らしいほど肝の太いことや。越後でもさぞかし、おのれがごとき片意地な女丈夫、持て余したであろうな」

道按の背後で鬼小島と黒姫が顔色を変えたのが分かった。

「弥太、黒姫、安い挑発に乗るな。・・・・・刃をさげよ」

虎千代がすかさず言わなければ、二人はこの道按を細切れにしたに違いない。それほどの殺気を放っていた。

「もうよい。そやつに用はない。離してやれ」

鬼小島も黒姫も恐ろしい風貌をしていたが、しぶしぶ、道按を狙う構えを解いた。

「いやあ、童子切と言い、おのれと言い、業の深いことや。さぞかしその罪、無間の地獄をこの世に現出せしめるやろう。おのれらが罪に悶え、苦しみ、後悔と悩乱の末に果てる様を、とっくり見届けてやろうて」

水干の奇人は化粧の剝げかけた顔にいびつな笑みを浮かべると、病気の犬の咳のような陰気な空笑いを立てて悠々と立ち去った。

「黒姫、頼みがある。この女の顔を調べてくれぬか」

道按が立ち去るのを待って、虎千代が突然言った。それは決然と何かを言おうとするような、重苦しくも壮絶な表情だった。事実、次に言った言葉は、衝撃を帯びて、緊迫した虎千代の家士たちに響き渡った。

「この女、見覚えがある」


この女を知っている。

虎千代が口に出したそのことは、朽木谷の撤兵を成功させたその日の喜びに確実に、不吉な暗い影を落としてしまった。

なにしろ虎千代を呪うためだけに、自ら生き埋めになった女だ。

僕もあの恐ろしい幻術を体験した身だけに、さすがに虎千代に気楽なことも言えなかった。呪いなんて、僕たちの生きている時代にはほとんど否定されかかっている迷信だけど、それに命を賭けて壮絶死した人間を目の当たりにすると、体中にどす黒い泥を塗り込められたような筆舌に尽くし難い気分になる。

その女の死にざま自体が口にするほどのおぞましい事実なのだ。

傍観者に過ぎない僕がそうなのだから、虎千代は、と思うとそれだけでめまいがしそうだ。かける言葉など見当たらない。

「何という顔をするか。我は大丈夫だ」

すると虎千代に逆に慰められてしまった。

「心配するな。でなくとも無数の命を背負い込んで我らは生きている。死にゆくものの責も、生きていくものの安泰も、それが大名識ぞ」

素性を調べるように虎千代は黒姫に命じたが、それからはまるで誰もがそのことを忘れてしまったかのように、その話題は口に出さなかった。

僕も何か恐ろしくて聞けない。

それはたぶん、虎千代たちにとっては封じられた忌まわしい禁忌なのだろう。

そんなとき、僕は長慶との歓談の席で虎千代たちがふと見せた気まずい沈黙のことを思い出してしまった。

長慶は虎千代の初陣、栃尾城救援戦を誉め、ついで黒滝城のいくさについて絶賛した。彼女がふと、社交辞令の顔を忘れ、なまな表情を見せたのはちょうどそのときだった。あれは一体、なんだったのだろう。

虎千代に怨念をもって死んでいった女と、もしかしたら何か関係があるのだろうか。

虎千代を心配しながら、何か力になれることはないかと考えあぐね、僕は日々を過ごしてしまった。

そうしてそれから二日間が、何事もなく過ぎていった。

その頃、朽木谷の撤兵がつつがなく進んでいることを、僕たちはかささぎから聞いた。現地に充満していた物騒な足軽たちはすっかり姿を消し、将軍が御座する居館もようやく一息がつけるようになったとのことだ。

黒姫の調べによればあれから弾正は、朽木谷の足軽たちを召集し、これ以上の手出し無用を言いつけ、解散を申し渡したらしい。その際、解約金として安くない額の報酬を払ったようなので、朽木谷からは食うに困ったあぶれ者たちまで残らず消えてしまったそうだ。

「御陰様にて、わたしもようやく後顧の憂いを払うことができた」

と、言う、その日のかささぎの用向きはやはり、果たし合いのことだった。かささぎは懐紙にこの人らしい、さらさら流れるような文字で果たし合いの刻限と日時を書いた書簡を虎千代に託しに来たのだ。

「童子切めが果たし合いに応じるか否かは、責任が持てぬぞ」

「童子切につなぎをつけてくれれば、それで構わない。それはある意味では、わたしがあいつを正式に狙うという宣言だ。本来ならわたしが直接会って渡したいところなのだが、ていよく逃げられても困るのでな。それにだ、菊童丸様のこともある」

「御曹司は朽木谷に戻られるか」

かささぎは静かに頷いた。

「近日中にな。すでに道中安全に送る手はずはつけている」

「御曹司の行く末をみぬでよいのか。そもそもお前の剣は一鵡斎なるお方が御曹司を守るために、授けたものではないのか」

「あいも変わらず人のいいにくきことをきっぱりと申される御仁かな」

虎千代の言葉に、かささぎは苦笑した。

「菊童丸様とてもはや一人前の男だ。それにわたしが死んでも早崎の衆は、朽木谷に根づいている。手はずをつけたということは、そういうことよ」

ところでこのかささぎの件もある以前から虎千代は煉介さんに会うために連絡を取ろうとしていたが、あれ以来、なぜか音沙汰がないと言う。

「やはり思うところがあるのだろう。ややもすると姉御の菩提を弔うているのかも知れぬ。と、すれば待つより他あるまい」

虎千代は急がなかった。ただ、鞍馬山のみづち屋には連絡を走らせ、真菜瀬さんに状況は伝えたらしい。真菜瀬さんも一安心と言うところだろう。当面、煉介さんの問題はかたがつきそうに思えた。

虎千代が鬱々として何かを待ち続けていることに、僕が気づいたのはごく最近のことだ。

基本的に虎千代はしずしずと日々を過ごす人で、二人きりになるとその手の話題にならない限り(あれから一回、『らぶ会話』なるものをしてみたいと言って僕を困らせたが)毎日の鍛錬の他は、刀の手入れをしたり、書見や写経をしたり、結構ひとり上手なやつなのだが、気がかりなことに思い当たるのか突然口ごもることがあり、僕も気になってきた。

黒姫がほうぼうを調べに回っているらしく、そのことについて二人で人目につかないように何かを話していることが、たまに分かった。

よほど僕に知られたくないことなのか、話が聞こえそうになると黒姫もあからさまにはぐらかす。(黒姫はただ単に、虎千代と二人きりを邪魔されたくないだけかも知れないが)仕方なく僕は気づかないふりをして過ごした。

やがて新兵衛さんがこのえと現れ、虎千代と話をし出した。かなり長い話のようでしばらく、虎千代と出かける予定だった僕は庭で時間をつぶすことを余儀なくされた。

仕方なく裏庭に出ると、鬼小島がもろ肌ぬぎで太い棍棒を振っていた。

「なんだ小僧、お嬢と出かけるんじゃなかったのかよ?」

「うん、ちょっと新兵衛さんが来て大事な話があるみたいで」

「おっ、いよいよか。水臭えなお嬢、挙兵なら真っ先におれに相談してくれりゃいいのによ」

鬼小島は鬼小島で、抜かりなく力士衆を鍛えて時節を待っているらしい。ところでこの件について珍しく関係者っぽいのに、この人も蚊帳の外だ。良くも悪くも秘密を持たない、細かいことは気にしない性格が災いしているようだ。鬼小島なら訊けば案外すんなりと、言いにくいことを話してくれるかも知れない。思いきって僕は訊いてみることにした。

「ねえ、弥太郎さん、虎千代は何を隠しているんだろう?」

「ああん?」

僕はこの間、ずっと考えていたことを話した。長慶との会談での違和感から、ずっと持ち続けてきた疑問だ。

「ああ、黒滝の大いくさのことか。あれは嫌な戦いだったな。なんて言うかその、ありゃあ胸糞の悪い話でな」

と、鬼小島ですら何か苦いものを飲み下したような顔で、微妙に言葉を濁した。

「お前、言っとくけどその話をお嬢の前でするなよ。それとおれがそう言ったこともな」

やっぱりか。黒滝の大いくさ。虎千代が従軍した二度目のいくさは、よほど何か、話したくないことがあったようだ。虎千代の前では、もともと、そのことは忌むべき禁止事項なのだ。

「だがよ、この前のあの不気味な女の死骸とそいつが何か関係あるかって言うと、おれには分からねえ。そもそもあの女遣わしたのは、晴景公だろ。肉親のお嬢をそこまでして殺してえとは、さすがにおれも思わなかったがよ」

と、巨木のような丸太を振り回す鬼小島の後ろを、すすっ、と黒姫が通った。

「おい、なにこそこそしてんだよ、腹黒」

「なっ、毎度毎度乙女に対してなんと言う言い草ですかっ。暇つぶしに棒ふりしてるでかぶつと違って、わたくしは忙しいのですよ。これからだって、虎さまに大事な用事があるのですからねえ。・・・・・あああっ、いやいや、違いました。ええっと、別に全然大事じゃないですよお」

僕がいることが分かったのか、黒姫はあからさまにとぼけた。しかし相変わらず、なんて下手くそなごまかし方だ。

「黒姫、何か隠してる、よね?」

「なっ、何も隠してないですよお。わたくしほど表裏のない人間はおりませんです。真人さん、なんてことをおっしゃるですか」

僕だけでなくさすがの鬼小島も疑いの眼だ。

「おめえほど腹に一物ある人間を、おれは見たことねえぞ」

鳴らない口笛をすうすう吹いてごまかす黒姫。限りなく怪しい。

「黒姫、戻ってきたか」

虎千代が新兵衛さんを連れて、こちらへ歩いて来たのはそのときだった。

「あっ、虎さま・・・・あの、例の」

「裏が取れたか。ちょうどよい。新兵衛とも話しておったところだ」

と、虎千代は僕を見た。

「すまぬな。でいとはまた今度にしてくれ。こやつらと、大事な話がある」

「なあ、虎千代。ずっと悩んでることがあるなら僕にも話してよ」

と、僕は意を決して話をすることにした。ここ数日、気になっていたことをだ。鬼小島にとめられていたが、黒滝の大いくさ、と言うものも話をした。虎千代を怒らせてもいいと思った。彼女が心から思い悩んでいることがあるなら、全力で力にはなってあげたい、僕だってそう言う覚悟くらいはあるつもりだったのだ。

案の定、虎千代の顔がみるみる曇っていったが、やがて大きく息をつき、

「分かった」

と、覚悟を決めた口調で言った。

「時期が来たらいずれ話はしておくべきことだった。お前に触れてはほしくないものだったが、こうして暮らしている以上、致し方あるまい」

そう話す、虎千代の顔つきは今までにないほどに重々しいものだった。

「かなり、苦しい話になる」


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