念願の初夜!?真人、努力の成果が…
(言った)
一大決心だった。
虎千代ほどじゃなくても、僕としてはかなり押した方だ。やましいことはない。欲望をあらわにしたとか、そう言うのではなくて、自分の素直な気持ちを口に出したまでだ。って、なに自分に言い訳してるんだ、僕。
「忘れててもいいよ。…大丈夫、だって、本当は僕から言うべきことだったからさ」
話しながら僕は、虎千代の様子をうかがった。こんな大事なときに怒られるかな、とか、過剰な反応を予想していた僕だったが、虎千代は無反応だ。小器用に箸先を動かして、鮭をほぐしている。
「って虎千代、聞いてた?僕が言ったこと」
「ああ、う、うん。…聞いていた。忘れてないぞ、わたしが言ったことも」
と、虎千代は箸でご飯を取り上げたが、珍しく落とした。平気そうに見えたのだが、すっごい動揺している。よく見ると、小刻みに震えていた。
「大丈夫…?」
「だっ、大丈夫だ!うん、大丈夫…」
駄目だ。目が泳いでいる。そうだった。虎千代、攻撃力は高いのだが、防御力の方は紙のようにもろいのである。いきなりで、よっぽどびっくりしたに違いない。見たことない顔をしていた。
「つまりそのー、本当の家族になる、と言うのは、わたしたちが晴れて夫婦になる、と言うことでよいのかなー?」
「うん」
僕は、頷いて見せた。そう、ここを外すわけにはいかない。
「正式な手続きとかは、春日山城でないと難しいと思うからさ、あくまで内々に」
「内々に…。う、うん。それでよい。今は皆、それどころではないと思うから、それはそれで、いつでもいいのだが」
虎千代は、箸でのの字を書きながら、恐る恐ると言った感じで僕を見た。
「夫婦と言うのは、夫婦のことをしたい、と言うことでいいのだな?」
正式に問われると、恥ずかしい。なんとなく、そうなるように持っていくと言う深雪さんみたいな高等技術は、無理だから仕方ないけど。だからこそここは、ストレートでいくしかない。僕は黙ってうなずいてみせた。
「でー、それはー、このあと…ご飯を食べてから?」
「出来れば。…(小声)今日、黒姫たちもいないみたいだし」
と、言うと、虎千代の表情が急に明るくなった。
「黒姫っ!そうか、ふーん、なんだーあやつもいないのかー。道理でなー、真紗もいなかったしー」
さっきからなんか変なしゃべり方だが、いいだろう。この感じでは、虎千代もまんざらではないと言うことだ。
「どうする?」
もう一押しだ。突っ込んで聞くと虎千代は、そわそわ首を巡らせた。
「わたしはいいよー、いいのではないかなあ。真人がそう思ってくれてるなら。別に、全然構わない。そう言うことなら分かったー」
(やった)
すんなりいった。運命の巡り合わせと言う他ない。ここまで来るのにいくつも難関を想定していたが、今夜はついにそれらを乗り越えたのである。
「じゃ、じゃあ」
「ひゃっ、ひゃああ!?」
と、ずいっと僕が前に出ると、虎千代は悲鳴のような声を上げた。
「まっ、まだ食べてるから!夕餉がまだゆえ!…いきなりは」
あまりの過剰反応に、あわてて僕はなだめに入った。
「そ、それは。今じゃなくて大丈夫だから」
怖いんだと思う。
あれほどの達人にして、自ら激戦の最前線に飛び込むことも厭わない、戦国大名の中の大名なのだが、いかんせん。
処女なのである。
この連載長いけど、これは動かし難い事実だ。いや、お前もそうじゃないかと言われれば、確かにそうなんだけど。
攻撃力が高い反面、防御力が弱い虎千代の弱点がもろに出た。
このあと、僕たちはこっそりと口をすすぎに行ったのだが、虎千代は動作までこわばっていた。急に関節が曲がらなくなったみたいだった。必死で洗顔する姿は、まるでロボットである。
「大丈夫、虎千代?」
僕だって緊張してるのに、思わず心配になってしまう。
「だっ、大丈夫!…問題ない、大丈夫だ」
僕に言っていると言うよりは、自分に言い聞かせているようである。なんだか、かわいそうになってきた。
「あのさ、虎千代。そんなに怖いなら今すぐじゃなくても…」
「怖くない!こっ、怖くなんかないぞ!何を馬鹿なことを!」
言ってから僕は地雷を踏んだことに気づいた。この強情っぱりの武家娘に、怖い、は禁句である。
「わたしだって…お前がその気になるのを待っていたのだ。この機会に…どうにかせねば、次はいつか分かるまい!」
「そうだね」
皆で暮らしている以上、こんな夜は二度と巡ってはこない。やっぱりここは、余計なことは言わないようにしよう。
僕が部屋に戻ってきたあとも、虎千代はしばらく戻ってこなかった。心を平安に保とうと思っているのだろう。一人で待っているとなんだか僕も緊張してきた。
「よし、では参ろう」
虎千代は、やけに颯爽と戻ってきた。浴衣姿で髪はおろしている。防御力は弱いが、プレッシャーや緊張感を克服するのは、得意なようである。
「じゃ、まず…どうする?」
虎千代はどすんと、僕の隣に座った。いざ、聞かれて僕も思わずあわてた。
「あ、布団。布団がいると思う」
「そうか、ならば床を」
僕たちは無言で、布団を敷きだした。布団は一つ、枕は二つと言う例のベッドメイキングである。二人で黙々とそんな作業をしていると、はたから見たら本当におかしいと思う。だが、本人たちは大真面目だ。虎千代などは丹念に、布団の隅を伸ばして整えている。
「ふう、準備万端、整ったな」
虎千代はもうそれだけで、ひと仕事した感じになっている。
「では頼む。あとは、よしなに」
「えっ」
よしなに、って言われても。現在二人で、一つの布団を前に仁王立ちである。
「なんだ、もしかして何も分からないのか?」
「い、いや…そうじゃないけど…」
じゃあよしなに、って言われて始める始め方って、あるんだろうか。
「しょっ、しょうがないな、真人は。ならば、わたしが仕切ろう。実はな、真人、わたしもそれとなく作法と言うものを聞いたことがあって」
「さ…ほう?」
さすがは、武家貴族である。そんな習慣があるとは、夢にも思わなかった。
「まず女子は、布団の足元に座るのだ。初夜の挨拶をして、しかるのに、布団の端を引く」
虎千代は三つ指をついて見せてから、布団の裾を引っ張った。
「で…それでどうすればいいのかな?」
正座したままぐいぐい布団の裾を引っ張る虎千代に、僕は尋ねた。
「え、それは。…布団を引くのは二度…であったかな、三度…ま、とにかく、そのうち、殿方からお声がかかるわけだ。そうして初めて床に入る」
「そこからは?」
虎千代は、眉をひそめてしばらく考えていた。
「よしなに」
「よしなにって…」
振り出しに戻った気がした。
と、言うかさっきから一歩も進んでない。
「毎回迫ってきてたけど、虎千代、本当に何も知らないんだね?」
「悪いか!わたしにこれ以上、分かるわけないだろう!…は、初めてなのだからな!それより、今回はお前が言い出したことではないか!お前が責任を取るのが、筋でわないか!」
(責任…か)
確かにそうだ。男にとっては重い言葉だが、いつかは背負わなきゃいけないものだ。
「分かった、じゃあ、そこに寝て虎千代」
僕は、意を決して言った。虎千代にもどうにも出来ないことだ。ここは、僕がリードするしかない。と、僕は寝そべった虎千代をみて呼吸が止まりそうになった。
(あれ…虎千代ってこんなに綺麗だったけ)
中身は荒武者だが、美少女としての完成度は高いとは思っていた。実際、何度も、かわいいと思ったり、美しいと思ったことはある。でも、綺麗だ、と言う言葉が頭に浮かんだのは初めてだ。
髪をおろしたせいかもしれない。いつものポニーテールとまた違って、何だか大人っぽく見えるのだ。
湯上りの肌も、柚子香をまとってしんなりした洗い髪も柔らかな光沢を帯びて、明かりもほとんどないのに自分で輝いているみたいだ。緊張して噛み締めている唇の色の淡さと肉づきに、思わず言葉を喪ってしまった。
「なんだ?…どうするか分からないが、は、早くしてくれ」
「う、うん…」
虎千代どころじゃない。僕が、緊張の極だ。思わず手が震えてしまう。とりあえず、覆い被さってはみたが、緊張感に追い打ちをかけるだけだ。胸元にかかった洗い髪を払うと、袷からはだけた胸の谷間から、息が詰まるほど甘い温気が立ち上ってきた。
(っどうする…?)
ここから。何も頭に思い浮かばない。いきなり、本題に入ると言うのも、ちょっとまずいだろう。虎千代だって緊張でがちがちだし。ああ僕も誰か、教えてくれる人が欲しい。
「どっ、どうした…!来るなら来いっ」
下から虎千代が、プレッシャーをかけてくる。どうする、うう。
(そ、そうだ…耳だ)
僕は、深雪さんに教えてもらったことを思い出した。確かまずは、耳を撫でるのである。僕は右手を伸ばすと、虎千代の髪をかき上げた。そこにほんのりと紅く色づいた耳があった。それに恐る恐る触れた。
(これでいいのか…?)
正直、えろい感じはあんまりしない。自分のじゃない人の耳に触るのって、何だか変な感じである。虎千代の耳は、ひんやりとしていた。小ぶりで華奢だが、耳たぶの肉づきがちょうどよく、大福もちをこねているみたいだ。
いきなり耳を触られて虎千代は、ぎょっとした顔をしたみたいだが、とりあえずそのままでいようと思ったのか、何も言わなかった。
終始、無言である。
これは別の意味で怪しい展開になってきた。
「これ、気持ちいい?」
僕は堪えかねて、ついに聞いてしまった。だって何か妙である。
「く、くすぐったい。…耳は弱いのだ」
虎千代は怪訝そうに眉をひそめると、恥ずかしそうにもぞもぞした。上手くいってるのかどうか分からないが、今のは色っぽかった。果たして僕って正常なのだろうか。
「じゃ、じゃあ次ね」
次、と言えばこれしかない。僕は虎千代の耳に、顔を近づけると舌を突き出した。
深雪さんにやられてどきどきしたことをそのままやったのだ。
だが、それが思わぬ失態だった。
「ひゃああっ!」
次の瞬間、僕は両手で突き飛ばされた。
「ううううっ、何をする!?なっ、なんてことするのだ!?」
虎千代は悲鳴を上げていた。今までに聞いたことのないかわいい声だったが、よっぽどびっくりしたのだろう。
「耳は弱いと言っただろう!?…耳の穴に、舌を入れるなんて…口にするもおぞましい!必要なのか!?夫婦のことに、今のは本当に必要なのか!?」
「いっ、いや!僕も、変だと思ったよ!?思ったけど、深雪さんが…」
言ってから、僕は口をつぐんだが、遅かった。動転して僕は、とんでもないことを口走ってしまったのだ。
「深雪…?」
虎千代は身体を起こすと、思いっきり眉をひそめた。本日最悪の地雷である。
「い!いや、今のは失言!なんでもないから!」
「けがらわしい!わたしに触るな!出ていけッ、出ていけッ!」
あああ、僕はなんてことをしてしまったのだ。




