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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.16 ~頂上決戦、十界奈落城攻略戦、三つ巴の戦い
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真人、一大決心!約束の夜、どうなる…?

 逃れられない死の影に、囚われたとき。

 僕の中に残ったのは、ただ一人、虎千代だった。


(もう一度、触れたい)


 その髪に、肌に。その唇に、そしてその息遣いに。

 想うことで、いっぱいになった。

 そしてただただ、その想いに打ちのめされた。


 恐らく死が、僕の歩みを止めようとするたび。

 僕はそれを強く望むようになるだろう。

 三島春水が与える死を受け入れたとき、僕は初めてリアルに彼女の存在を感じた。ここで死の彼岸に一歩を踏み出してしまえば、もう会えない。そう思った時、目の前の現実さえも超えて、はっきりとしたイメージが僕の意識を()たした。

 今、そこに誰かの存在を切に感じると言うことは、その欠落を嘆く、と言うことに他ならない。

 どこにいても、何をしていても、死の瞬間は必ずいつかはやってくる。

 そんなとき僕はもう、虎千代に会えなくなることだけを強く嘆くようになるだろう。確かに何度も死にかけたことはあったし、もう虎千代に会えなくなることだって考えたこともあった。だが、あんなことは初めてだった。たぶん、あれほどまでに僕は自分の『死』に、肉薄したことがなかったから。

(そうか)

 しばらく考えて気づいた。

 絶え間ない死の影を、感じていたなら、毎日、好きな人をより身近に感じたい、もっと、と思うのは、ごく自然のことなんだと。

(そうだったんだ…)

 つまり虎千代は、僕よりずっと、ずっと前からこんな気持ちのままでいたんじゃないか。


「差し当たっては一週間だ。…その間に、私たちは『二つ』のすべきことを調えねばならない」

 と、僕たちを集めて信玄は言った。

「一つ、十界奈落城攻めに際する侵入手段を確保すること。これは多方面作戦で行く。松本氏が話してくれたトンネル路からの侵入が主だが、別動隊による侵入も計画せねば、非常に危険だ」

 ここで劔との戦いは、ついに大詰めになる。

 信玄はこの日、完成した鳥瞰図(ちょうかんず)を僕たちの前に掲げてみせた。岩絵の具で彩色までされたそれは、松本さんの奥只見ダムに関する資料をもとに信玄と真紗さんが直接、足を運んで測量まで行った詳細な地図だ。

「よく見てくれ。これは、中々誇れる出来だ。…やっとこの図面が、奥只見ダムとやらではなくて、十界奈落城の全図になった」

 感無量だったのか、あのクールな信玄が珍しく誇らしげだった。無理もない。危険な内偵もさることながら、極寒の奥只見の測量や踏査はまさに命懸けの作業だ。

「トンネルの侵入と占領作戦については、また近くなってから打ち合わせをしたいと思うが、問題はこの全図から割り出すことが出来た迂回侵入路だ。険しい山岳路ゆえ、人員は絞らせてもらうが、恐らくはこの搦め手部隊の動きが作戦の成否を握ることになる」

 信玄は、座にいる全員を見渡す。この危険な山岳部隊は専門家で厳選されることになるだろう、と言うことだが、一体誰がそれを取り仕切ることになるのだろうか。

「候補はすでに考えてある。死んだらそれまで作戦だ。なので参加する人間は、下準備を入念にしてもらうことになる」

 信玄は迂回路について簡潔に説明したあと、思わせぶりに言葉を濁した。

「二つ目は、後顧の憂いをなくすこと。三島春水の証言通り、海童が所持している炭そ菌が、あれで全量かと言うことは、いまだに証明できていない。彼ら自身の捜索も続行するが、背後を衝かれる危険性を排除せねばならない。これに関しては、この数日に手を打つ」

「武田殿、なんとすでに策がおありか?」

 虎千代は怪訝そうな顔を上げた。こちらもまた、解決策の見えない厄介な問題だ。

「無論。…だが今は、とくと仕上げを御覧じろ、としか言えないがね」

 だが信玄はこれも、口ぶりを鈍らせて苦笑するばかりだ。

「とりあえず駒が出そろったところで、近日中に話を詰める。武器や山岳装備その他、具体的な準備も含めて一週間以内、と言う見通しだ。つまりそれまでは各自、自由だ。鍛錬に励むもよし、心残りや気になることがあったら片付けておくように」


 と、言うわけで一週間の休暇だ。

 これまで厳しい戦いの連続だったが、ぱっ、と両手を離されたみたいに、何もなくなった。

(ようし)

 なんと一週間もある。まるで誰かが、僕が虎千代に思いのたけを告げる時間を、用意してくれたかのようだ。信玄も心残りや気になることがあったら、片付ける時間に使え、と言ってたし。こうなったら、一大決心をするしかない。虎千代だってずっと、同じ気持ちでいてくれたんだし。


「おうい、榊とお神酒を替えて祭壇を掃除してくれんか。暇になったのだろう?」

 一人気持ちを高めていると、ふわりと邪魔ものの水干の袖が(ひるがえ)った。

「晴明、出来るだろ自分で」

「自分で自分の祭壇を清める神がどこにいる!?」

 まためんどくさいのが来た。今、それどころじゃないのに。絡まれると面倒だから、適当にあしらっておこう。

「分かった、やっとく。あとで」

「ぬわんだ、その気のない、なさすぎる返事は!史上稀有の天才陰陽師にして、お前の師匠でもあるこの私の祭壇を清めるのが、そんなにめんどいか!大体あとでっていつだいつ!?そもそもこの大陰陽師を崇め奉る作業が、そんなに後回しでたまるものか!もっと敬意を払え、そして持て、緊張感!」

 晴明は怒りのあまり変な語順になった。最後、倒置法で来たか。

「だって休暇だし。ずっと緊張してたんだから、ぼさっとしててもいいじゃないか」

 さらに気のない返事をする僕を、晴明はじとっとした目で睨みつけた。

「見事にぶっっ…たるんでるな真人。そう言う生活態度で、私のような大天才に追いつけるようになれると思うな」

「分かったから。…ちょっと、静かにしててよ。とりえあず祭壇のことはやっとくからさ」

「あとで、か?何か、気になることでもある、と言いたげな顔だな」

「少しね」

 僕は言葉を濁した。話してなるものか。思えば晴明がこうして、僕の身体から祭壇に移動したからこそ、虎千代と二人きりになれるチャンスなんじゃないか。

「まさか、私がいなくなったのをいいことに虎姫と二人だけで何か、美味いものでも食べに行こうとしているのではないだろうな」

「そんなことないって」

 僕はあわてて否定した。当たらずとも遠からずだが、的確に図星を突いてくる。この天才陰陽師、どちらかと言うと下世話な方向に勘が働くから困る。

「分かったよ、掃除はすぐやるから。晴明は、今日は大人しくしててよ」

「全く、不埒な奴よ。何を企んでいるかは知らんが、その(よこしま)な心、どこかで清めた方がいいぞ」

「はいはい、心を込めて雑巾がけもしとくよ」

 僕はそこで話を切り上げた。一週間、あるとは言っても、余裕なんてない。とりあえず雑巾がけしながら考えてはみたが、この件、色々ハードルが高そうだ。


「真人、どうしたそんな真剣な顔をして」

 虎千代は目を丸くした。たぶん、まるでぴんと来てない。

 急に暇が出来た虎千代は、ミケル、玲、それに廣杉まで連れて、早朝から鍛錬に明け暮れ出したのだ。まさにそのスケジュールには一分の隙もない。

 もう、深夜と言っていい時間帯から起きて冷水沐浴、ひとり木剣と真剣を交互に持ち替えては気と技を練り、朝食前の一時間は山岳訓練から帰ってきたミケルと立ち合い仕合。朝食後は雪山を登り、高地に体調を馴染ませ、午後は黒姫と会議、そこからは玲や廣杉も交えて四人で汗を流している。

「いや、ちょっと暇になったから少し二人で過ごせないかな、と思って」

 思い切って切り出してから、ちょっと後悔した。虎千代、切れ切れなのである。十界奈落城攻略へまっしぐら、毎日体力の限界まで動いているのに、そんなこと考える余裕ないに違いない。

 怒るかと思ったが、虎千代は真剣に考えてくれた。

「分かった。では夜で良いか?」

「う、うん。もし疲れてたら、無理しないでいいからね?」

 気を遣って言うと、みるみる気持ちが萎えた。

 なんだかキャリアウーマンの奥さんに、気後れする主夫みたいである。仕事と家庭の両立って、やっぱり難しいのだろうな。今頃、母親の苦労が分かった。


 また一人になってから、考えた。

 虎千代自身は、どう思ってるんだろう。

 以前はしつこいくらいに強引に迫って来たけど、この頃はそんなこと、ほとんど口にしないし。もしかしたらもう、そんなこと考えてないかも知れないなあ。

(夜、そんなこと言ったら怒られるかな…)

 正直その、心残りと言うのは性欲の問題ではなく、けじめと言うか、僕たちの関係を前に進めたい一心からの提案だと信じたいのだが、迫られる女の子の方は、そうは思わないだろうなあ。

 虎千代もたぶん、僕に迫るのに一大決心をしていたのだ。自分だって処女なのに、どこまで男前なんだと思わないでもないが、言ってしまったら最後、拒否られ方によっては致命傷に至る事案である。

(どうしよう…)

 ああなんか、へたれな方の自分が勝ちそうな気がしてきた。


 それでも夜に、約束してしまった。


(そうだ、黒姫を何とかしておかないと)

 僕はあわてて、台所に走った。あいつに妨害された件は、枚挙に暇がない。

 自分自身のことでも大変なのに、黒姫と言う強敵までいたことを忘れていたじゃないか。

 珍しく厨に、黒姫はいなかった。ついさっきまで黒姫は虎千代が山岳訓練に行くのに、大釜いっぱいに炊いた鶏飯のおにぎりを山ほど握って握りすぎて、虎千代に怒られていたのだ。

「黒姫ちょっと話が!…ってあれ、違う?」

「そんな血相変えて。どないしたりましたえ、真人はん」

 代わりに土間で火加減を見ているのは、布巾をかぶった深雪さんだったのだ。


「女子はんの誘い方?」

 すっごく迷ったがここは、プロの意見を聞くしかない。たぶんその道なら深雪さんの右に出るものはいないはずだ。

「男はんからどしたら、簡単どす。…じいっと目ぇ見つめて、髪撫でて、女子はんに聞こえるだけの声で、そうっと言うたら、それでいいと思いますけど」

「えっ、でもなんて言えば」

「それは、男はんの仕事どす」

 皆まで言わせるな、と言うように深雪さんは、恥ずかしそうに笑った。

「難しいこと、何もありまへんえ。好きな男に欲しい、言われたら、女は身の内がぶるぶるっと震えて、その気になりますんや。…はい、もう少しこっちに来て」

 と、言うと深雪さんは、手のひらを縦にして僕の顔と深雪さんの顔の間に置いた。

「もっと近う。女は、男はんの気持ち、自分にだけ教えてくれたらそれでええんどす。だから顔と顔の距離は、これくらいで」

 そっと、手を外すと深雪さんは、僕の耳の後ろに手をまわして髪を撫でた。

「ふっ、深雪さん…!?」

 ええっ、もう始まってる?

 そんなこと問い返す間もなく、深雪さんは上目遣いで僕を見つめながら、髪から耳の後ろを甘酸っぱい感じで、撫でられていく。

「始める言うてやったら、野暮え。いつの間にか、自然な感じが大事どす。…で、撫でるときは、指先を立てて。くすぐるようにゆうっくり、引っかいて…」

 話しながら深雪さんは、悩まし気に息を深くしていく。ふと見るとその瞳が潤んでいて、熱っぽい感じになっている。それを見ていると、吸い込まれそうだ。そんなことしながら耳の裏をいじられていると、どこか(かすみ)がかかったように、気持ちに(しゃ)がかかっていく。

 冷たい指先を左耳の穴に入れられたと思った瞬間だった。反対側の頬に、深雪さんの熱いほっぺたがぴったりとくっつけられて、唇が右耳に触れる。耳の穴ごと耳たぶを噛まれたかと思うと、熱い舌が入りこんできて僕は心臓が停まるかと思った。前後不覚になった僕に深雪さんはそっと囁いた。

「うちも真人はん欲しい…」

 腰が抜けた。もののたとえではなく、本当に、その場で。

 上級者向け過ぎる。思い切って相談したら、とんでもない目に遭ったじゃないか。


「黒姫さんと出かけてくる。今夜戻らないから、夕ご飯は深雪さんたちに頼んで」

 その夜、ふいに真紗さんから吉報が降った。策を講じるまでもなく、今日一晩中、黒姫はいない。帰りは明日の昼頃になると言う。なんだってえ!?

「真人、湯あみをしてくる。汗を流したら、たまには二人きりで、ゆっくり夕餉でもとろうではないか」

 虎千代も、どこか嬉しそうだった。チャンスが、おあつらえ向きにやってきている。これはもう、やるしかないのか…?





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