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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.16 ~頂上決戦、十界奈落城攻略戦、三つ巴の戦い
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ついに起きた悲劇!目的は復讐へ、邪神との決戦…

 悲劇は、ほんの一瞬だった。昨日と昼と言うから、僕たちがまだ、中隊長たちの幕営を急襲する前だ。

 苛烈な最前線から離れて、玲は鎬と二人で非戦闘員の避難にあたっていた。いかな達人とてもはや人の手が及ぶ事態ではない。信長たちが辛くも支える塹壕(ざんごう)を越えて、こちらにも砲弾が落ちてくる。地形を変える威力を持ったそれは、至近弾の衝撃波ですら殺傷能力を持つ危険なものだ。

 だが幸い、退避訓練が行き届いている。この孤狼窟の最深部である自然洞窟への退避は、どこからでも出来るように設計されているのだ。信玄の度重なる訓練で、地下へもぐることがなにより安全であることを理解している玲たちは、地上の脅威にさらされることなく、避難をすることが出来た。

 最も大きい地下道では、トラックでの移動が可能だ。

「さっさと乗れ」

 久遠は怪我をおして、何度も往復してくれたと言う。お陰で小綾や深雪さんたちもつつがなく移動できた。個人的にはどうもそりが合わない人だが、こういうときの決断の速さは尊敬に値する。

「もう全員、退避したっすよ!自分たちもさっさと逃げるっすよ!」

 とどろく砲声と地鳴りの音にさすがの鎬でも泡を食って訴えても、

「本当だろうな」

 久遠は眉ひとつ動かさない。

「逃げ遅れを見逃すんじゃないぞ。こう言う時は、必ずいるもんだ」

 あわてているときほど見落としが多いと言うのは、どんなときも同じだ。玲が荷台にいる人の頭数を数えていると、

「あの、もし皆さん。一花はんを見ましたえ?」

 深雪さんが心配そうに尋ねた。


 一花はあれからすぐに起き上れるようになり、いざと言う時の避難も、自分で出来ると言っていたそうなのである。

 僕が鬼子を取り除いてからの回復は早く、間もなく双子姉妹に会いに坂戸へ向かう予定でいたのだ。

「直前まで一緒にいたのは、誰だ?」

 久遠がいらだちながら言うと、玲はおずおずと手を挙げた。

「貴様は、あの娘をどうした?」

「一花は、深雪さんのところへ行くって。自分で行けるから、僕は子供たちの避難にあたって欲しい。そう、言ってくれて」

 兵舎で別れて、それっきりだと言う。果たして深雪さんのもとに、一花は現れていない。

「馬鹿め、それが怠慢だと言うのだ」

「ごめんなさい」

 玲はぐうの音も出ない。一花の回復ぶりがあまりに目を見張るものだったので、つい油断してしまったのだ。

「五分で探せ。無理なら、見捨てるぞ」

「そんな…」

 青くなる玲に、久遠は鼻を鳴らした。

「ここは戦場だ。もたもたして全員犠牲になるのは最も愚かなことだ」

 するとへこんでいる玲を見かねて、鎬が割って入った。

「揉めててもしょうがないっすよ。玲さん、なんてゆうか、ざっと居場所が分かる方法とかってないんすか?」

 玲はそこでようやく、思い出したらしい。

「そうだ真人くんから、晴明さんを預かってるんだった」


 留守居にもしものことがあっては困るので、僕は晴明に携帯できる憑代(よりしろ)に移ってもらい、それを玲に預けて来たのだった。晴明ならば、僕と同じ結界が使える。誰がどこにいるのかなど、居場所は一目瞭然だ。

 一花はまったく違う方向にいたが、それほど遠いところへ行ったわけではないようだ。はぐれるうち恐らく迷ってしまったのだろうと言うのが、玲たちのその時点での見解だった。


「五分だぞ」

 と言う久遠を置いて、玲と鎬は一花のもとへ向かった。

「二人とも、覚悟はしておけ。一花は戻らんかも知れんぞ」

 突然、晴明が奇妙なことを言い出したのはそのときだ。玲と鎬はこの時点では紗布屠の接近にまったく気づいていない。不思議そうに顔を見合わせるだけだった。

「どう言うことっすか?」

「一花は、たまたまはぐれたのではないかも知れぬ、と言うことよ」

 晴明は、苦し気に顔を歪めた。

「この身が(うず)くのよ。…ぬかった。あの娘はまだ、危険な状態にいるのかも知れぬ」


 ここまで晴明が言っても、玲たちが紗布屠の出現を予想できなかったのも無理はない。一花のお腹の中から、僕は邪神を取り出し、彼女の脅威は去った、と言ったのだから。実際のところ僕もそう思っていた。やつは、鬼子を取り返すために、僕の元へ直接現れると思っていたのだ。


 一花は砲弾が砂煙を上げる中庭に、ぽつんとたたずんでいた。不穏な風切り音と衝撃波が起こす爆風が吹きすさぶ最中だ。すでからして、正気には見えない。

「一花ッ、戻って早くッ!」

 爆音が耳を弄する中、玲が声を絞ったときだった。一花の足元に、砲弾が落ちたのだ。身を乗り出していた玲に抱き着いて、鎬が衝撃波をやり過ごした。今のは直撃だ。一花の身体は木っ端みじんに吹き飛んだように見えた。

 だが砂嵐の中にぽつんと、二人は人影を見た。聴覚が麻痺した状態でみるその光景は、現実感すら喪わせる光景だった。

(生きている…?)

 一花は、陽炎立つ熱風に包まれていた。なんと両足とも地を離れ浮いている。熱砂の竜巻である。普通の人間ならば、窒息死するところだ。


「余の孕み子を奪ったな」


 突如、響いてきた声に二人は凍りついた。怒鳴っても叫んでもいないのに、くっきりと聞こえる男の声。これも、ありえないことだ。

「何者だ。姿を現せ」

 玲は菊一文字の鞘を払った。だが、むろん手におえるような相手ではない。

「玲さんッ、あれっ、あれっ!」

 鎬の悲鳴が耳朶を打ち、玲ははるか上空を見た。

 砲弾飛び交う烈風をまとって、一人の男が降りてくるところだった。

「紗布屠…」

 玲もついに、その名を思い出した。忘れようがない。一花の危機を、この邪神の化身の手から救ったのだ。

「一花はもう関係ないッ!いったい、何をしに来たッ!?」

 玲は声の限り叫んだが、紗布屠は聞いていない。地獄から降り立った邪神は、致死の烈風の中に舞う、一花を難なくその手に抱き取った。

「一花め。…子を(ぬす)まれおって。余の寵姫なるを忘れたか」

 邪神は茄子色の瞳を、妖しく潤ませた。

「下郎ども。余の子を持ち去りしは、あの真人と言う鼠か」

「一花を離せッ」

 玲は容赦なく抜き打ちを浴びせた。だが紗布屠に刃が届くはずがない。逆に熱風を浴びて吹き飛ばされた。

「玲さんッ!」

 鎬は蹄型(ひづめがた)の手裏剣を構えたが、紗布屠は畏れる様子もない。

「下問に答えろと言ったのだ。下郎、余の長子を盗ったのは、真人か。そうだな?」

 一花を抱きとめたまま、紗布屠は片手を(かざ)した。

「次はあの程度では、済まさぬ。つまらぬことで、蒸し焼きになりたくはないだろう」

 鎬は無言で頷いている。圧倒されるほかない。相手は人知を超えた化け物だ。

「いいだろう。盗人は、両目をえぐりだして焼き殺す。罪は免れえぬ。今夜、お前に余が直々の死を遣わす、とあの男に伝えておくがいい」

「一花を返せッ!」

 果敢にも玲は、三度挑んだ。しかし鎬にした警告を、聞いておくべきだったのだ。玲が拝みうちに紗布屠を斬り下ろそうとした刹那、翳した片手が閃き、禍々しい爆炎が玲を包んだ。まるで爆弾だ。

「うああああっ!…ううううっ…」

 肉が焼ける白煙と、おぞましい音が辺りに響く。鎬は顔色を失い、玲に雪をぶちまけてその火を消そうとした。

「馬鹿め。…罪からは、何者も免れえぬ。あの男を罰するときは、この程度では済まさぬ。精々、苦しませて焼いてやろう。…くく、何者も余の裁きからは逃れえぬぞ。この女も、不義を犯した。余と通じておきながらも、その孕み子をまんまと人手に渡した」

 玲を焼いた手を、紗布屠は一花の額に置いた。誰もそれを妨げるものはいない。まったく、なす術がなかった。

「大罪はあの男にある。しかし、死は免れぬ。覚悟しろ」

 そのとき薄く開けた一花の目の色に、意志の光が射した。恐らくはさっきまで紗布屠に操られていたのだ。それがこの一瞬、無残にも正気に戻らされたのだ。自分が今置かれている状況に気づいた一花は恐怖に目を見開き、叫ぼうとした。しかし、わななく唇から悲鳴は漏れなかった。邪悪な烈風が、すでにすべてを遮っていた。


「燃えろ」


 紗布屠が命じた刹那。


 その禍々しい瞳と同じ、茄子色の炎が一花を包んだ。

 ほんの数分だった。たったのそれだけの間に一花の姿はこの地上に、跡形もなく、永遠に失われてしまったのだった。


 跡には、残骸すら残らない。

 紗布屠は自らの炎の苛烈さを誇るように、爆風で地を払った。

「余は慈悲深いであろう。苦しまず、葬ってやったぞ」

 そこまでだった。

 哄笑を残して、紗布屠は消えた。一花を包んだ熱砂の竜巻に揉まれ、はじめからそこにいなかったかのように。しかし一花は、死んだ。彼女の姿を見ることの出来るものは、もはやこの地上に誰一人としていないのだ。


「僕の誤算だ」

 それ以上、言葉にならなかった。ただただ、うめくしかなかった。勝手に、思い込んでいたのだ。鬼子を移した時点で、紗布屠の狙いは僕になり、一花のことは、見向きもしなくなるはずだと。だがあの邪神の怒りは、一花に向けられたままだったのだ。僕への見せしめに一花を狙うかも知れないなどと言うことは、当然、予測が立った事態だったはずなのに。

「守れなかった…真人くん、ごめんなさい」

「いいんだ」

 それしか言えなかった。玲に怪我をさせたのも、僕の見通しが甘かったからだ。僕は玲の頬についた(すす)を丹念に払ってあげた。これ以上、してあげられることが今はない。ただただ、それが悔しかった。

「起こったことを、ただ悔やむな」

 震える僕の背に、そっと虎千代が手を置いたのはそのときだ。

「悔しいと思わば、歩みをとめるな。ここはまだ、戦場ぞ」

 僕は無言で頷いた。知っている。怒りと嘆きを吐き出しても、一花は戻ってこない。僕が守れなかった、と言う事実は消えない。肚で飲み下す以外にないのだ。刺すような虎千代の言葉が、今の僕にとってはむしろ、歩みを止めぬ糧になる。

(紗布屠…)

 怒りで手が震える。こんなことは、初めてだ。僕にみせしめるためにただ、一花を殺した、と言うならば。僕を盗人と非難するためだけに、玲を傷つけ、さらには龍河たちを操っていたずらに戦線を混乱させ、無駄な命を戦場に散らした、と言うのならば。

「玲は大丈夫だ、大将」

 顔色が変わったのを察したのか、ミケルが僕の肩を抱いた。

「頼むから、あんたはそんな顔するな」

 ミケルは、虎千代の方へあごをしゃくる。虎千代は、悲しそうな顔をしていた。

「真人、頼りにしている」

「分かっている」

 と、僕は答えた。だが心は怒りで我を忘れていた。紗布屠への憎悪もそうだが、何よりも不甲斐ない自分への怒りで。


「ようやく戦線が収拾したところ悪いが、動けるものには早急に動いてもらう」

 被害と犠牲者の把握をすると信玄は、人手を分ける相談を始めた。孤狼窟の復興も急務だが、ようやく判明した海童たちの消息を追うのも外せない。地勢把握もそこそこに可及的速やかに、急襲作戦を整えなくてはならない。

 言うまでもなく信玄は、後衛を自分と黒姫たち軒猿衆に任せて、虎千代を中心に外征メンバーを組んでもらいたい考えだ。

「作戦は、あたしと虎千代ちゃんで計画するわ。三日でまとめたいから、一緒に山歩き出来る人限定で!」

 と言われれば、当然ついていくのはミケルだ。

「阿呆!この信長もおるだわ!たまには、話のど本題に連れてってちょお!」

 やれやれと言った感じだ。越後の雪山を制覇した信長は、すっかり雪焼けしている。連れて行けば絶対役に立つと言う本人の猛アピールで、虎千代と真紗さんはしぶしぶ採用していた。

「あんた、戦って疲れてないの?」

 真紗さんもすっかりあきれ顔だ。

「ふん!今疲れと言うたか!このうつけめ、信長に疲れなどと言う言葉はないわッ!われは、こおんなに活躍しておるのに、ちいっとも目立っておらぬではないか。もっと修羅場にッ!もっとアツい場所に、この信長を連れていかんか!」

「うちで元気なのはあやつくらいよな」

 虎千代もすっかり、げんなりしている。

「まあ、体力勝負だから、ちょっとお馬鹿がいたくらいがちょうどいいかもね。これで真人くん入れて五人かあ。ちょっと少ないかしら」

「あの、ちょっと。俺もついていっていいか」

 そこで手を挙げたのは、廣杉である。

「山岳戦闘の経験はある。満州では、ずいぶんやったからな。…それに、毒ガス追ってるんだろ?満州にも秘密の毒薬ガス実験場はあったし、よくってほどじゃないが、やり口は知ってるつもりだ」

「へえ。ずいぶん、頑張るのね」

 真紗さんが鼻白んだように言った。虎千代もミケルも廣杉をもはや捕虜だとは思っていないが、疑い深い真紗さんの認識は、覆せていない。今の廣杉の提案は、出すぎだと思われても、仕方がない。

「…まだ海のものとも山のものとも思われてねえのは、知ってる。だが姫様、あんたの役に立ちたいんだ」

「ありがとう廣杉。されば、甘えるとしよう。道中、わたしの背を守ってくれ」

「ああ、任せてくれ」

 虎千代が二つ返事で答えると、廣杉は嬉しそうに相好をほころばせた。複雑なところのない人だ。裏を疑うには、分かりやすぎる。

「廣杉は、わたしの長尾家の家臣としたのだ。全責任はわたしが持つ」

「分かったわよ。そう言うことなら、あたしから何も言うことはない」

 何しろ再び、山岳へ舞い戻るのだ。三島春水たちとの遭遇もそうだが、危険に次ぐ危険を覚悟しなくてはならない。

「丸一日休んだら、出るわよ。やることあったら、みんな済ませておいて」


「大将、野暮用なら付き合うぞ」

 それから僕は五時間寝た。夜半にはまた、明るい月が出るのを待って出るつもりだった。ミケルはずっと察して待っていてくれていたようだ。

「男のけじめってやつだ。一花もそうだが、玲の仇だ。もとはおれが持ってきた話だ。おれには最後まで見届ける責任がある」

「好きにすればいいさ」

 と、僕は言ったが、これは確かに僕たちの決着だ。僕は紗布屠を倒すためだけに、この鬼子の力を手に入れたのだ。

(覚悟しろ)

「今晩一晩でかたをつける」

 僕とミケルは頷き合った。

 雲が晴れ始めた。

 今夜の風が上手く、僕たちを導いてくれるだろう。






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