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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.16 ~頂上決戦、十界奈落城攻略戦、三つ巴の戦い
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帰るべき場所のために、真人、新たな戦いへの決意…

 どす黒い煤煙が炸裂するとともに、香ばしい匂いが弾けた。人が()ける臭いだ。それはみるみるうちに炭化して鼻を突く異臭になり、やがて白煙に紛れたが、いつまで経っても消えて行かない。

 雪を溶かしてバラエフは仰向けに倒れたまま、ぴくりとも動かない。あの一瞬で即死したのか、悲鳴もうめき声も僕の耳には届いて来なかった。聞いたのは燃え盛る爆発音と肉が焼ける音と、雪が気化して立ち上る水蒸気の煙の音である。

 ただの暴発ではない。僕が生みだした炎の鬼子の種子(たね)が、酸素を孕んで爆発したのだ。

「真人…」

 音もなく虎千代が、立ち上がってきていた。僕の袖を引き、我に返らせようとしたのだ。僕は普通じゃなかった。反射的に、僕は虎千代が差し伸べたその手を、振り払ったからだ。身の内で荒ぶる何かが、残り火としては凄まじすぎる勢いで湧き上がってきたのだ。

「ごめん」

 僕は今ので、やっと我に返った。気がつくと、全身が固く強張っていた。

「わたしは、無事だ。どこも怪我をしてない」

 虎千代はそんな僕を、切ない眼差しで見上げると強く抱きしめてくれた。

「真人、お前のお陰だ。…本当に助かった」

 その声と僕を抱きしめてくれた虎千代の体温で、全身から力が抜けた。

(助かったのは、僕の方だ…)

 僕は大きく息をついた。縮み上がって強張った肺の筋肉が、嘘のようにほぐれていく。

(初めて人を殺した)

 バラエフは無言のまま、焼けていっている。炎は上がっていないのに、みるみる身体は炭化していく。白煙に覆われた顔面は、すでに骨格が見え始めていた。唯一の救いはあの一撃で、この男が即死したことだったかも知れない。

 急に恐ろしくなり、僕はいまだにバラエフの遺体に巣食っている、鬼子の残り火を消した。この炎は、自然界に存在する『火』とは明らかに、性質の異なる生きている炎だ。僕が放置すればいつまでもその場に存在するものを焼き尽くしてしまうのだ。

 僕が炎の鬼子を(はら)ったとき、バラエフの面影は、すでにそこにはなかった。そこにあったのは、黒い水と溶けた雪で(にじ)んだ炭くずに過ぎない。あの男はもう、地上から完全に姿を消したのだ。

「行こう」

 山火事の心配がないと確認すると、虎千代は言った。

「ともかく時が惜しい。皆がわたしたちを待っている」

「うん」

 僕は、小さく頷いた。もうここからは、離れなければならない。


(分かっている)

 殊更に僕を急かしたのは、何より虎千代の気づかいだ。ある種の喪失感とも表現しえるものに、僕が取り憑かれてしまうことを恐れたんだと思う。

 自分が手に懸けた生命の存在を背負う。

 それは、この喪失感と闘うことが、第一歩だったのだ。今やっと、僕は分かった。虎千代は僕にこれを、味あわせたくは無かったのだ。


「下がっていろ。恐らく、こやつだけではない」

 呆然としている僕に、虎千代が厳しい声を出した。

「始末していく。次は決して、手を出すな」

 虎千代は自分の腰の柄を拳で叩くと、一転、声を張った。

「一人、死んだ。お前らの頭目だ。遺骸はこれにッ」

 雑木林は森閑としている。足跡ひとつない雪原からは、虎千代が張った大音声の余韻だけが響いてくるばかりだ。

「討ち取ったは、我よ。わたしが殺したッ!長尾景虎ッ、逃げも隠れもせぬ」

「虎千代ッ」

 僕は思わず、その袖にすがった。

「やめてくれ。…危ないだろ」

 虎千代は自ら囮になる気だ。冗談じゃない。連中がいるとするならば、バラエフの息子のユーリーは狙撃銃を持っているのだ。しかし虎千代は、抜き身のごとき鋭い目を僕に向ける。

「黙っていろと言ったはずだ」

 すかさず銃声が響いた。僕は見た。虎千代の頬ぎりぎりを掠めて、オレンジ色の火煎(ひや)が、根雪に突き刺さったのを。虎千代の頬にひと筋、紅い血の線が浮かんだ。

「邪魔だッ、伏せえいッ」

 虎千代は僕に足払いをかけると、無理やり引き倒した。その間にも、銃火は降りそそいでくる。

「そこか」

 狙撃手のいる方角を見澄ました虎千代は、抜刀して一気に駆け抜ける。遮蔽物の多い雑木林の中では銃手が(かえ)って不利だった。たちまち射程距離を詰められる。枯れ柴の落ちだまりに少年は潜んでいた。抜刀する虎千代の肉薄に焦ったのか、次弾はあらぬ方向に向けて引き金を絞ってしまう。

「停まれッ」

 虎千代が容赦なく、そこへ殺到しようとしたときだ。梢の背後から何者かが飛びだしてきて、襲撃を加えた。さっきのスコップの男だ。さっきの僕の炎で火傷は負っているものの、運動能力に支障はない。

 虎千代はすかさず振り返った。

 刹那、スコップの男はすでに動作に入っている。虎千代の延髄(えんずい)に狙いをすまして振り下ろした。しかし至近距離では、虎千代の剣の方が速い。振り向きざま、円運動で()ぎ払った斬り下ろしは、男のスコップの持ち手を的確に捉えた。

 パスッ、と言う軽い音とともに、手首が吹き飛んだ。バランスを喪ったスコップはむざんに崩れ落ち、男の目は驚愕に見開かれた。その咽喉肉(のどにく)に、すかさず切り返した虎千代の刃が喰いこんだ。一分の隙も無い龍尾剣(りゅうびけん)(つばめ返しの別名)である。

 動脈ごと血肉を掃き飛ばされた男は、まるで糸が切れた人形のように崩れ落ちた。膝をついて腹ばいになったその身体を、みるみる鮮やかな動脈血が濡らす。断末魔を上げる間すらない即死である。

「どうしたッ、撃たぬかッ!次はおのれの番ぞッ!」

 残心の気迫そのままに、虎千代が()えた。銃身を構えたものの、ユーリーは凍りついたように引き金を絞れない。苛烈な斬人剣での死に様は、幾度みても凄愴(せいそう)である。致命弾一発で、命を持ち去るのとは、やはり違う。

「撃てぬなら、殺すッ!」

 虎千代に叱咤されるようにして、ユーリーは引き金に指を(つが)えたはいいが、銃身が定まらずに虎千代を捉えきれない。そうこうしているうち、震えは足元に伝わり、ついに膝が笑った。

「パパーシャッ…!」

 がちがちと歯を()み鳴らし、少年はついに嗚咽(おえつ)した。雪のように白い(かんばせ)を桜の花びら色に紅潮させ、少年は苦悶におめく。絶望のあまり、少年は銃を投げ出した。その瞬間、僕は想った。バラエフの凄惨な最期を、少年はどこかで見ていたに違いないと。この震えの多くは、目の前の虎千代に恐怖しているのではない。その叫び声は、あまりに悲痛だった。

 自制を喪ったユーリーを、虎千代は目を細めてしばし眺めていた。しかし一度、修羅に()った虎千代は、生半可な容赦を持たない。せめて一太刀にてと、鮮血でぬめる刃を上げた瞬間だ。

「もういいッ、虎千代!」

 どうにか僕の、制止の声が間に合った。虎千代はぴたりと剣を停めた。あと一歩、反応が遅れていたなら、ユーリーは斬殺されていたところだ。

「…父親なんだ」

 と、僕はバラエフの焼死体を振り返って言った。ロシア語は判らずとも、それだけで虎千代は、すべてを察したようだった。ユーリーは父親の名を、たった今、僕が生きながらにして焼き殺した男の名を、呼んでいたからだ。

「分かった」

 と言うと、虎千代は血ぶるいをして、納刀した。残心しただけで、その場の空気が酷寒から急に和らいだようになるから、不思議だ。

(とぶら)うに、一人では辛かろう」

 虎千代は、明後日の方角へ向かって言った。僕にではなかった。スコップの男同様、まだ雑木林に隠れていた男に言ったのだ。飛天鬼と言われた日本人馬賊は、両手の平をこちらへ見せながら、(けやき)の古大木から出て来た。

「おれたちを逃がしてくれるのか?」

 飛天鬼は斃れているスコップの男を一瞥すると、ひび割れた声で問うた。

「もう何もせぬさ。…お前たちが、今すぐ仇を討ちたいと言うなら別だがな」

「やめておく」

 飛天鬼は片頬を()らせて、苦笑した。

「おれはすでに、仕掛ける気はない。ここが戦国時代で、あんたがあの長尾景虎だ、と言うならな。…あんたには分からないだろうが、おれはもう仲間を喪いたくない。天涯孤独の身の上でね」

「二人とも、わたしを狙って死んだ。…仇を討つ気になったら、長尾景虎を狙え、と伝えておけ。すべてはわたしの命令だ」

「分かった」

 飛天鬼は言うと、途方に暮れたままの白系ロシア人の少年を、抱き起した。見ていると考えてしまう。僕は、この少年の父親を殺してしまったんだ。

「行くぞ」

 虎千代は強く、僕を促した。父親の惨死を悼むユーリーの声が、まだ僕の耳に残っていた。自分が促されて分かったがこのままだと、足に根が張ってその場にへたり込んでしまいそうだったのだ。

「今は頼む。…忘れろ」

 とだけ、虎千代は、僕に言った。虎千代の言う通りではあった。次の局面が、すでに控えているのだ。もう、振り返ることは許されない。

(行くんだ)

 僕は、歯を喰いしばって先を急ぐ虎千代についていった。


「お帰りなさいです!よくぞご無事でっ☆」

 黒姫たちとは比較的早くに合流出来た。そこは孤狼窟の前哨基地として以前の持ち主が監視塔を築いた岩谷である。黒姫はそこに普段は軒猿衆たちを派遣して、侵入者の発見に努めていた。

「よく、こんな場所が無事だったな」

 虎千代はやや呆れ気味に黒姫に、問うた。

「連中の方針は、正面突破ですよ。こんな小さな辺境の物見台を、気にしている暇はないのです」

 劔の主力部隊は、何を隠すこともなく、正面突破を強行してきたそうな。

「規模としては、歩兵大隊と言ったところか」

 旧日本陸軍の兵制が頭に入っている信玄は、一瞬でその構成を見抜いていた。集まっただけ着到を記録するだけの戦国の軍勢と違い、近代化された軍隊は、勅令(ちょくれい)で定員が決まっている。

 一個大隊は四個中隊で総勢は五百六十名が平時定員である。大隊長は少佐で、本部は十六名の構成だ。

 それだけ分かれば話が早いと思ったか信玄は、その司令部を乗っ取るため、真紗さんたちを率いてすでに出て行ったと言う。

「武田殿が司令部を乗っ取れば、戦況は一気に変わるはずですよ」

 信玄が出て行って、半刻である。銃火も砲声も、断続的に続いているが、間もなく守勢は攻勢に転じられるだろうと言うのが、黒姫の見通しだ。

「いくさの出来ぬ者たちの避難は?」

「軒猿衆が動いておりますが、ほぼ心配はないようですよう」

 これについては留守居を預かった信長が、迅速だった。かねてより、整備の終わった洞窟の地下壕に深雪さんたちをはじめ戦えないものは、残らず避難させておいたのだと言う。

「と、なると、孤狼窟は今、もぬけの殻か」

 虎千代の問いに、黒姫はなぜか唇を噛んだ。

「いえ、なーんかあの小僧、勝手に色々やってたみたいなのですよ」

 黒姫が放った物見によると、孤狼窟内部は信長が造ったトラップが張り巡らされ、味方とは言え、うかつに行動できない状況になっているらしい。その中を信長、玲、義利の三手がゲリラ化して暗躍する作戦のようだ。

「ったく、わたくしや虎さまに断りもなく塹壕改造したり、空堀作ったり。後始末が大変でわないですか!」

 黒姫はいちいち目くじらを立てるが、信長の採った作戦は見事に図に当たった。すすんで敷地に敵を迎え入れる作戦は確かに危険だが、そもそもこの広大な孤狼窟を要塞化して守り切ろうとする方が不合理だし、実現できるわけがない。そこを割り切っての大胆な発想の転換は、まさに信長の独壇場と言える。

「小僧め、さすが、心得ている」

 虎千代も思わずうなった。

「つくづく行く末恐ろしい奴よ。…まあ、良いではないか黒姫」

 信長たちは火力で勝る敵の猛攻をいなしつつ、神出鬼没の活躍を続けているようだ。この作戦は、容易いようでいて、ごく限られた人間にしか出来まい。近代戦でも信長の稀有の戦術眼は十分、猛威を奮っているようだ。

 次々に届く信長の戦果を、虎千代は理屈抜きで認めていた。

「ミケルはどうした?…よもや、単独で動いているのか?」

「は、はあ、それが…」

 黒姫はおずおずと肯いた。ミケルの方はなんと、独立して展開する四個中隊の司令官暗殺に動いているらしい。エスパーダ一本の特殊部隊作戦である。

「あやつらしいな」

 虎千代は苦笑した。無謀極まりないが、少数が最も効果を発揮できる作戦だと言うことを知っている。だがそれをあえて決行する無鉄砲は誰かさんにそっくりである。

「と、言うことはどうやら、そっちが手薄らしいな。…良かろう、あやつ一人に危険な役は任せられん」

 虎千代は竹筒の水で刃を湿すと、携帯の砥石で荒砥(あらとぎ)をかけた。黒姫も思わず、悲鳴を上げそうになったが、御大将自ら一番危険な任務に飛び込むのは、いつものことだ。すぐに手持ちの軒猿衆から心得の手利きを択んだ。

「黒姫は引き続き、連絡役を。…真人は連れて行く」

「ええっ!?真人さんもここに残らないのですか!?本当に行くですかあっ!?」

 黒姫は思わず目を剥いた。そのとき砲声がして、地鳴りが伝ったこの辺りまで砂埃が落ちてきた。

「来るな、真人?」

 虎千代は、僕に鋭い眼差しを向けた。口調も有無を言わさぬ感じだった。

「行くよ」

 僕は、即座に答えた。この期に及んだって、変わりはしない。決心した限りは、命を懸けて応えなきゃ。虎千代だって今でも身を(てい)して、僕を守ろうとしてくれているのだから。

「僕が侵入を手引きする。僕がいなくちゃ、ミケルの居場所までたどり着けない」

「よろしく頼む」

「まっ、真人さん!虎さまについてっても、無茶だけは、ダメですよう!」

「分かってるよ」

 僕も、死ぬつもりはない。ここを乗り越えずに死ぬものか。


「僕が侵入を手引きする。ミケルはそう、遠くにはいない」

 移動しつつ僕は、天目の呪で確認した。孤狼窟の基地内には、晴明と僕で結界を張り巡らせてある。これがある限り、パルスレーダーのように、範囲内の状況はすべて把握出来るのだ。

「怖いか」

 虎千代は、ぽつんと聞いてきた。聞かでものことを、わざわざ聞いた意図は、僕にも分かっている。

「うん、いつも通りにね」

「ならばいい」

 今は、忘れろ。

 さっき、虎千代は言った。僕もその意味と今の状況の関連については、理解しているつもりだ。

「僕は、虎千代を守りたい。だからこの力を身に着けたんだし、そのとき決意もした」

 僕は淡々と、言った。虎千代に分かってもらいたくて話しているわけではなく、まるで虚空に話しかけているような気分だったが、自分に言い聞かせているのだと思うことにした。

「正しいことをした、と言うつもりはない。でも、同じことがあったら僕は次もやると思う。大切な人を守るために。…虎千代がずっと、やってきてくれたように」

 気がつくと、虎千代が僕の手を取っていた。彼女は再び、僕を抱きしめた。頬を合わせるとき、この寒さと雪でかすかに潤った髪の毛の感触と体温が香った。虎千代は、何かに安堵したように大きく息をついた。彼女は確かめているのだ。そう、僕も、同じように。

(これからは、命を懸けて戦うんだ)

 喪いたくないもの。守るべきもののため。その香りと体温で、何度でも確かめたい。何があろうと生きて必ず、ここへ帰って来るんだ。

「急ごう、ミケルが危ない」

 僕は自分の手に絡みつく虎千代の後ろ髪の名残を、確かめつつ言った。虎千代は僕から身体を離すと、腰の柄に手をかけた。

「どうすればいい?」

「まずは、僕に任せて」

 僕は立てた二指を擦り合わせた。この二極の間を、荒れ狂う炎の鬼子。飼い慣らしてみせる。怖気づいている暇は、もうないのだ。




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