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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.15 ~陥落十界奈落城、シベリアの妄執、雪中暗闘
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三島春水、窮地!対仄火、虎千代の剣届くか…?

そこからミケルは、息もつかせなかった。

(はや)い。

と言う言葉が、口をついて出る間もない。片手に携えたエスパーダから、残像すら認識出来ないほどの三連撃だ。尼装束の袖をはためかせながら、三島春水はこれを避けたが様子見と言う姿勢か、こちらからは仕掛ける様子も見せない。

「この前のようにはいかないぜ」

三島春水は何も応えなかったが、確かに以前の手合わせとはまるで違う印象だ。かつて犬伏城でミケルは三島春水の不可思議な技に翻弄されたが、あのスピードではそれを使う余地もない。

「ふッ」

そして蹴りのコンビネーションまで一気につなぐ。以前のミケルには、ここまですることは出来なかったはずだ。右の三連撃を囮にしながら大きく回る左の蹴り足につなげるわけだが、その蹴りが凄まじい。右手の凶器に上手く注意を惹いておいて放つわけだが、そのつなぎ目がほとんど認識できないばかりか、左の下段から立ち上がって来る蹴りは、ほぼ視覚の外と言っていい。

だが三島春水は、すでに足を退いている。視覚の外からの左が避けにくい胴を狙ったミドルと踏んだのだろう。しかし、ミケルの真骨頂はこれからだった。

ミドルと見せた蹴りが、途中でさらに上に伸びたのだ。空手の技にある可変蹴りである。なんとミドルの軌道は囮で、本当はさらに伸びあがってハイを蹴れる仕組みになっていたのだ。

急に伸び上ってきた蹴りを、さすがの三島春水も避け切れるはずもない。利き腕でガードして、顔面へのヒットを免れたが、今のは重く芯に響く一撃だったに違いない。僕は見た。受けた瞬間思わず、白皙(はくせき)の頬が歪んだ。

手ごたえあった。

これにはミケルも、笑みを隠せなかった。以前は三島春水に一指も触れえぬまま、手傷を負わされ、撤退を余儀なくされたのが嘘のようだ。

「そろそろ、撃ったらどうだ?」

昂奮冷めやらぬ表情で、ミケルは問うた。

「見物料なら、今ので十分だろ?あんたの太刀筋をこの目で見るため、こっちは必死でやってきたんだ」

「なるほど」

春水は、薄く微笑んだ。凄絶と表現したいほどに淡く綻んだ唇は、残虐な斬人の気配を含み始めている。女は小さく、息を吐いた。

三島春水の得物は、仕込み杖の構造上、寸は長いが身幅の狭い華奢な刀身だ。丈は三尺(約九〇センチ)ほどの反りの少ない直刀であり、俗にカマスと言われる鋭く痩せた切っ先を備えている。見た目は優美だが、例えば虎千代であったなら実戦ではまず手に取るまい。彼女に言わせればこの時代、細身の長剣は、無用の長物なのだ。しかし三島春水にあっては、この常識が当てはまらない。

僕が実際この目でみて経験したように、この達人は二指に手挟んだ剃刀ほどの刃物があれば十分人間を斬殺できるのである。

彼女によれば、

「刀が人を斬るのではなく、人が人を斬る」

のだそうだ。

その三島春水が構えれば、独特の気配が刃圏を漂う。

さすがのミケルも今、抜刀しただけで空気が凍てついたのを察したらしく、懐を深く構え直したくらいだ。

対する三島春水は、いつもと異なり切っ先を胸より下ろした。ミケルに対して斜に構え、身体の内側に剣線を隠す、いわゆる脇構えと言う構えだ。

この脇構えに限らず、下段は狡猾(こうかつ)、と言われる。威で圧する攻めの剣と違い、後の先を取るのを目的とした、いわば様子見の剣であるからだ。つまりその懐の深さと剣線を隠すことで、迂闊な攻めをけん制するのが目的なのだ。難剣と言われる由縁である。

だがミケルにとっては奇しくも、それは喜ぶべき事態ではあった。あの三島春水がついに自分に対して構えを取ったのである。一指も触れ得なかった存在が、ついに自分の位置に降りてきた。そう思ったに違いない。

無論、そうみて間違いない、と僕だって思った。

綜合的なバランスはともかくとして、ミケルの(はや)さは桁違いだ。

精密さを増した刺突は、『稲光(ティキミスタ)』の異名を冠せずとも、揺るがせに出来ぬ脅威になりえている。

三島春水が脇構えを択んだのも、ミケルが持っている超人的な突進力をまず封じよう、と言う意図があってのことに違いない。

ミケルの剣は瞬息、急所を突く。

急所が集中する身体の中心線を隠す脇構えは、それを防ぎやすいのだ。

「じゃあ、いいかい?」

「どうぞ」

音もなく、ミケルが忍び寄った。(はや)い。何度見ても、足場の危険な洞窟で戦っているとは思えない。かすかな明かりの薄闇の中だ。僕たちの目には時折、影と影が絡み合っているように見える。まさに剣に憑かれた幻影同士の戦いだ。

しかしそんな中響く、エスパーダの風切り音ばかりはここに立っていても、思わず身を縮めたくなるほどに厳しい。急速に切断された闇が上げる、それは断末魔のように尾を引く悲鳴に似ていた。たまに視える刃のきらめきと相まって、傍で見ているとこれは現世(うつしよ)の戦いなのか、とすらあらぬことを考えてしまうくらいだ。

見るに今度は、三島春水も仕掛けている。

やはりミケルのスピードを警戒してか、隙の少ない刺突や下段の切り上げを小出しに、応酬していると見える。しかし手数は、心なしか少ない。

「甘いぜ」

積極的に出ない三島春水を、ミケルはせわしなく挑発する。トップギアに入ったミケルの攻撃と身のこなしは、もはや常人の目で追うことすら難しくなっている。

対し、

「母さん…?」

玲の目にも、それはそうと映ったのだろうか。三島春水は明らかに精彩を欠いている。まさか手を抜いているのかと、一瞬訝るほどだがミケルの剣は、三島春水の身体を傷つけている。数合重ねるうちに目立って受け損ないがあり、ほつれた袖や裾から、血が滴っていた。

「うっ」

思わず態勢を崩した三島春水を、ミケルが(はし)り抜けた。

「もらったぜ」

三島春水は思わず顔を覆った。今のは、手ごたえあったに違いない。

「あっ」

玲も、思わず声を上げていた。恐らく、ミケルの剣は、春水の顔面を突いた。だが無論、残念ながら、と言うか顔をひねって致命傷は避けている。

だが春水が顔を上げた瞬間、僕は愕然とせずにはいられなかった。

エスパーダは、三島春水の左目の下に小さな傷をつけていた。小さいながら、鋭い刺突の跡だ。これは王手に近い。先ほど犬たちの眼窩()から脳髄を刺し留めたように、ミケルは三島春水の命に直接、届くところまで達したのだ。

「随分腕を上げましたね」

「あんたが手加減してなけりゃあな」

ミケルは苦笑したが、次の瞬間、詰まらなそうに鼻を鳴らした。

「おいっ、何をやってやがる!」

毒づいたのは、真紗さんと格闘術で渡り合う西條だ。

「見るからに手を抜きやがって。やる気があるんだろうな!?」

「手加減をしたつもりは、ありませんよ」

三島春水は、言下に答えた。それから何を思ったか、頬についた新しい血を何かを確かめるように、指ですくって舐めた。その瞬間、僕は見た。もともと薄かった微笑が、布地に水を浸したように深く拡がっていく。

(どう言うつもりだ…?)

見ていて僕は、ぞくっとした。傷つけられて、喜んでいる。

相変わらずこの人は、得体が知れない。

「やっぱりあんた、手を抜いていたな?」

「いいえ。そんなことはありません」

ミケルの問いに、三島春水はかたくなに首を振った。

「素直に、喜んでいいですよ。確かにあなたは腕を上げました」

「ふざけてるのか…?」

この不可解な態度に、西條も昏い怒りを顔にのぼらせた。

「何を考えているか知らんが、真面目にやれ。あんたなら、ここにいる全員殺せるだろうがッ!だからあんたは、いまいち信用出来んと海童に言ったんだッ!」

「ははッ、ふざけてるのは、あんたでしょうッ?いいから、こっち向けってばよ!」

はっとした西條の顔面に、真紗さんの左ジャブだ。危うくかわした西條の脳天を狙って、胴回し回転蹴りが炸裂(さくれつ)した。西條の左の目尻が切れた。

「このクソ女ァッ…!」

「軍用犬のお返しだってばよッ!あんたこそ油断してんじゃないっての!あたしはねえ、油断してるあんたを殺しても何も面白くないんだってばよッ」

真紗さん、アドレナリン全開だ。

「てゆうか誰がクソ女だッ!」


「仕切り直しだ。あんたが本気を出してないって言うんなら、こっちにも考えがある」

ミケルは言うと、エスパーダの切っ先を真っ直ぐに三島春水の心臓に向けた。

「狙うぜ。こう見えて、おれはしつこいんでな。その心臓を…あんたが、避けきれなくなるまで」

「『稲光(ティキミスタ)』…その構えが、それですか」

「さあな」

首をすくめ奔ったミケルは、さらに速くなった。なんと、あれがトップの速さではなかったのだ。

(すごい)

今度こそ、三島春水は防戦一方だ。僕は見た。これまでのミケルとはまるで違う。それは速さだけでなく動きもである。さっきまで、ミケルはあくまで、前後の押し退きばかりで刺突を繰り返したが、今度はそれに複雑な上下動が加わっている。中距離を時計回りに移動して、ボクシングで言うフットワークを使ったコンビネーションだ。

顔面を突くとみせて、脇腹を狙い、剣で突くとみせて、それより速い素拳(すけん)のジャブやフックを放りこむ。

重装兵の鉄のカーテンをすり抜けて攻撃する、エスパーダならではの戦い方と言える。もちろん素拳で鎧を殴ることはないだろうが、数ある鎧の隙間をかいくぐりあの手この手で攻撃をつなぐ手数の多さは、刺突専用の片手剣だからこそ為せる業である。

確かに古流剣術にも、片手剣はある。しかしいわゆる直線的な『斬る』と言う動作を主眼とする日本刀の攻撃のパターンには、これほどの多角的な攻撃方法はない。

「まさかミケルの剣は、三島春水の弱点なんじゃ…」

口にしかけて僕は、思わず口をつぐんだ。言葉を呑み込んだのは、玲がさっきから、凍りついたような表情で、母親の苦境を見守っていたからだ。でも、もしかしたら間違いない。日本刀とエスパーダは、物理的に手が合わないのだ。

なぜならこの片手剣は、非常にもろい。日本刀と撃ち合って、当たり所が悪ければたちどころに破損してしまう。だがその代わりに、限りなく速くて鋭いのだ。ミケルはその長所を最大限に特化し、ついにその弱点を克服した。

つまり結論は、日本刀では捉えられえない速さのエスパーダだ。折られさえしなければエスパーダは、日本刀の持っていないものをすべて持っている。謂うに易く、為すのは極限と言いたくなるほどに至難だが、ミケルはそれを我が物にしてしまったのだ。

例えばまさか、まさかのことだが。

(三島春水に勝てる…?)

僕は思わず、息を呑んだ。


「どうやら近いな」

頼光のいななきを、虎千代は戦闘準備の合図と心得たようだ。ちなみに道筋としては、僕たちがいる場所よりまだ少し先、ひと際大きなたまりの中だ。

上下二層の構造になっているその溜まりは、信玄によれば被験体を確保する実験舎だそうだ。下の岩室には鉄格子付きの(おり)がはめ込まれており、さっき信玄と真紗さんを襲った犬たちは恐らくここから脱走したものと思われる。

「私たちも、ここまでは来たんだ。海童たちは、ちょうどこの奥にいた」

空っぽになった檻を、信玄はため息をついて一瞥する。牢舎の奥には医務室のようなものがあり、天井の高い檻がいくつか備え付けられていた。往時はここで被験者に、毒物の投与などの非道な実験が行われていたと思われる。奥の檻の天井が高いのはもちろん、人間用だろう。

「ひどい、ここで人間を」

その陰惨な気配に、ラツプの顔色は蒼褪めていた。

「同じ蝦夷(アイヌ)のしたこととは思えない…」

「気に病むことはない。ここで実験をしたのは、未来から来た現代の人間だ」

信玄がすかさず取り成した。

「君たちの先祖は、その協力をさせられただけだ。理解できようはずもない。ここにある施設は、今の私たちにも全く理解が及ばないものなんだからね」

「武田殿、先ほどの持ち物はここから持ち出したものですかな?」

黄鷹が隅に転がっていたケースを持ちだした。

どうやら細菌弾は、特製のケースに保管されていたらしい。鍵が掛かっているそれを自力で開けたのはなんと信玄と真紗さんのようだが(鍵開けの秘伝があるらしい)その直後、西條たち率いる軍用犬の群れに追われ、闇の中を逃げる羽目になったと言うのが、ことの経緯らしい。

「つまり残りは、海童が持ち去ったと言うことでござるか」

黄鷹の問いに、信玄は頷いた。

「そう言うことになる。私と真紗が襲われたとき、奴はいなかったがね」

信玄の推測では、この実験室の奥にはさらに製造工程を司る施設や保管庫があるのではないかと言うのだ。海童がそれをすでに掌握しているとなると、ことはかなり厄介な事態になってくる。

「虎姫、真人どもは近いのか?」

信長は切れ長の瞳をさらに(すが)め、尋ねた。

「これよりは、さらなる分かれ道になろうがや。真人らを(たす)く、海童を追う、いずれかだけを択んではいられにゃあて」

「長尾殿、海童は任せて君たちは、真人くんのところへ急行してくれないか。不覚はとったがまだ、十分動ける。蝦夷たちの手勢も払底したと思うし、海童も後がなかろう。それより恐らく、真紗の方には、三島春水がいる」

春水の名を聞き、虎千代は顔色を変えた。西條を追った真紗さんを斬殺するべく、三島春水が白刃を下げて向かったのを信玄は見た、と言うのだ。

「ここは悪道坊主の言うことに素直に(したが)うだわ、虎姫。恐らくはあの中の誰も、あの女と斬り結べる者はおるみゃあ」

「小僧…」

信長の判断は瞬時だが、限りなく明快だ。虎千代も顔色を喪うほどに迷ったが、やはり信長の言うことが正しいのを理解していた。

だが時はすでに、遅かった。

「長尾殿」

信玄と信長は、同時に拳銃を引き抜いた。四方、暗器を持った黒づくめの男たちが、またどこからか群がり湧いてきたのだ。

「さっきの『自在』忍びの残党か」

「いや、精確には仄火と言う幻術師の郎党であろう」

虎千代は白刃を掲げて銃を持った二人より、前へ進み出た。

「そろそろ、姿を現すがいい。…お前のお陰で秋常殿は、何もかも喪うて果てた。秋常殿の無念、おのれは知る責がある」

虎千代は虚空に呼びかけたが、闇から反応はなかった。しかし、達人の虎千代には、仄火が息を潜めて様子をうかがっている気配が感じられるのだろう。

「武田殿、とりあえず小僧だけを連れて海童を」

「相わかった。行くぞ、信長くん」

信玄たちが銃を駆って飛び出すのと、虎千代が間合いを侵した敵を斬り捨てるのが、ほぼ同時のタイミングだった。

深く腰を沈めた一撃は、吸い込まれるように右肩の口を割り、骨をぶち割る音とともに相手を即死せしめた。一瞬、殺気を放った敵すらも、その凄惨さに時間を停められたように息を呑んだのも、無理のないことであった。

「ここにいる全員、斬り捨てねば出てくる気はなきかッ!」

残心をとりながら、虎千代は鋭い叱咤(しった)を放った。敵はさらに数を恃むことにしたようだ。現れたのと倍の人数が、そこかしこから湧いて出てきた。

「姫様、我らも加勢いたしまする」

「頼むぞ」

黄鷹たちに言い捨てて、虎千代は単身、斬りこむ。息もつかせぬ間に二人、頸筋の脈を断たれ、血しぶきを上げて(たお)れこんだ。

「不埒者めッ」

虎千代の、怒号が響く。

「かって愛した者の無念と、なぜ向き合おうとせぬかっ」


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