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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.15 ~陥落十界奈落城、シベリアの妄執、雪中暗闘
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湯の街でまさかの女遊び!?売れっ子深雪の頼みとは…?

一瞬、自分の耳を疑った。確かに真紗さんは、とんでもないことを言う人だ。でもまさか、真紗さんのお店で、女遊びしろとは言わないよなあ。

「い、今なんて言いました?僕が、真紗さんのお店で…?」

「そうよ。遊びに来なさいって言ってるの」

こともなげに、真紗さんは頷いた。ええっ!?

「女あそ…ぶっ!?」

最後まで言えなかった。虎千代の張り手で顔を押しのけられたからだ。

「何を言うのだ、真紗ッ!言うにことを欠いて、真人におっ、おっ、おっ…女遊びしてこいとわっ!?」

「え、だって真人くん、童貞でしょ?」

「だから、なんだって言うんですか!?」

今、はい、って言いそうになったじゃないか。真紗さんめ、どこまでもストレート、そしてボーダレスである。普通、聞くか。やっぱり、とんでもない人だ。

「分かってないなあ、真人くん、そろそろ君は筆おろしをするべき年齢だと言うのに、自覚がなさすぎだ!とお姉さんは言ってるわけよ」

「余計なお世話過ぎるんですけど…」

それこそ真紗さんに心配されるような筋合いは、一切ない。そりゃあ、人並みの性欲とか、女の子への興味はなくはないけど、僕にはちゃんと相手がいるし、いつかは普通になるようになるのだ。

「ふうん、なるようになる、ねえ」

真紗さんは鼻で笑うとそこで、さらにぶっちゃけた。

「それはつまり、虎千代ちゃんと、だと思うけど、ぶっちゃけ虎千代ちゃんも処女なわけでしょ?そうそう上手くいくかなあ。大体、二人してこーんなまったり過ごしてるのに、あたしたち大人が考えるようなことは、いまだに一切ないわけでしょ?二人とも初めてで、いつか相手が何とかしてくれるからそれでいいやー、とか考えてたら、結局、二人は結ばれないかも知れないわよ?」

「ぐっ…いや断じて!断じてそんなことわ!」

「虎千代ちゃんも不安じゃない?…聞くところによると(どこで聞いた真紗さん)、これまでも何度もお誘いをしてるのに、真人くんは乗って来ないわけでしょ?そりゃあ、お互い初めてだもん、怖いわよ。でもさあ、こう言うのって男の子の方が来てくれないと、中々上手くいかないわけ。今の真人くんに、そんな勇気があると思う?はっきり言って、このままだと、永久に機会はこない可能性のが高くないかなあ?」

「むぐっ…うううっ、確かに!」

「認めんのかよ!?」

「認めるでしょう、だって実際、肝心の思し召しがないんだから」

「そうなのだ!わっ、わたしだって何度も誘った!けど、真人が乗って来なかったのだ。…やっぱりそれは、真人の方にその勇気がないから、で、あったのか…?」

虎千代は、かつてないほど追いつめられた顔をしていた。いやなんでそんなことで、そんな顔になる。まさに、ぐうの音も出ない様子とはこのことだ。

「落ち着けよ虎千代ッ…べっ、別に僕だって勇気がなくてそうしないわけじゃ…」

「詭弁はやめなさいッ!いざってときリードできない男は、男じゃないッ!真人くん、今のあなた必要なのは実戦経験よ!」

「実戦…」

また、虎千代と親和性の高い用語が出た。でもよく考えてほしい。…実戦て、リアルに実戦なんだぞ?

「いや、そんな知らない人となんかといきなり…」

それこそそっちのが怖すぎる。

「何言ってるの!?虎千代ちゃんのためでしょ?初陣を綺麗で優しいお姉さまにお筆おろししてもらったら、ちゃーんと虎千代ちゃんもリードできるっての。虎千代ちゃんも、最初は、優しくしてもらった方がいいでしょ?女の子にとって初めてって、大切なんだから」

いや男にだって大切だ!

「初陣か…やはり、真人には先に経験を積ませた方が良いのか…?」

「馬鹿なこと言うなって」

今の虎千代は、冷静な判断力を喪っている。よく考えてみてほしい。他の女の子とそう言うことになって、虎千代は僕とこうやって過ごしたりキスしたり出来るかと言う、問題なのだ。

実に言いにくかったが僕がそれを懇切丁寧に話すと虎千代は真っ青になって、ぶるぶるかぶりを振った。

「いや無理だ!無理無理無理無理…いやっ、絶対に駄目だ!真紗、わたしはやっぱり断固に反対だからな!よそで他の女子と寝て、わたしのところへ帰ってきた真人なんて真人じゃないッ!そんなの絶対納得できない!真人、それでも、どおおおおしても女遊びに行くと言うならば、このわたしの屍を越えて行ってもらおうではないかッ!」

「だから僕は行かないって言ってるだろ!?」

折角虎千代と二人でまったりしていた昼下がりに、なんて爆弾ぶっこんでくれるんだ。真紗さんも本当、そろそろ僕で遊ぶのやめてほしい。


「町辻にある、龍越楼(りゅうえつろう)だ。精々楽しんで来給え。軍資金はこれで足りるかな」

また信玄まで、血迷ったことを言い出した。またたちの悪い真紗さんの冗談かと思ったら、僕は夕方呼び出されて、信玄からお金をもらったのだ。

「い、要らないですよ行かないから!」

と僕があわてて言うと、信玄は怪訝そうに眉をひそめた。

「なんだ真紗から、話は聞いていなかったのか?」

「話!?」

「その店で、協力者と会ってほしい。彼女は、その店に買われた遊女だ。当然、本人は店を出られないから、君が客として会ってほしいんだ」

「それだけ…?」

「それだけだが?」

なんだ。思わず、肩から力が抜けた。

ったく真紗さん、どう言うつもりなのだ。どうしてそんな大事なことを、最初に話さないんだ。やっぱり僕をわざわざ困らせて、楽しんでいるようにしか思えない。相変わらず、たちの悪い人だ。

「長尾殿には、きちんと話しておくよ。心配しなくていい。遠慮なく女遊びして行きたまえ」

さっきの大混乱をどこかで見ていたのか、信玄はにやりと笑って言った。


信玄によると、その女性ははるばる京から流れてきた人で、深雪(ふかゆき)さんと言うらしい。

軒猿衆が設けた僕たちの拠点の一つである龍越楼に身を寄せたのはほんの半年前のこと、それまでは妹と一緒に別の店にいたそうな。

何でもとてもしつこい客につきまとわれていて、身の安全を図るためにその店から龍越楼に移ってきたようだ。

「助けとくれやす。うち、妹みたいにかどわかされるやも知れまへん」

以前の店でその客はしつこく主に働きかけ、深雪の身柄を落籍(ひか)せようと、大分、強引な物言いをしてきたのだそうだ。

「ここよりも、もっと良い場所があるのだ、深雪。いいか、お前など想像もつかんほどの、とても良い場所なのだぞ?」

その男は酒臭い息を吐きながら、しつこく言い募ってきた。

「深雪、お前はこんな商売もせんでよい。そこでわしの、愛妾(めかけ)にしてやる。お前には、死ぬほど贅沢をさせてやるぞ!」

その男の連れが、深雪の妹にも同じ話をしていたらしい。果たして妹はその誘いに乗った。それから行き方知れずなのだと言う。

「深雪はもちろん、それでも店を出られない。言うまでもなく、人商人に買われてきた身だ。身曳き証文と借書(しゃくしょ)で縛られているからね」

信玄が言うにはそれでも、深雪はあらゆるつてを求めて、情報を探し求めたらしい。そしてついに、同じ誘いを受けて男たちについていった人間を見つけた。その女は命からがら、男たちの言う良い場所から逃げ延びて来たのだ、と言う。

「あいつら、人間じゃない」

それがその女の最期の言葉だった。

「彼女が殺されたのが、ちょうど二週間前だそうだ。遺体は雪で埋まった深田に放り込まれていて、黒姫殿たち軒猿衆でなければ、もはや発見できなかっただろう。女は人相が変わるほど暴行された後、額に一発」

銃弾を撃ち込まれて殺害されていた、と言う。弾丸はこの時代のものではない。椎の実型で旋条ライフリングのことを切られた、紛れもない近代兵器の銃弾だ。

「どう言う意図かは不明だが、彼らは里から人をさらうようだ」

信玄が仄めかす意味が、ようやく僕にも分かった。すでに真紗さんたちは、劔や海童たち潜むその場所への侵入路への手掛かりを得ていたのだ。

「連中を上手く利用すれば、十界奈落城に潜入ができる」


と、言われて龍越楼に集まったのは、四人である。ミケル、玲、そして信長は勝手についてきたと思われるが、なんでこの面子を揃えたんだろう。

「知るか。とにかく、会わなきゃいけない人がいるからなんだろ?」

ミケルは信玄から意図を聞いてやってきたのだろうが、こう言うお店などに足を運ぶタイプのはずがない。これ以上ないほどの、苦々しい顔をしていた。

「おれはこう言う場所は苦手だ。娼窟(しょうくつ)など背徳と退廃の象徴だ。神の教えが赦さない。だが、いざと言う時はお前の護衛をしなきゃならないからな。だから仕方なく!どうしてもって言うから、あくまで仕方なく!ついてきてやったんだからな!?」

そんなに力説しなくても。僕だって座りが悪いのは、一緒だ。

「あの、真人くん、僕はなんで呼ばれたのかな…?」

玲も、もじもじしている。そりゃそうだ、僕と同じお年頃なのだ。こう言う場所で何がなされるかを…どこまで興味があるかは知らないが、もちろん、薄々は分かっているはずなのだ。

「この赤い暖簾(のれん)、なんか落ち着かないよね…」

言わずもがなだ。この越龍楼の屋号が黒字で染め抜かれた赤い暖簾こそ正しく十八禁の証、その向こうで待っているのは紛れもない大人の世界なのだ。

この竜宮城のような外観のお店のたたずまいに、多少慣れているのは、僕くらいだろう。もちろんお客として、ではない。京都の『くちなは屋』に住んでいたからだ。湯上りの匂いとともに立ち上る独特の温気(うんき)の中にいると、真菜瀬さんを思い出す。懐かしくすらある。

しかし何度も言うがお客としては、入ったことは断じてない。だから、死ぬほど座りが悪いと言う点では、全く二人と同じだ。

「で、なぜついてくる信長」

「何を言うとりゃあすか!女遊びに行こまいと言うたは、この信長でわないかッ!そのわしを差し置いて何の湯屋町遊びかッ!」

こいつ、こんな場面でも一切物怖じしないな。さすがは欲望の権化と名高い、第六天魔王である。一番年下の癖に。そして、今気づいたけど、信長は十八歳以下なのだ。僕たちの責任においてこの中で遊ばせていいものなのだろうか?

「ふん、妓楼ごとき津島にも清洲(きよす)にもあるでや。よう、潜りこんで年上の遊妓(おんな)に手ほどきをしてもろうての、いかいかわいがってもろうたものだわ。お前らのごとき、初心者とはわけが違うのだわ」

確かに信長、どこにでも潜りこむ奴だ。しかし、この歳で童貞じゃない(上にそう言えば妻帯者だった)とは、ませているにもほどがある。

「来たか童貞三人衆」

にやにやしながら真紗さんが顔を出したのは、そのときだ。

「四人だでや!」

「あーらあんた、だめじゃないこんなとこ来ちゃ。十八歳以下は立ち入り禁止、これうちの店の決まりって言うか、常識でしょ?」

「んがっ!何でだでや!清洲では何歳だろうと男は上楼(あが)れたのだわ!」

「はいはい、君はこのお金で何か美味しいものでも食べてきなさいねー」

「いるかッ、かようなはした金!女を出すでや!」

「誰かー、この子つまみだしちゃって」

真紗さんが手を叩くと、屈強な男二人が信長を荷物みたいに抱え上げた。

「こっ、こらっ!お客様は神様ではにゃあのかッ!金はあると言うておるに!この信長だけ差別する気かッ!」

「あんただけガキでしょ」

真紗さんは、にべもなく信長をつまみだした。さすがフリーダムな真紗さんでも、常識と言うものは、守ってはくれるつもりのようだ。

「で、真人くんたちはいらっしゃいだねー。今、若くて綺麗な子呼んであげるから」

胡散臭いキャッチみたいな真紗さんがぱんぱんと手を叩くと、奥から僕たちと同い年から二十歳前後の若い子たちが大挙して、飛び出してきた。僕たちはたちまち女の子たちにもみくちゃにされ、ミケルなどは顔が引きつっていた。

「どう皆、イケメンっしょ?」

真紗さんが言うと、一斉にまた耳に痛い黄色い悲鳴だ。

「うわっ、若ーい!」「あなたが真人くん?聞いてたよりいい男ー☆」「えー、わたしはこっちのお兄さん(ミケルだ)のがたくましくて好きだなあ☆」「うわっ、彼(玲だ)、わたしより肌綺麗よ!?」

どうしてだろう、僕たちはどんどん居たたまれない気分になった。

「好きな子を択んでねー。ご指名は?早い者勝ちだからねー!」

「じゃあわたし真人くん!」「うちもー姐さんずるーい」「わたしたちミケルくん☆」「わたし玲くん!」「あたしもこの綺麗な子!」

「たッ助けてくれ真人!」「僕、怖いよッ真人くんっ」

ミケルと玲は、すでに限界だ。悲鳴を上げんばかりだった。

「ちょっ、ちょっ、ちょっと待った!」

「何よ、女の子じゃなくて、ちゃんとあんたたちの希望の方を通すわよ?」

確かに、これじゃあどっちが客だか分りゃしない。ってそんな問題じゃないだろ。

「僕たち、仕事で呼ばれたんじゃなかったんですかっ?真紗さんが僕に、会ってほしい人がいるって!」

「仕事…?」

真紗さんは人差し指を自分の唇にあて、ぽかんとした顔をした。

「何かの間違いでしょ?」

いや、僕は信玄の口から直に訊いたのだ。それが何かの間違いであるはずがない。

「だから!本当は女遊びじゃなくて、深雪さんて言う人が、僕に相談があるって言ったんだろ?」

「ああ、深雪ちゃんね!」

真紗さんは目を丸くすると、ぽん!と手を叩いた。

「よーく知ってるわねえ。彼女、新人じゃナンバーワンの子よ。いやー、真人くん、童貞の癖にすごいわあ。まーさか一番の売れっ子さんを、いきなりご指名とはね!」

真紗さんが合図すると、暖簾の陰から遠慮がちにもう一人、年頃の女の子が顔を出した。

京生まれと言うが、ぽってり唇は厚く、眉毛の太い彫りの深い女の子だ。濡れるように黒い髪を結い上げて、控えめな色の小袖。いじらしく、親指を当てた唇の端が艶めいて、大きな右目の下に誂えたような泣き黒子。

色は白いが、淡雪のように抜ける白さではない。どこかふくよかな身体つきに合った、ふんわりとした処女雪の白さ。深雪、と呼ばれているのも頷ける。その気があるわけじゃないのに、僕もどきっとしてしまうような色気のある子だった。

「あなたが真人くん?」

しっとりと潤いを帯びた声で、深雪さんは言うと、唇に手を当てていじましそうに、僕を見た。

「そうよ、深雪さん、あなたを一番でご指名だって」

「嬉しおす。真人くん、真紗はんに聞いてたよりも、凛々しいお方やわ」

「い、いやあ僕はそんな!」

「お噂はかねがね。お待ち申し上げておりました」

恥じらいながらにこりと、深雪さんは目を細めて笑った。北陸では珍しい京都弁が、また色っぽい。なんだこの落ち着かない気持ち。どきどきした。僕は、この子と二人きりでちゃんと話が出来るんだろうか。

上楼()がっとくれやす。今宵はどうぞ、よろしくお願いしますえ」

そっと深雪さんは、僕の手を握った。躊躇する間もなかった。やんわりと、冷えた肌の感触が心地いい。肌が吸い付くようだ。どきどきしたなんてもんじゃない。かつて、女の子にこんなに優しく手を取られたことってあっただろうか。

「真人くん、深雪ちゃんはねえ…ウマいんだぞ?」

真紗さんが、とんでもないことをぼそっと僕の耳で囁く。

「なっ、何のことですか!?」

「血迷うなって言ってんのよ」

ふふふ、と真紗さんは邪悪な笑いだ。もしかして僕たち、やっぱり信玄ぐるみの謀略にはめられたのか?

「帰る!」

「もう遅いわよ」

「いやん、楽しんでいっておくれやす」

深雪さんの手が、吸い付いている。ふ、振りほどけない。こんな恐ろしい罠に遭ったことって今までなかった。

「さーわたしたちも、行きましょミケルくん!」

ミケルは二人がかりだ。

「わっ、違う!おれは外で待つ!遊びに来たわけじゃないんだ!」

「まーまー、ここは女の子と遊ぶところですから。うわあっ、すっごい胸板☆ねー脱いだらどうなっちゃうのかなー?」

「うわああっ、真人くん!僕も帰りたい!」

玲も年上の色っぽいお姉さまたちにがっちり捕まっていた。

「そんなこと言わないで玲くんも!ほらほら、お姉さんたちが可愛がってあげるから」

こうして僕たちは、どんどん奥まで連れて行かれた。僕たち、果たしてここから生きて帰れるのだろうか。


「ご無礼の段、どうか許しておくれやす」

部屋に通されると、深雪さんは深々と頭を下げた。良かった、さっきまでのはやっぱり芝居なのだ。とっぷりと日が暮れて、この行灯ひとつの艶めかしい部屋に連れて来られたときはどうなることかと思ったが、信玄の言っていたことが正しいのだ。

「あの男の嫉妬がもうとても、ひどうてひどうて」

以前の店では深雪に貼りついて、店先に暴言を吐いたり、客に暴行を働いたりと、どんどんエスカレートしていったらしい。なるほどそこを、真紗さんたちが助けたわけだ。

「どう、事情は分かった?」

真紗さんがこっそりと、入ってきた。仏頂面で僕は答えた。

「今から聞くところですよ」

なーにが事情は分かっただ。こっちはさっきまで、死ぬ思いだったのだ。

「初めから、ちゃんと教えてくれればいいじゃないですか!」

「うるさいなあ。客以外の男を、ここへ通せないでしょ?いい男が、か弱い女の子相手にびびってどうするの?」

いや、それは無茶だ。あのテンションで来られたら、誰だって面喰うだろう。ミケルも玲も隣の部屋に連れ込まれたはずだが、心配だ。果たして僕みたいに無事なんだろうか。

「ほんに地獄に仏どした。真紗はんには、良うしてもろうてます」

ついで、僕は男の素性を訊いた。男は少なくとも三日に一度、旅商の頭のふりをして現れるようだが、物腰や言動からしてどうみても商人ではないと言う。

「歩き方が違うてはります」

深雪さんは震える声で言った。

なるほど、普段、腰に武器を吊っている人間の歩き方であるらしい。だがこの時代、明確に、士農工商の身分の別のある時代ではない。必要に応じて商人でも刀も挿せば、槍も持つ。まして旅商なら武装も当然だ。だが男が持っていた武器は違うらしい。持ち物の中に隠し持っていたのは、この時代には存在しない拳銃だと言うのだ。

「姐さんはあれで殺されはったと、信玄はんに聞いてぞっとしましたんえ」

深雪は身震いした。確かに前後の関係から考えてその男、この湯沢に脱走した女を始末しに戻ってきたに違いないのだ。

「あいつは、武士じゃないわ。あたしから見ても軍関係者ど真ん中、劔と同じ時代の陸軍将校かもね」

ちなみに真紗さんの内偵によれば名は、富永(とみなが)と言うらしい。一応商人の偽名を持っているようだが、使うつもりもないようだ。劔の配下にしては、杜撰(ずさん)な男だ。

「あえて装っているのか分からないけど、諜報に関してはど素人よ。連中は都からの行商を装ってるみたいだけど、何日か街に逗留したあと、真っ直ぐ正反対の方向へ帰る。へったくそにもほどがあるわ」

真紗さんの話では、この男たちは全員陸軍兵のようだ。どうやら商人のふりをして定期的に町に降りてきては、落花狼藉(らっかろうぜき)を愉しんで基地へ帰るそうな。いわゆる不良兵士たちのようだ。

「軍隊なんてそんなものよ。いくら規律で縛っても、必ずそう言う連中は出てくる」

真紗さんはすでに連中の出現頻度を、詳細に記録に採って人員構成まで把握している。交代番で現れる彼らはじつに百名近い顔ぶれだが、出現頻度から考えると十界奈落城の本拠にあたる場所へその都度帰っていくのは不可能だと言うのだ。

「恐らくあれは、前線基地の衛兵よ。つまり十界奈落城より人里に、やつらの砦があると言うこと」

彼らの役目は物資補給及び、人員補給だ。そして言うまでもなく本拠地への門番の役割を成しているはずだと、真紗さんは自分の読みを話した。

「あたしたちの突破口はここよ。そして鍵はその、富永と言う男」

「え、じゃつまり」

その男が、やがてここにやってくると言うのだ。以前の店からここへ移ったことは秘密だったが先日、どこからか深雪の評判を聞きつけてか富永は、店先でひと悶着起こしたらしい。

「そのときは深雪は外からお客に呼ばれて出ていると言って、何とか追い返したけど、次はまた来ると思うのよね」

「で、今度のときはもっと強引に、他のお客様が居てもこのお部屋まで踏み込んできはると、思うんです」

じっと深雪さんは僕に、思いつめた視線を投げかけた。うん、確かにそれは大変だし、踏み込まれたお客さんも迷惑だろう。富永をそこで確保するにしろ、強硬に追い返すにしろ、僕たちも何か手を打つ必要がある。

「ここまで言えば真人くん、意味は分かるでしょ?」

「え、何がですか…?」

「だから、富永が来るまででええんです」

と、深雪さんは思いつめた顔のまま、そっと僕の手を取った。僕は口から心臓が飛び出そうになった。い、いやこれどう言うことなんだ?言葉に詰まっていると、深雪さんは甘く濡れた声で僕に言った。

「どうか、うちのいい人になっておくれやす」


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