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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.14 ~ 越後国主景虎誕生、大名への道、因縁の戦乱
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目指すは裏切り者殲滅(せんめつ)?!修羅と化した信玄が追うは…?

裏切り者。

まるで斬りつけるような信長の言葉に、秋常さんは思わず、血の気のひいた顔を強張らせた。混じりけ無しの明白な糾弾(きゅうだん)である。いきなりの信長の剣幕に、秋常さんも青天の霹靂(へきれき)に撃たれたかのような表情になった。

「ネタは上がっておるのだわ。おのし、(はな)からその、仄火なる幻術師の女子に(たら)しこまれて、我らに接触してきたのであろうがやッ!」

この瞬間の僕を、正直に(あら)わそう。実は、誤解なのだと思った。なぜなら、企みのある人間は突然の糾弾に、そんなに愕然(がくぜん)とした表情を露わにしない。双眸(そうぼう)に、じわりとにじむ涙とともに彼の表に浮かんだ表情は、まさに寝耳に水の様相を呈していたからだ。

「なっ…」

だが一瞬、すがるような表情をした後の、秋常さんは違った。風呂桶の栓を抜いたように一気に、驚愕の表情がどこかへ吸い込まれていき、いかにも造りこまれた、と言った不快な笑顔が表われたのだ。

「ふふっ(その声は震えていた)…御二方、一体何を言うのだ。織田殿、まさか成瀬殿まで。こんな辺鄙な場所まで来て、何を申されるのだ…?」

「怒らないんですね」

反射的に僕は、突き返していた。さっきまで半信半疑だったのが一転、不可解な秋常の反応を見て、ふいの汚わいを被ったように不快な気分がしたからだ。

「怒った方がようござるか…?されば、腹蔵なく言わせてもらおうではないか!長尾景虎公はじめ、皆様方を越後に迎えたこの葦火秋常に謀反の疑いをかけるなど、言語道断ではありますまいかッ!」

「同じ言葉を、虎千代の前でも言えますか…?」

僕の声は、押し殺されて怒気を帯び始めていた。

「ここに虎千代がどうしていないのか、分かりますか?恐らく、あいつが一番、あなたを最後まで信じているはずだからです。それなのにあなたはここで、待ち伏せの兵を敷き、同行した黄鷹やラツプさんを拉致しようとしましたね…?怒るなら、怒ってみるといい。僕たち…いや、虎千代は仄火を救いたいと言うあんたの気持ちに、本気で応えようとしてたんだぞ?」

「本気…?笑わせてくれますな。おのれの都合ばかりを優先して、この秋常を体よく()け者にされてきた方々が。景虎公、手ぬるし!いまだに兵も挙げず、坂戸を攻め取りもせず、いまだにこうしてこそこそと密約の裏で動くとはッ!仄火を救う気がない、と言ったのと同じではありませぬかッ!?」

論理が、支離滅裂である。

「秋常さん、あんた自分が何を言ってるのか、理解しているのか…?」

身勝手なのか、すでに幻術に操られているのか。声高に自分だけにしか理解できない理屈をおらびあげる秋常を見て、僕自身の内側がみるみるうちに冷えていくのが、自分で分かった。

「馬鹿なことをッ!仄火は、今まさにお前らに苦しめられているのだッ!長尾景虎を除けば、仄火は我が葦火の郷へ帰って来るッ!お前らこそがこの葦火秋常の(あくとう)じゃッ!観念して景虎の居場所を吐けえいッ!」

秋常は、もはや狂っていた。僕たちを威圧するために、武器を持った葦火の郷の伏兵たちを一気に出したのである。雪沓に、揃いの鹿の毛皮を着た郎党が十名、いずれも秋常の命で動く者たちだろう。

「命乞いなれば今のうちぞッ!」

そこにいるのは、僕が知っている秋常さんではなかった。僕は今さら、信玄やミケルが謂った言葉の意味を深く噛みしめていた。僕たちは決して、一枚岩ではないのだ。そこを敵に付け入られれば、いつでもこうした事態が発生する。

そして、純粋な人間ほど一途に狂う。気が付かないうちに秋常はすでに、西條よりも僕たちを強く敵視していた。

「ふふ、不甲斐なき男かと思いきや、中々どうして。とんだ悪漢になったものだでや」

信長は嬉しそうに頬を緩めた。すでに発射準備を整えていた銃を、躊躇(ちゅうちょ)なく秋常に向ける。僕は知っていた。信長はこれに折れ釘や鉄菱(てつびし)を詰め込んだ割り玉を入れて、即席の散弾銃を開発していたのだ。

「さあて行こまいッ!飛べやアッ」

信長は一気にぶっ放した。最後の台詞は、背後の黄鷹とラツプに言ったと思われた。当然、秋常も納屋に身を隠し、腰の刀を抜き放った。たちまち左右からの手勢が雪つぶてを()き散らして殺到してくる。

「らあッ!真人ッ!裏切り者めは譲るでやアッ!ええとこ持っていけえッ!」

迫る敵に銃を投げつけた信長は、剣を抜くとそのまま敵の胴を()いだ。恐ろしいうめき声とともに、青白い臓腑(ぞうふ)が雪を濡らす。しかし、それで(ひる)む連中ではない。悲鳴はたちまち男たちの怒号や剣戟の音に掻き消される。

信長に言われた通り、乱戦の中、秋常は軒に隠れて声を上げる。

「敵は少数じゃッ!何をしておる銃撃てッ!銃撃てえッ!」

秋常は絶叫するが、銃火は降らない。信玄の暗殺部隊を引き連れたミケルが、すでに仕事を果たしている。銃声がすれどもそれは、林の中を暗躍するミケルたちを狙ったものであり、こちらには一弾も降ってきはしなかった。

「真人くんッ」

玲が武器を持って、真紗さんと一緒に駆け込んでくる。こっちの人数はこれで十分だ。

「はっはー!大成功だってばよ!伏勢は残らず片付けたわよ!観念なさいッ、葦火秋常!こーの裏切り者ッ!」

「ふん」

だが秋常は、そんなことでは諦めなかった。

「されば松明投げえッ!そこら中燃やせ!焼き殺してしまえッ!」

(しまった)

蝦夷たちの廃屋には、臭水(くそうず)が掛けられていたのだ。男たちが松明を退きに放り投げると、ぶすぶすと重たい煤煙を孕んで、一気に(ほむら)の列が、屋根の上を走り抜ける。さらに炎は地面にも引火して、僕たちを包囲した。まるで、真昼のように明るくなった。

「あわてるな、うつけものめ」

思わずたじろいだ僕に、晴明の声が降る。

「風下で煙さえ吸わなければ、怖くも何ともないわ。それになあ、そもそもお前は風を操れるんじゃなかったのか?」

そうだった。僕は、風の真名を憶えたのだ。

「焼き殺してやるッ!全員、焼け死ぬがいいッ!」

無茶苦茶に刀を振り回しながら、風向きを読んで逃げ回る秋常を捕捉すると、僕は二指を()てた。

谷底を吹く風は確かに強烈だが、一途(いちず)で語り掛けやすい。僕はその名前の音を発し、一心に働きかけた。

真逆の方向に突風が吹きつけたのは、その直後だ。切り立った風は、そのまま炎をまとい、秋常に向かって刺さるように噴き出した。突然形を変えた炎と爆風に(あお)りを喰って、秋常は吹き飛んだ。今や、これくらいは朝飯前である。

「そうだ。この天才陰陽師が教えたお前の実力なら、これくらい出来て当然だ。ほれっ、今、お前が一番手柄だ。裏切り者に止めを刺してくるがいい!」

相変わらず、物騒な陰陽師である。だが僕は、秋常に歩み寄った。途中僕を、阻むものが誰もいなかったし、僕だって話し足りないことがあったからだ。

「くっ、おのれッ!」

秋常は尻もちを突いたまま、後ずさろうとした。切っ先をこっちに向け、けん制はしているが、反撃できる態勢ではない。対して僕は思わせぶりに二指を突きつけると、動じない声を作ってこう言った。

「無駄ですよ、秋常さん。悪いが今の炎は、偶然起きたものじゃない。思い直すなら、今が最後の機会だ」

「ほざけッ!ほざけえいッ!」

秋常は刀を振り回しながら、金切声で叫んだ。その眼は野兎のように血を刷いて朱く潤み、口元には(よだれ)が滴っている。

「誰が見ても、今のあなたは正気じゃない」

仄火の幻術に、(おか)されている。もちろんすすんでそれに染まったと言ってもいいが、元々さらわれた仄火を想う純粋な気持ちは、別物だったはずだ。

「冷静になるんだ。今なら、僕と晴明が治療すれば、あなたの(もう)は破れるかも知れない。とにかく仄火の幻影を追うのは、やめることだ。…それが今のあなたにとって、一番幸せなはずだ」

くくくっ、と調子はずれの声で、秋常がくぐもった嘲笑を漏らしたのは、そのときだった。秋常は雪まみれになりながらも、立ち上がった。その目には、相変わらず燃え盛る辺りの業火がどよめいて映っている。

「それが長尾景虎の調略か。如何にもなことをまあ、もっともらしく言うものだ。もはや、(だま)されんぞ。騙されると思うか。成瀬殿、あんたの幻術にも、景虎の巧言(こうげん)にもなアッ!」

「仄火はすぐ、あなたのものになる」

僕はその狂気に満ちた目に、その言霊を投げ込んだ。

「あなたはそうして、幻惑されたはずだ。だが、思い返すべきだ。その仄火を、何者が操っているのかを」

(だま)されない…騙されてたまるか…もう、沢山だ。…景虎にも、西條にも」

男の声は、極端に小さくなった。彼は混乱している。確かに秋常は、翻弄され尽くしてきた。想い人に焦がれ、幻を求め、それでも弄ばれるこの男の混乱しきった気持ちが、同じ想い人のいる僕にも分かる。どうにも切なくなってきていた。秋常は、静かにすすり泣いていたのだ。

「俺はもう、仄火のことしか信じられない」

「駄目だ、真人、手遅れだ。この男、背負った心の闇が深すぎる」

晴明が苦々しげに顔をしかめたそのときだ。

「死ねえッ!」

秋常が僕に、刃を振り下ろしてきた。かわせないような一撃ではなかった。すでに秋常は、身も心も消耗し尽くしていたのだから。

「仕方があるまいッ!真人、なれば例のやつをやってみるがいい!」

晴明が言う。同時に僕は二指を立て、そこに圧縮しておいた谷底の風を開放した。

このときはじめて実戦使用した。風の本名を使った風刃(ふうじん)(しゅ)だ。周囲の空気を圧縮するのに多少時間は掛かるが、威力の方はさすが、実際の刃物に勝るとも劣らない。

こっそり何度も練習したが、いざってときにちゃんと当たってほっとした。真空状態で生じる鎌鼬(かまいたち)は、相手にも自分にも太刀筋が見えにくいため、当てるのが骨だ。だが風は狙いすましたように、剣の持ち手を斬り裂いた。

「うぐッ!」

腕の外側から血をほとばしらせ、秋常はがしゃりと剣を落とした。今だ。素早く這い寄った僕は落とした剣を取り上げ、秋常に突きつけた。

「もう終わりだ。兵を退いて投降しろ」

どうだ僕だって、これくらいは出来るようになったのだ。


「兵を引いて国に戻れば、これで不問にする」

大胆なことを、僕は口にしていた。信玄の計画では、皆殺しなのだ。だがこのまま、この男を殺しても、報われなさすぎると思ってしまった。

「否、と言えば、成瀬殿は私をここで斬るか…?」

秋常は血の涙で潤んだ瞳で、僕を見た。さっきの激情がまだ、去って行かないのだろう。肩でする呼吸を必死に押し殺そうとしているのが、分かった。

「そうだ、秋常さん、あなたをここで殺す。そしてここにいる全員を、僕たちは独り残らず始末する。誰も、生きて帰すことはない」

僕は信玄の方針をそのまま謂ったが、無論駆け引きである。秋常自身の妄執が、葦火の郷の人間の命をも無為に(そこな)おうとしている。そこに立ち返って、正気に戻って欲しかったのだ。

「私が諦めれば、皆を助けてくれるのか…?」

すると炎が消えたようにみるみる、秋常は頼りない表情になった。皆殺しの言が効いている。揃った人間が人間だ。見れば葦火の衆たちは、無惨なまでに全滅の憂き目に遭いつつある。

血と(わた)でぬかるんだ雪を踏みしめて、信長が咆哮(ほうこう)している。

根切(ねぎり)だでやあっ!一人も生かして帰さぬだわっ!特にあの葦火秋常のうつけめは、生きたまま火刑に処してやるだわッ!」

らしいとは言え、何たる残虐さな暴言だ。だが今の場合は、有効だ。駆け引きに使える。

「今ならまだ間に合う。よく、考えた方がいい」

僕は言った。これが最後通告だ。

「わっ、…分かった。降伏する」

秋常はついに、その音を漏らした。寒さと恐怖のためか、歯が鳴るほどに震えていた。さすがにやり過ぎたと思ったが、この場合は仕方ない。僕がふと、息を抜いたその瞬間だ。

「危ないッ、真人くんッ!」

どん、と刀を持ったまま、僕は玲に押し倒された。危ないのはどっちだ、そう言おうとした刹那、息を呑むような着弾音と銃声が木魂(こだま)した。弾丸は、僕の背後にいた秋常を押し倒したかに見えた。しかしそれは、秋常のこめかみを掠め、ずっと後ろの杉木立に弾痕を残していた。

「まだ伏兵がいたんだ」

玲が僕に耳打った。待ち伏せに敷かれた、葦火の衆以外の敵だ。銃を持った、十界奈落城の兵員と思われる、と言う。

「コートに軍帽を被ってたって」

信玄がそれを追っているらしい。さっきから彼の姿が見えないのは、そのためだったのだ。

「くっ」

そして倒れた秋常だ。その勢いを使って斜面を落ちた。それから立ち上がると、山の尾根の裾をみるみる逃げていく。銃創はやはり、大したことがなかったのだ。

「待てェッ!」

僕は秋常の刀を持ったまま、斜面を降りて行った。怒りよりも悔しさがある。何てこった、失敗したのだ。駆け引きに集中し過ぎて、周りが見えていなかったのである。

「だめだよ真人くん!一人は無茶だって!」

あわてて玲が追って来るが、停まれるはずがない。すぐそこに秋常の背があるのだ。玲は剣を駆る僕を見て、僕が逆上したと思ったらしい。

だがさすがに山に()れた秋常の足は、速い。まだある谷底の集落を縫って走り、差が開いていく。

「はあっ、はあっ…はあっ…はあッ」

心臓が限界だ。虎千代なら楽勝で追いついたろうし、黒姫なら地の果てまで追いかけただろう。こればかりは、如何ともしがたい。玲にも楽々追いつかれた。

「大丈夫、真人くん!」

白い息を吐き尽して、辺りを見回すとかなり来てしまった。玲が心配そうに僕を見る。

「戻ろう。あの人独りならともかく僕たちだけじゃ、太刀打ちできないよ」

「そッ…そうだね…」

やっと冷静になれたが、もう遅かった。


気が付くと僕は、怪しい男たちに取り囲まれていた。洋装の軍兵なのだ。丈の長いコートはともかく、軍靴に白いゲートル(脚絆)に星一点の入った緑茶色の略帽には歴史の教科書で見覚えがある。旧帝国陸軍の日本兵だ。

撃ったのは連中らしい。銃剣のついた小銃を所持していた。

「『ミカド』に言われてきたのか…?」

撃たれる前に、間髪入れず僕は言った。風さえ貯めれば、また風刃が撃てる。どうにか時間を稼いで生き残るしかなかった。

「あんたたちを束ねるのは、劔劉士郎(つるぎりゅうしろう)と言う男か…?」

「殺せ」

それには答えず、軍帽の年かさの一人が命じた。無論、答えるつもりはないらしい。銃口が上げられ、僕たちが銃火を覚悟したそのときだ。

その男の頭に風穴が開いて、吹き飛んだ。穴の開いた略帽が舞った。銃声は二発である。更なる一発は引き金を絞ろうとした男を射殺した。

すると軍馬にまたがった信玄が、駆け下りてくるところだった。なんと、ピストルを持っている。あれは旧日本陸軍が装備した十四年式拳銃だ。

「貴様アっ」

目標が弾丸を浴びせてくる、信玄に移った。と思ったら、すでに遅かった。その背から、エスパーダを呑んだミケルが、影のように滑り出てきたのである。ミケルの剣は銃火を掻い潜る戦場の暗殺剣だ。

小銃の懐に入ったミケルは、瞬く間に一人を刺殺した。さらにその男の死体を縦に弾丸を避け、鋭い蹴りで銃をかちあげて、一人、さらにもう一人を難なく封じる。

「これで撃ち止めだ」

最後に残った一人は、馬上、信玄が撃ち抜いた。小銃で武装した兵士たちを、三分足らずで皆殺しである。二人とも物凄すぎる。

「連中のだ。中々、便利な品だ。これなら我が武田に採用してもいいね」

弾丸が切れた拳銃を、信玄は惜しげもなく放り棄てた。それから抜け目なく遺体を探って、代わりの拳銃と、銃剣を取り上げる。

「二人とも、追って来給え。逃げた葦火秋常を殺すぞ。裏に馬がつないである」

と言うや、信玄は馬と銃剣を駆り、秋常を追って突出した。いつもにまして非情だ。秋常の命運はこれで尽きたかもしれない。

「行けよ。あの男、指揮官にしちゃ腕が立ちすぎる」

苦笑しつつミケルが馬を曳いて、僕たちに促す。ミケルは、僕たちの思惑を察してくれたのだ。

「ミケルの分は?」

「俺は後で追いつく。予約があるんだ」

予約?問い返す間もなく、僕たちは、杉木立の中からふらりと現れた女の姿を認めた。あれは確か、鎬木(しのぎ)、と言う女だ。玲が戦った実川光令の主宰した果遂会の唯一の生き残り。そう言えば実川がゲオルグに狙撃されて命を落とした瞬間、彼女は隙を突いて逃げたのだった。

「何言ってるっすか。三人とも逃がすわけないでしょ?」

「なあ、そう欲張るなって」

仕掛けようとした鎬木を、ミケルは蹴り足でけん制した。さっき日本兵の意識を一瞬で刈り取った切れ味の鋭いハイだ。

「三人は、どう見てもあんたじゃ、無理だ」

「…やるじゃないっすか」

鎬木は微笑むと、手の中から何かをほとばしらせた。弾丸のようなそれは、黒い直線を描いてミケルの頬を(かす)める。狙ったのは、玲だった。瞬時に伏せた玲のその背後に、(ひづめ)型の楔手裏剣(くさびしゅりけん)が刺さっている。思い出した。この鎬木と言う女、手裏剣を遣うのだ。あんなもので狙われたら、三人いてもひとたまりもない。

「成瀬真人、三島玲殺す。邪魔する奴は、もっと殺すっす!」

「いいから行けッ!」

ミケルが出した馬に、僕たちはあわててまたがった。

信玄はすでに遥か先である。


僕が馬を駆り、背には玲だ。信玄は山すその道を、野生の杉の林を掻き分けながら、進んでいく。さすが騎馬突撃が自慢の武田軍の総領だ。信玄の馬術の腕は、虎千代に決してひけを取らない。二人乗りで僕の腕では、中々追いつけない。

月明かりの林の中を、断続的に銃声が響いてくる。道々に武器を持った日本兵が殺されている。秋常はもっと先に逃げたのか、信玄は行く手を阻む日本兵たちを皆殺しにしているのだ。冷徹すぎる綿密さだった。信玄、修羅に入ったと言っていい。

「真人くん、あそこ」

林はまばらになってきたが以前、すり鉢状の下り坂が続いている。杉木の間の月明かりのたまりを、小銃を担いだ信玄の騎乗が進む。その馬体をかけ違いに、騎乗の将校が挿そうと追跡していた。信玄は銃剣が装備できる歩兵用の三八式歩兵銃を使いこなしているが、敵はその三八式の銃身を切り詰めた騎兵銃だ。元々反動が少ない三八式は、威力に不安が残る一方、騎乗での射撃に向いている。

しかし、自然の山間を往く驚異の馬術は、信玄の方が遥かに上だ。木立に身を隠しながら疾走する信玄は幹に隠れながら、いつの間にか将校たちと並走している。こうなると源平以来の流鏑馬(やぶさめ)と理屈は同じようだ。

あわてて銃口を巡らそうとした日本兵たちは、迷い出た野鹿のように信玄に射殺された。ぱらぱらと、豆を()るような乾いた銃声が山間に木魂する。

「やあ、もう大丈夫だ」

こっちに来い、と信玄が合図をしている。

「幸い、今夜は明るい。お蔭で全員、漏らさずに始末できそうだ」

完璧主義者らしい信玄の物言いに、僕たちは呆れるしかなかった。

「秋常は?」

「これから始末するところさ。運悪く、連中の軍馬を盗られてしまった」

悠々と信玄は、下り坂の果てにあごをしゃくる。丸裸の尾根が、そこからは続いている。月明かりの落ちる中を、傷ついた軍馬にまたがって秋常が駆けていた。スコープをつけずに信玄はその背に狙いを定める。距離は五十メートルほどか。いつの間に鍛えたものか信玄、狙撃の姿勢も様になっている。

「君たちが春日山に行っている間に、扱い方を教えてもらったのさ」

まさか信長に、と思ったが、なんと松本さんに教わったのだと言う。

「彼もその、太平洋戦争とやらに出征したんだそうだ。使い方を教わった銃が、ちょうどこの型だったよ」

だからと言って達人過ぎる。引き金に触れる信玄の指先は、手慣れきっている人間のそれだ。

「全く便利な道具だ」

秋常は、左の太腿(ふともも)を撃ち抜かれて落馬した。馬は少し秋常を引きずった後、大きくいなないてそのまま、逃げていく。あの傷では、もう立ち上がることすら、かなうまい。即死しなかったのが幸いだった。

「出るな、二人とも」

硝煙が立ち上る銃を構えながら、信玄は僕たちを制止した。このまま、止めを刺す気なんだろうか。

「誤解してもらっては困る。うかつにあんな場所に出れば、秋常と同じ目に遭うと言ってるんだよ。見給え、さっきまで煙たいほどに襲い掛かってきた連中が今や、元からいなかった、とでも言うようだ」

信玄は辺りに注意を促した。確かに、あれだけの日本兵が立ち向かってきたのに、今、この森は死んだように夜のしじまに沈んでいる。

「そもそも、この人たちは、何者…?」

玲が不安そうに尋ねると、信玄は確たる声で言った。

「十界奈落城の兵たちだ。それもある人物に率いられている。遭遇する前からそこまで把握済みさ。誰かは分かるね?」

装備も、衣装も旧日本陸軍兵。と、なれば答えは一つだと、信玄は謂う。僕は、はっとして息を呑んだ。

「今夜、私たちはミカドに会える」


挿絵(By みてみん)


今話はまたまた九藤朋さんよりファンアートを頂きました!しかもなんと今回はミケル単体であります!

「朋さん、日陰者のおれをいつも応援してくれてありがとう。必ずやあなたにも神の加護を…」

「羨ましいです兄さん…わたし、寂しいです」

「大丈夫、ラウラには俺が描いてやるよ。ほら」

「…ありがとう…でも要らない、兄さん気持ちだけで十分。やっぱり自分で描こうかな…( ノД`)…」

と言うことで、凛々しいミケル。朋さんは彼を気に入ってくださっているようで…じゃあ、もっと頑張らなくちゃねミケル!

「ああ!ありがとう朋さん。おれはやるよ!」

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