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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.13 ~越後へ!春日山動乱、深雪の攻防
175/591

真人、調略の才とは、男の娘、玲は三島春水の息子…?

(あきら)

そう言えば、男の名前に…思えなくもない。そう言う友達もいたし、いや逆に、玲と言う女の子の方が見たことないような。でも、だ。目の前のこいつを見れば、十人中十人が女の子と言うに違いない。だってそうだろ。女の子っぽい男ってこんなんじゃないぞ。どうしても認識が改まらない。

「本当に男!?」

と、僕がストレートに疑問をぶつけると、じわっ、と目に涙を浮かべる玲。

「ぼ、僕は男だっ!そんな…しつっこく何回も言うことないだろ!?さっき僕の胸だって触ったじゃないかっ!」

「そ、それは」

触った。でもあれは、こいつが逃げようとしたから、不可抗力と言うか。いや、なにやましい気持ちになってるんだ男の胸だ。本人が言うんだから問題ないじゃないか。でもさっきの、Aカップの女の子の膨らみくらいはある気がしたけど、気のせいなのかなあ。

「わっ、分かったよっ」

玲は決然とした声を上げると、裾をまくった。わっ、お前っ、こんなとこで下帯外そうとするなよ!?

「わあっ、待って!分かったっ、分かったからっ!信じるよ!お前は男なんだろ?女の子の格好してるけど、やっぱり女の子じゃないんだろ!?」

ふるふる涙ぐみながら、玲は何度も頷いた。たぶん、何か事情があるんだろうけど、女の子にしか見えない。肌の感じとか、唇とか…とにかくもろもろ、僕と同じなはずはない。

「よ、よく見たら、僕と同じ男だって分かったよ、うん。肩とかも、がっしりしてるし顔だちとかもさ。そ、そうよくね。よくみたら!」

今僕、心にもないこと言ってる。だって言わないと、相手が納得しないんだもん。

そう言えば、よく思い出してみたら、中学生のときとか、女の子っぽい顔立ちや仕草の同級生とかっていなくもなかった。でも玲はそのレベルを超えているのだ。声も、ほとんど女の子だ。

「き、君も僕と同じ時代から来たんだよね。…えっと同い年?」

玲は十八歳だった。あ、やっぱり僕と同学年だ。

「じゃあ高校生?…あ、そんなことないか」

海童のテロリストチームのメンバーだ。そんな子が、僕と同じ普通科の高校に通ってたわけがない。しかし玲はそれを尋ねるとなぜか嬉しそうに僕をみて、こっくりと頷くのだ。

「うん…ちゃんと学校行ってた」

「えっ、ええっ!?」

「真人くんのすぐ近くだよ?」

玲は、自分が通っていた高校の名前を言った。なんと、それは僕と同じ学区内の進学校だったのだ。

「駅前の塾とか、真人くんの行ってる高校の人多かったから、知ってる人もいると思う。もしかしたら、真人くんにも会ってるかも」

いや、僕は学習塾以前に完全なる登校拒否だった。とは言え、玲が矢継ぎ早に話したゲームセンターとか書店とかファーストフードのお店とかは確かに、僕が通ってた高校の生徒たちのたまり場だった。

「じゃ、じゃあ君は、全然僕と同じ、普通の高校生だったんじゃないか?それなのに、どうして…?」

と、言うと玲は辛そうにうつむいた。それは無理もないと思う。

「事情が、あって。家の」

「例えば代々、暗殺者の家とか?」

思い切って尋ねると、玲は目を丸くした。今の、現代で僕たちが出逢ってたらただの冗談だったと思うけど、僕たちがもうそれで済まされない世界にいる、と言うのが、恐ろしいところだ。

すると今まで楽しそうに僕たちのいた時代のことを話していた玲が、火が消えたみたいに消沈して口ごもってしまった。

「…僕には向いてないと思った。出来ない、そんなこと…」

やがて、苦しそうに独白した玲に僕は、同情せざるを得なかった。その気持ち、分からなくもない。今、聞いたところによると、恐らくつい最近まで、僕とほとんど同じ生活をしていたのだ。ニートの高校生だった僕がいきなり、戦国時代の真っ只中に放り込まれて何度も殺されそうになったのと、感覚は似ている。

そもそも真紗さんみたいなのが珍しい。嬉々として真田忍術を継いで、十代でヨーロッパを股にかけてばりばりのスパイになるなんて、よっぽどぶっ飛んだ感性の人じゃないと無理だ。

「だから真人くんと…話がしたいと思ったんだ。昨夜のお礼も言いたかったし、またここで、会えたらいいなと思って。でも、真人くんの住んでるところには直接、会いにいけないだろ?」

そりゃそうだ。恐らく海童の一味の人間が現われた、なんて分かったら、絶好調で非人道的な尋問と残虐な拷問を提案する人間を、僕は二人ほど知っている。

「気持ちは分かったよ。でも、その話、全部は信用できないな」

玲は、はっとして顔を上げた。心が痛んだが、僕の立場上、これははっきりとさせておく必要がある。

「昨夜、そこの通りの梅酒屋で、僕たちの仲間が殺されたんだ。皆殺しだ。そして君はそれと同じ時間に、この近くにいて僕と鉢合わせた。どうして今、僕がここにいるか分かるだろ。僕は昨夜、その事件に君が関わった、と言う証拠を捜しに来たんだ」

話し終えると、玲の瞳にじわりと大粒の涙が浮かぶのを僕は見た。彼がもし完全なる善意で僕の前に現われたのだとしたら、それは残酷な言い方、だったのだろう。しかし僕が長尾家の一員であり、この玲もそのことを知っている以上、これは取らざるを得ない態度だった。

なぜならもしこいつが何か底意があって近づいてきた場合、僕は早めに次の行動を判断しなければならなくなるのだ。見極めは早い方がいい。

「真人、分かっていると思うが、こやつ、私たちをみて逃げようとしたのだぞ?」

(分かってる)

内なる晴明の声に、僕は応えた。こいつが僕と出くわして、反射的にとったのは、逃走だった。僕と会って話したいと言った今の言葉とは、明らかに食い違う。だがその、逃げる、と言う行動の文脈の行き着く先には、二通りの解釈が出来る。ことによっては、僕が捜しにきたものをこいつが隠滅しに来た、と言うことかも知れない。

いずれにせよ、玲をここでただ逃がすわけにはいかない。それには無理やりにでも、話を続けさせることだ。

「君はその事件があった通りから来たよね?」

僕は通りの明るい方へ、あごをしゃくって言った。

「見ての通り、まだ事件は外にいる人には知られていない。僕たちの仲間がやってきて、それで知れ渡ることになるはずだ。それなのに、僕をみて君は逃げた。つまり、君は知っていたはずだ。中で昨夜何があったか、僕が言う前に」

今のは、逃げたことを悪意にとった最も厳しい方の解釈だ。玲はぐっと唇を噛むとそのまま黙り込んでしまった。相手によっては、開き直ってくる局面だ。言葉を択びつつ僕は、言うべきことを突きつけた。

「君が知っていることを話してほしい。でなければ僕は、君を信用することなど到底、出来ない」

ここで圧すのは、ある種賭けだった。僕にも玲のことは境遇の上で分かるし、同情もするが、今はそれぞれ抜き差しならない立場があるのだ。

玲はいきり立ってくるのかと思いきや、苦しげな表情のまま、うつむいているばかりだ。さっきから僕の追及に一言も抗わなかったのは、ショックを受けたせいもあったのだろうけど、何か話しにくいことを意を決して口に出すか、出すまいか、その間で苦悩しているように思えたのだ。

根気よく、僕は待ってみた。知っていることを、話してくれればいい。もし何か隠し事をしている人間ならすらすらとその場限りの出まかせを話すだろうし、本当に何か重大なことを話しあぐねているなら、逃がさないようにすればいい。沈黙、ふと途切れた。

「真人くんっ…その、実は、僕っ」

玲が口を開きかけた時だ。にわかに通りの向こうが騒がしくなり、空気が動く気配がした。黒姫たちが後片付けにきたに違いない。真紗さんたちの声もした。いいところだったのに。

「話しにくいなら…場所を移さないか」

相手を気遣う口調で僕は、さりげなく提案した。黒姫と真紗さんでは、最悪のコンビである。当然だがここで二人に見つかったら、えらいことになる。こんなことを言うのもなんだが、玲が、かわいそうだ。さっき自分が家業の暗殺に向いていない、と言い切った玲が僕に何を話そうとしているのか、薄々感じ取ってしまった、今となっては。

「行こう」

人目を避けて僕が玲を雑木林の奥へ導こうとすると、僕が降りてきた法の方から、音もなく、見慣れた格好の二人が降りてくるところだった。

「こんなところで何をしているんだ、真人」

ミケルとラウラの兄妹だ。ああ、やっぱり誰かに見つかってしまった。だがまだ、傷は浅い方だ。

「二人ともどうしてそんなところから?」

「それはこっちの台詞だ。お前が妹の描いたスケッチを持ち出したと言うから、心配になって追いかけてきたんじゃないか」

明らかに不審顔の二人は、すぐに僕の連れに気がついた。

「その女の人…真人サンッ、誰ですか!?」

「いやっ、これはそのっ」

とっさに言い訳しようとしたが、あの絵を描いたラウラ自身が気づかないはずがない。ラウラのサヴァンの異能は、一度描いたものは、絶対に忘れないように出来ているのだ。

「まっ、まさかその人っ」

やべっ。一瞬で気づかれた。

「ごめんっ!ちょっと違うところで話すからっ!」

「むーっ!むっ…むーっ!(何するんですか真人サン、どういうことですかっ!)」

悲鳴を上げようとした口を、僕はあわてて塞いだ。本当にごめん、ラウラ。


とりあえず通り一個向こうの茶屋に連れ込んだ。二人に食べたいものを全部食べさせてあげて、とんだ出費だった。なんで、僕が口止め料を払わなきゃならないんだろう。泣きべそかいてた癖に玲も何か頼んでいたが、絶っ対(おご)ってやらない。

「とにかく、この子は海童の一味なんだろう?じゃあ大した手柄じゃないか」

焼き味噌餅をたらふく食べたミケルは、たぶん恩に来てくれるだろう。男同士ってシンプルで分かりやすい。

「鬼姫たちがあれだけ右往左往しているのに、もう手がかりをつかんでいるとは。さすがは、ビダル師が見込んだ男だけはある」

「真人サンッ、虎千代サンにも黒姫サンにもまだ内緒、大丈夫なんですか?」

ラウラは、思いっきり不審顔だ。まあ、無理もないと思う。

「虎千代には後で話すよ。なんて言うか…ちょっと事情が複雑でさ」

と、僕は今までの経緯を話した。海童の一味のはずの玲が、僕と同じような高校生で、しかも本当は同い年の男だってことも。

「信じられん。…しかし、お前、本当におれたちと同じ男か?」

二人とも目を見張っていた。もちろん、ミケルが驚いているのは、この玲が女の子じゃなかったってことだ。

「とにかく、玲が海童の一味の中では、現代の一般人で今の状況に巻き込まれた、と言う点では、僕と同じ、だと思う。つまりあの晩、君はもしかして僕たちの屋敷へ行こうとして、あんなところを彷徨(さまよ)ってたんじゃないかな?」

今のは善意の方の解釈だ。玲は、勢い込んで何度も頷いた。

「どうかな。どうも、虫のいい話じゃないか。お前の話によると、こいつは黒姫たち軒猿衆が斬殺された現場の近くにいたんだ。真人、お前だって最初は、こいつが下手人だと言う証拠を捜して、あの藪を歩いていたんだろう?」

「うん、それは確かなんだけど」

「俺とラウラは、お前に力を貸すために来た。だから、お前のことは信じるが、その話をして、鬼姫はともかく他の連中が信じると思うか?」

ミケルの言葉は、容赦なく核心を衝いていた。この玲が、海童の一味を脱してきたとして身の潔白を証明するものは何一つとしてない。虎千代は僕が話せば最終的には信じてくれるだろうが、仲間を殺された黒姫も、西條と三島春水に煮え湯を飲まされた真紗さんも、ただで引き下がるとは思えない。

「…玲、この際、はっきり聞くけど君は、僕に会って実際どうしたいと思ったの?」

「真人くんに助けてもらったから…お礼を言いたかったんだ。ただそれだけで」

「昨夜は?僕たちの屋敷に、直接行こうと思ってあそこにいたの?」

「分からない。…ただ、どこにも行く場所がない、って思って」

案の定、玲はかぶりを振った。

「迷ってたんだと思う。とにかく君は海童たちと一緒にいられないと思ったから、そこにいたんだろう?」

いぜん戸惑ってはいたが玲は僕を見て、はっきりと頷いた。

「解せんな。俺が戦った経験からしても、奴らは半端な組織じゃない。特にあの三島春水と言う女、あれは剣技だけで言えば、ビダル師をしのぐ手練だ。そんな連中だ、生半可な覚悟の人間はいないはずだ、と思っていたんだがな」

ミケルの意見は妥当だ。だけでなく、あの天骸楼城の戦闘においても玲の実力については、実際に相対した武田信玄が疑問を呈している。あのメンバーの中で、彼は明らかに刃傷沙汰に熟れていない。考えてみればその時点で、玲は異色の存在だったのだ。

「つまりこいつは、真人と同じ、普通の…なんだ、コウコウセイって奴だったんだろ?組織に入って日が浅いのは分かったよ。それなら逆に聞きたいところだ。人も殺せないような覚悟で、なぜ今まで連中についてきたんだ?」

ミケルの追及はいつになく手厳しかった。彼もまた、ビダル・イェネーヅクと言う悪魔に魅せられ、非道に堕してしまいかけた過去を持った男だ。あいまいな立ち位置の玲が本格的に心配になってきたのだろう。玲はうつむいたまま答えなかった。

ちょうどそのとき、僕が頼んだ焼き干し入りの煮麺(にうめん)が来た。僕は木椀を玲に手渡しながら、尋ねてみた。

「そもそも、どうして海童の手下に?」

未成年で普通の高校生だった彼は、海童の組織の人間のように自衛隊出身者ですらないはずだ。どう考えても何か、事情があるとしか思えない。

「…てっ、手下じゃない。ただ、母さんに連れて来られて」

「母さん?」

場違いな語感の言葉が出た。だがそれがさっき、玲が言いかけたことだったのだと、気づくには続く言葉が必要だった。

「母親がいるから。僕、三島春水の息子なんだ」


「え…?」

余りの衝撃に、僕ですら絶句してしまった。息子…?今、息子って言ったのか?玲が、あの三島春水の息子だって。

「ふざけやがって。お前が、あの女の息子だと!?戯言も相手と場所を選ぶんだなあッ!」

ミケルなど、胸倉を持ちそうな勢いだ。無理もない。僕だって完全に意表を突かれた。まさか言うにことを欠いて、玲があの、三島春水の息子だなんて。

「ちょっと待って…じゃあっ、さっき言おうとしてたのって、もしかしてそのことっ?」

ミケルが掴みかかろうとするのを阻止しながら、僕があわてて問うと、玲は切なそうに大きく頷いた。

「連れて来られたんだ。…学校も辞めさせられて」

「なんでそんなひどいことを」

さすがに僕は色をなした。玲は僕と同じ、普通の生活をしていた、現代の高校生なのだ。

「下らん。あの女の息子だとしたら、お前など、はなから信用できると思うか」

「兄さん」

そこでラウラが、見かねてミケルを留めた。

「最後まで話を聞きましょう。見て、ミケル。彼、以前の兄さんと同じ。困ってます」

ミケルはそれで、気勢を()がれた。ラウラの観察眼は、決して間違ってはいない。僕の目から見ても玲はこの戦国時代の只中で、迷いに迷っていたのだ。

「話を戻そうよ。連れて来られた、って、それは無理やり?」

玲は黙ったまま、頷いた。でもそれから口にしたのは、誰もが予想すらしない意外な言葉だった。

「でも母さんは悪くない。…悪いのは、僕の方だった」


玲の家は、生まれながらに母子家庭だったと言う。幼い頃は北海道の実家に預けられて育ったのだが、小学生から母親が一人、全国に転勤を繰り返す暮らしだったらしい。

「母さんの仕事は、外資系の金融コンサルタントだって」

言うまでもなく、偽装の経歴である。玲の話では、三島春水は十代で玲を産んだ、と言うのだが、確か彼女が二十歳を過ぎる頃にはブカレストの地下街で大事件を起こしている。真紗さんの話では、ほどなく死亡を喧伝され、自衛隊経歴を抹消されたと言うことだったが、スパイテロをはじめとした非合法工作活動は続けていたはずだ。

「ママは忙しいけど、休めるときはちゃんと休めるのよ」

要は、潜伏していたのだ。たぶん僕も、その辺で彼女を見かけていたに違いない。

三島春水は意外にも、きちんと玲を育てたと言う。信じられないことだが、普通にPTAの役員とかもやっていたらしい。なんと玲が母親がテロリストだった、と言うことに気づいたのは、この時代に連れて来られるまでのほんの数か月の間だと言うから、驚かされる。


「お父さんは海童なんだろ。これまで、会ったことは?」

そこで口を挟むと、玲はにべもなく首を振った。

「あの人は、僕のお父さんじゃないって、母さんは言ってた。…会ったことはないけど、永田町(ながたちょう)の、すごく優秀なえらい人なんだって」


そのためか、玲は転校を繰り返したが、成績は常にトップクラスで中学も私立に通っていたらしい。何度も言うが玲が行っていた高校も、県内では有数の進学校だ。玲も全国模試に毎回名前が載るほどの成績で、進路は国立一本、あの三島春水が自慢する息子だったらしい。なーんか面白くないなあ。

「うん。だからそうやって、よくいじめられたんだ」

ちょっとふざけて僕が言うと、玲は深刻そうな顔で返した。

「でも、悪くもないのに母さんは、みんなに謝りに行って。お蔭で何回も転校を繰り返してた」

成績はトップなのに、中性的な容姿で引っ込み思案だった玲はよくいじめの対象になった、と言う。高校に入っても、やっぱりそう言う人間はいるもので、転校生の玲はトップクラスの地元優等生組に目をつけられた。

「女みたいな顔してる癖に!気に喰わねえなあ」

悪目立ちするのには、玲は慣れていた。物を隠されたり、嫌味を言われたり、そんなことでは動揺しなかった。大学に進学するまでの辛抱だと玲は思っていた。年収は並みの男より稼いでいるとは言え、一人で自分を育ててくれている母親のために、玲は、誰にも相談せず、とにかく堪えることにしたのだ。

だが、そうこうしているうちにいじめは当然、暴力的になった。

とんでもないことに優等生組のある生徒の遊び仲間に、地元で札付きの不良高校を暴力事件で中退になった無職の先輩がいたのだ。玲の家が裕福であると知ったその男は、金を引っ張れると思い、たちまちやる気になった。


「なあ、玲くん。おれらと身代金ごっこしようよ」

その男は玲から制服の上着を奪い取り、返して欲しかったら身代金をもって夜の学校へ来い、と脅したのだ。もうすでにいじめのレベルではない。脅迫傷害事件である。玲は、母親に相談できず、一人でそこへ行ってしまった。思いもかけない惨劇は、そこから始まったのだ。

「じゃあさ、次は玲くんが人質な」

金を受け取った男はあっさりと言って、玲に囚人の格好をさせて人質動画を取ろうと言い出した。そこには玲を目の敵にした優等生組の学生たちはじめ、十人以上が集まっていたと言う。玲一人に全員が、バットや鉄パイプで武装していた。

「やだっ…もういやだっ!」

夜の学校を逃げる玲をいたぶるように、全員が一晩中追い回してきたと言う。必死で謝っても嘲笑それ、水の入ったバケツを被せられ、転ぶと容赦なく硬い棒で全身を殴られた。


「許せません」

ラウラはそれを聞いて色をなして怒っていた。どこから聞いてもひどい話だ。

「玲…それで、そのあと大丈夫だったの?」

恐る恐る聞くと、意外な返事が戻ってきた。

「それでも助かったんだ。何度も殴られて殺されるかと思った」

しかし玲が次に目を醒ましたとき、彼が見たのは自分でもまるで予想していなかった光景だった。


この事件の結論だけを言う。

「学生が夜の学校で暴れている」

通報があって夜明け前、警察が到着した。

そこにあった光景は。

玲を襲った十名全員が重傷、血まみれで転がっている惨状だ。玲もその中にいた。彼らの一人が凶器とした紫檀(したん)の木刀をしっかりと抱えたまま、その中に倒れ込んでいたと言う。彼も怪我をしていたが不思議なことに、現場にいた人間の中で一番の軽傷だった。


「どう言うこと?」

思わず唖然として聞くと、玲は戸惑いがちに言った。

「僕がやった」

「嘘だろ!?」

玲は否定しなかった。

「…みたいなんだ。憶えてないし、信じられないんだけど」

玲が掻い抱いていた木刀には、叩き伏せた少年たちの血や髪の毛がべっとりとこびりついていたらしい。

「少なくとも、母さんはそう、判断したみたいだった」


事件を主導した無職の少年には、傷害と窃盗の前科があった。凶器も人手もこの少年が集めたため、当局はこの少年が主犯格と判断し、結局、玲に私怨を持った優等生組の生徒たちに罪が及ばずに終わったと言う。

問題だったのは、事件後だ。

「あんたの息子のせいで、うちの子がとばっちりを受けたじゃないか」

玲に逆に重傷を負わされたその生徒たちの親が、三島春水のところへ抗議に来たのだ。

「自分たちは、主犯の少年に目をつけられていた玲に巻き込まれただけ」

病院のベッドの上で、少年たちはすべての責任を玲に転嫁したと言う。そんなはずはないのだが、

「うちの息子は骨を折られたのに、あんたの息子は何でもないじゃないか」

無茶苦茶な理屈だが、玲が軽傷だった事実は常識では測り難い。

「問題にしてやるからな」

と息巻いた保護者の一人は県警本部長、事件を担当した警察関係者に顔が利いたと言う。三島春水が後で語ったところによると、事件の責任がその前科者の少年にすべて被せられたのも、その保護者の圧力によるものらしい。

玲は洗いざらい、三島春水に話したと言う。彼女はその話をどこか興味なさそうに聞いていたが、最後に玲が生還した経緯のところだけはなぜか、深く注意を払って聞いていたらしい。

「分かったわ」

やがて三島春水は言った。

「じゃあママが何とかする」

もはや謝って終わる問題ではない。だが三島春水は、あっさりとそう言った。玲は唖然とした。無理もない。知らなかったのだ。三島春水と言う主婦の本当の仕事を。


三島春水に圧力をかけてきた県警本部長は、その夜のうちに行方不明になった。市内のラブホテルで昏倒しているところを発見されたのはあくる日の夕方のことだ。

部屋には中から鍵が掛けられ、ベッドの上ではSMプレイに見せかけて全裸の女性が絞殺されていた。遺体は同じ日に行方不明になった、もう一人の保護者の妻でPTA会長をしていた四十代の女性だ。権力者は一瞬にして殺人犯になった。

しかもそれと前後するように、週刊誌に立て続けに県警不祥事に関する匿名のリークがあり、過去の揉み消しや不正が次々と明らかになった。玲の事件も監査が入り、当然のように再捜査が始まった。

恐ろしいほどの事態の転換だった。

「こんなのおかしい」

抗議にきた保護者たちも、次の日には軒並み黙った。なぜだかその日から病院で信じられない医療ミスが頻発(ひんぱつ)し、玲をいじめた主犯格の中から死人が出た。

あまりの不祥事の連発に学校にも抗議の電話が殺到し、玲どころではなくなっていた。皆、自分の立場を守るのに精いっぱいだったのだ。

「玲は辞めます。今までお世話になりました」

三島春水が丁寧な物腰で、混乱の極にある学校の職員室に現われたのはそのときだ。

「校長先生、それと玲の担任をして頂いた方、あと玲のお話を聞いてくれたスクールカウンセラーの先生にご挨拶したいのですけど」

この日、三島春水に別れの挨拶を告げられた三人は、それから一週間以内に相次いで不審な死を遂げることになる。

警察の捜査は彼女に到達することは決してなかった。

極東の亡霊、三島春水の不吉な影を誰も追うことは出来なかったのだ。


「玲くん、ママが悪かった。もう転校は、しなくていいからね」

事件が収束すると、三島春水は玲に旅行の支度を命じたと言う。

「誤解してたわ。あなたには、ママと同じ才能があったのね」

三島春水がシンガポールの六銭貿易公司で玲を海童たちに引き合わせたのは、その直後だ。

現代の人斬りと言われた三島春水の、本当の力をそこで玲は知ることになる。


「本当の母さんは、今まで見たどんな人より怖かった」

それから玲は震える声で、ひとりごちた。内縁の夫だと言う海童に会わされたのち、玲は訓練もそこそこに血なまぐさい任務に同行させられたのだそうだ。三島春水は刃物一本でどんな修羅場にも潜りこみ、皆殺しにして戻ってきた。

「僕にはあの母さんと同じ才能があるとは、どうしても思えない」


玲が通り抜けてきたのは、僕も想像だにしない凄まじい運命の転変だった。真紗さん以上に玲も、激動の運命にもてあそばれてここまで来てしまったのだ。

「真人サン、やっぱりすぐ、虎千代サンに話した方がいいと思います」

ラウラは玲の話を聞き終わって即座に言ったが、僕は、あの虎千代だったら玲の話を聞いてどう思うかと、一瞬、考えてしまった。

ともかく問題は彼に、意志がないことだ。母親の本当の姿を知って、動揺したのは分かる。今の境遇も、ただの高校生だった彼が望んでないものだと言うことも分かる。僕に助けを求められても、彼が自分でこれからどうしたいと言う意志がない限り、虎千代にも話しようがない。

「真人、意志なきものに役割の言霊を与えるのもお前の才だぞ」

晴明の声がした。

「お前が動き、働きかけることで、あの少年にも虎姫にも利する道が必ず見つかる。お前の言葉でそれを導いていけばよいではないか。あの少年はすでに、お前へ身柄を委ねている。と、すればまず大事なのはお前の意志ではないのか?」

「晴明…」

そうか。やっぱり、そうかな。

「それになあ、ちょうどいい駒が増えたではないか。駒にするなら意志を持たないやつの方が、より都合がいい。ふふ、棚から牡丹餅とはこのことだぞ」

感動して損した。この人、大陰陽師なのになんでこんなに俗っぽくて、腹黒いんだろう。


夕刻、意を決した僕は屋敷に玲を連れて帰った。

直接、虎千代に会おうと思ったのだが、すでにそこは出発の準備でごたごた中である。

「こっ、こらあっ、真人くん、どこまでほっつき歩いてたんだあ!さっさと準備しろってばよ!…って、誰その子?」

「おっ、思い出したあっ!そいつ、海童の一味の女ですよッ!」

ばっちり危険な連中に見つかってしまった。二人とも、色をなして身構えた。

「慌てないで。出るまえで悪いけどさ、皆に話があるんだ」

「まこっちゃん、ダマされちゃだめよ!」

ベルタさんまで銃を構えている。ラウラとミケルが危うくそれを庇った。

「よく聞け。この子の母親は、三島春水だ」

ミケルの一言が、真紗さんを刺激した。

「三島春水の娘っ!?どう言うこと!?」

このままだとますます混乱するばかりだ。僕は、いきり立つ真紗さんを抑えて言った。

「とにかく、虎千代が来たら皆と話したいんだ」

やがて虎千代が支度をして出てきた。

「真人!…おまっ、またどこかから新しい女子を連れて来たのではあるまいな!」

違う方向で誤解された。やっぱりいつも通り、しっちゃかめっちゃかだ。

「三島春水の…息子!?」

虎千代は目を白黒させていた。

「息子…と言ったか?女子ではないのかっ!…ふむ…」

武装した虎千代を留めながら、どうにか僕は事情を説明したのだ。

「事情は分かった。で、その三島春水の息が一体、何の用だ」

僕は玲を見た。もうそれは、事前に話してあった。僕は自分がひいた絵図を話した。

「三島春水を、調略できるかも知れない」

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