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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.13 ~越後へ!春日山動乱、深雪の攻防
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自在疑惑の正体!人斬り三島春水駆る秘剣、『音無』とは…?

「おのれっ」

景家は憤慨した。

「何たることじゃあっ、我らまんまと締め出されてしまったではないかッ!」

最も恐るべきは、自在の幻術である。

城内にいたときは、この小城を包囲するばかりだった大軍勢が、城門を開いて撃って出ると嘘のように掻き消えてしまったのだから。とっさのことで虎千代も僕も、冷静な判断力を欠いていた。自在の幻術が僕たちの常識の埒外を超えたものだったと言うことを、目の当たりにしたのは何より僕たちじゃないか。

「ええいっ、大熊の小娘は何をしておるかッ!中に守衛でおったであろうがッ!」

「落ち着け和泉。門を閉めた、と言うことは、城内(なか)で曲者どもが暴れておる」

虎千代の言う通り、耳を澄ますとそちこちから争う声や上がる火の手が見えている。これではいくら朝秀が武勇に優れているとは言っても、手が足りない。僕たちが自力で何とかしなければ、犬伏城は曲者たちに乗っ取られてしまうだろう。

しかるに、僕たちが締め出された大手門には今や丸太の閂ががっちりと、閉められてしまっている。

「鬼姫、身軽な連中を択んでくれるか」

と、身軽なミケルが進み出た。

「中へ入れるか?」

「どんな要害にも、抜けがあるものだ。さっき城を見回った折、登り口を探し出しておいた」

ミケルはこともなげに言った。

「ワタシたち、抜け道探しておきました。敵、そこから入ると思って。松鴎丸さんたちと」

「今のうちに我らが中へ入って大手門を開きまする」

と、松鴎丸は、鉄砲足軽たちに銃を担がせ、すでに登攀(とうはん)の準備をしていた。

「黒姫、真人、我らも続くぞ」

虎千代は馬を降りると、自分も備前鍛冶肉厚(びぜんかじにくあつ)の長巻を握った。

「連中の狙いは、何より、分かっておろう」

僕と黒姫は、息を呑んでから頷いた。そうだ。あの城の中には、負傷した真紗さんと、捕えられた西條がいるのだ。

「真人、俺たちが道を開く。すぐ後ろから続け」

ミケルは言うと、みるみるうちに危険な畝を登っていった。

「行くぞ」

迷っている暇はない。僕も意を決してそれに、引き続いた。


城中は、混乱の真っ只中である。

しかし入り乱れる敵兵の姿は、すぐに確認できる。

「よいかっ、身なりや得物の雑多なものが敵ぞ」

虎千代は獣の皮をまとった男を、走りざまに斬り捨てた。

朝秀の言っていた通りだ。自在は、付近の野伏せりたちを、急襲軍に加えている。揃いの常備具足に、番槍を携えた城兵たちとは自ずと、たたずまいが異なって当然なのだ。

「さて、さっさと門を開けてしまおう」

「真人サン、真紗サンをお願いします!」

ミケルはラウラと頷き合い、門前に入り乱れる野伏せりたちの群れの中に入って行った。近接の乱戦になれば、エスパーダとレイピアの機動性にかなうものはいない。

「あちらはあれで、事足りよう。まず、真紗を助けよう」

「わたくしは、土牢に回りますですよ!」

黒姫が完全武装で応える。

負傷したまま身動きの取れない真紗さんも気になるが、あれだけ厳重な土牢に捕縛されても不敵な態度を取り続けた西條の方も、棄ててはおけない。

「海童の手の誰かが、機に乗じて奪還に来るであろう。油断するな」

「お任せを!いざとなったら西條ごと牢を吹き飛ばしてやりますです!」

いつもながら、やり過ぎだ黒姫。

一通り指示を終えると、虎千代は脇目も振らず(はし)りだした。戦乱の最中を進む虎千代を誰も、捉えられない。交わったものはなす術もなく、一撃ずつで(たお)された。

「真人、急ぐぞ」

すれ違いざま十人斬って、息も切らしていない。

あまりの凄まじさにそこにいた残りの敵兵たちは、後ずさりながら逃げ散っていった。


朝秀が篝火(かがりび)を各所に焚いておいてあるせいか、どこも昼のような明るさだ。みぞれ混じりの藪の中から続々現れる敵兵の数を、僕たちは、早い段階で認識することが出来た。連中はやっぱり寄せ集めだ。武装も人数も、大したものではない。

「かっ、景虎さまあっ!すみません!敵兵にお城に入られてすみません!」

主郭へ上がっていこうとすると、薙刀で武装した朝秀が手勢を率いて出てくるところだった。そのとき、僕たちは恐るべきものを見た。

「たあっ!すみませんっ!」

主将格と見たか、朝秀に向かって獣の皮を被った男たちが群がったのだが、朝秀はそれを難なく討ち取ったのだ。しかも虎千代に謝りながら。

朝秀の体は急襲にも浮足立つことはなく十分に敵を惹きつけた上で、綺麗な円運動で重い刃を薙ぎ払った。その所作は虎千代同様、流れるようで全く遅滞がない。

普通、刃を持った敵に襲われたときは、間合いを近く見積もり過ぎ、刃が届く範囲まで待てないために致命傷を与えにくいと言うが、迫りくる刃を前に朝秀はじっくりと足腰を据え、着込みをした敵兵の胴を、丸ごと両断したのだ。まさに洗練された武技だった。

「備前、かなり使うではないか。顔に似ず、放胆に間合いを測ることよ」

その技の冴えは、あの虎千代が感嘆するほどだ。

「ええっ、なんのことですかあ、すみません!」

朝秀のコメントは混乱しきっているが、技は確かすぎる。その間にも掃き掃除をするように周りの敵を綺麗にせん滅していた。

人は見かけによらないと言うか、やっぱり虎千代と同じ、外見とギャップが大きい人だった。

「急ぎ、人数をまとめよ」

虎千代はてきぱきと朝秀にも指示を与える。

「夜襲の人数、おそるるに足らず。今に城門が開く。そのときこそ、鬨の声を作って全員押し出せ」

「わっ、分かりましたあ、さすがは景虎さまですう、すみません☆」

朝秀は薙刀を振りかざすとあわただしく、人数を率いて大手門に降っていく。同時に足元で、わっ、と声が立つのが聞こえた。

「大手は開いたな」

さすがはラウラとミケルだ。この分では、挽回はそれほど難しくはなさそうだ。


真紗さんたちは、納戸の中にいなかった。僕たちが到着したときには、布団はもぬけの空で灯りは消されていて、朝秀が用意した火鉢の中で燃え残りの炭が冷えてくすぶっているだけだった。

「地下牢へ行ったか」

虎千代は、布団の中に手を差し入れて歯噛みをした。この分ではすでに、僕たちが城門に打って出たときから、真紗さんは床を脱け出していたのだろう。よくもあの身体で、と思ったが、無理もない話だ。真紗さんは不倶戴天(ふぐたいてん)、と思い極めていた相手に、殺されかけたのだ。

「…黒姫めとベル殿が、上手くやってくれているといいのだが」

虎千代が苦い表情でこぼすのも、よく分かる。せめて土牢に駆けつけた黒姫が、ベルタさんと協力して真紗さんが西條を殺すのを思い留まらせてくれていれば、と願うしかない。

西條を殺しても、まだ海童たちがいる。

冷静な状態の真紗さんなら、そのことを誰よりも理解しているはず、なんだけど。

僕たちは急いで道を引き返した。土牢は主郭のある絶壁の尾根沿いの平場に、ぽつんと掘られていた。古井戸を改造した仕掛けであり、下に掘り込まれた塹壕(ざんごう)から、吊り下げられた囚人をうかがうことが出来るようになっている。

この時代にすでに古い仕掛けだが、いくら西條と言えども、容易に脱出できる種類のものではない。

真紗さんが武器を持ち出しているのに気付いたのは、虎千代だった。昨晩今井城に到達したとき、携えていた管槍、あれが部屋になかったと言う。同じ現代人でも真紗さんは、僕とは違う。それは虎千代も分かっているはずだ。

虎千代は無言で頷くと、持っていた松明を僕に渡した。自分は柄に手をかけている。僕が指摘するまでもなく、いざと言う場合を、予期しているのだ。


仄暗い灯りが、そこに洩れている。

洞穴(どうけつ)の中は、不気味に静まり返っている。虎千代に続き、僕も恐る恐る中に入った。すぐにそこに四人いるのが分かった。入口付近に黒姫、ベルタさん、そして秋常が順にこちらを見返してくる。真紗さんはその奥にいたが、なぜかこちらを振り向かなかった。

天井から西條の入った袋が吊り下げられているのを、凝視していたからだ。巨大な(さなぎ)のようなそれは、火灯りの中に昏く沈んで淡く揺れ続け、そこに入った人間の重みを(かす)かな縄の軋みで、伝えるばかりだ。

「虎さま、全員無事でしたですよ」

黒姫が、虎千代の前に膝を突く。虎千代は無言で頷いた。全員無事、と言うのは、あの袋の中に閉じ込められている西條も含めて、と言うことなのだろう。

「誤解しないで」

と、真紗さんが言った。

「外の騒ぎ方が変わったから、何かあったんだと思ったのよ。城中で騒ぎがあったとしたら、まずはここに駆けつけなきゃでしょ?」

僕はそこで気づいた。やっぱり無くなった管槍は、真紗さんが持っていた。だがよく見ると、真紗さんはそれを杖にして危うく立っていたのだ。管槍を持ち出したのは、武器として使おうとしたのではなく、回復しない足取りを支えるためなのだった。

「そうだな。助かった」

虎千代は素直に応えると、小さく頭を下げた。

「わたくしが来る前から、真紗さんたちが見張っていてくれていたのですよ。わたくしが来てからもここには、余人は一人たりとて入れさせてないですよ!」

「二人とも、抜かりなく手を打ってくれて、本当にありがとう。だから安心して。あたし、勝手な真似はしない。それは約束する」

真紗さんは管槍を杖して、西條のいる禍々しい蛹に向かって呼びかけた。

「逃げる機会なんて、与えないわよ。たとえあたしの命を懸けても。当然よね?あんたがあたしの立場だったら、同じように言うはず」

虎千代に言われ、僕は松明を(かざ)した。当然だが、西條は監禁されたままだ。この騒ぎにも我関せずと眠っているのか、顔を伏せたまま何の反応もない。

次の瞬間、真紗さんは息を吸い込むと、西條を蹴った。まるでサンドバッグだ。鋭い蹴りが極まると、吊り下げられたそれは、九の字になるだけでそれほどに揺れない。そしてさらに蹴った。続けざまに真紗さんがどこを狙っているのか、よく分かった。

あそこは肝臓だ。西條も人間である以上、平気でいられるはずはない。くぐもったうめき声を発し、袋の中の男が活きた反応を見せた。

「聞こえた?あんたは、あたしが、逃がさないと言ったの。あたしは公開処刑なんて望んでない。とにかく、あたしの目の前であんたは死ぬの」

どこまでも冴えきって、冷え込んだ真紗さんの言葉は、殺気そのものだった。聞いていてさすがに背筋が寒くなった。紛うことなきこれが、真紗さんの本心だ。虎千代に敬意を払って真紗さんは抑えてはいるが、彼女は今すぐにでも西條を、自分の手で殺したいのだ。

「…騒がしいな」

すると、咳き込みながら西條が声を漏らした。

「そうね。でも、あんたには関係ない。どの道ここに、助けは来ない」

「まるで悪党の台詞だな。それより虎姫、放っておいていいのか。あんたも会っただろう、あの女が来ているぞ」

「あの女だと?」

虎千代は眉をひそめた。あの女と言えば、海童英の妻、三島春水(みしまはるみ)しかいない。

「だからどうかした?三島春水がどんな化け物でも、ここには来れない。たとえ来たとしても、そうなれば今ここであたしがあんたを殺す。あんたが救出される手段はない」

「だろうな。あの女は、いざとなったらおれを助けたりはしないだろう。おれも言ってある。そう言う場合は、自力で何とかするとね」

くっ、くっ、と例の、豆を煎るような声音で西條は笑った。

「ただ、おれは心配してるんだよ。あの女は、畑で野菜くずでも始末するみたいに人を斬るからな。虎姫、お前が行ってやらなくていいのか?ここにいるだけが、仲間じゃないんだろ?もしかしたら、大切な人間を喪うことになるぞ」

真紗さんがもう一度、西條を蹴ろうとした。そのときだ。まるで外にいるような寒風が吹き荒れたと思った途端、すべての灯りが消えた。なんと僕は持っていた松明を誰かに(さら)い盗られたのだ。

じゅわり

と、おぼめく(ほむら)の音とともに、鬼火の群れが僕たちを取り囲んだ。

「自在か」

虎千代は、慌てたりはしない。だが、その幻術は何度見ても、不思議としか言いようがない。鬼火は、見るも(おびただ)しい数だ。この洞穴は狭苦しい場所のはずなのに、(くじら)の胃の中に放り込まれたかのように闇そのものが、不気味な拡がりを見せて僕たちを呑み込んできたのだ。

「かエせ」

自在の声が響いた。相変わらず、その声の方向は読めない。

「そノ男を、かエエせ」

「西條を取り戻しに来たか」

虎千代は虚空の鬼火を(すが)めつつ、不敵に(わら)ってみせた。

「なんじゃ、かほどに西條が大事か」

虎千代の挑発に、鬼火は千切れんばかりに盛り(おこ)った。

「人がましきことよ。ようよう、お前が音をあげるのが聞けたな」

「ほざけエエエエッ!」

火焔(かえん)は激流になって、虎千代を()きつけて来る。これが本当の炎ならば、虎千代はあっと言う間に黒焦げの焼死体になっていただろう。虎千代は腰間(ようかん)備前光忠(びぜんみつただ)(ほとばし)らせると、一閃、朱く(きら)めく炎を斬り裂いた。

炎が斬れるはずがない。しかしその幻術に、虎千代の気が勝った証左に、炎は絹布を引き裂いたように真っ二つになり、あっけなくほとびて消えた。それからその後に、予想すらもしなかったことが起きた。

幻とともに虎千代が何を斬ったのか、そこで絞り出されるように立ったのは、聞き慣れない女の悲鳴だった。姿こそ見てはいないが、自在は四十年配の中年男のはずだ。それなのに、今確かに聴こえたその声は、僕たちとそれほどの年齢も変わらない、若い女のものだったのだ。

そのとき、僕は気づいた。

「返して…」

ついで秋雨のように立ったさめざめと泣くその声に、大きく動揺を見せた男がいたのを。自在によって実妹を殺され、許嫁を盗られた秋常だ。

仄火(ほのか)アッ!」

「鎮まれ秋常殿っ」

狼狽(うろた)えるな、と言うように、虎千代が牽制したがすでに遅かった。闇の中に、銀幕が吊ってあるかのようにそこに、両手で顔を覆ってむせび泣く垂髪(すいはつ)の女の映像が現われたのだ。

唇が薄く、切り立った瞳を持った女だった。虎目石(とらめいし)を思わせる茶色の目が美しい女性だったのだが、その瞳の中心が炉が盛っているかのように、不思議な赤い色を帯びていたのだ。

女は涙を溢れさせ、真っ直ぐにこっちを見ていた。だがそれは、秋常を見ていたのではない。僕たちの背後に監禁されている西條の方だったのだ。

「お願いです。西條様を、お返し下さい…」

「この期に及んで姑息(こそく)妄言(もうげん)を」

虎千代は、問答無用で幻を斬ろうと思ったのだろう。しかし、抜き打ちを浴びせかけることはかなわなかった。二人の間に秋常が立ちはだかったからだ。

「のけ、秋常殿。それは自在が作りし幻よ。斬らねば、本物の仄火殿には、永遠に逢えぬぞ」

斬ると決めたときの虎千代の殺気は、凄まじい。しかし秋常はそれを浴びても、敢然と首を振るばかりだ。

「私には分かります。自在になく、仄火はここにいる。たとえ長尾様に斬り捨てられたとて、ここは退けません!」

「退かねば、おのれごと斬るぞ」

「構いませぬ!分かって頂けぬなら、致し方なし!」

困ったことになった。そうは言ったもののさすがに虎千代も、まるで罪のない秋常ごと斬るわけにはいかない。

「あっ、秋常殿、騙されちゃだめですよ!どいてくださいですよ!」

「嫌です!」

「どっ、どかないと撃ちますヨッ!」

「ま、待ってベル!さすがにそれはやばいって!」

こんな狭い中でぶっ放されてたまるか。予想もしなかった事態に、僕たちは、完全に戸惑った。

(どういうことなんだ)

これも確かに、奸智に長けた自在の策には違いない。卑劣である。だがそうまでして、西條を取り戻したいのか。

「仄火、君だね」

秋常は、仄火の幻に歩み寄る。

「だめだ秋常さんっ」

こうなると僕たちの制止は、秋常の耳にはまるで届かない。それが仄火ではないことなんて、この場にいる誰にでも分かる。だが愛する人間を奪われた、秋常には別だ。求め続けた恋人の幻を見せられて、秋常は自在に狂わされた。誰もがそう思っていた。

「仄火、帰ろう」

秋常の声に仄火は、涙に濡れた顔を上げた。優しげに微笑んだ秋常が、その身体を労わろうと両手を拡げて歩み寄った瞬間だ。

腰を落とした仄火の身体が、するりと反転した。蛇のように絡みついた仄火の腕は、一瞬で秋常の(くび)を狙ったのだ。その手には、鋭利な匕首(あいくち)が逆手になって握られていた。

すかさず飛び上がった虎千代が、秋常に隠れた仄火を狙って前蹴りを突きこまなければ、頸を掻き取られていただろう。仄火は虎千代に蹴り飛ばされて、戸口付近で受身をとって構え直した。そのときになぜか虎千代が、はっと息を呑むのが、僕にも分かった。

それは、幻ではなかった。虎千代が今の刹那、蹴ったのは、自在、と言う忍者の中年男などではなかったのだ。

「おのれっ」

怒りに身を震わせ、匕首を構えているのは、確かに実体の女性だった。なんと言うことだ。くしくも秋常が直感的に悟ったように、西條奪還に単身現れたのは、自在に監禁されたはずの仄火本人だったのだ。

仄火は身を(ひるがえ)すと、洞窟を飛び出し、崖下の(けやき)(こずえ)にひと息で飛び上がった。

「まっ、待ちやがれですよ!」

すかさず黒姫が八方手裏剣を放ったが、仄火の身体は猿猴(えんこう)のように雑木林に消えていった。恐るべき身のこなしだった。果たして、自在はどこへ消えたのか。いや、これまでの道中、僕たちを苦しめていたのは、果たして自在だったのか。自分を殺そうとした仄火の名を、秋常が狂おしそうに呼び叫ぶ声ばかりが虚しかった。


気づくと、洞窟に入ってから半刻は経っていた。その間、大手門下のどよめきは収まる気配を見せない。

「和泉め、何を手こずっておるか」

虎千代が歯噛みをして駆けつけようとすると、向こうからあわてて誰かが駆けあがってくるところだ。見ると、なんと負傷したラウラだった。ラウラは切迫した声を上げた。

「虎千代サン、ミケル、殺されちゃうッ!」


その頃、眼下では、信じられない光景が現出していたのだ。

突如、城壁を飛び越えて殺到した三島春水に誰も触れることなく、ラウラ、朝秀、そしてミケルまでが手傷を負わされていたのだ。

女が携えているのは、定寸より長い腰高の日本刀一本だった。

「取り囲めえいッ!長柄で押し包めば、剣など恐るに足りぬわえいッ!」

柿崎景家の下知で、長柄武者が槍先を構えて突出したが、その影を誰も止めることは出来ない。

なんと、斬撃を放つ女は両眼を閉じていたのだ。乱れ飛ぶ矢も、入り乱れる刃の列も、三島春水にとっては、春先の小雨ほどにしか感じないと言うことなのか。揃ったように(くび)を撃たれて、具足武者たちは沈黙した。

その最中で、三島春水の急襲を命を賭して食い止めていたのは、負傷したミケルだ。一発必中の三島春水の斬撃に致命傷さえ免れたものの、あの俊敏なミケルが反撃すらあたわず、手足を血で濡らしていたのだ。

「…馬鹿にしやがって。どういうつもりだ」

女は薄く閉じた女は薄く閉じた目をかすかに開けた。しかしそれは、相対するミケルを見るためではなく、駆けつけた虎千代の姿を確認するためだ。

「ご一行、はるばる越後までようこそ。今宵は、御披露に上がりました」

「披露だと?」

虎千代はミケルを庇った。ラウラがすぐにその身体を受け止めたが、出血が甚だしく、すでに立っているのがやっとの状態だった。

「存分に仕りましょう。せっかく死出の(はなむけ)ですもの」

三島春水は切っ先を、虎千代に向けると、不気味なその剣術の名を言った。

「秘剣『音無(おとなし)』」

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