やっぱり虎千代が上杉謙信?!連れ戻しに来た越後侍たちに虎千代は・・・
一瞬、真菜瀬さんが、なんでそんなに慌てていたのか、掴めなくて茫然とした。だって、夜中だぞ? 何かが起こった様子はなさそうだけど。
「どうじゃ、やはり夜襲か♪」
虎千代なんかは生き生きして、太刀の目釘を口に含んで湿らせていた。
『くちなわ屋』に戻る道すがら、通りがやけに明るくなっていて、確かに異様だった。松明が焚かれ、草葉をふすべるパチパチと言う音が、盛んに鳴っていた。それに混じってする、かちゃかちゃ、金属製の冷たい音。何か、硬いもの同士が擦れ合う気配が、物々しい。何かが『くちなは屋』を取り囲んでいる。緊迫した気配が僕たちにもすぐに分かった。
通りを曲がると門外には、黒くくすんだ人の群れがわだかまっていた。
そこにいたのは、ざっと二十名ほどの、武装した『軍勢』だった。―――それも足軽とは違う。黒漆の糸で威した甲冑に身を固め、顔を面頬で隠している。完全武装だ。刀も槍も、暗闇の中で妖しい輝きを放つくらい、ぴかぴかに磨きあげられている。
―――これが、正規の武士たちの軍勢なんだ。
鎧武者たちが揃うと、その威圧感は足軽の軍勢とはまったく違った。一瞬、足がとまりそうになるくらい、気おくれがするのだ。
僕たちが現れると、
「―――景虎様、御迎えにあがり申した」
その中から進み出た一人が、虎千代の前にひざまずき、兜の面頬をとった。
その顔をみて驚いたのは、はっきり言って僕だけじゃなかった。
だって、完全武装した甲冑武者の一人は―――
「新兵衛さんっ?」
『くちなは屋』のみんなが驚いている。真菜瀬さんだけじゃない。煉介さんたちも、絢奈も、凛丸さえもだ。まずは、あの新兵衛さんがれっきとした武士だったことだ。
「申し遅れましたな。―――あらためて身は、金津新兵衛義舊と申しまする。『くちなは屋』の方々はじめ、皆様にはその折り、ご迷惑をおかけ申した」
そう話す新兵衛さんの仕草や口上は、全然以前のものと違っていた。
軍勢は戸外に残したまま、新兵衛さんは、兜を脱いでひとり、上がってきた。足軽たちは、面喰らって縮こまっている。煉介さんは、真菜瀬さんたちに沢山の手ぬぐいを湯で洗わせ、麦焦がしを用意してもらっていた。新兵衛さんたちが長旅からの到着間もないことを、すぐに察したのだろう。武装した彼らは、遠路はるばる越後から来たのだ。
「童子切殿には、感謝の言葉あまりありまする。かような戦乱の洛中にて、我らが長尾家当主、景虎公をかくまいだてくださる段、まことにかたじけない」
「丁重なるお言葉頂き、痛み入りまする。え、と、新兵衛さんは金津殿と申されたか」
状況が呑み込めていないのか、煉介さんもさすがに、困っていた。
「虎ちゃんが、あの景虎さんなの? もしかして、長尾景虎って―――」
やっぱり。うすうすそんな感じはところどころしてたけど、そうだと訊くと、さすがに愕いた。虎千代が、長尾景虎。あの―――上杉謙信なのだ。
「いかほどに御存じか否かは存じ候えど、この節、越後長尾家は、騒乱の渦中。―――これなる景虎公なくしては、越後一和は泡沫の夢となり申そう。亡き為景公のご遺志にももとりまするゆえ」
「え、ええ―――それは実に大事ですな」
れっきとした武士口調でずいずいっ、と膝を進めてくる新兵衛さんに、煉介さんも困惑ぎみだ。見かねた真菜瀬さんが、恐る恐る手を上げて、
「えっと、ごめんなさい、さすがに、状況が呑み込めないんだけど―――つまり、虎ちゃんはお姫様じゃなくて、お殿様なの? 景虎って男の人じゃ―――」
「長尾景虎公は、見た目は女子。されど男児の中の男児にござる。それは亡き為景公も、ご承知の上。いやさ、そもそも―――」
「失礼、金津殿。いや新兵衛さん、とりあえず普通に話してもいいかな。―――恐らくあなたは家中の秘を話してる。まず、長尾景虎と言う人物は、正式な当主ではないわけだろう。ある筋から聞いたところによれば、長尾の当主は、別にいる、と聞いたが―――」
煉介さんの言うのは弾正さんの話だ。そう言えば、為景の跡は、晴景と言う名前の息子が継いだはずだ。新兵衛さんは息をつくと、がっくり膝を崩して、
「―――確かに、わしは家中の秘を話しております。表向きにはまさか、当主と決めたその晴景より、かの姫なる虎千代様の方が当主に相応しきお方と見込まれております、とは言えませぬ。されど、かの姫君はただの姫君にあらざるは、煉介殿もはじめ、皆様がよう知っておられましょう」
ううん、それはそうだけど、と言う風に、煉介さんは虎千代を見る。虎千代はさっきから、何も発言せず、黙って話を聞いていた。
「戦歴百番、為景公の子の中でも、景虎公は出色のもののふにござる。何を隠そう、為景公亡きあとの騒乱をこの数年で収めてしもうたは、この、虎千代君。為景公も、虎千代君の才あるを見込んで、生前、万が一の場合に備えて、景虎の名乗り名をお残しになられ、晴景公危うき折は、長尾家をしょって立つようにと、我らにも言い含めております。長尾家中にても、晴景公より何より、景虎公を推す声が強うござる」
「お兄い、このことって―――?」
絢奈が僕の膝を突っつくと小声で、ささやく。史実だ。景虎が兄の晴景を退けて、若干二十歳になるかならないかで長尾家の当主になったのは、今日に残された歴史が語る話。軍神とまで言われた上杉謙信の前半生を語るのには相応しいエピソードだけど、ただもちろん言うまでもなく、通史には景虎が実は女の子だった、なんてことは書いていない。
「―――で? 本人、虎千代、君はどう思ってるのかな?」
煉介さんにいきなりふられて、虎千代は、迷惑そうに言った。
「わ、我は、れっきとした女子じゃ。お前らも、み、見てみてわかるであろう」
真菜瀬さんと絢奈は顔を見合わせて―――あ、ちょっと考えた。変な間があった。
「う、うん―――虎ちゃん、ちゃんと女の子だもんねっ」
「そうだよ、お兄い。虎っち、絢奈の制服着たら、すっごくかわいかったもん」
「う、うん。ま、まあ見た目は」
見た目はね。中身は、完っ全に荒くれ武者だけど。
「それに、我が兵を率いたは、兄上のためぞ。その兄を差し置いて、跡継ぎなどとおこがましい」
「景虎様、そは戦国の大名らしからぬ物言いではありませぬか。当世は下剋上、強きものは推しあげられ、弱きものは地に貶めらるるが、常にござる。このまま当主が晴景公では、家中にも要らぬ混乱を招き、無用の諍いを起こす羽目にもなりかねませぬぞ」
「知ったことか。そもそも、嫡男が家を継ぐは世の道理ではないか。それに異を唱え、次子の、しかも女子の我を当主になそうなどと考えること自体が、争いの種とは思わぬか」
「今は太平の世ではありませぬぞ。いい加減、かような甘きお考えは改められよ。長尾家当主たるもの、親兄弟の情は常に別に置くべきもの。景虎様がご存念に、越後国人一同の生きるか死ぬかが関わってき申す。このことは、何度もお話したではありませぬか」
「知らぬ」
「景虎様は越後国人が、憎み合い、互いに殺し合うてもようござるか。長尾家の当主たるが、それでよろしゅうござるのか」
「知らぬと言うておろうが!」
虎千代は強情に言うので新兵衛さんも声を荒げた。
「越後の民草が苦しんでおるをただ、お見過しあるかっ!」
「民草じゃと。―――言うたな」
そのときだ。――新兵衛さんが、そこまで言ったのを遮って、声を荒らげていた虎千代が抑えたトーンで言った。でも、その語気の強さと迫力に、その場にいるみんながはっとした。打って変わって、静かな冷たい声。その口調には殺気すら漂っていたから。
それでも僕は見た。その、立ちあがった虎千代の目に、涙が浮かんでいたのを。
「ならばお前らはそうやって、なぜいつまでも殺し合うのだ。おのが家名を安んじるため、領地を安堵せしめるため、絶え間のう、他者の疑心を案じては他家を貶める策を練る。挙句はいくさ強き大将を推しあげ、血縁家族でも、殺し合いをさせるが、お前らの言う民草がためか」
「景虎様―――それは」
さすがに、新兵衛さんも言葉に詰まって黙り込んでしまった。
「―――そうして、此度は我に兄を殺させるか」
そう言ったとき、虎千代が本当に寂しそうな顔をしたのを、僕は忘れることが出来なかった。それはさっき河原で話したとき、虎千代の顔にふっ、と兆した暗い翳に、よく似ていた。―――あのとき。彼女は僕から顔を背けたけど、それでも話してくれたのだ。
「父は、我には好きに生きよ、と申された。―――幼き頃より仏門に入れられ、文を学び、詩歌管弦に遊ぶもよし、何にしても血なまぐさき守護代家の争いにはゆめ関わるなと。何度も言うが、我は女子じゃ。花も恥じらう乙女ぞ。そも、いくさなど性に合わぬのだ」
「―――でも、虎っち、京都でいくさしてるよね?」
思わず言ってから、絢奈は、みんなに睨まれた。あのな、絢奈お前、余計なことを。
「と、とにかくっ、我は、越後に戻る気などないし、長尾家を継ぐなどとは金輪際考えたことなどないっ。新兵衛、お前にも話したであろう。当主は兄上じゃ」
「景虎様、ご理解下され。越後の家中、景虎様が、お戻りあるを首を長くして・・・・」
「のけっ、もう寝るっ」
とりすがる新兵衛さんを振り払うと、虎千代はさっさと部屋に引き籠もってしまった。
新兵衛さんの深いため息に、その場にいる誰も慰めの言葉すら浮かばなかった。
「あの、新兵衛さん。今夜はここに―――」
「いや、宿所はもう決めてあります。今宵は、辞去しまする。物々しき武装にて連れてきたものどももおりまするゆえ」
新兵衛さんは外にいる鎧武者たちに事情を話し、帰っていった。落とした肩にはさすがに失望の色が濃い。当り前だ。越後一国が、虎千代の返事一つにかかっていたのだから。
「なに、景虎様の強情は生来のものゆえ、よう知っておりまする。これで諦めまはしせぬ。また顔を出しまするゆえ、皆様くれぐれも虎千代ぎみをよろしゅう頼み申す」
めげないなこの人。さすがに、戦国武士だ。実際、とっても目立つはずなのにあの物騒な迎えで来たのは、理由があることだったのだろう。もしかしたらたぶん、虎千代をその気にさせるためだったのかも。
僕はそう思ったけど、煉介さんは違う見方みたいだった。
「いや、それもあるけどあれは威嚇だよ。おれたちが虎千代を渡さない、と言った時のための、ね。君たちが言う戦国武士はそれほど甘くない。ただ、問題は虎千代本人がどう考えているか、だと思うけどさ」
新兵衛さんが戻ってきたことは、長尾家がそれだけ切羽詰まっていることを表したものに間違いないのだろう。煉介さんはあの後、虎千代としばらく話したらしい。そのことを、僕に話してくれた。
「―――おれは、君の意志を最大限尊重する。その上で自分がどうするか決めたらいい。そう話したよ。でも、彼女が今、どう考えているか、おれにはよく分からない。だから無理強いは出来ないよ。マコト、君はどう思う?」
「僕は――――」
新兵衛さんの言うことも分かる。僕は結果としての歴史をある程度知っている。越後に平和をもたらしたのは、上杉謙信―――つまり、長尾景虎の功績が非常に大きいこと。守護の上杉家の介入で乱れてしまった越後一国を、また、一つにまとめることが出来たのは景虎のお陰だ。さらには、没落した主家の上杉家すら、景虎が救った。上杉家を継いで、かつて関東全域の覇者だった関東管領の権威を取り戻し、乱れに乱れてしまった室町幕府の御意見番として最後の秩序を保ったのも、大きな功績だ。
そしてその上杉家が、江戸時代になっても山形県の米沢藩十五万石で続き、多くの人たちを善政で養いすらもしたのだ。そこから上杉鷹山と言う名君が出て、飢饉に苦しむ米沢の財政を救うことが出来たのも、景虎がいたからこそだ。長尾景虎――上杉謙信が生きたこと自体が、実に数えきれない人たちを救ったのだ。
そのことは無視できない。でも、僕だって虎千代に無理強いは出来ないと思う。
だって。
自分に兄を殺させるのか―――
そう言ったときの虎千代は、とても頼りなさそうな顔をしていたから。あのとき、僕にいくさがない世の中は誰がもたらし、いつ来るのだ、と聞いたときみたいに。もしかしたらあれが、新兵衛さんにすら見せなかった、虎千代の本音、だったかも知れないから。
武士と言う身分が生まれた源平の昔から、いや、それよりもっと前から。
僕たちの祖先は世代を越えて、数限りない争いをしてきている。
そして、現代。僕たち日本人の間に、少なくとも当時のような争いはなくなった。武器をとって、国同士、一族同士が殺し合うような血みどろのいくさの時代はいつの間にか、過ぎ去った。でも、それを具体的には誰がもたらしたものか。
僕は虎千代に、答えを与えることが出来なかった。僕たちは虎千代たちの後の歴史を、知っている? いや、何も分かってなどいはしないのに。
そんな、僕たちが戦国時代に―――どうしてやってきたんだろう。
もしこれが―――そう、僕がこの時代に飛ばされてきたことに何らかの意思が働いているのなら。この戦国時代に、僕なんかがやってきた意味があるんだろうか?
ひとりになってから、しばらく、考えてみた。
でも、いつまで経っても、なんの結論にもたどり着けそうになかった。




