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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.11 ~さよなら京都、思い出語り、邂逅へつなぐ願い
134/590

①Kyoto Redemption ~追憶、童子切の煉介

まず、最初に思い出したのは、煉介さんのことだ。

言うまでもなく、煉介さんは僕がこの五百年前の京都に来て、初めて助けられた人。僕の運命を変えた最初の人だ。

例えば天文十五年の京都に飛ばされたあの日。もしも煉介さんに出逢っていなかったら、などと僕は想像することも出来ない。煉介さんがいなかったら、僕は当然、絢奈に再開することは出来ず、真菜瀬さんにも、虎千代たちにもついに出会うことがなかったろう。

いつも思う。

僕はこの人が生きているうちにしてくれた沢山のことに、一つも報いることが出来なかったのだ。


「真人」

今でも時折、声がした気がして夜中にはっとする瞬間がある。

ふわりとしたその、澄んだ中音域。確実に男の人のものだけど、荒々しいものではない。

でもその声は不思議なくらいに通り、周りの多くの人の耳を捉えた。

いつでも僕は虎千代と同じくらい、煉介さんの後ろ姿を何度も実際以上に大きく、頼りあるものとして感じていた。

どんなに時間が経っても、はっきりと思い出せる。

煉介さんの戦場姿。艶やかな黒糸縅の甲冑を舞い、びっくりするほどの大太刀を軽々と肩に担ぎあげて。黒毛の馬を軽々と駆って、どんな修羅場にも一瞬で飛び込んでいく。

その姿はまさに、戦国武将の風采そのものだ。実際、煉介さんが現れるだけで戦場は変わった。戦場を闊歩する足軽傭兵の誰もが、その黒糸縅の鎧と、大太刀の威容を恐れたのだ。

だがその癖、本人ときたら。そんな名声には無頓着で、兜は暑いし重いし、髪の毛が絡むと言って被らなかったりしていた。普段は馬廻りを守る凛丸にさんざん怒られていたのだ。まさかこんな人が洛中きっての足軽大将だとは誰も思いはしなかっただろう。

しかし戦場往来、巷間の人は童子切の煉介と仇名をもって畏怖した。

童子はもちろん鬼、の寓意だ。今でもその意味が日本語の中に残っているが、鬼、と

言えば当時の戦場では強者の代名詞である。鬼義重や鬼武蔵など、戦国大名の例を挙げずとも、鬼武者、鬼法師、と少しでも名うての使い手が出ると、戦場では必ずそのあだ名がついた。

言うまでもなく煉介さんがいるのは、フリーランスの足軽傭兵たちが跋扈(ばっこ)

する、日本史でも絶後の、カオスの極地、応仁の乱以来無法地帯の京都だ。名もなき手練れたちが隣り合わせに戦場稼ぎに鎬を削る、まさに激戦区だった。

そんな血で血を洗う修羅場に童子切、と言う仇名はもっとも物騒な二つ名と言える。

つまり煉介さんは、その戦場の鬼たちを狩る側と恐れられていたのだ。

本人の意識はそんなでもなかったとは思うが。そもそも煉介さんの目的はもちろん、自らの足軽傭兵団を正規の大名衆に売り込むことだ。しかし、戦場におけるその真骨頂は、謂わば賞金首稼ぎにあったと言っていい。となると凄まじいばかりの二つ名だ。ついに本人には聞けなかったが、煉介さんはそんな見られ方を自分ではどう思ってたのだろう。

「まあ、何より暮らしのためだからね」

煉介さんのことだからたぶん、こんな感じで苦笑する程度でお茶を濁したかも知れないが。名うての悪党を斃すと、その首が売れる。それは常に戦費と食費に追い込まれている、煉介さんの貴重な現金収入に他ならなかったのだ。だがそれを軽々とやってのけるのは尋常な戦場経験の積み重ねと実力がなければ、到底不可能だったのだ。


 そう言えばあれはまだ、僕がこの世界に来たばかりの頃だ。あの松永弾正に初めて逢って半月。僕たちは、三好家に陣借りする形で京都の様々な小競り合いに顔を出していた。

 「皆、悪いな。少し、仕事で遠くへ出かけるかも知れない」

 ふいに煉介さんがこんなことを言ったことがあった。

梅雨に入りかけのときだ。薄曇りのはっきりとしない天気が続き、煉介さんの部隊も仕事がなくなっていた。ちなみに副業をするのは、実は煉介さんの傭兵部隊では、珍しいことではない。

戦費他最低賃金が保障されているだけで、僕たちは必要なら、口入のような仕事をしなくてはならなかったのだ。そんなときはこうして、煉介さんが仕事を調達してきて、部隊から必要な人員を募集する。謂わば日雇い人足のようなものだ。

「隊商の護衛か何かですかい」

この時も七蔵さんが嬉しそうに出てきたが、煉介さんは珍しく浮かない表情で、

「いや、ちょっと割りの悪い仕事でね」

と、言うだけだった。

「とりあえず俺一人で出ることになる。で、二日ほどいなくなるかも知れないんだ。凛丸と七蔵にはむしろ、留守の間の指揮をお願いしたいんだけど」

煉介さんはどこか、いつもと違う雰囲気だった。詳しい事情はそれ以上言わなかったが、二人は察したのか、特に理由も訊かずに引き受けた。

「それで真人、ちょっと虎千代と二人きりで話がしたいんだ」

えっ、虎千代と二人で?あまりない組み合わせに思わずぎょっとしたが、僕は虎千代を連れて来た。

「おのれが用事とは珍しいな」

僕が呼びに行くと当の虎千代も、眉をひそめていた。

煉介さんは人払いをして、それから虎千代と四半刻ほど話していただろうか。虎千代が僕たちのところに戻ってきた頃には、煉介さんはもう出かけていた。それから一週間、煉介さんは戻って来なかった。

今では僕は、煉介さんがどこでどんな仕事をしたのか、何となく察しはつくのだが。

ではこのとき実際、二人で何を話したのかと言うことを、僕はまだ虎千代から聞いていなかった。


それから一年巡って、かささぎが暮葉さんに伴われてやってきた。思えばあの煉介さんが出て行った日と同じ、ちょうど梅雨入りばな、曇天の(ひる)だ。京都の戦乱の余波が片付き、ようやくひと段落、僕たちは京都で二年目の夏を迎えようとしていた。

「待っていてくれれば、こちらから迎えに行ったものを」

「気遣いは無用。これも、わたしの身体のためだ」

虎千代が言うのを、さり気なく遠慮するのも相変わらずのかささぎだ。

この時も沢山お土産をもらったが、煉介さんに斬られた傷の予後も良く、つい先月逢ったときよりも、一層元気そうだった。

「長尾殿のお蔭で、重い肩の荷が下りたからだろう」

かささぎは苦笑気味にお茶を濁す。

五月に、僕たちはかささぎの家で逢っている。虎千代は剣を持てない彼女の代わりに、菊童丸に秘伝を施したのだ。

「御曹司、いや公方様は相変わらずか」

「ああ、長尾殿のお蔭で剣術精錬、ますます励んでいるようだ。最近は朽木谷の山野を、砧殿たちと彷徨(さまよ)っておられるそうな」

逞しくなったものだ。いや、元々あんな小さな男の子とは思えないくらい、度胸のある子だったが。

「もはや世に、思い残すことはない。ただ、生きているうちにしなくてはならないことはあるからな。もはや一周忌でな」

「一周忌?」

「ああ、亡師のな」

かささぎは大きく息をついて言うのだ。


かささぎの言う亡師とは、早崎一鵡斎(さざきいちむさい)のことだ。かささぎが修めた、早崎一刀流の開祖にして、朽木谷を長らく刺客の手から守ってきた影の剣客。孤児のかささぎの親代わりでもある。

煉介さんは、その一鵡斎を斬っている。思えばかささぎとの付き合いはそれが縁だったのだが、よく考えて見ると複雑な事情ではある。

「成瀬殿、そう硬く、お考えなさるな。もはや煉介殿に恨みはない」

誰に対してもかささぎは何のわだかまりもなく、言う。煉介さんは松永弾正の密命で、朽木谷の将軍暗殺に関わってしまったのだが、一鵡斎との勝負自体は正々堂々としたものだったそうだ。だから同じ剣客として遺恨はないと、割り切っているようだ。

「煉介殿との立会いがあったが、ちょうど明日でな」

果し合いの日、それが命日なのだ。ふと、遠い気持ちになってしまう。

「菩提寺が京都にあらせられたか」

かささぎは遺骸を朽木谷に埋め、煉介さんに挑むべくこの伏見の寓居に身を移したが、恐らく自分の身体の都合から、一鵡斎の墓を市内に移したのだろう。虎千代がそのことを指摘すると、かささぎはなぜか困った笑みを滲ませた。

「まあ、そのようなところだ。話に訊く煉介殿の墓にも参っておきたくてな」

それで、虎千代はすぐに手配を始めた。それであくる日は、僕たちもついて、煉介さんと一鵡斎の墓参りに出ることになったのだ。

事件はそこで起きた。


一鵡斎の菩提寺は、下京街区にあると言う。場所としては無尽講社が管理している煉介さんのお墓とも近いので、一日で回って来れそうだ。無尽講社に連絡すると、お昼を用意して待っていてくれる、と言う。午後は相談役のところで、ゆっくりと出来そうだった。

「今日も降るな」

暮葉さんに介添えをしてもらいながら、かささぎは石畳の道を上った。

しとしとと、針のように細かい雨が降る日だ。少し肌寒いくらいに感じたが、杉木立の向こうではすでに蝉が鳴き初め、外気は重たく湿気を含んでいる。僕たちは黒姫を含む三人連れだ。虎千代の傘は、黒姫が差し掛けている。

小さな寺の裏は斜面になっていて、僕たちが通った坂に沿っていた。そこかしこに赤紫色、青色、濃厚な色彩の紫陽花が群生して咲き乱れ、褪せた墓地に華を添えている。

「さてどこだったか」

そこに至るとかささぎは、暮葉さんと顔を見合わせてしばし話をしていた。お墓には初めて来たのだろう。埋葬の方はもしかして、人に任せたのかも知れない。

(かささぎにしては、珍しいな)

ふと、僕は思ったが、あの身体では無理もない。やむなく、人を遣わしたのだろう。

「あそこじゃないかな」

暮葉さんが指を差したのは、篠藪が被る辺りだ。見ると確かに真新しい墓石が立っている。それほど大きくはないが、個人の墓としては立派過ぎるくらいだ。

「誰かおるな」

虎千代が不審そうに言った。この雨の中、数人の男たちが墓に群がっているのだ。

「かささぎ!」

若い男の声が立った。その中から、商人体の侘茶色の羽織を着た色の白い男が僕たちの方に近寄って来たのだ。

男はかささぎより一回り年かさ、と言ったところだ。よく見るとまだ若い。大味な顔の造作で老け気味に見えるだけだった。大きな鼻の右の付け根にほくろのある、瞳のぎょろりとした男だった。

「京に来とるのなら、なぜ顔を出さないんや」

頭ごなしに言われても反駁せず、かささぎは微かに表を逸らしただけだった。どうやら事情があるらしい。

「えらい難儀をしたわ。あんな山の中に、父上を埋めておいてお前は伏見へ引き籠って遺骸を引き取りもせんかったからな。おれが気づかんかったらことやわ」

そこまで言いたい放題に言っておいてやっとその男は、僕たちに気づいたらしい。

「こちらは?」

「知人だ。かささぎ殿には、並々ならず世話になっておる」

虎千代は堂々と言った。かささぎの苦境をすかさず、察したのだ。案の定相手は、虎千代の風体と二本差しを見て、少し気圧されたようだ。

「一周忌と訊いた。一鵡斎殿は、足利将軍家に奉じた人ゆえ、我らも心置きなくその菩提を弔いたいものだが」

虎千代の視線は鋭い。かささぎに害をなし、墓前を騒がす無粋な連中を暗に(たしな)めたのだ。

「私は下京の土倉(どそう)(金融業)、天崎(あまさき)屋の主人です」

邪魔者扱いされた相手は、やむなく言った。

「一鵡斎は父です。不慮のいくさに敗れ、野辺に葬られたと聞き、私がやむを得なく」

「事情は存じている。師父の遺骸を引き取ったかささぎ殿からな。本日は命日ゆえ、我らも故人の忠心、心より悼みたいところだ。込み入った事情は、()いて頂けるか」

遮って虎千代は、あえて傲岸に言い切った。居丈高なこの男には、あえて身分差を強調して、黙らせるのが手っ取り早いと思ったのだろう。男は不快げに顔を歪めた。

「なんやあんた。足軽大将の知り合いか」

「無礼ではないですか。この方をどなたと心得るですか。野州細川家とも所縁の深い越後守護代家、長尾家のご令嬢なのですよ」

「えっ…あっ…これは」

黒姫がそれに和して、すかさず言う。細川家と守護代家の名前が出ればてきめんだ。虎千代に噛みつかんばかりだった天崎屋の威勢は、みるみるうちに萎んでいった。

「黒姫、控えよ」

と虎千代は言ったが、当の天崎屋からは抜き身の刃のような目線を離さない。

「霊前ぞ。無粋な物言いで、故人に水差すに偲びなし」

虎千代は、相手がどんな人間であろうと礼を守らない輩には限りなく厳しい。今の無粋、と言う言葉は、お前に言ったのだ、とでも言うように、虎千代は天崎屋を睨みつけた。

「かささぎ、お前、誰がこの墓建てたか分かってるやろな」

天崎屋は虎千代に凹まされて反論出来ず、かささぎに向かって鼻白んだ。

「後で必ず顔を出すのやぞ。悠々と墓参りなど出来る身分か。お前らの道楽でこっちはどれほど金を遣ったか忘れたとは言わさんぞ」


「見苦しいところをお見せした」

天崎屋たちが去ると、かささぎは居たたまれなさそうに頭を垂れた。

「他らなぬ長尾殿に暴言、ご迷惑をおかけしたが、あれで決して悪い男ではないのです。亡師同様、わたしも世事に疎いゆえ、色々と頭が上がらぬところが多く。あの男の無礼は、わたしに免じてご容赦を」

「いや、わたしに遠慮は無用」

虎千代はかささぎに気遣わせまいと、それから気にしないふりをしたが、あのやりとりで何かを察したか、僕には苦しげに表情を歪めてこぼしていた。

「やりきれない話だが武家も先立つものには、歯が立たぬ」


どうやらあの天崎屋が、かささぎたちの戦費を用立てていたようだ。

一鵡斎率いる早崎の衆は、当時、朽木谷への入口である花折峠(はなおれとうげ)に野陣を敷き、戦線を展開していた。相手は松永弾正が金に飽かせて掻き集めた煉介さんはじめ、二人の足軽大将が率いる多勢だ。刀を抜き連れての小競り合いとは言え、本質は実際の戦闘の規模と遜色(そんしょく)はない。当然、防衛側にも相応の戦費が掛かる。

だが朽木谷にいる当の足利将軍にして、それほどの蓄えがあるわけではない。全国の諸大名の寄進あってどうにか館が成り立っている状態である。そこで一鵡斎は戦費を自弁によっていたようだ。

下京の土倉(どそう)、天崎屋に縁があれば、そこから資金を融通することも考えていたに違いない。

一鵡斎は元々、あの天崎屋の嫡男だったそうだ。それが若い頃、武芸に志して家を棄てた。そのとき自分の弟に一人、亡妻との子を託して去った。今はその養子が、天崎屋の主人になっている。自分を棄てて好き勝手をやっていた父親が、ようやく自分が天崎屋の跡取りに治まったときに迷惑をかけに戻ってきたとあれば、穏やかでいられるはずがない。さらには一鵡斎は前非を悔いるどころか、実家が土倉であるのをいいことに戦費の融通までさせたのだ。

当然、その弟子であるかささぎに対してだって、業腹(ごうはら)な感情を持つのは、分からない話でもない。

それに何しろ一鵡斎が煉介さんに敗れ果てた後、遠出が出来ないかささぎに代わって朽木谷から墓を移す手間をとったのも、あの天崎屋なのだ。

「かささぎも心が苦しかろう。しかし、わたしがあれ以上の横紙破りをして、それで済む、と言う、そのような問題でもあるまい」

あれほど憎んで尚、墓まで世話をしてくれたのだ。かささぎが僕たちの前であの男を庇ったのも、遣り切れない話ではあるが仕方のないことだ。

しかし僕たちの予想に反して、ことは、思わぬ方向へ転がり出したのだ。


「実は朽木谷からお墓を勝手に移したのは、天崎屋さんなんです」

と、その夜、言い出したのは暮葉さんだ。かささぎの浮かない顔を見て僕たちも、このまま放いていいものかと、すっきりしない気持ちでいたのだ。

「先日、急にあの方が来て墓を移したからって聞いて。わたしもかささぎさんも驚いたんです」

しかもだ。その上で天崎屋は突然、それまでの一鵡斎に注ぎこんだ戦費の返還と、移葬の費用を請求してきたのだと言う。

「どうも、おかしくなってきましたねえ」

と、黒姫も眉をひそめる。

「そう言えばお墓が新しいから、わたくし、住職に聞いたですよ」

すると、春先に突然、天崎屋が来てあのお墓を急造したのだ、と言う。今までは一鵡斎の訃報を送っても、なしのつぶてだったのに、だ。実父の弔いにも出ず、もはやほとんど事件が風化した頃に、天崎屋は亡父・一鵡斎にあったはずの借りだけでなく、かささぎにぐうの音も出ないように負債を吹っかけて、いきなり、がんじがらめにしてきたのだ。

「不可解だな」

その点は僕でも不審に思った。誰がどう見てもかささぎに、そんな財産が残っているようには見えない。一鵡斎に資金援助をしていた天崎屋自身が、そのことを知らないはずはないじゃないか。

「暮葉さん、もしかしたら天崎屋はかささぎから別のものを奪いたいんじゃないかな?」

僕はぴんと来て、言ってみた。

「何か金に代わるものを、か?」

虎千代が問うと暮葉さんは、仕方なさそうに頷いた。

「真人さんの言う通りです。かささぎさんは何か天崎屋さんに取引を持ち掛けられていたみたいで」

これで解せた。いわゆる今のかささぎが払えないことなど百も承知で、その借金の片に、かささぎから別のものを奪おう、と言う交渉だったのだ。

「どうやら、きな臭い話だな」

こうなると、僕たちだって棄てておく気はない。虎千代は急ぎ調査を始めるよう、黒姫を促した。


それから、調べがつくまで僕たちはかささぎを引き留めた。暮葉さんとも、示し合わせてのうちだ。

「戻っても、野良仕事をするわけでもあるまい」

この長尾邸では、絢奈や真菜瀬さんが代わる代わる世話を焼いてくれる。かささぎは当惑したものの、居心地は悪くはなさそうだった。

「こらあっ、かささぎ、京に来ておるならそう言わぬか!」

ほどなく、菊童丸が砧さんたちとやってきた。真っ黒に日焼けしていた。毎日組稽古をするばかりでなく、屋敷を脱走して何日も山野を駆け回ったりしているらしい。その日からかささぎも苦笑しながら、台所へ回った。

「長尾殿、砧殿の長太刀に応ずる手を教えてくれ。戦場では長太刀は卑怯などと世迷言は言えぬ。なあっ、貴殿はあの、童子切煉介に勝ったのであろう!?」

「お、御曹司、わたしの剣は、あまり真似せぬ方がよいと言うたではありませぬか」

虎千代も菊童丸にやいやい言われ、困った顔をして逃げ回っていた。

「されば、真剣の間合いの取り方だ。これに覚えがあるであろう、見よ、先般かささぎからもらった、宗近の長脇差じゃ。わしの身の丈が伸びきらぬうちに、これを十全に扱いたいのだ。な、な、一手!一手だけでも!頼む」

と、嫌がる虎千代に、菊童丸が三条宗近の脇差を握らせようとしたときだ。たまたま濡れ縁を通りかかったかささぎが、二人を見て、はっと息を呑んだのだ。傍からみて僕が、何だろう、と思えるほどの急激な表情の変化だった。血相を変えた、と言い換えても、それは過言ではない。

そしてかささぎは無言のまま、一目散に引き返そうとした。その背を、虎千代の声が刺し貫く。

「かささぎ、なぜ引き返す。もはや、会わせる顔がなきと思うてか」

振り返ったかささぎの表に、虎千代は浴びせかけるように核心を突く言葉を言った。

「御曹司と、この亡師の刀に」


なんとだ。

天崎屋の目的は、かささぎからその三条宗近を奪うことだったのだ。そう言えば菊童丸が将軍即位を行い、義輝を名乗る記念にかささぎが殿中用として送ったその長脇差、元は、早崎一鵡斎が使っていた長刀を、菊童丸に合わせて寸をつづめたいわゆる、磨り上げものだった。

厚顔にも天崎屋は、借金の片と称して一鵡斎の魂とも言うべき、遺品を要求してきたのだ。しかも今、かささぎはすでに剣を使う力を喪い、亡師の御霊とともにそれを、若年で即位する菊童丸の将軍就任に(はなむけ)た。かささぎがいくら窮しようとも、応じれる要求ではない。

「剣士の子にして、武門の心を知らぬか」

ようやくかささぎの独白を得ると、虎千代は顔に血を上らせて憤った。

「長尾殿、しばらく。これには理由があってのことなのだ」

かささぎがあわてて、話し出したのは天崎屋であったある事件のことだ。


「戦費を融通してもらおう」

ある日、その男は突然、乗り込んできたと言う。天崎屋にも多少顔覚えがある。その男は五条大橋の下あたりに屯していた、盗賊ともつかない足軽のごろつきだった。

「さる年末、札付きの朝賊、童子切の煉介を討ち取ったのは、何を隠そうこのわしよ」

何とぬけぬけと、その男は主張したのだ。

「知っておるぞ。おのれの親父は朽木谷将軍家の陣借りで、花折峠にて、童子切めに討たれし、へぼ芸者であろう。わしはいわば親の仇を売った恩人じゃ。銭を馳走するくらい、何の造作もあるまい」

男は、血ふるいの甚助(じんすけ)と名乗った。これがたかり強請りを繰り返した挙句、話に訊いたのか、一鵡斎の手元にあった三条宗近を所望したのだ、と言う。呆れるばかりの話だ。

「仔細分かった」

次第を聞くと、虎千代は黒姫に伝えた。顔が怒りで蒼褪(あおざ)めている。

「この件は、わたしが預かろう」


(まったく、いい世の中が来たわい)

その日、血ふるいの甚助は、泥酔して(わめ)き散らしていた。増えてきた子分を引き連れて、これで三日目の晩だ。

「おい、小便や!今の間にもっと酒持うてこい!女呼んでこい!」

甚助は、厠に立った。弓のように細長い刀を引き寄せて大儀そうに、席を立つ。この異様な刀は、春先までやっていたいくさの質流れ品である。甚助の実力で使えるはずはないのだが、長い刀を差していないとはったりに箔がつかないので、仕方なく持って歩いている。

(あー、ええいくさやったなあ。お蔭で目障りな連中はみいんな、消えてしもたわ)

甚助は無骨の若軒(じゃっけん)と言う足軽大将の配下にいたが、爪弾きにされてしばらく大和の山奥に逃げていたのだ。金の上での諍いが多く、一時期は往来を歩けなかった。

しかし先のいくさで足軽狩りがあり、無骨の若軒はじめ、顔見知りの足軽たちはほとんど殺されていなくなってしまったので、ようやく陽の目を見れたのだ。

(しかし我ながら、うんまいこと考えたわ)

若軒の元で後輩だった童子切の煉介が畏れ多くも将軍家の暗殺に加担し、最期は誰とも知らぬものに討たれてしまった、と言うことは誰でも知っている。だが煉介の風体は、身近な、ごく一部の人間しか知らない。そこが付け目だった。

(くちなは屋か。ここもよう、元通りになったのお)

今、甚助が飲み明かしているこの店も、その煉介のせいで焼かれた、と言うのだが、もはや往時の面影は何一つない。

しかし月明かりの降りる、この庭は変わっていなかった。咲き乱れる紫陽花も、何事もなかったかのように、元の通りだ。そう、甚助が思っていると、花の叢からすっと影が立った。

「お前が、血ふるいの甚助か」

若い娘の声だ。見ると、美しい黒髪を束ねて紫陽花の花色をした小袖をまとった小柄な娘が、月明かりの中に立っている。

「なんやお前」

甚助は眉をひそめた。

「童子切煉介を斬ったは、お前だそうだな」

「だからなんやと言うんや」

「さればこの、鵺噛童子(ぬえがみどうじ)も斬ってみよ」

ふわり、と娘の足腰が浮き上がった、かに見えた瞬間だった。

「ぎゃああああっ」

一颯(いっさつ)、夏のだるい温気を斬り裂いて、鋭い風が吹きつけたと思うと、甚助の顔に二筋、ぶっちがいの切り傷がつけられていた。剣で斬られたのだ。しかし甚助は、その剣線すら見ていない。気がつくと顔が熱くたぎって痛み、深々と太刀傷がざっくりと、×印の形に甚助の両眼を斬り裂いていたのだ。

「だっ、だれやあっ…おまっ、なんでこんなことすねや!うあああっ」

「黙れ」

血まみれの顔で転げまわる甚助の咽喉に、娘は容赦なくつま先を突きこむ。

「よいか、ようく聞け。お前が最後に見たは物の怪よ。童子切の煉介めは、我が斬った。これ以上、口臭き妄言(もうげん)を弄せば次は命をもらいにくるぞ」

「ひっ、ひいい。お助け」

冷たい刺すような声に、甚助は硬直した。

もはや人間とは思えないほどの娘の声は、一片も慈悲のない声で言うのだ。

「その顔の傷は、あの世の童子切から(はなむけ)よ。明日よりは、その顔で然様(さよう)に触れ回るがいい」

意識を喪った甚助は失禁した。


虎千代は甚助を追い払うと、その足で天崎屋に行った。血に塗れた甚助の異様に長い差料を奪ってきた虎千代を見て、天崎屋はすべてを察したと言う。

「かささぎにかかる借書を皆、出してもらおう」

天崎屋は、一鵡斎の墓の造営費用を除くすべての借書を、その場で虎千代に売り渡したそうだ。

「墓は、せめて私が持ちます。私だって、父を応援しましたので」

と、天崎屋はそこは自ら固辞したらしい。

「かささぎには、悪いことをした、と言ってください」

虎千代に救われたと思ったか、天崎屋は、心底を吐きつくした。

「棄てられたわけやない。そう思うて今日まで私は生きてきたんです。金かて、父が公方様から一国、頂いたら返してもらうつもりやったんです。せやからこそ、叔父から身代をもらうまで我慢できた。それが父から学んだ、私なりの身の立て方やったんです」

「おのれの生き方は否定せぬ。だが、お前も武士の子のはず」

最後まで聞いて虎千代は厳かな声で言った。

「風向きが変われば弱きものから、嵩にかかって奪うのかがお前の生き方か。それがお前が、父、一鵡斎から得た、男の身の立て方か。よく胸に手を当てて、考えてみるがいい。商人(あきうど)なりとも、武人から受け継いだ心、忘れざるべし」

刺すような虎千代の叱咤に、天崎屋は一言も反駁しなかったと言う。


「借財の件は、心配無用だ」

ことが終わると、虎千代はかささぎに改めて話をした。

「天崎屋が持った一鵡斎の費えは皆、無尽講社が買い上げることになった。以降、負債は、無尽講社で管理する」

余りに大きな事態の打開に、かささぎは目を丸くした。

「長尾殿、なんとそのようなことまで」

「遠慮は無用だ。負債と申した通り、わたしが無尽講社に売り渡した分は、きちんと返してもらうゆえ」

とは言え、と、虎千代は微笑を含むと、かささぎの前に小さな木箱をすすめた。

「それが売れれば、借財のほとんどは片付こう」


言うまでもなくこのときの木箱は、虎千代に言われて僕たちが探したものだ。

「一鵡斎の遺品がもう一つ、ある」

虎千代に言われて、僕はようやくあの思い出にまつわる謎が解けた。


「いざと言う際を覚悟しなきゃな」

これがあのとき、話さなかった虎千代と煉介さんの会話のあらましだ。

一鵡斎との決戦の日、虎千代は煉介さんに遺品の回収を頼まれていたと言う。もちろん、自分が敗れたときの後始末だ。

「うちの奴らには頼めないことなんだ」

煉介さんはくれぐれも内密に、と言ったと言う。凛丸たちには内緒の仕事に関わることなのだ。虎千代を選んだのも道理だ。

「誰と斬り結ぶ、とは話してはくれなかったが、場所と刻限は言われていた」

介添えを頼まれた虎千代は隙を見て、密かに発つつもりだったようだ。

しかし案に相違して、煉介さんは早い刻限(と言っても皆が寝静まった真夜中だ)に突然、戻ってきたと言う。

「生き残ったよ。手ごわい相手だった」

煉介さんはやっと、虎千代に結果を報告したらしい。あの、煉介さんの手が小さく震えていたらしい。

「それからほどなく、煉介は姿を消したであろう。かささぎとの決闘が決まった折、煉介からこれを預けられてな」

と、虎千代が出したのは、木札のついた小さな鍵だった。


「わしの首では、金にはなるまい」

一鵡斎は煉介さんとの戦いに敗れたとき、それを託したのだ、と言う。

「公方様よりその昔、預かったものだ。それがわしの身に一つ残った、唯一の価値ある品になる。ささやかだが、我が武芸者としての最期の真剣勝負に付き合ってくれたお前への礼だ」

それが、煉介さんが聞いた一鵡斎の最期の言葉だったらしい。煉介さんは一鵡斎が託したものを見て、素直に驚いたようだ。

「武具やお金ならともかく、これはもらえないよ」

煉介さんの話と鍵だけ預けられて、僕たちは、糺の森の隠れ家から、どうにかそれを見つけて来たのだ。


それは、足利義晴公の箱書きのある茶器だった。

これは、紛れもなく天目茶碗(てんもくぢゃわん)だ。

十二世紀、中国は南宋(なんそう)時代に、中国福建省で焼かれた逸品だ。茶の湯の祖と言われる村田珠光(むらたしゅこう)が愛用した青磁茶碗(銘・遅桜(おそざくら))が有名だが、この手の茶器は、すでにこの時代から貴重品として富家での取引がある。

「茶器は素人では、金には出来ぬゆえな」

骨董、と言う言葉はこの時代すでにあるが、こうした到来物の茶器に価値を見出す人たちはごく一部の趣味人だ。よほどのつてがないと、売りさばくことなど出来はしない。

「まあ、煉介めはそこまでがめついことは考えていなかっただろうがな」

虎千代は言う。義晴の箱書きは、一鵡斎自身に贈られたものだった。煉介さんはいつか機会があれば、これを遺品として一鵡斎の遺族であるかささぎの手に戻そうと大切に保管して、虎千代に託したに違いなかった。

「真人、果報をしたな。煉介めも、草場の陰で喜んでいよう」

(そうかな)

僕は薄い雲がようやく晴れてきた、雨上がりの夏の空を眺めてつぶやいた。


「だと、いいな」


僕は、あの煉介さんに何も恩返しが出来なかった。

煉介さんもまた、かささぎのように自分で自分の始末をつけるたちだ。

いつも恬淡(てんたん)として、内面の苦境は顔に出さない人だ。だからこそ、椿の花が群れる森であの真冬の晩、さっさと自分に始末をつけて逝ってしまった。

「ありがとうな、真人」

想像の中でなく、その澄んだ声を、僕はもう一度でも直接、耳にしてみたかった。


ちなみにそれから後、この茶碗は堺で知り合った宗易さんが、買ってくれた。叢雲のような黒釉を流しかけて、大鎧の糸縅に似た複雑な文様を持ったこの茶碗は、形の武骨さからもまさに、鎧武者の趣だ。

「ははあ、これが音に聞く煉介さんの手にあった茶器ですか」

由来を聞き、宗易さんが手を打ってこう即答したのは言うまでもない。

「銘は、さしずめ『童子切』でしょうな」


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