真人大迷惑、トンデモ陰陽師!晴明解き明かす魏玲の秘密、堺脱出計画…?
どうやらたちの悪い冗談とかでは、なさそうだ。
いや、いきなり身体の中に入り込んでくるなんて、やってることは十分にたちが悪いが。
僕の中に入り込んできた陰陽師。
それがあの、安倍晴明だなんて。すっごいことには違いない。この戦国時代ですでに、伝説上の人物なのだ。確かにあの明星行のとんでもない術を見たら信じるしかないが、いくらなんでも勝手に取り憑いてくるなんて、迷惑だ。どっかでお祓い出来ないのだろうか。
「お前、今私を祓おうとか、考えただろう?」
「えっ」
「無駄だぞ。高野山の高僧でも比叡の上人でも、私の肉体があった当時から私にかなうものは一人もいなかったのだ。やめておけ、逆に化け物扱いされるのがおちだ」
そうだ。晴明は僕の中にいるのだ。考えてることはほぼ筒抜けなのだった。
「ちょっとは喜ばぬか。誰でも、私と居られるわけではないのだ。ほとんどのものは、私が入ってきただけで、気が触れてしまうのだぞ?」
「…でしょうね」
こんなことされて、頭がおかしくならない人間がいたら見てみたい。
「お前は平気なようじゃないか。思った通り、かなり馴染む。この分だと、あの五星屋の主人のところに居た時よりも、強い術が使えそうだ。ふふ、久しぶりに中身のある人間に憑いたわ」
「どう言うことですか」
晴明は僕に説明してくれた。史実では寛弘二年(一〇〇五年)九月、晴明は八十五歳で没したことになっているはずなのだが、それは表向きのことらしい。どうやらそのとき道教の仙人、伯道によって授かった不死の奥義を使い、生身の陰陽師から神仙へと姿を変えたと言うのだ。
「それから五百年よ」
姿かたちのない神仙のまま、安倍晴明は激動の時代を見続けてきたみたいだ。
「藤原氏の栄華が終わり、源平が争い、南北朝がいがみ合い、そして今は戦国の世と。私からは大分遠い世の中になり、本来の陰陽道も忘れ去られた。お蔭で安倍野神社も見事に荒れ放題よ。このままでは私の意思もどこにも及ばぬようになってしまうと思い、世に住まう肉を持った人間に憑代を求めたわけだ」
話は荒唐無稽だが、実物に取り憑かれてみると、言下に否定することなど出来るはずがない。つまりはあの五星屋があれほどに隆盛を誇ったのはほぼ全面的にこの、安倍晴明のお蔭だったと言うことだ。
「狐はな、恩を受けた人に尽くす代わり、恩を忘れたものには厳しくするものだ」
思わずぞくりとするようなことを、晴明はぼそりと言う。
「だが考えてみれば、あの五星屋も魏玲と蛟竜に狂わされたのだ。あやつが欲に溺れたせいだが、私が富で肥らせ、その眼を狂わせた、とも言える。よってその因果応報はもはや、十分に贖われたのだ。今度のお前とは上手くやっていきたい。だから、無碍を言うな。悪いようにはしないから」
「そ、そんなことさ、いきなり言われても困るんだけど」
急すぎる提案、と言うかほとんど強制じゃないか。
「何を言うか、むしろ幸運だぞ。この戦国の世、喪われつつある我が陰陽術の恩恵が、私の憑代になるだけで、気軽に受けられるのだぞ。今ならお前だけに出血大奉仕だ」
「いやむしろそれ、いいんですか?」
ありがたみが急落した。あなただけ今なら特別サービス、って何か胡散臭いキャンペーンみたいじゃないか。
「五星屋を見ろ、道を踏み外さなければあれほどの財物が我が物になったりするのだ」
「…今、別にそんなにお金に困ってないですし」
そもそも五星屋の末路を僕は見ている。不自然なほどのお金持ちになったらその分、あんな恐ろしい連中を引き寄せてしまうかも知れないのだ。お金が要らないとは言わないけど、そもそも小心者な僕に大金を動かすようなそんな器があるとも思えない。
「ははは、真人、お前は良い男だな」
褒めているのかけなしているのか、晴明は言う。半笑いで。馬鹿にしてんのか。
「器足るを知るか。ますます気に入った。天地自然の理に従うのが、陰陽道の極意だ、それを教えなくても、よく分かっておるようだ。真人、ここは末永く、よろしく頼むぞ」
どうやら墓穴を掘ったようだ。僕、厄でもついてるのかな。ため息を禁じ得なかった。織田信長といい、望んでもいないのに、厄介と言うか面倒くさい奴らが、どうして僕のところには勝手に寄り集まってくるんだろう。
「なんだ、その嫌そうな顔は」
ちょっとめんどいなあと思っただけで、この通りだ。陰陽術とやらがどれほど役に立つかは分からないが、こんな有様で僕の二十四時間、お風呂もトイレも、こいつに筒抜けなんて堪えられない。どう考えてもデメリットの方が大きいとしか言いようがない。
「真人、ここにいたか。探していたのだぞ」
いいところに、虎千代がやってきた。修験道とか真言密教に詳しい虎千代なら、もしかしたら何かいい方法を知っているかも知れない。事情を説明して助けてもらおう。
「あの…実はさ」
「何か良い考えでも浮かんだか。まずは、魏玲の回復を待って次の手を考えねばならん。まだ相手の出方もよく判らぬところだしな」
「う、うん、そうだよね…」
切り出しまずった。大体、突然、相談できるわけがない。あの恐ろしい五星屋の人肉料理の正体を明かして、魏玲が倒れたのだ。皆、それどころじゃなかったのだ。
「何しろ事情を知る五星屋の関係者はみな、料理にされてしまったゆえ、蛟竜たちとのつながりについても、手がかりがない。何とかどこかに、逃げ延びた生き残りでもいれば良いのだが」
うう、だめだ、さっきの事態のインパクトが強すぎて、全っ然虎千代の話が頭に入ってこない。
「そうだ、我らと一緒にいたあの陰陽師、あやつの消息も判らないのだ。明星行、と言ったか。あやつと連絡をとる、何かいい方法はないものだろうか?」
くくっ、と僕の中で晴明が笑った気がした。何も可笑しくない。
明星行を探すどころじゃないのだ。虎千代が分からないのも無理はないが、今そいつは目の前にいるのだ。ばっちり僕に取り憑いている。しかもその正体はただの陰陽師じゃなかった。中国の旧い仙法まで極め、不老不死を体得したあの安倍晴明本人だと言うのだ。
「どうした、さっきから狐に抓まれたような顔をして。これより先は油断は出来ぬぞ、いつ蛟竜の魔の手が、魏玲にかかるか分からぬのだぞ。もう少し気合いを入れぬか」
そんなこと言われたって、こっちはもっととんでもない事態に直面しているのだ。いまだに動揺から立ち直れる気がしない。
「…虎千代あのさ、とにかく落ち着いて聞いて欲しいことがあるんだけど」
「なんだ、改まって」
「実はさ」
僕は意を決して不審そうな虎千代に、明星行、いや安倍晴明のことを話そうとした瞬間だ。まるで見えない糸で吊り上げられるかのように、僕の右手が勝手に動いた。ええっ!?僕の目の前にいるのは、当然虎千代なのだ。
僕はその虎千代の胸を。ばっちり掴んでしまった。しっかり形が分かった。初めてなのに、豪快に鷲掴みしてしまった。
「なっ、なっ、なあああっ!?にゃっ、にゃにをするかっ!?」
「ごっ、ごめんっ!今のはっ…あっ、身体が勝手に!」
なんつう白々しい言い訳だと、僕は思った。でも、悪霊に取り憑かれて仕方なくなんて言い訳したら(本当のことなのに)もっと白々しい。びっくりした。でも、ああっ、初めてまともに触ってしまった。柔らかかった。
しかし、もっとびっくりしたのは当然虎千代の方だろう。さっきまで引き締まった顔をしていたのが一転、ゆでだこみたいに顔が真っ赤になった。
「なっ、なんと不埒な。時と場合を弁えにゅか!今はそんな時だったか!ううっ…さ、最近相手をしてくれぬのでわたしに興味がなくなったかと思っていたが、まさかそんなに強引に来るとは思わなかったぞ…いやっ、わたしも嫌じゃない。嫌じゃないが今のは…」
虎千代も女の子だ。びっくりしすぎたのか、みるみる泣き出してしまった。
「ごめん、本当に!本当に悪気はなかったんだよ」
もう支離滅裂だ。とにかくここは、謝るしかない。
「ははは、どうだ、私のお蔭で早速良い思いが出来ただろう?」
それは手のひらいっぱいにばっちりと。って、何言わせんだこのエロ陰陽師。
「とっ、とにかくさ、魏玲さんが回復する前に僕たちは僕たちで、あの明星行の行方を探そうよ。ほ、ほら僕たちが罠にはまったみたいにさ、あいつが根拠にしてた神社ってこの辺に沢山あったはずだろ?」
「くっ、黒姫がもう手を打ってある。(涙目)王蝉の話だと、魏玲も回復したら道術によって明星行を探すのを手伝ってくれるとのことだ。わっ、わたしたちも悠長にはしていられないんだからな!」
「う、うん。あの、本当にごめんね」
「今のは、怖かったぞ。真人じゃないみたいだった。だって…さっ、触りたければ、ちゃんと言えばよかろう。ううっ、そんなにがっつかなくても…然るべき時なれば、いくらでも触らせてやるのだ!」
ぐすぐす泣きながら、虎千代は行ってしまった。これは久々に、しでかしてしまったようだ。
「あやつ、なんだ未通娘か。あんなに泣きじゃくって怖がるとは。てっきりお前と寝ているものだと思った」
全面的にお前のせいだよ!
「あのさ、晴明さん、仙人なんだよね?」
「ああ、だが神仙だからと言って、女色に興味を持たぬわけじゃない」
なにしろ五百年ぶりぞ、と晴明は嬉しそうにうそぶいた。
「しかしこのままお前が私といるのが不満だと、またやらかしてしまうかも知れんなあ。そうさなあ、今度はあの南蛮娘がよいか。あの娘もお前に気がありそうだが、乳房は、我が国の女子のそれと同じかなあ。すごく気になるなあ」
「わ、分かった頼むからもうやめてくれ」
ラウラにまで手を出したら、僕こそ黒姫に料理されて、食膳に上ることになるだろう。まったくなんつう疫病神に取り憑かれてしまったのだ。
やがて夕餉になったが、魏玲は姿を現すことはなかった。
「食事は採られないご様子でした。何だかずっと、蒼いお顔をされて」
給仕に立ったラウラも、心配そうに膳を下げてきた。もちろん、蛟竜の悪行を目の当たりにした魏玲が食欲を喪うのも無理からぬことだが、このままではいざ蛟竜に居場所を突き止められた時に、戦うことはおろか逃げる体力すらなくなってしまう。
にしても、魏玲が口走った、蛟竜が抱く、
「不老不死よりおぞましい」
本当の目的とはそれほどに恐ろしいことなのか。唯一の鍵を握る魏玲がこの有様では、虎千代が言うように、僕たちも手の打ちようがない。
「魏玲様は、お国の事情はほとんど話してはくれていなかったのですにぇ」
実は、と、夕餉の席で王蝉が僕たちに言った。日本中を巡ることになるその長い放浪の目的を、魏玲は『国務』だと答えるだけで、王蝉たち倭寇にも、ほとんどその事情を打ち明けてはいなかったようだ。
「知れば、アナタたち迷惑が掛かります。航海を助けてくれた恩、仇で返したくありません」
それは精も根も、枯れ果てつくすような、長い絶望の旅だっただろう。来日に倭寇たちの力を借り入国してからはほとんど自力自弁、いつ終わるとも知れぬ危険と困難の連続だったに違いない。さらには蛟竜たちはところどころで現れ、圧力をかけてくる。まるで魏玲の肉体と精神を嬲りつくすためだけに仕組まれたような旅だ。
しかも魏玲の言を信じるならば、そうして探し出された不老不死すらも蛟竜の望みではない、と言うのだ。筋が通る、と言う類の話ではない。
「気になるか」
晴明がいきなり、入ってくる。考え事しているときに、勝手に話しかけてくんな。
「かりかりするな。よいものを見せてやろう、と言うのだ。月が明るくなる頃に、裏庭に出ろ」
「何があるの?」
「行けば分かる。ゆこう、さあ、ゆこう」
そう言うことになった。
そんなことがあって真夜中、僕は一人、裏庭の篠藪の中に身を潜めていた。しっかし、ここへ来るのにはえらい苦労をした。寝室に帰ろうとしたら、思いつめた顔をした虎千代が待っていたのだ。さっきのであらぬ期待を持たせてしまったらしい。晴明の察気術があって助かった。こっそりUターンした。
「でもさ、虎千代にも秘密でどうしてこんなとこに一人で来なきゃならないんだよ?」
「専門家同士の話があるのよ。まあ、余計なものがいない方が話が捗る」
晴明と心の中でぶつぶつだべりながら、半刻は立っただろう。
月明かりを浴びて屋敷の方向から、足音を忍ばせて歩いてくる誰かがはっきりと見えた。
あれは、魏玲だ。
「よいか真人、私がよし、と言ったら立って魏玲に声をかけろ。後の話は私がする」
「今かけちゃだめなの?」
「出番と言うものがあるだろう。いいとこで声をかけるから、格好いいのだ」
意外に俗っぽい。この人、本当に伝説の陰陽師なのだろうか。
「真人、私の話はいい。それより見ておれ。良いものが見れる」
視線を戻すと魏玲は月明かりの当たる場所からはぐれて、塀際に沿って歩き出した。少し背を屈めて、どうやら地面の辺りを探っているようなのだが、ほの暗い闇の中でよく判らない。僕と晴明は篠藪の中を音を立てずに、這った。
庭にひと際大きな欅があった。すると魏玲はそこで停まり、四つん這いになると、根元の土を素手で掘り起こし始めたのだ。
「今だ」
晴明が言った。えっ、いきなり言われても。僕はあわてて篠藪から立ち上がった。
「何してるの?」
効果は絶大だった。突然降った僕の声に、魏玲は驚愕に顔を強張らせて、こちらを見たのだ。
「真人サン…それは、その」
魏玲の目が、ピンボールのようになってそちこちを動いた。明らかに不審だった。
「魏玲の足元を検めろ」
と、晴明が言うので僕は魏玲が掘り返していた穴の中を覗き込んだ。そこから何かが顔をのぞかせている。
「あっ」
見て、僕は声を上げそうになった。土くれからのぞいているのは、陶片である。そこに血のような赤黒い色で、何か文字が書かれていたのだ。
紛れもなくこれは、魏玲自身が話していた、道教の呪いを表わす文字だ。
「これ、魏玲さんが?どう言うことなんだ?」
僕は思わず、問い詰めてしまった。だってどんな事情かは知らないが魏玲は人知れず真夜中、屋敷に埋められていた呪物を掘り出していたのだ。何のために?まさか、蛟竜と裏でつながっているのでは、なんてことまで僕は疑ってしまった。
「これはお前が埋めたものに相違ないな?」
晴明の声に、魏玲は愕然として目を見開いた。本来なら僕にしか聞こえないはずの、晴明の声が、彼女にも聴こえるのだ。
「驚くことはない。今は、この真人を憑代にしているまでのことだ。それより、離してもらおうか。そのような呪いものをそこに埋めて、何を殺そうと言うのだ?」
殺す。
晴明の口から、衝撃的な単語がついに出た。やはりこれは誰かに、災いをもたらすための呪いなのだ。魏玲は目を白黒させていた。信じたくはないことだ。だが、もしかして魏玲が僕たちと話している内容の裏で、蛟竜と繋がっていたのなら、ここはそれを見過ごすわけにはいかない。
「…誰かを殺すためのものでは、ありません。殺すのは、ワタシの気」
すると魏玲は息も絶え絶えになって、やっとその言葉を言った。
「なるほどな。それはお前の力を抑えるための呪いと言うことだ」
どう言うこと晴明さん?首を傾げる僕に晴明は言った。
「この女、大きな力を持った道士、と言ったであろう。他を圧して強く、特徴のありすぎる気よ。見つける方は、楽でなるまい」
魏玲は胸を抑えると、苦しげに頷いた。
「その通りです。ワタシの気、とても目立つ。蛟竜の察気術、必ずワタシの気を捉えてきます。皆さん、巻き添えになる。だからいつか、ワタシ、独りでどこかいなくならなくてはならない。皆さん、ひどい目、遭わせたくありません」
僕は絶句した。
この人、自分で自分に呪いをかけていたのだ。
魏玲は、どこまでその苛烈な運命を自分だけで背負い込む気なのだろう。
僕はそのとき、思った。こんな人を疑ってしまった自分を愧じると同時に、あえてそんなにかよわい身で、蛟竜の災厄をどこまでも自分一人で背負おうとする魏玲の無謀さを。
「魏玲さん、あなたが何を恐れているか、まだ僕には分からない。でも、僕たちも王蝉も、あなたを助けようと思ってここにいる。それなのになぜあなたは、自分だけで背負おうとするんだ。もっと、僕たちを信じてくれてもいいんじゃないか?」
魏玲は僕を一瞬すがるような目で見た後、強くかぶりを振った。
「何かあったな」
晴明が察するように問いただすと、魏玲は一枚の紙を懐から出した。
「知らぬ間に、ワタシの部屋、ありました」
それは烏を守護神とする熊野神社の起請文である。くしゃくしゃにされた形跡があるその紙を開いて僕は息を呑んだ。あろうことかそれにわざわざまた、血のような紅い文字で穢すように殴り書きの文字が書かれていたのだ。
『虎也是猫』
「『虎もまた、猫だ』か。持って回った言い回しの脅しだな」
晴明が意図を訳した。やはりだ。虎とはたぶん、虎千代のことを言っているのだ。虎も猫に過ぎない。つまりは、日本人の僕たちに頼っても無駄だ、と蛟竜は脅しをかけているのだ。
「ワタシ、独りで逃げなきゃ人死ぬ。守ってもらった人、みんな!みんな!」
魏玲は叫ぶように言葉を吐きつくすと、両手で顔を覆って泣き崩れてしまった。
「…今までワタシ匿ってくれた人、沢山いました。でも皆、蛟竜に見つけられて殺されました。そんなこと…そんなこと、もう堪えられません…」
なんと言うことだ。あの五爪龍の刺青ばかりではなかったのだ。あの奴隷印を受けるその前に魏玲はその身で、蛟竜から逃れることの出来ない枷をすでに掛けられてしまっているのだ。その生まれ持った稀有の気のせいで、彼女は逃げ隠れが出来ないのだと言う。皮肉と言うべきか、いや、残酷すぎる身の上と言う他ない。
「その紙を寄越せ」
晴明が言うので、僕はその紙を魏玲から預けてもらった。
すると晴明は僕の人差し指を唇にあて、何か呪文のようなものを唱えた。
次の瞬間だ。
蛟竜の血文字で穢された起請文が、翼をはためかす生き物のようにばさばさと僕の手のうちで蠢き、強い力で飛び去ったかと思うと、羽根の黒いカラスになって溶けるように宵の叢雲に消えた。
「あれがお前の代わりだ。これでしばらくは、あの男はやってこまい」
さらに晴明が印を切って呪を唱えると、誰も手を触れていないのに、魏玲が自身を呪う陶片が割れた。これには魏玲もびっくりしていた。
「驚くことはない。道教の流れを汲むとは言え、陰陽術は和の国の言葉を使う独自の呪術じゃ。道家の術に決して遅れをとったりはせぬ。習うなら今のうちだぞ、真人」
またさりげなく、営業が入ってきた。
「アナタは、一体…?」
「私はお前の先達よ。いずれ、お前がなるべきものだ。案ずるな、私の言葉の呪が効くこの国におるうちは決して、手出しはさせぬ」
決まった。小さな声で晴明が言ったのを、僕は聞き逃さなかった。今のはキメ台詞だったのだ。この人、陰陽術は桁外れにすごいけど、実はかなり俗っぽいんじゃないか。
「聞こえているぞ、真人。私を粗末に扱うと、狐の祟りがあるぞ。ほれ、そこにもキメ台詞を言えなかった奴が隠れている。せめてちゃんと話に入れてやれ」
まさか、と思って見直すと、篠藪の庭石の蔭に、信長が隠れていた。
「きっ、気づいていたなら声をかけんかっ!呪いの話ばかりしおって、こっちは全然話に割り込めぬのだわっ!」
ぶんぶんと、信長は何かを振り回して、僕たちの間に入ってくる。みると銃だった。随分短い銃だ。そうか、あの壊れた銃を改造したのだ。そう言えば信長の奴、蛟竜にぶった切られて使えなくなったはずなのに、どうして銃を撃ちに行けたんだろうと疑問だったのだが、これでわけがわかった。
「ははは、とくと見よ。あの倭寇の女を締め上げて、使い物になるよう急きょ作り直してもらったのだわ」
見ると銃身が大分切り詰められて、信長には大分使いやすくなっている。銃身をぶった切られたからと言って、ソードオフに加工するとは発想が新しすぎる。まるでショットガンだ。
「筒口(口径)も大きくなったゆえ、弾薬も工夫してある。散弾もあるでや!これで今度は決して遅れをとらぬにゃあわ!」
さすが信長。アナログは徹底的無視、まっしぐらハイテク路線だ。突拍子もない信長の話に、魏玲も思わず目を丸くしている。
「阿信、鉄砲危ないよ?いいから、無理しないでよ」
「うっ、うさこいんだでやっ!おのれは黙って我に守られておれば良いのだわ!これ以上、埒もなきことを抜かすな!」
「わ、分かったから落ち着け…」
こうなると手がつけられない。僕の周りは厄介な奴だらけだ。
「お前にまた黙って消えられたら、我はそれこそ立つ瀬がにゃあわ」
信長は地団太踏んだ後、言った。ちょっと顔を背けてだ。こいつ、見直した。つぐ一言に僕は、はっとさせられたのだ。
「真人、おのれも同じ立場にてあらあずか」
「う、うん」
確かにそうだ。贄姫の首を取り戻した今、僕も虎千代も、魏玲の力になろうと思うからこそ、魏玲とここにいるのだ。
「魏玲は渡さぬでや。中原の皇帝であろうが天魔鬼人であろうが、何人にもな」
子供でも、さすがは織田信長だった。同じ決意を確かめるように、じろりとこちらを睨みつけた、刃物のような瞳には、年齢不相応な気迫が漲っていた。第六天魔王とまで言われた戦国覇王の気色は尋常ではない。全国の有力大名や将軍家のみならず、一向門徒からも命を狙われ、南蛮の天主すらもものともしなかったその凄愴な気概は、やはり信長生来のものだったのだ。
しかし事態は、僕たちの決意を嘲笑うかのように転変した。
「魏玲さま、とりあえずまずは船でこの堺を出る気はありませんかにぇ」
王蝉が神妙な面持ちで提案したのは、ほどなくのことだった。
王蝉が大頭目、王直に直談判して魏玲の逃亡と潜伏を手助けすると言うのだ。
「ここにいるより安全ですにぇ。我ら、倭寇も海禁政策にて追われる身、明王朝の追跡を逃れる手段は、いくらでもありますにぇ」
「気持ちは嬉しい、でも」
ぽつりと言って、魏玲は続く言葉を呑み込むばかりだった。彼女ばかりではない。蛟竜は魏玲の白一族全員を、明国で人質にとっているも同然なのだ。
「どうして逃げないですにぇ!?魏玲様、このままではすぐに蛟竜に見つかって殺されてしまいますにぇ!」
「自分だけ身を隠していれば済む、と言う話ではないのです」
魏玲はそこは、きっぱりと言った。道家の名家の代表として、一族の重さは彼女にとっては僕たち日本人にも、倭寇の王蝉にも図り難いものだったのだろう。
「し、しかしですにぇ!魏玲さまが死んでは元も子もないですにぇ!」
「ワタシだけ生きてる、白一族絶やす、一族の恥です。そんなことになれば、ご先祖様、会わす顔ない。ワタシ、もっと堪えられません!」
魏玲はついに泣き出してしまった。
「落ち着け魏玲よ、王蝉が言うことももっともぞ」
見かねて虎千代が口を挟んだのはそのときだ。
「今、捕まればお前は蛟竜にご一族の命運と関係なく、即座に殺されるであろう。その上で考えた方が良い」
「でも!」
抗弁する魏玲に、虎千代は押し込むように言い募った。
「ご一族の安否が心配ではあろう。しかし、あの蛟竜に従っていて、その身、無事でいられると思うか」
すぐに分かった。虎千代だってそれが最良の策とは思っていない。しかし、今の魏玲を救うにはそれしかないと思って、説得にかかっている。
「王直に後は任せ、魏玲を無事に外洋へ落とす手筈整えるべし。他に採る道はなし。黒姫、ラウラ、お前たち、代案はあるや?」
二人とも、異論は唱えなかった。
逃げれば魏玲が旅の目的とした、白一族の命が根こそぎ奪われる。
魏玲にそう言われてしまえば誰も意見は言えなかったのだが、王蝉のこの提案についても、もっともではある。現状では蛟竜を怒らせた魏玲が無駄死にするだけ、と言う悲惨な結果がまず何より避けるべきことなのかもしれない。
「そう言うことだ。今は辛いかも知れぬが、お前が生きているだけで望みはあろう」
虎千代と王蝉に言い募られ、魏玲はやがて泣く泣く説得されるのだった。
ただ、だ。王蝉の話は得策かと言えば、そうとも言えない。陸路よりは海路に当然強い蛟竜の目を掻い潜って、この堺を逃げおおせるか否かと言うリスクをおしても、ただ危険が大きいばかりで踏み切るに積極的になれなかった。
「日本を出れば、魏玲にかけた術も解けてしまうんだろう?」
僕は心の中で晴明に訊いた。
昨晩のことは虎千代には僕に取り憑いた晴明のことは抜きに上手く説明したのだが、晴明の陰陽術が魏玲の特殊な気を蛟竜たちの目から隠していることは説明していない。晴明の術の範囲が及ばぬ場所に逃げると言うのは、魏玲にとっては逆に危険ではないのか。
「まあな。だがそうしたいとなれば、仕方あるまい」
しかし肝腎の晴明の答えは、意外に素っ気なかった。
「何とかならないの?」
「いかな陰陽術とは言え、人の気持ちは変えられぬ。魏玲が決めるしかないのではないかな。まあ、どうしても、と言うなら考えはあるが」
今は言うべき時ではあるまい、と、晴明はにべもない。
「考えはあるんだろ?」
いないふりをされた。本当にこの人、本気で肩入れしてくれているんだろうか。
それでも結局、魏玲は王蝉の忠告に従って堺を船で脱出することを決めたのだ。
そのために王蝉は、黒姫と協力して密航船まですでに手配していたのである。
その船は港に白昼堂々と停泊していた。
それは倭寇のジャンク船でも、イスパニアの商人のものでもない。何だか見たことあるなあ、と思ったらやっぱり三好家の船だと言う。
「おおっ、真人かあ!あれから元気にしとったか!久しぶりやないかい!」
ど派手な格好をした松永弾正が、向こうからやってきた。琉球美女に洋傘を差し掛けさせて、色んな意味で絶好調だ。
「大明国随一のええ女が積み荷やそうやなあ。どやっ、一目だけでも。おれにも眼福ぐらいさせんかい」
エロ弾正全開である。そうか、三好家が一にも二もなく脱出に全面協力したのは、魏玲の話を聞いてこの弾正がいても経ってもいられなくなったせいに違いない。
「なんだでやこの大うつけは!魏玲は誰にも渡さぬと言うとりゃあすわ!」
「はっ!?なーんやこのけったいなガキ!」
松永弾正は鼻の頭に皺を寄せて、信長と睨み合った。
戦国随一の覇王と一代の梟雄初対面だ。こうしてみると違うのは着てる服の値段と年齢くらい、と言う、服装センス的にはほとんど同じ方向性にいる二人だ。ばっちり今のは同族嫌悪である。
「ご迷惑、おかけします」
しかしだ。片言のお礼を言った魏玲が挨拶に通りすがったら、二人ともにらみ合いをすぐにやめて鼻の下を伸ばしていた。やっぱり似た者同士の二人なのだ。
「おいっ、思いのほか極上品やないかい。ほんまやったら中原の皇帝しか抱けへん女やろ、それだけの価値はあるわ。お前、虎姫ちゃんがおるから気づかんのやろうがなあ、ああ言うなあ、恥じらう顔にも気品のある女!これやぞ。ああいう女がなあ、乱れるのがまあた堪らんのやぞ。いやあ、見ただけで目の保養やわあ」
かなり露骨なことを言って僕を肘で突っついてくるエロ弾正。限りなくうざい。
「…それは良かったですね」
「ああ、はるばる京屋敷をほっぽって飛んできた甲斐があったわ。冥加が悪いのう!(もったいない、と言う意味らしい)お前、あれやったら万金積んでも惜しないで」
「そんなに魏玲さんが気に入ったんなら、三好家で匿ってあげればいいじゃないですか」
そしたら、そのせいで三好家は潰れるだろう。冗談抜きで。
「津島に来ればいいのだわっ」
信長も信長で無茶苦茶だ。
でも、こいつの気持ちも分からなくはない。代案を提案できない今、王蝉の案に乗るしかなかったが僕だって、今いちこの脱出計画に賛成できないのだ。
「我らが、魏玲、お前の身を守れるのはここまでだ」
その虎千代も王蝉の意見を採ったはいいが、ずっと浮かない顔をしていた。虎千代にしても危険を知りながら、魏玲を見捨てるような気でいるのだろう。
一件問題が落着した形にはなるが、後味が悪いのは否めない。僕たちの目が届かなくなると言うだけで、魏玲は一生、明王朝と蛟竜に命を脅かされる逃亡生活を続けなくてはならないのだ。
「いえ、虎千代先生には助けて頂きました」
この期に及んで魏玲は、むしろ僕たちに懸命に気遣っているように思えた。
「ワタシ、苦しんでいる、もう長い間誰にも気持ち、話せませんでした。でも皆さん、ワタシの気持ち、救ってくれました。それだけで本当に嬉しい」
十分です。
そんな魏玲の別れの言葉が、僕の胸にも突き刺さった。
「これで良かったのかな」
魏玲は姿を消した。後は出港するばかりである。
準備を進める船に他の積み荷が運び込まれるのを見ながら、僕は虎千代に問うた。
「仕方あるまい。我らが蛟竜を成敗したところで、明王朝から罪を問われる魏玲は、救えはせぬ」
「虎さまの言う通りですよお。真人さん、肩入れするのはここが鍔際ではありませんか。いくら虎さまとて、大明国に行ってまで魏玲さんをお救いすることは出来ないのですからねえ。そもそも贄姫の首を回収するのが、わたくしたちの目的だったではないですか」
確かに、黒姫の言うことは正しい。が、心情的には納得できない部分も大きいのだ。
「…でも、真人サンの気持ちだって判らなくはないです。魏玲さん、とても悲しい人でした。あんなにひどい目に遭ってるのに、最後はワタシたちまで気遣ってくれた…」
ラウラの言葉に、誰も言葉を接ぐものはいなかった。魏玲は本当に強くて、そして悲しい女性だった。きっと半ば以上、蛟竜の手から逃れることは出来ないと思いつつも、僕たちを気遣って堺を出ることにしたのではないかと考えると、遣り切れなかった。
「ふん、どいつもこいつも、意気地がにゃあわ!くそだわけだわ!」
最後まで反対していたのは、結局信長だった。無茶苦茶な理屈を抜きにして、こいつの気持ちも分からないでもない。
「そろそろ、僕たちも戻ろうか」
僕はため息をつくと、言った。魏玲は積み荷に隠れているのだ。僕たちの姿が港湾で目立てば、余計な火種を生みかねない。
「待て真人、その前に訊きたいことがある」
すると虎千代が、じとっとした視線でこっちを睨み上げてきた。わ、何か嫌な予感。
「昨夜はどうして部屋に戻らなかったのだ?」
「えっ、いやその、魏玲さんと話があって…って、話したよね?」
「その後じゃ!わたしはようやく、お前がその気になったと思って待っていたのだぞ…(声をひそめて)だってあれは、その、初夜の誘いではなかったのか?」
「しょっ、初夜!?」
どんな飛躍だ。いや、あれは不幸な事故と言うか、疫病神の仕業と言うか。
「わっ、わたしの乳房を、揉みしだいたではないかっ!」
「声がっ、声が大きいよ!」
まさに最悪のタイミングだった。僕の横でラウラは、表情を硬くし、黒姫に至っては、真っ黒い憎悪がオーラになって出てきそうだった。
「いっ、今なんと言ったですかっ!?ま、まさかあっ、真人さんが神聖にして犯すべからず、この黒姫が目指す双つながら神秘の霊峰、虎さまのお胸を揉みしだいたですとッ!」
黒姫は袖を翻した。紛れもなく、八方手裏剣の構えだ。
「ごっ、ごご誤解だって!信じてってみんな」
「真人サン、それ、本当のお話ですか?お二人が恋人なら、いいとは思います。けど、無理やり、よくないと思います。不潔です」
ラウラは僕を睨みつけると、ふくれっ面でそっぽを向いた。
「らっ、ラウラまで!」
「言い逃れはよせっ、わたしは昨晩ずうっとお前のことを待ってたんだからな!今晩こそ、責任を取ってもらう。ここで約定せよ。でなくば…ううっ、絶対承知せんからなっ!」
「落ち着けって。みんないる前だよ。そう言う話は後で二人でしようよ」
「ふ、二人きりなど最近滅多にないではないかっ!お前、最近わたしに冷たくないか!?そこな信長とばかり、つるんでおるではないかっ」
うわー、大分こじらしてしまった。こんなに大人気なく拗ねる虎千代、初めて見た。困ったどうしよう。
「どうすればよいか教えてやろうか」
始末に困っていると、晴明がいきなり出てきて言った。むかつく。咳こむほど笑っていた。
「呪を使うのだ。たった一言、それで済む」
「そんな便利な陰陽術があるんですか!?」
一気に晴明から、僕は陰陽術のすべてを学びたくなった。
「まずは物陰に連れて行くんだ。そして耳元に呪を注ぎ込め。『愛しいのはお前だけだ』と」
「そんな恥ずかしいこと僕に出来るか!」
どこのイケメンホストだ。やっぱ聞くんじゃなかった。
「ふふん、じゃあ他にいい方法があるか?面と向かってきっぱり、気持ちを言わねばここは収まらぬぞ。恥ずかしがっている場合か。元はと言えばお前が悪いのだ」
こうなったのは、僕のせいじゃないお前のせいだよ!
「なっ、何をこそこそ言っておるか!今はわたしと話しているのだろう!こっちを見て、何とか言え!」
ぼろぼろ泣きながら、虎千代が僕に詰め寄ってくる。うう、ここはしょうがない。晴明のせいとは言えひどいことしたの僕だし、誠心誠意謝ろう。
「ご、ごめん…悪かったよ。虎千代とあんまり過ごしてあげられなくて」
「うう、本当に最近、夜寂しかったのだぞ…」
「悪かったよ。本当に、悪かった」
「…初夜は?初夜の約束はどうなる?」
「ええっ!?それはその、そのうち成り行きで、と言うか…」
「もう騙されんぞ!成り行きばかり待って、どれほど経ったか!約定の日時と場所を明らかにしてもらおうか!」
「あのさ、合戦やってるんじゃないんだからさ…」
僕が弱り切ったそのときだった。
銃声とも砲声ともつかない、重たい破裂音が波止場を揺るがしたのは。僕は反射的に虎千代と身を庇い合い、伏せた。
「なんだ…!?」
確かに今のは、火薬兵器の音だった。この場にいる人間の誰もが問答無用で聞いたその音は、出航の準備に湧いていた男たちをたちまち大パニックに陥れた。ついで二発目、三発目。明らかに攻撃は、こちらへ向かっているのだ。
魏玲が乗船した船には大きな穴が次々と開き、怯えきった中国人苦力(港湾夫)たちが口々に何かを叫んでいる。
「フォチョン、フォチョン!」
どう言う意味だ。そして、なにがやってきたと言うのだ。
「真人サン、あれ…」
外海の様子をうかがっていたラウラが、緊張した声を上げる。僕と虎千代がそこに目を向けるとだ。
どこから湧いたのか四、五人乗りの小舟に乗った男たちが一斉に魏玲の乗った船を襲撃するところだった。服装風体、紛れもなく明人の倭寇だ。
「蛟竜の襲撃に他なし」
虎千代と僕は頷き合い、相手の兵器の正体を確認した。さっきのは明らかに、重火器の音だ。小銃の銃声とはまるで違っていた。
しかしだ。彼らが用いているのは、機動力重視の小さな舟だ。故に、大砲は詰めない。僕たちがいまだ見ぬ銃火器を相手は用いているのだ。
僕は見た。小さな船上から細長い筒のようなものが、魏玲の船に向かって続々と火を噴いている。全長二メートルほどはあろうか。二人がかりで使用する。後ろの一人が担いで砲身を固定し、前の人間が銃手を務めている。威力は抜群だ。大砲のように一気に船体を破壊する力はないが、大口径が開けた穴は船にとっては明らかな致命傷だ。
「火銃です」
ラウラが言った。火銃と書くらしい。大陸では元時代から使用されている重火器だ。
小銃と大砲の中間と言っていい。現代で言う重機関銃、戦車やジープなど人ではなく物体を攻撃して破壊するマテリアルライフルに似ている。
「あれを受けたら船が沈むな」
「魏玲を助けるぞ」
虎千代は言うが早いか、銃火をものともせず、攻撃を受け続ける船に向かって奔り出した。それを黒姫、ラウラが追いすがろうとする。
そのときだ。
「待あつでやあっ!」
信長の声が、皆を制止した。
「なんですかっ、緊急事態ですよクソガキ!」
殺気立つ黒姫をじろりと睨むと信長は、反対方向、陸側にあごをしゃくった。
逃げ惑う苦力たちを掻き分け、何やら黒い一団がこちらへやってくるところだった。
全員黒字に、血文字のような紋様を縫い付けた揃いの道服を着ている。先頭にいる男。見忘れようはずもない。あの晩、魏玲に残酷な運命を知らしめに来たあの男だ。
「蛟ォ竜ッ!」
銃口を向けた信長が、叩きつけるような殺気を放ったのはそのときだった。