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戦国恋うる君の唄  作者: 橋本ちかげ
Phase.3 ~弾正忠、煉介さんの野望、虎千代の馬廻り
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戦国大名の貌(かお)? 虎千代の素性!!

「おう、待たしたな」

 やがて弾正がやってきた。煉介さんの姿はなくて、供周りはなぜか槍を携えた甲冑姿の足軽が二人だけだった。

「煉介さんは?」

「煉介なら、先に行ったで」

 と、弾正は、おかしなことを言う。様子がおかしい。眉をひそめて凛丸が訊いた。

「どう言うことです。この屋敷には別に出口があるのですか?」

「まあ、別の出口言うたら、そうかも知れんな」

 弾正は、赤い唇をいびつに歪めると、

「実は、皮首党から、銭五百貫で煉介の首を売れ、と言われとる。―――お前ら五十騎よりも、銭五百貫のが惜しいさかい、売らせてもらったわ。あやつは、別室で討ち取った」

 まさか―――そんなことが。僕は、はっとした。気づいたら、退路はすでに弾正が連れてきた番兵が塞いでいる。油断していた。相手は天下の極悪人、松永弾正なのだ。ぎらぎらと光る槍の穂を向けられると、凍りついた背中にじわじわと恐怖が這い上ってくる。

「観念せい。お前らもここで終わりや」

「おのれっ、弾正」

 凛丸が柄にかけた手を、抑えたのは虎千代だった。

「なにをするっ」

「待て」

 凛丸は死を覚悟したのだろう。身体が小刻みに震えていた。絢奈も言葉を失って白い顔をしている。僕だってそうだ。でも、虎千代の声は憎らしい位いつも通りだ。

「弾正殿、去り際の手土産に座興はありがたいが――興が入りすぎては困りますな」

「冗談やと言うか?」

 口調を改め悠々と微笑んだ虎千代は、まっすぐ弾正を見つめた。

「我が知る限り、童子切の煉介なる男は、立ち廻りもせずに討ち取られるような不甲斐なき男ではござらぬ。それに―――」

 と、虎千代は、歩を弾正のもとへ進めると、

「我ら若輩もの。かような小勢を討ちとるに―――弾正殿自ら出張るいわれもありますまい。見たところ、屋敷うちの空気も動いてはおりませぬゆえな」

「嘘と思うか。まあ、信ぜぬなら信ぜぬともよいが」

 そのとき弾正の出した殺気は―――本物だった。これが、戦国大名の貌なのだ。空気すらなりを潜めて、凍りつくような寒気がした。さっきまで笑顔で、僕たちと酒を飲んでいたとは、到底思えない。よく知った人であっても、そうでなくても本当になんの躊躇いもなく、人を殺すことの出来る男の貌―――愕くほど澄んで冴えた目つきは、そんな異常な狂気を自在に操ることの出来る人間の眼だ。

 僕のいた時代には、大人だってこんな人はいなかった。

 しかし、虎千代は、静かな微笑を崩さなかった。逆に僕がびっくりするほどの澄んだ声で、堂々と言った。

「嘘でもまことでも、我が方には一向に構いませぬ。いずれ、弾正様は我が方に直接、現れてくれた。それを見て、多少安堵しておりまする。噂ほどに、貴殿は姑息な策を弄さぬようじゃ。少なくとも、おのれの命を張らぬうちは」

「往生際悪いで。小娘、際を弁えんと死に様に恥晒すで」

 弾正は獣の殺気で射かけた。それだけで、僕など、腹の奥から鈍く熱い塊がこみあげて吐きそうにすらなってくる。それなのに―――

「そもそもここで死ぬつもりはありませぬ。いずれ、貴殿がここに現れてくれてよかったと思うておりまするゆえ」

 虎千代は、全然動じなかった。むしろ爽やかに、

「貴殿を質に獲ればこの屋敷を出ることは、そう難しくはありませぬからな」

「おれを、人質にするとぬかすか」

 色白の肌に血をのぼらせて、弾正は目を剥いた。

(怖くないのか)

 ―――気づいた時には。虎千代は弾正のすぐ傍に立っている。お互いがたぶん、相手を御することが出来る間合いに。二人は相手にそうだと悟られない程度にわずかに腰を沈めている。油断があれば、虎千代はすぐに弾正の脇差を引き抜いて、その頸に突きつけることを考えていたのかも知れない。もちろん弾正も、それに気づいている。飛びこんできた虎千代を取り押さえて、そのまま頸を掻くことなど造作もなかったに違いない。

 弾正は煉介さんくらいの背丈はあるから、虎千代とひと回り以上は違う。

 それでも―――虎千代が退く気配はなかった。

 どちらかが呼吸を外せば、勝負は一瞬で決まっただろう。

 その次の瞬間だ。

「―――ったく、話以上やな。煉介の奴、とんでもないタマ拾ってきよるわ!」

 爆笑する弾正―――なんと、弾正が退いたのだ。

 見たこともないほど、弾正は険しい顔つきを崩した。

「はめて悪かったな。煉介とお前らのこと話しとったらつい、試してみとうなってな! いやーっ、すまんかったっ!」

 弾正が合図をすると槍を持った兵がひき、立ち去って行った。本当に冗談だったのだ。それにしても、なんてたちの悪い。僕なんかあごが強張って、足なんかがくがくしている。本気で殺されるかと思った。傍らの凛丸ですらが、大きく疲れたため息をついている。

「どうや自分、正直、びびったやろ?」

 声もない僕に彼は、言った。

 ―――これが、戦国大名や。

 弾正が本気だったのか、これが座興に過ぎなかったのかは、彼にしか分からない。でも、あのときに虎千代や僕たちに向けて放った殺気は―――紛れもなく本物だった。

「お前らソラゴトビトは、どうも、おれらのことよう分かっとらん者も多いようやからな。これが戦国の世や、気合い入れや! なんにも知らんのもいかんが、まずは肝据わってへんと生き残れんで」

 と、言うと、弾正は虎千代の肩を叩いた。

「その点、君は大丈夫や! なんや女子高生っちゅうのは、ものごっついのう!」

 いや、そいつは、偽物だ。大体、そんな男前な女子高生がいるわけない。

 に、しても僕たちを騙して、皆殺しにすると言った弾正も恐ろしいけど―――

 それなら弾正本人を人質にとって、屋敷を脱出するだけだと平然と決意する虎千代もすごい。二人とも、半分は、はったりだったかも知れない。いや、て言うか、そうあって欲しいと思うくらい、二人は本気で軽々とお互いの命をやり取りしてみせたのだ。

 これが戦国時代の人なのか―――

「坊主、お前らが来たっちゅう未来の話は、少しは聞いとる。例えばおれや煉介のこと―――だけでなく、この世の中が行く末どうなるかっちゅうこととかな」

 と、弾正は僕を見ると、かすかに微笑んだ。

「せやけど今のままでは、この時代の人間は誰ひとり、お前らの言を信ずるものはおらん。おれらは、この世がどう言うものかを常に知ろうとしておるが、お前らはおれらのことを、ほとんど知らんやろ。少なくともこの国の男は、おのれで生き残れんものの話はまともに訊かんで」

 弾正の言葉は、厳しかった。

「十年二十年先のことを考えうる人品は、今この先一年を考えあたう者や。それが出来ぬうちは、お前らはいつまで経ってもソラゴトビトに過ぎん」

(ああ、そうか―――)

 ―――死ぬなよ。

 と、煉介さんも真菜瀬さんも何度も僕に言ってくれたけど、たぶん、この人も同じ言葉を言っているのだ。僕たちは未来を知っている人間。教科書で日本の歴史を学んだと言うだけで僕たちはこの先、すべてのことが分かるように錯覚しているけど―――そんなことにやっぱり意味はないのかも知れない。少なくともこの時代の人は―――自分たちの行く末を知っていると言う人たちに対して、まったく恐れを抱いていないのだ。


「なんだ、やけに盛り上がってるな―――なにかあったのかい?」

 やがて遅れて、煉介さんがやってきた。

「いや、ちょっとな、―――お前が戻る間、退屈やろうからちょっとした手土産を持たせよう思うてな」

 確かに、気がつくとかなり時間が潰れていた。それにしても手土産にしては大分、重たい手土産だったけど。

「あ、そうだ、煉介さん。弾正さんと写メ撮ろうと思ってたんだよ。煉介さんも入って!」

 絢奈は僕の携帯電話を使って、結構頻繁に写メを撮っている。絢奈のは壊れてしまったけど、メモリースティックが無事だったので、自分のデータをこっちに移しているのだ。絢奈が不用意に現代の町並みや友達の写真なんかを公開していると、お前らなんか信じないと言っていた弾正は、ほう、こいつはごっついなあ、などと大声を上げて、めちゃくちゃ楽しそうに絢奈と話していた。意外と調子いいな、この人。

「む、虫の中に人が―――」

 案の定、一番の拒否反応を示していたのは、虎千代と凛丸だ。あんなに男前だった癖に、携帯電話に触るときの虎千代はぷるぷる手を震わせている。

「まさかこの小窓から中に吸い込まれてしまうのでは・・・・・・」

「じゃあ撮るよ!」

「い、いや待て絢奈っ―――」


「次はもっと別の場所で逢いたいものやな――――長尾虎千代殿」

 去り際、弾正は言った。やっぱり、分かっていたのだ。

「煉介からどこぞの名のある姫と訊いたが、何者やろな」

 試すように、弾正は虎千代を見た。

「越後で長尾言うたら、守護に次ぐ名家―――守護代家やがな。もしや縁続きの者か?」

 虎千代はこの種の話題になると、あんまり機嫌がよくない。途端に無口になった。

「長尾ならば戦歴百番、長尾為景(ためかげ)殿が名高いと思うたがな」

「為景はとっくに死んだ。―――今、長尾の家名は為景の長子が継いでいる」

「後を継いだ晴景(はるかげ)殿は病弱であかんらしいな。その代わり、どうもその次子が武勇で名高いようや。その者、なんでも若干十四で千からの兵を進退させて、為景が亡うなった後、わずか一、二年で背いた諸侯をあらかた切り従えたそうやが―――」

 弾正は意味ありげに視線を投げかけてくる。まさか、虎千代がその次子? あのいくさぶりを見ていると、無理もないと思えてくる。しかし、虎千代の声は冷やかだった。

「そやつは男児(おのこ)であろう。名は景虎(かげとら)とか申すはず」

「そう景虎。長尾景虎―――越後の衆は、今や、晴景よりこの男を国主にと騒いでおるそうな」

「馬鹿な。為景公一代の業績を思うならば筋目を通すが道理、嫡男の晴景が治めてこその越後一和ではないか」

 弾正は目を丸くしている。

「自分、なぜそこでそんなにいきる?」

「あ、いや―――」

 不自然に熱くなった自分に気づいたのか、虎千代はわざとらしく咳ばらいをして、

「ま、まあ長尾と申しても我が家は、傍流。守護代家のことなどに関心はないがな」

 変な奴。

 でもそれにしても、その長尾景虎って、どこかで聞いたことがある名前だ。

(有名な戦国武将だったのかな?)

 さっきの斎藤道三のことで思い出したけど―――

 現代で僕たちが知っている戦国武将たちの名前は、彼らが生きていた時代には使われていなかったことも多かったはずだ。例えば、真田幸村なんて、本当の名前は信繁で、本人は幸村と言う名乗りを使ったことはなかったらしいし。そこまでひどくなくても、本人が死ぬ少し前に、ちょっとだけ名乗った名前だったりする。そうなると、例えば僕たちみたいにタイムスリップしてきた人間がその名で呼んでも、当人にしてみれば、ちんぷんかんぷんだろう。

(そうだ、長尾景虎、と言うのも―――)

 そう言えば―――誰かの前名だ。僕は、はっとした。

 そう―――上杉謙信の前の名前じゃないか。上杉謙信と言う名前は、確か晩年の名乗り名で、最初は長尾景虎と言う名前だったはずだ。苗字まで違うのは、確か、事情があって越後の守護だった上杉家を継いで、名前をもらったからだった。

 虎千代はその長尾家のお姫様みたいだけど、じゃあ、どんな関係者なんだろう。まさか、景虎本人? となれば、男勝りじゃ済まないくらい尋常じゃない虎千代の強さも、説明がつくけど―――

 いや、いくらなんでもそんなはずはない。一応、虎千代は歴とした女だし。

(それにしても、なんだろう。そうだ――――その名前を思い出したとき)

 僕の中で何かが、動いた。そんな気がしたけど―――


「へー、やっぱ虎ちゃん、お姫様だったんだー?」

 弾正の屋敷でのことを話すと真菜瀬さんも興味深そうに、肯いていた。

「うーん、確かにちゃんとしたら、気品はある子だもんねー」

 言われてみれば初めて会った時から、僕は虎千代を男の子だと見間違えたりはしなかった。本当に性格は、戦国武士の典型か、と言うくらい、ほとんど男。なんだけど―――

『くちなは屋』に戻って制服を脱いだ今、虎千代は、濃い紫色の着流しに虎皮の腰巻、片膝立ちの上に緑色の糸で威した黒漆塗りの太刀を立てかけている。それでもやっぱり、女の子ではある。実際、男としては、着乱れた襟元のふくらみとか、裾から出た、きめ細かい肌の白い太ももなんかが気になるところだ。でも、それを除けば目つきはただものじゃないし、武骨な太刀を抱いて物憂そうに壁にもたれている姿は、どうみても山賊の親玉か、でなければ夜盗の大将だ。

「お前、なにか不服があるのか?」

「いや、全然ないけど―――」

 お姫様、と言うのは、やっぱりどうかな。百歩譲って目の前にいる虎千代を、戦国時代のお姫様のスタンダードだとすると、僕が今までドラマや映画で得ていたイメージや知識は、かなりずれたものだと言うことになる。

 僕の勝手なイメージだと―――

 戦国時代のお姫様って言うと、やっぱり、しとやかだけど芯が強い感じの人が多そうだ。

 十中八九、そっちの方が間違っていないと思う。そもそも、僕はこの時代に来て虎千代以外に、自分がお姫様だと言う人を見ていないのだしなんとも言えないけど。

 例えば。自分が女の人としての一生を犠牲にしていくさや政略の道具になることに、疑問を感じつつも、お家やその国の領民のことを考えて、それに従っていく、みたいな。

 大体、いくさ場に出るにしても。

 皆の先頭に立って戦うことは、城主の不在とか、やむにやまれぬ事情があってと言う感じだ。正直、血なまぐさい本物のいくさ場や命のやり取りをするような修羅場が大好きで、あれだけ活き活きとしている虎千代を見てると、さすがにちょっとひく。

 こんなこと全部言ったら、たぶん虎千代に激怒されそうだけど、

「お兄い、考えてること全部漏れてるよ?」

 はっ。ゆっくりと太刀の柄に手をかけて虎千代が立ちあがったのと、僕がその場を飛びのいたのが、ほぼ同時だった。コーン、と言う意外に軽い音とともに僕が座っていた場所に虎千代が力いっぱい斬りこんだ切っ先が板の間の床を割って、何センチも埋まっているのが見えた。

「お前、死にたいらしいなぁ。ひと思いに首を落としてくれるから、そこにな・お・れ」

 笑顔が冷ややかだ―――殺気が怖い。現代の暴力女の領域などとっくに振り切っている。

「許さぬっ、殺してやるっ」

「不満があれば話してみろって言ったからだろっ!」

「大丈夫だよ、虎っち元はいいから!」

 絢奈のフォローで、何とか助かった。

「ほ、本当か?」

「うん! 女の子っぽくすれば、本当にかわいいよ。真菜瀬さんもそう思うでしょ?」

「そうだよねー、すっごくもったいないと思う」

「で、次は何着る?」

「そう言う話か・・・・・」

「虎っちお姫様なんだから、もったいないよ! もっとかわいい格好しなきゃ!」

「そうだねー、今度出かける時はもっと姫君っぽいお召し物がいいかも―――」

 二人は、虎千代がどこかのお姫様だと言う話をどうも別の方向から評価しているらしい。不覚にも絢奈に乗せられて一度、女子高生のコスプレをしてしまった虎千代は、二人の着せ替え人形にさせられそうになって困っていた。

「虎っち今度はメイドさんとかどうかな?」

 なんでそこに行き着く。絢奈に言われて真菜瀬さんも、反物を取り寄せて自作する気まんまんだ。

「措けっ、冥途(メイド)などと―――かような縁起の悪い名の服が着れるかっ! そっ、そんなことより、我は兵を調練せねばならん。お、お前、馬鹿なことやってないでついて来いっ! やらねばならんことは山ほどあるぞっ」

 僕の襟首を掴んで虎千代はずるずると部屋を出て行く。実はもうちょっと馬鹿なことをやってたかった。僕が生き残るために、やらなければならないことは山ほどあったのだ。



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