Interude~ あの日の教室と、僕が五百年前に出逢った、平家物語に涙する女の子のこと
ある日、高校を、辞めてみた。
迷い込んだ五百年前の世界。そこで僕が出逢ったのは、十七歳の女の子。
彼女が上杉謙信だった。
今でもたまに僕は、あの日の教室にいるときがある。
ある朝、衝動的に退学届を出した、あの高校の教室だ。
真新しい色の陽だまりが落ちる窓際のこの席。
列の真ん中より、ほんの少し後ろ。よく晴れた日には、真っ白い道のような午前の陽が、何も置かないまっさらなままの机の上に射し込む。目がくらむほどだった。まだ肌寒い日には、おおらかな太陽の熱を 背に感じながら、授業をサボってまどろんだものだった。
ここだけは、誰にも譲りたくない。
そう思ったりしていた。
僕がここから、いなくなるその日までは。
黒板に書かれている、『平家物語』。
筆圧の強い角張った先生の字で、刻み込まれるように描かれているのは、現代の僕たちにはまるで、関係のない話。
日付と当番の名前の隣に書かれた『敦盛の最期』の表題。
僕より若い平敦盛と言う十四歳の少年が、死闘の末、屈強な源氏の老巧者、熊谷次郎直実に首を預ける話。
もちろん、聴いても、特に、何も感じなかった。この教室にいる誰もが(板書を朗読する先生もたぶんそうだと思う)、そうであったように。
でも僕は、この『平家物語』を聴いて涙する、そんな女の子に出逢ってしまった。
篝の焔だけが照らす世界で。
無垢な素肌の上に熱くしたたる涙と、その涙の理由を。
僕は、深く知ってしまった。
現代と何もかもが違う、五百年前の世界で。
僕は、忘れない。
ふとしたとき、君が見せた表情。弾けるような笑顔。
驚くほど、冴えて澄んだ眼差し。胸の奥をうがつ、深い悲しみ。
それでも、巨大な運命に支えられた覇龍の意志をだ。
確かに時間は元には戻らない。
歴史は、すべてを忘却の彼方に連れ去ってしまう。あの日あのときの教室の誰かから見たらそれは、ただの過去の遺物だ。黒板に描かれた『平家物語』みたいに、簡単にかき消されてしまう、そんなものだとしても。
僕は語ろうと思う。
僕の見てきたすべてを。出逢った人、すれ違った人。相対した人、永遠に別れた人。そして二度と離れたくないと、誓った人。
すでに終わったものではなく、すべてこれから始まるものとして。
実際、僕は、あの日、図らずも踏み出したのだ。こんな場所ではない、自分のための『どこか』へ行くために。あの日、僕の手をとった、背丈の小さな女の子の女の子とともに。
これは僕と、虎千代の物語だ。
意地っ張りで、恥ずかしがり屋で、少し泣き虫で、戦国最強の武将なあいつと、不登校ニートな僕の話。
何もかも、すべての始まりは僕が学校を辞めた朝。
そして。
天文十五年(一五四六年)、戦乱の京都から。




