捨てられし者と古き竜
穴の底は、思いのほか快適だった。
夜になっても冷え込まず、昼も焼けつくような暑さはない。
壁や地面を覆う光苔が、常に淡い光で辺りを照らしている。その光は目に優しく、上着をかぶれば、眠るのに支障はなかった。
その夜、俺はドラゴンに、自分の半生を語った。
面白くもない話だった。退屈だったはずだ。
けれど竜は、一言も遮らず、じっと耳を傾けてくれた。
「ふむ。お前の両親が誰かも、わからんのだな」
「ああ。祖父さんは、その話になると口を閉ざしてしまってな。けど、几帳面な人だった。村に戻れば、何か手がかりはあるかもしれない」
しばしの沈黙のあと、ドラゴンは低く呟いた。
「そうか……話を聞くかぎりでは、お前の村を襲ったのは、ただの盗賊団ではなさそうだな」
「え……?」
初めて耳にする示唆だった。けれど俺は、それ以上問い返さなかった。
――もう、村に執着はない。
それでも、長老に託された願いだけは、果たしてやりたいと思っていた。
「どちらにせよ、今のお前には、この穴から出ることすらできん」
竜の声は、岩のように低く、炎のように温かかった。
「トルサン。まずは、生きる力をつけることだ。今は、それが先決だ……さあ、もう寝ろ」
その一言が落ちた瞬間、まるで魔法のように、強烈な眠気が押し寄せた。
――魔法かもしれない。明日、訊いてみよう。
そう思いながら、意識はすうっと沈んでいった。
*
目を覚ましたのは、地上から光が差し込む、一日のうちのほんのわずかな時間だった。
遥か上空。井戸の底から覗くような小さな円に、白い太陽の光が注いでいた。
「……眩しい」
「よく寝ておったの」
すぐ近くで、竜が笑った。
「どうじゃ、体の具合は?」
「はい。こんなに元気なのは、生まれて初めてかもしれません」
それは本心だった。体の芯に、じんわりと熱が灯っているような感覚があった。
「ははは! それなら、これからもっと良くなるぞ。さて――まずは、この穴の話をしておこうか」
*
ここは、砂漠の中心に穿たれた大穴――アル=ホワ。
その深さは測り知れず、底から地上の風は届かない。
光苔が灯す淡い光のなかで、昼と夜の狭間のような時が、永遠に続いている。
「この穴にはな、多くの探索者が命をかけて降りてくる。だが、戻ってこれた者は、ほとんどおらん。お前のように、捨てられた者もな」
竜は静かに語った。
「……あの高さから魔物に襲われ、落ちて生きているのは、お前くらいのもんだぞ」
「……昨日、森に入ったし、呑気に寝てましたけど」
冗談めかして返したが、本当は笑える話ではなかった。
あの森には、猛毒を持つ獣や魔物がうようよしているという。
それでも昨夜は、一匹も姿を見なかった。
――きっと、あの咆哮のおかげだ。
「お前くらいのもんだろう! わしの咆哮を聞いても、怖がらん奴は」
違う。怖くなかったんじゃない。
体が動かなかった。ただ、それだけだ。
もし動けていたら――きっと、迷わず逃げ出していた。
「……ははは。そうかもしれんな」
竜は喉を鳴らし、愉快そうに笑った。
*
その後、俺は森へ出て、木の実とわずかな獲物を集めた。
帰り際、朽ちた木の陰で、白骨となった探索者の骸を見つけた。
骨のそばには、変色した皮の鞄と、錆びついた短剣が落ちていた。
「……弔ってやるよ」
そうつぶやき、目を閉じて手を合わせる。
「これは――その駄賃だ」
俺は短剣を拾い、鞄を肩にかけた。
そしてもう一度、穴の天井を見上げる。
遥か遠く、太陽の光は、もう消えかけていた。
※
数日が過ぎたある日、不意にドラゴンが言った。
「お前――いや、トルサンに、大事な話がある。わしの真名を教えておこう。ファルヴェリオンだ。昔はファルと呼ばれていたわ」
「ファルヴェリオンさんですね……」
俺はどうにか真面目な顔を保ちながら、内心では笑いを堪えていた。
(『ファル』って、ドワーフの村で飼っていそうなリスみたいな名前だよな……)
「トルサン! 顔が笑っておるぞ!」
ドラゴンが怒鳴った。今にも灼熱の炎を吐きそうな勢いだ。口元に火がちらつき、目が釣り上がっている。
「す、すみません、ファルさん」
「ふん……わかればいい」
それでも、『ファル』と呼ばれたことが、よほど嬉しかったのだろう。あの、かつて世界を恐怖に陥れたドラゴンが、鼻を鳴らしながらも、ほんの少しだけ機嫌を直していた。
「もしお前が名をつけることがあれば、参考にしてもよいぞ」
その声音は、どこか得意げだった。
それから数日、俺は亡くなった冒険者たちの遺品を集めた。
「売れるくらいあるな」俺はその中から自分に合う装備を着込み、剣を一生懸命に振っていた。
「そんな事よりも、お前の本当の力を引き出していこう」ファルは俺の姿を笑いながら言った。
「本当の力?」
「ああ、棒振りも大事だが、それよりももっと本質的なものだ。お前の持つ巨人族の力。それを引き出さねばならん。わしら古代種の魔法は、思いを形にする力……強く思えば、それが現実になるのだ」
「はあ……」
「本気で信じてみろ! お前の中に魔力は既にある」
確かにファルが嘘を言うことはない。心の底から信じて、いや、祈った。だが、何も変わらなかった。
「ふうん、やはり閉じているようだな。育ち方の問題だな。トルサン、わしに触れろ」
俺はドラゴンに触った。何度も触れているのに、何があるのだろうか?
「行くぞ。決して手を離すな」
ファルの中から、俺の全身を駆け巡るものを感じる。物凄いうねりだ。手を離したい気持ちを必死に我慢した。立ちくらみで座り込みたいのも我慢する。
「もう良いぞ、手を離せ。感じるか? お前の中の魔力を!」
「これがそうなんですね」
胸の奥が熱を帯びてざわめいた。ずっと閉じ込められていた何かが、ようやく息を吹き返したような。あの村の中に閉じ込められていた俺が、やっと外の世界に出たような感覚だった。
「さすが、巨人の子だ。わしの魔力を受けても恐れん! お前の中に閉じこもっていた魔力が、外に出るようになったはずだ。もう一度、信じて願え。そして、自分の魔力を出すように!」
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