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竜契の巨人 血を啜れ約束を果たせ 闘技場の王  作者: 織部


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脱出

シューヒナが目を覚ましたのは、その日の夜遅くだった。


「シャーヒナ様は、一命を取り止めたが重体だと情報は流してある。戦力の情報は、まとめて後で報告する。問題は、シャーヒナ様が逃げてくれるかどうかだ」


カインは途端に暗い顔になった。

その表情を見た瞬間、俺は嫌な予感しかしなかった。


「じゃあ、俺達で説得しよう。駄目なら、無理矢理にでも連れて行く」


彼女の部屋の扉を叩く。


「あら、トルサン。お前がわしを助けてくれるとはね。変なものを口にしたらしいな」


「ご無事で良かったです。あなたには死に場所がありますので」


言ってから、少しだけ胸の奥がざらついた。

だが、取り消す気はなかった。


「おい! トルサン、失礼だぞ」

カインは俺を嗜めた。


「シャーヒナ様もわかっているはずです。このまま、貴女が死ねば、闘技場の多くの奴隷がどのような目に遭うか」


シャーヒナは、俺の言葉を聞かないふりをしていた。

聞こえていないのではない。聞かないと決めている顔だった。


ベッドから起き上がると、ゆっくりとコップの水を口に運ぶ。

喉を潤し、しばらく間を置いてから、静かに言った。


「知ったこっちゃ無いね。それよりも、戦争をすれば多くの人が死ぬ」


その声は冷たい。

だが、どこか空洞を叩いたような響きがあった。


「シャーヒナ様、闘技場は長老様から貴女に譲られたものだと聞きました。それをむざむざ奪われてもいいのですか?」


彼女の手が、一瞬止まった。

ほんの一瞬だが、確かに止まった。


わずかに伏せられていた瞳が、ゆっくりと俺を見据える。

その中に宿る光が、確かに揺らいだのを俺は見た。


「……勝てるのかい?」


低く、静かな問い。

俺は即答できなかった。

勝算など、頭の中にはなかった。


それでも、この人がここで終わるのだけは、どうしても違うと思った。


「どうでしょう。貴女が闘技場に行ってもらわないと始まりません」


シャーヒナはしばらく俺を睨んでいた。

試すようでもあり、見定めるようでもあった。


やがて、小さく息をついた。


「……まあいいだろう。お前の口車に乗ってやろう」


ふっと笑みを浮かべ、肩をすくめる。

その顔には、先ほどまでの諦めにも似た影はなかった。


「カイン、どうするんだい?」



シャーヒナが逃亡することを恐れて、街の門では徹底的に監視と検査をしているらしい。


「だが、別に法律を犯してないんだろう? 自由にどこにでも行けるんじゃないのか?」


「いや、街から出ようとしたら、その場で逮捕するつもりらしい。罪は捏造されるよ」


「じゃあ、強行突破するか?」


俺が言うと、カインは呆れた顔でため息をついた。


「お前はいつもそういうことを軽々しく言う……」


それでこそ、いつものカインだ。

俺は妙に安心しながら、一言言った。


「俺は芝居はできない。だから作戦は教えるな! 黙ってカインの指示に従うよ。拙い時は、顔で知らせろ!」


「わかったよ」


鉱都から闘技場に帰るため、門へ向かう。


深夜、門は閉ざされている。

橋を降ろしてもらわなければならない。


カインが砂漠トカゲの御者をし、俺は後ろの荷台に一人で寝転がっていた。

静かすぎて、かえって落ち着かなかった。


街の中では、車輪をつけた台車で進むことになる。


競技場の連中へのお土産が山と積まれていた。

俺は、初めての街でどんなものが喜ばれるかわからず、買い物は苦手なのでカインに任せたのだ。


実は、シャーヒナの奢りだった。

診療報酬で無償だそうだ。

貧乏な俺にとっては有難い話だった。


「悪いが決まりなんで、荷物を改めさせてもらう!」


門番が近づいてくる。


「なんだ、俺の荷物を調べて、賄賂でもせしめようとするのか?」


俺は苛立った顔をした。

半分は演技で、半分は本気だった。


「そういうつもりはない。だが決まりだ。従ってくれ」


数人の門番が武器を手に、俺を遠巻きに囲む。


俺はわずかに息を詰めた。

正直に言えば、足の裏が熱くなる感覚があった。


こいつら、本気でやる気か?


「なんだ、やろうっていうのか?」


立ち上がり、荷物の前に仁王立ちになる。

逃げ道を数えながら、体は一歩も引かなかった。


門番たちが、ぞろぞろと詰所から出てきた。


十人以上——いや、もっと増えそうだ。


門の番人は、闘技場出身の奴隷、各家の下位使用人達で構成されている。


「相手は、トルサン一人だ。痛い目にあわせてやるかぁ」


「ここで一太刀入れれば、有名人になれるぞ! 相手は素手みたいだし」


そう言いながら、最後列に下がっていくのは、闘技場出身の奴隷二人だ。

彼らは闘う気は全く無く、冗談で煽っているだけだった。


「お前達、馬鹿なこと言ってるんじゃない」


静かな声が響いた。


門番たちがざわめき、道を開ける。


現れたのは、俺と対決したことのある男——

元上級剣闘士、ハリスだった。


門番の偉い役職、門番長で街の守備長をしているのだと、カインが教えてくれた。


……嫌な汗が背中を伝う。

こいつが敵に回ると厄介だ。


「久しぶりだな、トルサン。何の帰りだ?」


俺達は握手を交わす。

力は込めてこない。だが、視線は鋭かった。


「観光した帰りだ。大切なお土産を持って帰るんだ!」


「大切な? そうか、だが一応荷物を改めないといけない。見てもいいか?」


カインが、構わないと合図してくる。


「ああ、構わん」


門番たちが慎重に荷物を調べ始める。


俺は、門番長ハリスと話をしようと、車輪入れに腰掛けようとした——

が、カインが即座に睨みつけてきた。


「立ってろ」


「おお、そうなのか。それは大変失礼した」


俺は慌てて立ち直る。


「ところで、カイン、良かったな、トルサンに守ってもらえて」


ハリスが揶揄う。


「いや、守ってもらってるのはいつも俺だぞ! 感謝してる」


俺は真剣に返した。

冗談にする気分ではなかった。


ハリスは、大笑いをする。


「おい、もう荷物検査は良いだろう。早く橋を降ろせ。トルサン、次に戻って来る時はいつでも俺が橋を降ろしてやる。闘技場に、栄光を!」


橋が下される。


カインが巧みに暗闇の中を進み、荷台の車輪やわそりにつけかえる。


何か視線を感じた。


俺は門を見上げる。


そこには、ハリスが立っていた。

他の警備員を下がらせ、一人で警備についている。


静かに、俺の方を見つめていた。


——いや、違う。


俺の目は見える。

あれは、敬意だ。


戦った相手として。

同じ場所から這い上がった者としての。


その事実が、なぜか胸に重くのしかかった。


俺は思わず声を上げた。


「おい、カイン、ハリスが俺に頭を下げてるぞ!」


「馬鹿なのか、お前は!」


カインが呆れたように言い放つ。


……と、その時だった。


車輪入れの中から、ゆっくりと人影が立ち上がる。


布がわずかに擦れ、荷が軋む。


俺は一瞬、息を呑んだ。


淡い月明かりの下、白い衣をまとった貴婦人シャーヒナがそこに立っていた。


「……行きましょう」


俺たちを見つめるその瞳には、迷いがなかった。

覚悟だけが、静かに澄んでいた。


静かに、俺たちは鉱都を後にした。

お忙しい中、拙著をお読み頂きありがとうございます。もしよろしければ、ご評価をいただけると幸いです。又、ご感想をお待ちしております。

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