風雲、急を告げる
中級剣闘士となって一年。
競技場に、不穏な空気が漂い始めていた。
「近いうちに戦争が起きるらしい」
俺の耳にまで届くということは、もはや単なる噂ではないだろう。
情報収集能力の低さには自信がある俺にまで聞こえてくるのだから。
「アミン、どういうことか教えてくれないか?」
「どこまでご存じですか?」
「全く知らない。……まあ、夕飯でも食いながら話を聞こう。飯は奢る」
俺のテントで、アミン、ライラ、俺の三人が食事をしながら話を聞くことになった。
「まずは基本情報からです。勢力は三つ」
最大の権力者は古井戸家。
歴史は古く、一族の構成員も多い。砂漠の鉱都サマラマディーナの役職者の半数を押さえ、鉱山を独占している。
そして、この闘技場のある町ハルバを作ったのも彼らです。
次が、奴隷商人から権力者へと成り上がった一族、子狐家。
奴隷だけでなく、食品や日用品などの流通を担っており、彼らがいなければ生活が成り立たないと言われています。
そして、我らがシャーヒナの隼家。
彼女が一代で築き上げました。古井戸家当主の愛妾だったという話もありますし、元は闘技場の委員だったとも言われています。
「じゃあ何だ。シャーヒナは、奴隷出身なのか?」
「もう何十年も前の話です。古老なら知っているでしょうが、口にはしないでしょう。ただ、有名な話ではあります。おそらく間違いありません」
隼家の稼ぎは何だ?
「闘技場の運営で、そんなに利益が出るとは思えない。奴隷に相当な金をかけているだろう。高く売れたとしても、割に合わない」
「ええ。その通りです。闘技場そのものでは、利益は出ていません」
「そんなことを俺に教えて問題ないのか?」
「はい。図書室に資料として置いてありますよ」
図書室。
カインがよくいた場所だ。あいつは、そこで何を学んでいたのだろう。今になって、気になってきた。
「じゃあ、どうやって稼いでいる?」
「シャーヒナを支える、この闘技場出身の天才たちが稼ぐのです。……やっと気づきましたか?」
「ああ……いや、違うな。気づかないふりをしていた」
俺が気づかないはずがない。
悪意、嘲笑、侮蔑、冷笑。そんなものに晒され続けてきた俺が、仕組みとはいえ甘やかされ、人として扱われる生活を、当然のものとして享受できるほど傲慢なわけがない。
「子狐家は奴隷が安定して売れる。古井戸家は鉱都で儲かる。だから今までは文句を言ってきませんでした」
「だが、流れが変わった?」
「はい。古井戸家の当主が亡くなりました。新たな当主は、この闘技場を支配下に置こうと動き出しています」
「儲からない闘技場を支配して、何の意味がある?」
「彼らは、儲からないのはシャーヒナのやり方のせいだと考えています」
「アミン。答えは今日は教えないでくれ。俺とライラで別々に調べて、答え合わせをしたい」
「いいですよ。私の答えが正しいとは限りませんから」
アミンは笑った。
「トルサン様、負けませんよ!」
ライラが拳を握る。
「じゃあ、積極的に情報を集めて、また集まろう」
「わかりました。他の看守にも聞いてみます」
「教室の先生や、他の使用人にも聞いてみます」
俺は、生活習慣を変えるつもりはなかった。
いつも通り、コロシアムを周回しながら、ここが戦場になる可能性を想定する。
闘技場は人気商売だ。
人気選手がいなくなれば意味がない。
……彼らは、どうするつもりだ?
石造りの回廊の日陰に、十人以上の剣闘士が集まり、真剣な顔で話し合っていた。
普段は群れない連中だ。
「おい、トルサン。少し顔を貸せ」
先輩の上級剣闘士、アルフに呼び止められた。
いつもなら無視して鍛錬を続けるところだが、今日は違った。
どよめきが起こる。
俺が近づくとは思われていなかったし、アルフが声をかけるとも思われていなかったのだろう。
「トルサン。古井戸家が攻めてきたら、どうするつもりだ?」
「決めていません」
俺は、その輪の中心にいるもう一人の上級剣闘士ファーリスを正面から見て答えた。
「そうか。お前のところには、まだ使者が来ていないだろうからな」
「違いねえ」
「ああ、お前は嫌われてるからな」
「いや、密告されると思ってるんだろ」
周囲から声が上がる。
「いいのか? そんな話をトルサンにして」
「俺たちは今、岐路に立たされている。選択を誤れば死ぬ。……周りは興味津々だろうがな」
確かに、遠巻きに監視する視線は一人や二人ではなかった。
「時間がない。次に顔を合わせる時は、敵同士かもしれん。俺はな、トルサンとは戦いたくない。本気を出されたら、死ぬのは俺だ」
ファーリスの言葉に、嘘はなかった。
茶化す者もいない。
俺も「束でかかっても殺せない」などとは言わなかった。
喧嘩を売る必要はない。
「古井戸家や子狐家から、好条件の契約が来ている。剣闘士は続けられるし、待遇も良い。闘技場制圧の間は、部屋で大人しくしていればいいそうだ。……お前にも話を通そうか?」
全員が、俺の些細な反応を見逃すまいとしていた。
「美味い話には裏がある。それに俺は、借りた恩は返す主義だ。さっき『決めていない』と言ったのは、どう戦うかを決めていないという意味だ」
一拍置いて、続ける。
「だが、部屋で大人しくしている奴とは、殺し合いはしない。安心しろ」
――やっちまった。
言葉にして初めて、自分の本心に気づいた。
立ち去ろうとした瞬間、剣闘士たちに囲まれた。
「待て、トルサン」
ファーリスが慌てて腕を掴む。
「誰にも話さない」
俺は、その手を静かに外した。
「気が短いな、トルサン。俺たちが、恩知らずの臆病者だと思ってるのか?」
「……え?」
「俺たちは、やっと恩を返す時が来たって喜んでるんだ。
本音を探ろうとしたのは悪かった。どう戦うかを話し合ってたんだ」
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