ライラの剣術大会
それからしばらくして、ライラが俺に話しかけてきた。
「少し……相談があるのですが」
その日は、二人で準備運動をこなしていたところだった。いつも通り落ち着いて、いや――剣の練習のときだけは、どこか楽しげにさえ見える。
「どうした?」
「……実は、カルブ様から、剣術大会に出てみないかとお誘いを受けました」
言いながら、彼女は木刀の柄に手を添える。目は真剣そのものだった。
「いかがしましょうか?」
「なんだ、そんなことか」
カルブが主催するその大会は、道場の地下で行われる非公式の催しだった。参加者はすべて獣人の剣士で、使えるのは剣のみ。
魔法も体術も禁止。武器も防具も支給品で統一され、ただ純粋な剣技だけが試される。
「参加してこい。お前なら、やれる」
ライラの目がわずかに見開かれ、次いで静かな笑みが浮かんだ。
「……ありがとうございます」
その微笑には、自信というより、ようやく歩ける場所を見つけた者の確信があった。
「優勝してご覧に入れます!」
※
参加者は三十名。勝ち抜き戦で五連勝すれば、優勝だ。
道場の地下練習場は、信じられないほどの人波で埋め尽くされていた。立ち見どころか、階段の上から身を乗り出す者までいる。
「さあさあ、投票はお早めに! トーナメント表はこちら!」
獣人族の家政婦たちと看守たちが声を張り上げ、観客に票を売って回る。見た目は剣術大会だが、実態は地下賭博に近かった。
「おい、カイン。これ……本当に大丈夫なのか?」
俺は身を乗り出しながらも、隣のカインに低く訊いた。過去に一度、とんでもない地下賭博に巻き込まれた経験があるからだ。
「全く問題ないよ!」
カインはにっこり笑って胸を張る。
「今回は正式にシャーヒナ様の許可も出てるし、会計も帳簿つけてる。テラ銭も公認で取ってるし、むしろ健全なんだよ!」
「健全ねえ……まあいい。俺はライラにしか賭けないから、オッズなんてどうでもいいさ」
「うわ、本気? じゃあ僕もライラに賭けよっと。すみません、投票券ください!」シャーヒナの随行でここに来ているカインだが、観戦の間は自由行動が許されているらしい。
ライラ。
その名前が七番人気に載っているのを見て、俺は小さく笑った。
人気がないのも当然だ。幼くて小柄な家政婦、剣を握り始めてたった三ヶ月。か細い手首、見上げるような背丈、お盆を運ぶたびにつまずく、不器用の化身。
でも――
「……分かってねぇな」
ぼそりと呟いたとき、隣に人の気配を感じた。いつの間にか、サーミヤが腰を下ろしている。現れ方が神出鬼没なのは、いつも通りだ。
「その方が良かろて」
サーミヤは笑いながら、投票表を覗き込んだ。
「サ、サーミヤ様!?」
カインが目を見開く。どうやら、本物を見るのは初めてらしい。あの塔のカーテン越しとは似ても似つかぬ雰囲気と容姿だ。そう、まるで子供だ。
「カイン。この姿は仮初のものだ。大声を出すな」
俺が囁くと、カインは慌てて口を押さえた。
「す、すみません……!」
「気にするでない。代わりに、わしの分の投票券を買ってくれぬか?」
「俺が買ってやる。カインにたかるな、高給取りなのだろう」
俺が軽く額を弾くと、カインは無言で目を泳がせた。ツッコむべきか迷っているのが丸わかりだ。そして、話題を変えることにしたようだ。
「トルサン、このトーナメント、上級剣闘士が六人も出てるんだよ? その次の人気って、すごくない?」
「はっ、節穴もいいとこだな」
俺は鼻で笑う。
「カルブにだって、平場の打ち合いなら勝てるかもしれないんだ。ライラなら――運がなくても、一太刀は入れられるさ」
「仮にも上級剣闘士だよ?」とカインが言ったが、サーミヤはそれを聞いてくくっと喉を鳴らして笑った。
「あやつは牙狼族の血を引いとる。爪を隠しているが、わしの目には見えるぞ」
その声に、少しだけ熱が宿る。
「幼く見えても、あやつの心には……闘志がある。『殺すか殺されるか』を知る者の心がのう。今はまだ鈍くても、時が来れば牙は剥く。わしはその時を楽しみにしとる」
俺も思い出す。
一度だけ、掃除用のモップを構えた彼女の姿に、全身が凍りついたことがあった。
目つきが変わったわけじゃない。技が鋭かったわけでもない。なのに、その場にいたのは――人でも子どもでもない『獣』だった。
戦う者の直感が、本能的に警鐘を鳴らしていた。
「……始まるな」
重厚な鉄扉が、きぃ、と音を立てて軋みながら開いていく。
観客のざわめきが、一瞬、呑み込まれるように静まり返る。
俺は息をひそめ、目を細めた。
扉の向こう。
小さな影が、ゆっくりと、歩を進めてくる。
その手には、確かに木刀が握られていた。
――まるで、それが自分の心そのものであるかのように。




