再生
俺の膨大な魔力を注ぎ続けているというのに、卵はぴくりとも動かない。
脈のようにかすかな鼓動は感じるが、それ以上の変化はない。
「……おかしいな」
「そうですね。最近のトルサン様の食欲、明らかに変ですよ」
ライラの言葉に、箸が止まった。
思い返せば、ここ数日――いや、卵を孵化させるべく魔力を放出し始めてから、いつもの倍近い量を食べていたようだ。いつもの上級剣闘士用三人分の倍。
「……まさか、お前の分まで食べてたのか? 悪い」
ライラはほんの少し首をかしげ、笑った。
彼女を雇ったとき、心に決めたことがある。どんな状況でも、衣食住だけは絶対に困らせない。それだけは、守るつもりだったのに。
「トルサン様、近頃、食欲旺盛なので追加でもらって来たのですが、足りないようでしたから。トルサン様のお体が一番です」
静かな声なのに、胸に刺さる。
自分のことは後回しでいいと、本気で思っている。俺の誓いなんかより、ずっと重い言葉だった。
「ははっ、知らんうちに箸が勝手に動いてたんじゃねえの?」
隣のテーブルで食事をしていた看守・アミンが、にやにやと口を挟む。
どうやら奴は、食事を別のテーブルに移して、俺から守っていたらしい。
まったく、抜け目ないやつだ。
※
「……このやり方で、本当にいいのか……?」
焦りと不安が頭を巡る。
誰にも知られる訳にはいかない。けれど、どうしても分からないことがある。あの女――サーミヤしか、この問いに答えられる者はいない。
仕方なく又、彼女の元に訪問した。
「隠し方は、ちゃんと教えたじゃろ」
「ああ。けど、問題が起きた」
「盗まれたのか?」
その言葉には、力強く首を振る。
口で説明するには、あまりに込み入っている。だから――俺は、実物を見せることにした。
布をめくると、淡い金の光が漏れた。
「はああああああっ……!?」
サーミヤの声が、貼っていた遮断魔法を突き破って響いた。
「トルサンが……何かやらかしましたか?」
扉の向こうから、ワッドの真面目な声。
「いや、何でもない。……恋愛沙汰の話じゃ聞きたいか?」
「全く興味ありません」
即答だった。
サーミヤはくすくすと笑いながら、再び遮断魔法を張り直す。
それから、まるで聖なるものに触れるような手つきで、卵を持ち上げた。いや、彼女には持ち上げられなかった。
「……これは……重い。いや、重さだけではない……詰まっておるな。命の核が」
彼女の目が鋭くなる。
その光に照らされた卵の殻は、うっすらと脈打っていた。まるで中の命が、こちらに呼応しているかのように。
「なんの卵か、わかるのか?」
「これは……契約の竜の卵じゃ。血を繋がず、魂で結ばれる存在」
俺は小さく頷いた。
それは、俺が信頼していた『あのドラゴン』から、託されたものだった。
「じゃあ、どうすれば孵る?」
「簡単なことよ。ただ、ひたすら魔力を注ぎ続ける。一度注いだら、己の根が尽きようとも、途切れさせてはならぬ」
サーミヤは視線を外さずに、そっと卵を返した。
「気が変わったら言え。私が引き取ってもいい。この卵ひとつ、そこらの王国十や二十、闘技場ごと買えるほどの価値がある」
「――師匠から、いや……友から託されたものだ。たとえ全てを失っても、手放すわけにはいかない」
俺の声に、サーミヤは目を細めた。
「……そうじゃな。名を持つ竜は、選ばれし者にしか懐かぬ。……お前が受け継いだその卵は、友の――いや、魂の子だ。大切にせい」
それからしばらくして、ある朝、卵は孵化した。
見た目は、色の黒い小さなひよこだ。
だが、恐らく膨大な魔力を発している。俺は、怖いくらいに感じ取った。
「ライラ、この子に何か感じるかい?」
「そうですね。とっても優しい感じがします」
「じゃあ、抱いてみるかい?」
俺は、黒いひよこを、そっとライラの手に渡した。
「わぁぁっ」
彼女は、受け止めきれずに、ひよこを地面に落としてしまった。
「ごめんなさい、こんなに重いなんて……」
ひよこは、何事もなかったかのように、短い脚でてくてくと歩き、俺のところに戻って来た。
ライラは、地面を見て、無事な姿に安堵して、ほっと息をついた。
「それに、もう歩ける……」
子ドラゴンの重さは、すでに俺よりも重いだろう。頑丈さも、もしかしたら俺以上かもしれない。
朝の光が、部屋の石床を優しく照らしていた。朝食の時間だ。
俺はアミンに他言無用の誓いをさせ、部屋の中へ入れた。
「何ですか? そいつは」
「見ての通りのひよこだ。ああ、異国にいる烏というやつの子だ」
「本当ですかぁ……そうしておきます」
アミンは、ひよこを見ようともせず、手慣れた動きで食事の準備を始めた。
テーブルに料理が並び終わると、まるでそれを待ちわびていたかのように、ひよこも椅子にぴょんと飛び乗り、席についた。
「なんだとぉ……」
俺は思わず、声を漏らしそうになった。
まさか、生まれたばかりで、ここまでの知性があるとは。
「ああ、烏は頭が良いからな。これからは、烏の分も頼んだぞ」
「良いんですか? このままでは、ファイトマネーは、食費で消えちゃいますよ」
「他に使うもんも無いしな」
高級な上位剣闘士の食事代。確かに金はかかる。
だが俺は、他の剣闘士と違って武器や防具には一切金を使わない。闘技場が用意してくれる最低ランクのもので十分だ。だから借金もないし、返済の心配もない。
……問題は、貯金をライラの修行で使いきったことだ。ライラやアミンにも小遣いをあげたいし。
そんなことを考えていたら、目の前の食事が、すでに消えていた。
隣の席の黒い奴が、いつの間にか、ぺろりと平らげていたのだ。
「やっぱりおかしい。何ですか? その食い方」
アミンは呆れて俺に聞いてきた。
ライラは、もう考えるのを放棄したようで、天井をぼんやりと見上げている。
だが、俺の食欲が普通の三人前に戻ったことで、知らないうちにライラの食事に手を出すという悲しい事態を避けられたのは、良かったのかもしれない。
「仕方ない。カインに頼んで、バイトを斡旋してもらおう」
俺がまた算段を練っていると、ひよこは満足したらしく、よっこらと椅子から降り、部屋の隅の寝床に丸くなった。
毛並みは黒曜石のように光り、すうすうと寝息を立てる。
「気持ちよさそうに寝てますね」
考えるのを放棄したライラが、ぽつりと微笑んだ。
「ああ……」
その寝姿は、俺の師匠だったドラゴン――ファルヴァリオンの、眠るときの姿にそっくりだった。
かつて俺を育て、剣を教え、そして命をかけて守ってくれた存在。
胸の奥が、急に熱くなった。
気づけば、頬に一筋の涙が流れていた。
「トルサン様、どうされました?」
動揺することすらやめていたライラが、優しい声で尋ねた。
「……いや、なんでもない」
俺は涙を指でぬぐい、そっとため息をついた。
すると、寝ていたひよこが寝返りを打ち、「ぷすぅ」と、妙な寝息を漏らした。
ライラとアミンが、ふふっと笑う。
俺も、つられて笑った。




