老剣士の背中
「おい、トルサン。嘘も大概にしろ!」
サーミヤが仕切りの布を跳ね上げ、勢いよく飛び出してくると、俺の膝の上にドスンと腰を下ろした。小柄な身体から放たれる迫力に、思わず目を瞬く。
「巨人のくせに小さいな」
「俺が気にしてることを言うなっ!」
俺はつい声を荒げてしまう。そして、言い訳をする。
「ちゃんと食ってるのに、全然大きくならねぇんだよ!」
「悪かったな、冗談だよ」
サーミヤは苦笑しながら肩をすくめる。
「無理もないさ。お前が“大人の巨人族”になるには、数百年かかるんだからな。食べてもすぐ成長するもんじゃない」
「……あ、そうなのか」
初めて聞く話だった。誰もそんなこと教えてくれなかった。
だが、確かに実感はある。食べたものは体内に効率よく溜め込めていて、今では数ヶ月飲まず食わずでも動けるくらいだ。
「飲まず、食わずでもなんとも無いのは、体験したよ」
「そうか、大変な経験もしたんだな」
サーミヤが、ふっと表情を緩める。
「それより悪かった。お前のせいにして」
俺は素直に謝った。迷惑をかけるが彼女ならなんとかしてくれるだろうと甘えていた。
「噂を聞きつけて、シャーヒナからも問い合わせが来たぞ。『薬を売って欲しい』とな」
サーミヤは俺の頭を撫でながら、やれやれといった口調で続けた。
「もう無いと答えといたからな。感謝しろよ」
「すまん……」
本気で後先を考えてなかった。反省するしかない。
「お前は優しいんじゃ」
その手を止めずに、サーミヤはぽつりと呟く。
「……だからこそ、その力は――知られてはいけないものじゃぞ」
「分かってる。魔法も使わないようにしてる。ただ……自然治癒は勝手に起こる」
「そこが問題なんじゃ」
サーミヤがじっと俺を見据える。
「闘技場での戦い、適当に負けることじゃ。お前にできるのか?」
どうやらサーミヤは、俺が真面目すぎて手加減できないと思い込んでいるらしい。
「別に勝つことが目的じゃない」
俺は落ち着いて答えた。
「だが、カビースは許せなかったし、俺は一人暮らしがしたかった。普通に剣の撃ち合いで負けたら、それでいい。敗北を受け入れる。ずるはしたくない」
「……別に“ずる”じゃないんだがな。お前の体質なんだから」
サーミヤは溜息をついて、それでも笑ってくれた。
「やっぱり、お前は変わっとるなあ」
てっきり怒られると思って来たが――どうやら、違ったようだ。
「ところで……何の用で呼ばれたんだ?」
「お前、カビースが殺されたの知っておるか?」
「やはり殺されたのか……」
俺は顔を伏せる。
「殺した奴らに……会った気がする。でも……なんで、知ってる?」
「ふふ、この塔からは色々なことが見えるのじゃよ」
「じゃあ、シャーヒナが?」
「せんよ」
サーミヤは肩をすくめて笑う。
「わざと泳がせたんじゃ。尻尾をつかませるためにな」
詳しく聞くと、アサーバの首領も、俺の試合の審判も死んだという。
「……じゃあ、誰が殺したんだ?」
「この闘技場の“敵”じゃろうな」
サーミヤの声が低くなる。
「関係を明らかにされる前に、口を封じたんじゃ」
理解が追いつかない。
仲間を、殺す……?
その疑念が顔に出たのか、サーミヤがそっと言った。
「それが……人族の特徴じゃ。思い出せ、お前の過去にも――」
「あっ……」
タリクを思い出した。かつて勇者の仲間と呼ばれた男が、味方に落とされたあの瞬間を。そして、自分たちのドワーフ村を襲ったドワーフたちの顔を――。
「……残念ながら、それは人族だけの特徴じゃないよ、サーミヤ」
「そうかもしれんな」
彼女は寂しげな顔で頷いた。どんな過去があるのだろうか……。
※
そして、二週間が過ぎ──俺はついに、剣闘士として正式な初戦を迎えた。
相手は、下級剣闘士の中でも明らかに格下と言われる老兵だった。
戦前、周囲の者たちが口々に言っていた。
「わかりやすい対戦相手だな」
「勝たせて人気を出させる、いわゆる売り出し用のカードだ」
だが──結果は違った。
俺は、負けた。
「なんであんな爺さんに負けるんだよ!」
「お前もイカサマしてたんじゃないのか!?」
観衆の罵声が、耳を刺した。
だが、それも当然だった。
俺は、負けるつもりなんて、なかった。
体調も万全だった。心も折れてなどいなかった。
それでも──負けたのだ。
相手は、闘技場を一度引退した過去をもち、歳を重ね戻ってきた老剣闘士。
背は低く、筋肉も盛り上がってはいない。
だが、その佇まいは、荒れた闘技場の空気の中で、一つだけ異質だった。静かで、だが秘めた闘志と動じない姿勢。
試合は、開始早々から激しい応酬だった。俺の剣も火花を散らし、真正面からぶつかり合った。
けれど、気づけば──流れを支配していたのは、あの男だった。
剣を交わすたびに、俺の手元が乱されていく。一撃の隙に、じわじわと追い込まれ、いつの間にか、視界が狭くなっていた。
動きの速さだけではない。技の重ね方、呼吸、間合い、そして──誘導。
老剣闘士は、俺の全てを見透かしていた。
俺の気負いを見抜き、いなされ、導かれ、転ばされ、打ち込まれた。
審判が割って入り、試合は終わった。
膝をついた俺の耳に、老剣闘士の声が届く。
「坊主……面白い戦いだったよ」
額に汗をにじませた彼は、にやりと笑って、手を差し出した。
その手を、俺はすぐに握った。
石のように固い手だった。
幾度の死線を超えてきた者だけが持つ、重みがそこにあった。
「次は、絶対に負けない」
唇を噛みしめながら言った俺に、老剣闘士はゆっくりと、しかし確かにうなずいた。
「わかってるさ。……これで俺は引退だ。勝ち逃げさせてもらうよ」
静かな笑みとともに、彼は闘技場を去っていった。
その背中を、俺は黙って見送った。
――それが、真の剣闘士の背中だと知った
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