負けたら終わり
コロシアムの鐘が、闘技場の空気を震わせた。
乾いた音が、広い競技場の隅々にまで響き渡る。静寂の中心に、立っているのはたった二人。
俺は、自分の背丈ほどもあるこの巨人族の大剣を、まだ使いこなせていない。
由来も、特性もわからない。ただの鉄塊か、あるいは魔剣か──。
けれど今、剣はわずかに震えている気がした。まるで、生き物のように。俺の心拍に呼応しているかのように──。
「……ただ、振るだけだ!」
対峙するのは、醜く肥えた巨漢──カビース。
体は巨大だが、俺の不死身の肉体と比べれば、戦況は圧倒的に俺が有利……のはずだった。
だが、“負けたら終わり”という言葉が、知らぬ間に心と体をこわばらせていた。
中央へと歩み寄る俺とカビース。観客席の歓声が、波のように高まる。
剣の間合いに入った瞬間、俺は剣を強く握り、横薙ぎに振り下ろした。
があぁん、があぁん──!
鉄と鉄がぶつかる轟音。奴の盾に魔術の淡い青白い光が走り、剣撃を完全に受け止めた。
「しまった!」
握り締めすぎた手が衝撃に耐えきれず、剣を放してしまう。
剣は空中を回転し、奴の背後に深々と突き刺さった。
カビースは嗤いながら駆け寄り、剣を引き抜こうとする。だが、持ち上げるのが精一杯だった。
奴は諦めて、そのまま剣を豪快に踏みつける。
硬質な音が響くたび、俺の焦燥が増していく。
「どうした、小僧。降参するか?」
観客に見せつけるように踏み潰される剣。
奴の目に浮かぶのは、冷酷で狡猾な笑み
──俺は、挑発に乗った。
全力で駆け出し、カビースの懐にタックルを叩き込む。
盾が閃き、魔術の波動が体を撃った。痛みが走る。だが、それでも構わない。
この試合では、仕込み防具も違反じゃない。
ここは、なんでもありの世界だ。
「……俺の全力に、耐えられるかよ!」
突進の勢いのまま、奴の巨体を弾き飛ばす。カビースは競技場の端へと転がった。
観客席から、どよめきと笑い声が混じった声が飛ぶ。
俺はすぐさま剣を拾い上げ、奴を追う。
カビースは頭を振ってゆっくりと立ち上がる。
「今回は、入院しなくていいのか?」
俺の皮肉に、奴がぎろりと睨み返した。
剣を横薙ぎに振る。全力で。手加減はしない。
だが奴は一歩引き、難なくかわす。斬撃は空を切った。
「見ろよ、こう振るんだ!」
奴の剣が、防具の隙間を的確に突いてくる。
立て続けの鋭い一撃に、血が噴き出す。思わず、片膝をついた。
──普通の人間なら、とっくに死んでいた。
「ティロや冒険者より、ずっと……速いし、強い……」
つい、くだらない負け惜しみを口にする。
「見習いや引退者と一緒にするなよ! 審判、終わりか?」
奴は勝利を確信し、試合の幕引きを求めた。だが、審判は首を横に振る。
「継続だ」
その視線の先にいたのは──シャーヒナと、カイン。
その瞬間、突風が吹き荒れ、砂漠の砂が闘技場を覆い尽くす。
しばし、お互い動けない。
「おい、トルサン、助けようか?」
サーミヤの声が、風に乗って届いた。
「……いや、ありがとう。冷静になれた」
止血は完了していた。自然治癒だ。
一瞬、不自然かと思ったが、今は気にしている場合じゃない。
カビースの武具──鎧も盾も剣も、すべて魔術仕込み。
砂風の中、その光が不気味に浮かび上がる。
──あいつも、必死なんだ。
金を惜しまず、矜持を捨ててでも勝ちを取りにきている。
それが、この場所の“現実”だ。
「ああ、また──間違うところだった」
俺はなんのために剣を学び、練習を重ねてきたのか。
敵がいて、自分がいて、だからこそ──これは駆け引きだ。
殺すか、殺されるか。そしてカインが、それを見ている。
俺は、静かに構えをとった。
剣を余裕をもって握り、カビースの動きを読む。もう、観客の声は耳に入らない。
「あら、剣闘士ごっこか? やめようぜ。俺たちは力勝負だろう!」
俺は、無理に振り回さず、冷静に打ち込む。
奴は盾で受け、剣を繰り出す──だが、俺は躱した。
「そんなんじゃ、いつまで経っても勝負つかないぞ!」
いいや、これでいい。なぜ奴がそう言うのか、もうわかった。
「それは俺のセリフだ。仕留めきれないと恥をかくのは、お前だろ!」
たとえ魔術の力で強化されていようが、見切れれば怖くない。
だが、奴の攻撃が、明らかに鈍くなる。
目の光が弱まり、足取りが重い──薬の効果が切れたか、体力の限界か。
俺は、まだ動ける。ああ、これが……練習の成果か。
その一撃で、カビースの盾が粉々に砕けた。
続く斬撃で、奴の剣も折れた。鎧も既に魔術がきれて、ところどころ壊れている。
「わかった。……降参しよう」
両手を上げた次の瞬間、奴が突進してくる──抱きつき、俺を潰す気だ!
だが、読めていた。
両腕の小手で弾き、隠し持ったナイフで心臓を貫く。
奴は、呻き声もなく地に倒れた。
「止めないなら、仕留めるぞ」
俺は、大剣を振り上げた。振り下ろせば、奴の首は消えるだろう。
審判は、動かない。
その時──。
「そこまでだ!」
シャーヒナの声が響いた。
俺は剣をおろし、勝者としてその場に立つ。
カビースは、治療のため運び出されていった。
ようやく──観客の歓声が、耳に届いた。
俺は、観客席にいるカインがシャーヒナの隣で静かに微笑んでいる。自然と、微笑みがこぼれた。
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