呪術師
「呪術師様は、どんな方ですか?」
「興味があるのか? お前にしては珍しいな。見て驚くよ」
闘技場にそびえる二つの高い塔。その一つに、呪術師様はいるという。しかし、その姿を見せることは滅多にないらしい。
塔の入り口には、今まで形式的に立っていた看守とはまるで違う、屈強な男が立っていた。分厚い門も、固く閉ざされている。
ワッドは書類を差し出し、用件を伝えると、胸元を開いて刻まれた奴隷紋を見せた。
見た目からは奴隷にはとても見えなかったが……俺は驚きを隠せなかった。
「武器はその箱に入れろ」
俺もワッドの真似をして武器を箱にしまうと、重々しく蓋が閉じられた。
「そちらの袋は?」
看守がワッドの持つ袋を指さす。
「いつものだ」
ワッドが袋の中身を見せると、門がゆっくりと内側から開いた。
「失礼しました。どうぞ、お登りください」
「待たせておる。急ごう」
ワッドが螺旋階段を駆け上がる。その速さは信じられない。
俺も必死で走ったが、すぐに置いていかれた。
じいさん、只者じゃないな……。
息が切れ、汗が頬を伝う。足は鉛のように重い。
それでも必死に階段を登り切り、最上階の扉を押し開けた。
──薄いカーテン越しに、大人の女性のシルエットが揺れている。
そして、透き通るように高い声が響いた。
「ワッド、遅いではないか!」
「申し訳ありません。これでお許しを」
「ふうむ……馬鹿たれ! これはいつもの報酬ではないか!」
「失礼致しました。次回は必ず持ってまいります」
「信用ならんな」
軽やかなやり取りの中、呪術師は贈答品の袋から何かを取り出し、口に運んだ。
──甘い香りがふわりと鼻をくすぐる。
バターと砂糖が焼ける、柔らかく心地いい匂いだ。
思わず声が漏れた。
「クッキーかな?」
「やらんぞ!」
カーテンの向こうから鋭い声が飛ぶ。続いて、呪術師の視線が俺に向けられている気配がした。
「ふうん、こやつか? 新しい剣闘士というのは?」
「はい。サーミヤ、その通りです」
「ふうん……面白いな。いや、珍しいな。お前、奴隷紋を刻むことに同意しているのだな?」
俺が頷くと、呪術師は愉快そうに笑った。
「はっはっは、ワッド、下がっておれ。わしはこいつと話がある。紋も刻んでおく」
「しかし……わかりました」
しぶしぶながら、ワッドは席を外した。
カーテン越しのシルエットを見る。
いや、違う。これは間違いなく、認識阻害だ。
「お主、名前は?」
「トルサン」
「なぜ、巨人族ともあろう種族が、人の奴隷になっておるのだ?」
鋭い視線が俺を突き刺す。
俺は息をのんだ。
──こいつ、俺を見抜いたのか。
※
奴隷紋については、カインに聞いたことがある。烙印、刺青、そして呪印。体に傷をつけずに呪術を施す呪印が、最も高度で難しいらしい。
つまり、ここにいる呪術師の腕前が高い証だ。
だが、それだけだろうか? 魔道具が見当たらないのに、この術は――規模は違えど、あの偉大なドラゴンが使った認識阻害の呪文と同じ類のものだ。
「呪文ですか?」
「おお、わかるのか? どこで見た?」
「それは……」
言えなかった。ドラゴンに繋がることは。俺が口を閉ざすと、サーミヤは焦れたように話題を変えた。
「では、私が何者か――」
「呪術じゃなくて呪文。魔術ではなく魔法。それを使えるのは、古代種族の末裔だけ。つまり……ハイエルフでしょうか?」
カーテンが消え、現れたのは――大人の女性の姿ではなく、可憐な少女の姿。尖った耳を持つエルフだった。
「正解だ。古代種族同士、仲良くしよう。安心しろ、ワッドたちは聞き耳を立てているが、何も聞こえん。ここに簡単には入れぬ」
彼女は古代魔法をいくつも展開しているようだった。魔力の流れは感じ取れたが、それ以上はわからなかった。
「でも……」
俺は口を開けなかった。
「そうだな、人はすぐに謀る。しかし私は違う。お前に一つ提案がある。奴隷紋とは、この闘技場とお前の不公平な契約だ。これを、私との契約に変えないか? 見た目は奴隷紋と変わらない。誰にもわからない」
「どういうことですか?」
彼女の言わんとすることが理解できなかった。
「奴隷紋は簡単に言えば、不公平な契約だ。奴隷の所有権は主人にあり、自由はない。主人はお前を他の者に売ることもできる。つまりお前は“物”だ。だからそんな契約はやめて、私と助け合う契約を結ぼう、ということだ」
「ばれたりしないのか?」
「そっくりに作るから大丈夫だ。紋章なんて、私の好きに作れるからな。まあ、お前が売られる時が一番まずい。その時の契約も私が結ぶ。どうにでもなる」
「そうか……だが、断る」
俺は首を振った。
「何故だ? 私ははめたりしない。契約は相手の同意がなければ成立しない」
彼女はすごく残念そうな顔をした。なぜそんな表情を?
「ああ、ここまで事情を話すとは思わなかった。嘘はついてない。なぜそんな顔をする?」
「数十年ぶりに会う古代種族だからな。契りを交わしたいと思うのは当然だ」
「そうか……」
俺も少なからず、友愛を感じていた。
「なら、奴隷紋とは別に、契りを交わそう。そんなことしなくても、全力で助けると誓うがね!」
「それでも……」
「ここにナイフがないからどうしようかな」
「指を出せ!」
彼女の鋭い爪が俺の指を切り裂く。血がぽたりと落ちた。
「え?」
驚く俺を見て、サーミヤは笑った。
「硬いのは巨人族だけの特徴じゃないよ」
「ん? お前……何だって?」
血の色を見て、サーミヤが驚愕の表情を浮かべた。
次の瞬間、彼女は俺の傷ついた指を口に含んだ。
「おい! 何をするんだ?」
「お前の血にドラゴンの気配がある」
サーミヤは自分の指を切り、血を垂らした。受け皿の中で二つの血が混じる。
「ここに、古の巨人トルサンと誇り尊きエルフ、サーミヤの契りが交わされる」
皿の中の血は蒸発するように消え――
俺の手の甲に、淡く光る紋様が浮かび上がる。奴隷紋に似ているが、違う……古の力だ。
「……これが古の契約か?」
サーミヤは満足げに頷いた。
「そうだ。これは我らの誓いだ。我の力が必要な時は必ず応じよう」
「ああ、もちろんだ」
サーミヤは上機嫌で笑ったが、その目は、俺の手の甲の紋様をじっと見つめていた。
「だが……お前の血にドラゴンの気配があるのはやはり気になる。巨人族の生き残りであるお前に、なぜそんなものが……」
俺が沈黙すると、サーミヤはしばらく考え込んだ。
やがて、小さく息を吐く。
「まあいい、今は追及するまい」
そう言うと、彼女は上機嫌にクッキーを口に運んだが、俺に分けてくれることはなかった。
カインに相談してからにすれば良かったな。俺は少し後悔したが、これは誰にも話せないことだった。
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