檻の内側
牢に戻ると、ちょうど点呼の時間だった。
廊下には、ぴんと張りつめた緊張が走っている。少しでも遅れれば、ペナルティがあるらしい。
案の定、息を切らして駆けてきた見習いの少年が、看守に怒鳴られていた。
「何をしていた!」
「す、すみません……」
俺たちも名前を呼ばれ、牢の前に整列させられる。看守が一人ずつ顔色を確かめ、体調を確認していった。
「おい、お前……具合が悪そうだな」
「いえ、だ、大丈夫です」
「駄目だ。こっちに来い」
昨日、俺と一緒にここへ連れてこられた、あの子だった。顔色は青く、額には汗がにじんでいる。緊張と疲れが重なり、熱を出したのだろう。
看守はその体をひょいと抱え上げ、無言のまま廊下の奥へ運び去った。
また……いなくなった。
夕食が運ばれてくる。
パンと水、それに一切れの肉。さらに果物までついていた。
牢の中に、ほんの一瞬だけ歓声が広がる。目を輝かせた奴隷たちが、順番に、静かにトレイを受け取っていく。
肉の大きさはまちまちだったが、誰も文句を言わなかった。皆、言葉もなく、ただ幸せそうな顔で食べている。その光景を見て、俺の胸は少しだけ温かくなる。
やがて廊下の扉が閉じられ、牢の一日は静かに終わりを迎えた。
カインに聞きたいことはいくつもあったが、言葉にする前に、まぶたが重くなっていった。
翌朝。鐘の音で飛び起きる。点呼を終えると、俺はカインの腕をつかみ、そのまま食堂へ引っ張っていった。
パンとスープを受け取り、闘技場の壁際に腰を下ろして食べる。
「……トルサン、朝から元気だね。なんかあったの?」
パンをかじりながら、カインが少し驚いた顔でこちらを見る。
「まずは話をしよう。昨日、連れて行かれたあの子……どうなったんだ? ほかの子たちは?」
カインの表情が、一瞬だけ強張った。だがすぐに、にこりと微笑み、立ち上がる。
「……時間ないし、見たほうが早いな。ついてきて」
俺も立ち上がった。朝の長距離走の前だが、今はそんなこと、どうでもよかった。
カインは闘技場の門脇にある裏道へ入り、俺はその背中を追う。
塀の内側、オアシスに接した一角に、緑の茂る場所があった。小さな森だ。
その奥に、静かに建つ一軒の平屋があった。落ち着いた白木造りの建物。
「ここだよ。窓、覗いてごらん?」
促され、俺は背伸びをして、開いている窓から中をのぞいた。
部屋の中には、ずらりと並ぶベッド。そして、そこに横たわる子どもたち。
見覚えのある顔もあった。昨日、俺と同じタイミングで来た、あの子だ。深く、安らかに眠っている。
別の窓をのぞくと、小さな部屋で、何人かの子どもたちが笑いながら遊んでいた。受け入れの時、別室へ連れて行かれた子たちだ。皆、元気そうで、楽しそうだった。
「……これは……どういうことなんだ?」
言葉が追いつかない。俺が想像していた“奴隷の扱い”とは、まるで違う光景だった。
「見た通りだよ。トルサンには、説明するより見せた方が早いと思ってたんだ」
カインが、イタズラっぽくウインクする。
……まったくだ。俺みたいな石頭には、話より現実のほうがよく効く。
ここでは、幼い子どもや体の弱い奴隷が保護されているらしい。建物の入口には警備が立ち、部屋の中には子どもたちを見守る年配の女奴隷の姿もあった。彼女が、ここでの保母なのだろう。
「お前たち、何してんだい?」
大きな声に振り向くと、窓の奥から、ふくよかな体つきの年配女性がこちらをにらんでいた。
「マザーステラ、新人見習いのカインです。新人を案内していました」
カインはぴたりと背筋を伸ばし、深く頭を下げる。その所作は、奴隷とは思えないほど礼儀正しい。俺の脇腹を軽く突かれ、慌てて続く。
「あっ、トルサンです。よろしくお願いします!」
「ここは遊び場じゃないよ。とっとと行きな!」
「はいっ!」
俺たちは慌てて走り出した。トレーニングに遅れるのはまずい――だが、それ以上に、胸の奥が不思議と軽くなっていた。
※
それから一ヶ月がたった。
ようやく、ここでの生活にも慣れ、闘技場の事情や慣習も少しずつ理解できるようになってきた。
――まあ、そのほとんどはカインに教わったことだが。
看守や警備、教師や保母に至るまで、ほとんどがこの闘技場の元奴隷だった。
「なんだそれ、将来が無いのか?」
「違うよ。逆なんだ。もし自分がその気なら、ここで一生を終えることもできる」
「だが、自分の好きなように生きたい……」
「看守の役付きの人たちは、オアシスに住んでるよ。奥さんも子供もいる」
重要な門や拠点を守る警備は、元剣闘士で引退した者や、かつて外へ出てから再び戻ってきた者が多いらしい。
「身分を買い戻さなかったり、買い戻してから売り直して、ここで暮らしてる人もいる。闘技場は高くは買ってくれないから、身分っていうより“立場”みたいなものだけどね」
「どうりで強いわけだ」
剣の腕だけでは、到底勝てない相手が揃っている理由を、ようやく理解した。
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