闘技場のある街
商人の号令が大穴アル=ホワの周囲に響き渡ると、大キャラバンは一斉に撤収を始めた。
「アイン・ハヤートで解散だ」――どこかの町か村か。
大魔術具を操る魔術師や、補給・生活部隊は、それぞれ別の目的地へ向けて準備を整えている。
俺は、また船に乗せられて走らされ、轢かれるのかと身構えていた。だが今の俺には、多少の傷など怖くはなかった。
「何をぼんやりしてる! お前はこの船に乗れ!」
その声に振り返ると、探索者の一団が乗り込む砂漠船だった。
「早く座れ! 振り落とされるぞ!」
船内には酒の匂いが漂っていたが、殺気は一切ない。眠気だけが空気を支配しているようだった。
「踏ん張りが効かねえぞ、気をつけろ」
隣に座った男が、俺の手を軽く掴んで忠告する。気付けば、手の紐は外されていた。
「お前、名前は?」
俺は男の目を見て、はっきりと答えた。
「トルサン」
「トルサンか。肝が据わってるし、運も底力もありそうだ。こいつに将来を賭けるぜ!」
「ああ、俺もだ」
「いや、俺がかけるよ」
探索者たちは笑い声を上げて盛り上がっていた。そんな賑やかな中、俺はただ身を任せるだけだった。
やがて砂漠船は猛スピードで砂を切り裂き、俺の体を激しく揺さぶる。必死に舷側の手すりを握り締めた。
気づけば、あっという間に目的地に到着していた。そこは、俺がこの穴に落とされる前に立ち寄った因縁の地だった。
その名は――砂漠の生命線、「アイン・ハヤート」。
豊かな泉と、その周囲に広がる無数の施設群が、砂漠の過酷さを一瞬だけ忘れさせる聖域だ。
「よし、終点だ。小僧、降りて向かいの奴隷船に乗れ!」
高速砂漠船の船頭が命じた。
覚悟を決めて船を降りると、探索者たちは預けてあったそれぞれの砂漠鳥に乗り換え、次々と去っていった。
「じゃあ、坊主、元気でな!」
「お前は運がいいな。羨ましいぞ!」
「俺はこの後、奴隷船の警護だ。よろしくな!」
俺の予想に反して、彼らはあっさりと別れを告げた。暴行されることもなく。
だが、俺には次の試練が待っていた。
奴隷船の船頭たちが、ぎろりと俺を睨みつける。
「お前、穴の子供か?」
そう言うと、無造作に後ろの牢の扉を開けた。
「早く入れ。喧嘩は厳禁だ。特に他者を傷つけることはな。頭に入れておけ」
中には、人族も獣人族も、幼い男女が所狭しと詰め込まれている。
彼らの目には、恐怖と絶望が深く刻まれていた。
俺より大きい子も、小さい子も――。
震える手で舷側の鉄柵を握りしめ、俺は静かに呟いた。
「これが……これが俺の、新しい場所か……」
※
砂漠の向こうに、トルサンがこれまで見たことのない巨大な建物が姿を現した。
「なんだあれ!」
「すごい!」
俯いていた子供たちの顔が一斉に上がり、その圧倒的な光景を捉える。
夕闇に沈みゆく空の下、孤高にそびえる円形の建物と、二本の高く鋭い塔。
「あれは大闘技場だ。今日は試合はやってないな」
船頭が教えてくれる。
俺たちに見せつけるように、その横を静かに通り過ぎ、大きな警備門へと辿り着いた。
船頭たちが手信号を送ると、門はゆっくりと音を立てて開く。合図だ。
そこは、多くの人が行き交う市場の入り口だった。探索者たちとも、ここで本当のお別れらしい。
「ちょっと待ってろ!」
砂漠船はそこで車輪を取り付ける。砂漠は終わり、舗装された轍の道が続いていた。
市場には多種多様な商品が並び、様々な種族の姿が行き交う。だが、誰も俺たちに関心を寄せない。市場の裏手には、小屋がひしめいていた。
「残念だが、市場の中は車両通行禁止でな」
船頭の言葉に従い、市場の裏側にある車両用道路を進む。やがて市場は終わり、その先にもう一つの門が見えた。
再び合図が送られ、門は静かに開いた。
隣にそびえるのは、大闘技場だ。到着した時には、すでに夜になっていた。
だが、そこに人の気配はどこにもない。
数人の警備兵が近づいてきた。船頭が声をかける。
「遅くなっちまったな。最後に一人拾ったんでね」
「そうか、かまわんさ。じゃあ、あとはこっちで受け入れをやる」
書類と鍵を渡すと、船頭たちは砂漠蜥蜴を連れて去って行った。
「降りろ。男女に分かれて一列に並べ」
石畳の先、小部屋にぽっと灯りが灯る。
警備の中でも地位の高そうな男が、手にした書類を見ながら、名前と年齢、種族を確認していく。
その場で服を着替えさせられた。驚いたことに、洗濯され、清潔な服だった。
トルサンの胸に、疑念と違和感がさざ波のように広がる。
「トルサン、十一か。人族だな」
俺は少し迷いながら答えた。
「そうか。体が痛いとか、気分が悪いとかはないか?」
「いや、ない」
「お前は八番だな」
受け入れは流れ作業のように、あっという間に終わった。具合の悪そうな子供は別室へと連れて行かれている。
「番号は覚えたな。寝床に連れていく。お前たちの部屋は新人見習いの部屋だ。忘れるなよ!」
闘技場には地下へと続く大きな入り口があり、警備兵が両脇に立っている。
俺たちはその後ろについて、石造りの地下通路を奥へと進んだ。
先ほど質問していた男は看守副長らしく、他の看守に指示を飛ばしている。
最奥に到着すると、廊下には灯りが点り、その漏れ光だけが頼りだった。
「よし、番号を呼ぶ。その部屋番号に入れ!」
八つ並ぶ大部屋。中を覗くと、数十人の子供たちがぎゅうぎゅう詰めで、全員が足を伸ばせず丸まっている。眠っているのか、眠ったふりをしているのかは分からない。
「喧嘩するなよ。全員、飯抜きになるぞ」
鉄格子が開けられ、俺たちは順に押し込まれた。
「無事を祈る」
冷徹に見えた看守副長が、一人ずつ肩を叩きながら声をかけていく。
男の奴隷たちを収容し終えると、看守は用が済んだと言わんばかりに言った。
「おい、女はこっちだ。お前たち、夜だ。静かにしろよ」
女の奴隷たちは扉の奥へ連れて行かれ、仕切りの重い扉が閉まった。地下部屋は完全な闇に包まれる。
だが、俺の目は暗闇でも人の動きをはっきりと捉えていた。
そして、誰も話さず、挨拶もしない。最初からそう決められているかのようだった。
部屋の隅には下水と水飲み場がある。皆、入れ替わり立ち替わり水を飲んでいる。空腹を紛らわせるためだろう。
地下は気温が下がらず、とても快適だった。
俺もやることがなく、仕方なく目を閉じた。
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