殺したかった男
俺は、手首と足を紐で縛られ、一本の柱に括り付けられていた。
暴行を覚悟していたが、そんなことは起きなかった。
「久しぶりの地上だな……」
眩しさで目をまともに開けられず、俺は顔をしかめる。だが、魔力の流れを感じ取り、わずかに目を開けて周囲を伺った。
近くから話し声が聞こえてくる。
「ああ、デマだったのか、それとも本当に死んだのか……」
捜索者たちが、地上で待っていた者たちと何やら相談していた。話題は、ドラゴンの行方と“大穴”への再挑戦についてだ。
「もう一度潜るとして、魔術は張れるのか?」
「ああ、もちろんだ。ただし、準備には一ヶ月、いや、それ以上かかるかもしれん。ここらは魔力が薄いからな。貯めるより、運ぶ方がまだマシだ」
黒く焼けた肌の男が応じる。だが、彼には戦の匂いが無い。血の臭いも、殺気も。
俺は、彼にドワーフの職人と似た空気を感じ取っていた。
「そんなに時間がかかるのか? 買って運んで来いってのか?」
「タリク様、もし次の探索で成果が無ければ、責任問題になります。これ以上、時間も金も、私一人の判断では動かせません。商会長の判断が必要です」
そう返したのは、俺の記憶にもある服装の男──商人だった。
「くそっ……勇者パーティの奴らなら、獣の領域でも魔人の棲家でも、平然と大魔術を何度もぶっ放していたってのに……」
タリクと呼ばれた男は、大穴の周囲に据えられた幾台もの大筒のような魔道具に目を向け、ぼそりと呟いた。
「大量の魔力の残滓だな……」
俺は、その魔道具に興味を引かれた。得体の知れない気配が、微かに残っている。
黒い肌の男の部下らしき者たちが、その魔道具の整備をしていた。
「ええ、その噂は耳にしております。人を超えた存在なのでしょう……あるいは……」
「口が滑ったな」
「申し訳ありません」
「くだらんことは言わんことだ。お前らは、奴らの“目”を見たことがないから、そんな軽口が叩けるんだ。思考すら覗かれる。気をつけろ」
「情報、感謝いたします」
「敵には回さんことだ。まあ、俺みたいな小物には、そもそも目もくれんだろうがな……」
そう言って、タリクは足元の石を拾い上げ、穴へと蹴り落とす。その音は、まるで虚空に呑まれるように消えていった。
「……まあ、今日はもう遅い。飲み会でもして、明日また話し合おう」
「ええ、そうしましょう。いずれにせよ、食料も残り少ない。明日は一度、近くの町に戻りましょう」
その夜、探索者たちと地上の者たちで宴が開かれた。
大穴で回収された遺品の数々は、総額で相当な価値になるようで、商人が次々に買い取り額を発表していた。
その中には、俺の値も含まれていた。奴隷としての価格だった。
さらに、黒い肌の男が棟梁を務める魔術集団と、探索に参加した者たちへの報酬も、その場で支払われた。宴は、大いに盛り上がっていた。
明日は町へ移動するということで、余った酒と食料を豪快に消費する宴会。俺には、それがまるで祭のように見えた。
夜も更け、やがて宴は解散。各自がテントに引き上げ、眠りについた。
俺はタリクのテントを確認したが、彼の所在は分からなかった。
静寂と闇に包まれたキャンプ地。物音一つしないその中で、俺はわずかに身体を動かそうとした。
「……よく考えろ」
下手に動いて殺せば、それで終わりだ。
俺は自分に言い聞かせ、行動を止めた。
──その時、タリクがいつの間にか目の前に立っていた。気配すら感じなかった。
「……そうだな、坊主。飯、食ってないだろ? ああ、暗くて見えないか」
タリクは指先で魔術を使い、淡い光を灯す。
その光の中で、彼は笑っていた。だが、その顔には昼間とは違う、疲労と寂しさが滲んでいた。
「まあ、これでも勇者パーティの盗賊だったんだ。これくらいは朝飯前さ。……あの大穴から生還したお前も、いずれは出来るようになる」
そう言って、俺の手の紐を解き、トレイに載った食事と水を差し出してきた。
「毒か……」
覚悟は決めていた。毒程度で、俺が死ぬとは思えない。
俺の顔を見て、タリクは笑いながら肉汁を指で舐める。
「売り物を殺しはしない。食えよ」
有無を言わせぬ一言。
その意図が読めず、俺は混乱したが……腹は正直だった。
喰うしかない、と判断した。
「……少し、話を聞いてくれ」
タリクは、自身の過去を語り始めた。
恐るべき勇者たちの力、彼の不遇。
俺がもっと話術に長けていれば、引き出せる情報は多かっただろう。
だが、極度の警戒と緊張で、俺はただ頷くだけしかできなかった。
語り終えたタリクは、満足したように俺の手の紐を緩く結び直し、テントの闇に消えていった。
──そして、翌朝。
「タリク様がいない……」
騒然とする場に、商人の声が響く。
「旅に出るって言ってた気がするな。……さて、解散だ」
だが、俺は見た。
あの商人が、タリクを大穴に突き落とす瞬間を、俺の暗視で──。
「……俺には、まだ力が足りない」
あの盗賊を捕らえ、なんの躊躇もなく処分した商人。今の俺では、勝ち目などない。
下手をすれば、俺もまた穴に放り込まれるだろう。
「俺が、殺したかったのに……」
『焦るな。敵は強大だ。今は──雌伏の時だ』
俺の中に流れる、ドラゴンの血が囁く。
気づけば、涙が頬を伝っていた。
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