「可愛げがない」と婚約破棄されたので『業務マニュアル』通りに塩対応しました。今更泣きつかれても私の管轄外(アウト・オブ・スコープ)です。監査役の冷徹公爵様にヘッドハンティングされたので失礼します。
「クレア、君との婚約は破棄させてもらう。君には、致命的に『可愛げ』というものが欠落しているんだ」
王都のメインストリートに面した、洒落たカフェテラス。
秋の柔らかな日差しが降り注ぐ中、私の目の前に座るロベルト・エル・フリッツ伯爵令息は、その美しい青い髪を風になびかせ、銀色の瞳で私を冷ややかに見下ろしていた。
その瞬間――私の頭の中に、稲妻のような衝撃が走った。
視界が明滅し、濁流のように流れ込んでくる記憶。前世の記憶。
(……あ、思い出した)
ここは、前世で私が夢中になってプレイした乙女ゲーム『薔薇と剣と愛のロンド』の世界だ。
そして私は、主人公の恋路を邪魔し、最後には嫉妬に狂って断罪される「悪役令嬢クレア・クローデル」だということを。
ゲームのシナリオ通りなら、ここで私は感情を爆発させ、泣き叫び、手元の紅茶をぶちまけ、「どうして私を愛してくれないの! 私はこんなに尽くしてきたのに!」と縋り付くはずだ。
そしてその醜態が衆目に晒され、王家の不興を買い、家は取り潰し、私は国外追放というバッドエンドへ一直線。
周囲の客たちが、好奇と軽蔑の混じった視線を向けてくるのを感じる。彼らは期待しているのだ。私が無様に泣き崩れるショーの開演を。
(……冗談じゃないわ)
背筋がスッと冷えるのを感じた。
誰が好き好んで、こんな男のために破滅しなきゃいけないの?
私は冷静に目の前の男を観察した。
顔はいい。銀色の瞳も、整った鼻筋も、確かにゲームのスチル通りに美しい。
でも、中身はどうだ?
私の事務処理能力におんぶに抱っこのくせに、自分の無能さを棚に上げ、あろうことか「可愛げがない」などという感情論で契約を破棄しようとしている。ただの飾り物じゃないか。
ここで感情的になったら負けだ。
「悪役令嬢」の役割なんて演じてやるものですか。
私が生き残るための唯一の生存戦略は――徹底的な「事務対応」による、円満かつ速やかな契約解除だ。
私はスッと眼鏡の位置を人差し指で直し、いつもの革張りの手帳を取り出した。愛用の万年筆のキャップを音もなく外す。
心拍数は平常。むしろ、憑き物が落ちたみたいに思考がクリアだ。
「……現在時刻、14時32分。ロベルト様より婚約破棄の申し出あり。理由は『可愛げの欠落』……ですね。承知いたしました」
さらさらと手帳に記録する私を見て、ロベルトが目を丸くする。
「はあ!? お前、今まさに捨てられようとしてるんだぞ!? なんだその態度は! 泣くとか縋るとか、そういう人間らしい反応はないのか!」
ロベルトがバンッ、とテーブルを叩く。
衝撃でティーカップの中のダージリンが波打ち、ソーサーにこぼれた。
私は眉一つ動かさず、懐からハンカチを取り出して汚れを拭き取った。
「感情的になっても、事態は解決しません。貴方が望んでいるのは『婚約の解消』という結果でしょう? 私が泣いて縋ったところで、手続きが遅れるだけです。それとも、私が泣けば婚約を継続してくださると?」
「そ、そうじゃない! 俺は本気だ!」
「でしたら、最短かつ最適なプロセスで処理を進めるのが、今の私にできる最大の誠意かと存じます」
「そういうところだよ! そういう屁理屈を言うところが可愛くないって言ってるんだ!」
ロベルトが顔を真っ赤にして叫び、背後に控えていた女性の腰を引き寄せた。
艶やかな紫色の髪に、切れ長で妖艶な瞳を持つ女性。
男爵令嬢のヴァイオレット。ゲームのヒロインだ。
彼女は最近、ロベルトの秘書として雇われたはずだが……なるほど、そういうことか。
「見てみろ、このヴァイオレットを。彼女は俺の言うことを全て肯定してくれる。『ロベルト様のお考えは素晴らしいですわ』と、いつも俺を立ててくれる。彼女こそが、俺に必要なパートナーだ!」
ロベルトは勝ち誇ったように言うが、ヴァイオレットの目は笑っていない。
彼女は私の視線に気づくと、口元だけで妖しく微笑み、ロベルトの胸板に指を這わせた。
「ふふ、ロベルト様ったら。クレア様の前ではしゃぎすぎですわ。……でも、クレア様には少し荷が重かったのかもしれませんね。殿下の『天才的な発想』を理解するのは」
……天才的、ですか。
彼女の言う「天才的な発想(という名の無茶振り)」の尻拭いを、誰がこれまで徹夜でやってきたと思っているのだろう。
まあ、いいでしょう。その「愛」とやらで、領地の借金が返せると本気で思っているのなら。
私は手帳を閉じ、静かに立ち上がった。
ここで怒っちゃダメ。怒ったらシナリオの思う壺。
「では、本日付で『婚約者としての業務』を終了させていただきます。以降、私はクローデル家の令嬢として、また一人の事務官として、貴家との関係を清算させていただきます」
「ふん、強がりを。今更泣きついても遅いからな! ヴァイオレットがいれば、お前の代わりなどいくらでもなる! お前は、マニュアル対応でもしておけ! お似合いだ!」
「ご安心ください。二度手間は私の最も嫌うものです。……お二人の前途が、実り多きものになることをお祈り申し上げます」
私は完璧なカーテシーを一礼し、二人に背を向けた。
店を出て、秋風を全身に浴びる。
私の赤い髪が、燃えるように風に舞った。
悲しくなんてない。
だってこれで、私は「破滅の運命」から解雇されたんだもの。
今日から私は、ただの「仕事ができる女」として生きていく。
私の人生は、私のものだ。
◇◆◇
翌日から、私は徹底的な「マニュアル対応」を開始した。
まず、フリッツ家の執務室に出向いて、山積みになっていた書類を容赦なく仕分けた。
一つは、両家の共同事業である「運河建設」に関する書類。
もう一つは、ロベルトが処理すべき領内の決裁書類。
今までは「私がやらなきゃ、この人がダメになっちゃう」「私が支えなきゃ」なんて共依存じみた思考で全部肩代わりしていた。
彼が夜会で着る服のコーディネート、知人への贈答品の手配、スピーチ原稿の作成、果ては彼の機嫌取りまで……これら全てを「サービス残業」として行っていたのだ。
でも、契約は解除された。
私は「共同事業」の書類だけを小脇に抱え、残りは彼のマホガニーのデスクの中央に積み上げた。山のように。
「おいクレア! なんだこの書類の山は! いつもみたいに整理されていないじゃないか!」
数日後、執務室に怒鳴り込んできたロベルトに、私はデスクから顔も上げずに答えた。
視線は手元の帳簿に固定したままだ。
「それは貴家の領内決裁書です。私の管轄外ですので」
「はあ!? 今までやってくれていただろ!」
「それは『婚約者』という特別契約に基づく無償サービスでした。現在は契約解除済みですので、サービスの提供は終了しております」
私は一枚の紙を彼に差し出した。
「こちらが、今後の私の業務範囲を記した仕様書です。共同事業である『運河建設』に関する財務チェックのみを行います。それ以外の、貴方のスケジュール管理、衣服の手配、個人的な交友関係のフォローは一切行いません」
「な、なんだよそれ……冷たいじゃないか!」
「事務的、と呼んでください」
「くそっ! ヴァイオレット! お前がやれ! 優秀な秘書なんだろ!?」
ロベルトは後ろに控えていたヴァイオレットに書類を押し付けた。
ヴァイオレットは、その書類の量を見て一瞬顔を引きつらせたが、すぐに計算高い瞳を細め、甘ったるい声を出した。
「あらロベルト様、私にはそのような単純作業よりも、もっと重要な『外交』の仕事がありますわ。夜会の手配や、有力者とのご挨拶回り……そちらの方が、ロベルト様のお顔を立てることになりますもの。このような地味な仕事は、地味な方にお任せすればよろしいのでは?」
私の方をチラリと見て、嘲笑う。
はいはい、地味で結構。
「お、おう! そうだな! ヴァイオレットの言う通りだ! ミスコンテストの審査員とか、そういう華やかな仕事こそ俺に相応しい! 書類仕事なんて、あとで適当にサインすればいいんだ!」
……呆れた。
地味な実務を放り出して、二人で派手な社交に逃げるつもりね。
どうぞご自由に。
そのツケが回ってくるのは、私じゃなくて貴方たちなんだから。
二人が去った後、私は一人残された執務室で、淡々と自分の仕事をこなした。
静かだ。
ペンの走る音だけが響く。
誰にも邪魔されずに仕事に没頭できるこの時間が、今は何より心地よかった。
寂しくなんてない。これこそが、私が求めていた「平穏」なのだから。
◇◆◇
そんな「塩対応」を続けて一週間が経った頃。
私は、運河建設の視察現場へ向かうため、王宮の資料室で過去の水利図を調べていた。
高い棚にある古い図面を取ろうとして、背伸びをしたその時だ。
背後からスッと伸びた長い腕が、私の目当ての図面を軽々と取ってくれた。
「……これでしょうか?」
耳元で響く、低く、甘く、そして包み込むような丁寧な声。
心臓がドクンと跳ねた。
振り返ると、そこには一人の男性が立っていた。
艶のある黒髪を少し長めに流し、知的な銀縁の眼鏡をかけた男性。
仕立ての良いダークネイビーのスーツを完璧に着こなし、その佇まいからは隠しきれない気品と知性が滲み出ている。
この国の宰相補佐官であり、若き天才と名高いレイナード・グランツ公爵。
ゲームでは高難易度攻略対象の「隠しキャラ」。
主人公にも悪役令嬢にもなびかない、クールでミステリアスな高嶺の花だ。
「あ……ありがとうございます、レイナード閣下」
私は慌てて図面を受け取り、礼をした。
彼とは何度か夜会ですれ違ったことはあるが、言葉を交わすのは初めてだ。
眼鏡の奥の瞳は切れ長で、どこか冷ややかさを感じさせるのに、私を見る眼差しは不思議と柔らかい。
「お初にお目にかかります、クローデル家のクレア嬢。……いつも熱心ですね」
「え……?」
「先日も、遅くまで執務室の明かりがついていました。貴女が作成された運河建設の予算案、拝見しましたよ。非常に論理的で、美しい構成でした」
彼が微笑むと、冷徹な仮面が剥がれ落ち、大人の男性の色気が溢れ出す。
美しい? 予算案が?
そんなことを言われたのは初めてだ。ロベルトには「数字ばかりで頭が痛くなる」と投げ捨てられたのに。
「き、恐縮です……」
「実は、これから私も視察に向かうところなのです。もしよろしければ、私の馬車でご一緒しませんか? 道中、色々とご相談がありまして」
断る理由はない。
私は緊張しながら、彼のエスコートを受けた。
彼の手は大きくて温かく、手袋越しでもその体温が伝わってくるようで、私の胸はずっと早鐘を打っていた。
◇◆◇
現場に到着すると、私はすぐに現場監督と図面を確認し始めた。
レイナード様は、少し離れたところから静かにその様子を見守っていた。
「……素晴らしい。無駄がない上に、現場への配慮が行き届いている」
一通りの指示を終えた私に、彼が歩み寄ってくる。
「特にこの資材搬入のルート変更案、工期を三日短縮できる根拠は?」
「はい。季節風の影響と地盤の固さを再計算し、大型馬車の通行可能時間を算出しました。また、休憩所を分散させることで作業員の移動ロスを減らしております」
「なるほど。論理的でありながら、人の心も理解している」
レイナード様の口元が、柔らかく綻んだ。
彼は私を真っ直ぐに見つめてくる。そこには、女性を一人のプロフェッショナルとして尊重する、温かな敬意があった。
「単刀直入に申し上げましょう。……私のところへ、いらっしゃいませんか?」
「……え?」
「貴女のような優秀な方が、あのような沈みゆく船に乗っているのは、国の損失です。私は、感情論で動く人間が苦手でしてね。貴女のように、理路整然と、かつ情熱を持って仕事をこなすパートナーを探していたのです」
それって、ヘッドハンティング……?
条件は破格。公爵家の財務全権の委任、および、彼自身の補佐。
「ですが、私は『可愛げがない』と婚約破棄された身です。悪役令嬢のように冷徹で、貴方を論理で追い詰めてしまうかもしれませんよ?」
私が自虐的に言うと、レイナード様はふっと笑い、一歩私に近づいた。
ふわりと、彼から上品なムスクの香りが漂う。
距離が近い。息がかかるほどに。
「可愛げ? 仕事において、媚びへつらう愛嬌など不要です。私が必要としているのは『正確さ』と『誠実さ』、そして私と対等に議論ができる『知性』です」
彼は長い指先を伸ばし、風に乱れた私の赤い髪をそっと耳に掛けた。
指先が頬に触れる。
予想外の行動に、心臓が大きく跳ねる。
ゲームでは誰にも触れさせなかった彼が、どうして。
「それに……この燃えるような赤い髪。仕事に真摯に向き合う貴女の情熱を表しているようで、私はとても美しいと思いますよ」
……あ。
思考回路が一瞬停止した。
ロベルトには「悪役顔だ」「派手すぎて気が強そうだ」と疎まれたこの髪を、美しいと?
眼鏡の奥の黒い瞳が、優しく、そしてどこか熱っぽく私を射抜いている。
その熱量に、私の頬が勝手に熱くなっていくのがわかった。
「け、検討させていただきます……!」
「ええ。良いお返事をお待ちしております。クレア」
最後に名前を呼ばれた。
それだけで、腰が抜けそうになる。
レイナード様は優雅に一礼し、去っていった。
私は熱くなった頬を冷ますため、両手で顔を覆った。
論理的であることが評価されるだけでなく、その在り方そのものを肯定された。
それだけのことが、こんなにも胸を締め付けるほど嬉しいなんて。
破滅フラグ回避どころか、とんでもないフラグが立ってしまった気がする。
◇◆◇
一方、フリッツ家は急速に崩壊へ向かっていた。
ロベルトが処理した(つもりの)書類はミスだらけで、取引先からのクレームが殺到。
領地の有力者への挨拶回りも、ヴァイオレットが「田舎臭い」「話が長い」と失礼な態度を取ったため、総スカンを食らっていた。
ヴァイオレットが開いた夜会では、予算を湯水のように使い込み、派手な演出ばかりにこだわった結果、肝心の料理やお酒の質が下がり、高位貴族たちの不評を買った。
さらに、彼女は自分のドレスや宝石を経費で落としていたようで、資金繰りがショート寸前になっていたのだ。
ある雨の日。
私が王城の回廊を歩いていると、ずぶ濡れのロベルトが立っていた。
かつての輝きはなく、目の下には濃い隈ができている。
「ク、クレア……!」
私を見つけたロベルトが、縋り付くように駆け寄ってきた。
「頼む! 戻ってきてくれ! 俺が悪かった! やっぱりお前じゃないとダメなんだ!」
「……何を今更?」
私は冷たく言い放ち、歩みを止めなかった。
「ヴァイオレットは何もできないんだ! 金を使うことしか考えてない! お前なら……お前なら、何とかしてくれるだろ!? 昔みたいに!」
「ロベルト様。貴方は私を『可愛げがない』と捨てました。その事実は変わりません。今の私は、ただのクローデル家の令嬢です。貴方の尻拭いをする義理はありません」
「そ、そんな……! 愛していたんじゃないのか!?」
「愛? ……そうですね。かつては情もありました。ですが、それは貴方が『次期当主として努力する』と信じていたからです。貴方がその努力を放棄し、私を蔑ろにした時点で、契約は終了しました」
私は彼の手を振り払った。
その時、低く、冷静な落ち着く声が聞こえた。
「……何か問題でも?」
レイナード様だ。
いつの間にか私の背後に立ち、冷徹な視線でロベルトを射抜いていた。
その圧力に、ロベルトがひぃっと悲鳴を上げて後ずさる。
「レ、レイナード公爵……!」
「私の大事な交渉相手に、構わないでいただきたい……行こう、クレア」
レイナード様は私の腰に手を添え、優しくエスコートしてくれた。
ロベルトが呆然と立ち尽くす姿を見ても、もう何も感じなかった。
あるのは、「ああ、本当に終わったんだな」という静かな納得だけ。
◇◆◇
そして、運命の「監査の日」がやってきた。
これが、ゲームでいうところの「断罪イベント」になるのかもしれない。
ただし、断罪されるのは私じゃない。
王城の会議室。
重苦しい空気の中、出席者は私、ロベルト、ヴァイオレット、そして王家代表のレイナード様。
「……ロベルト殿。この収支報告書は、一体どういうことですか?」
レイナード様の静かだが、氷のように冷たい声が響いた。
彼が指差したのは、真っ赤な数字が並ぶ決算書。
「え、あ、それは……その、必要経費でして……」
「交際費が前年比300%? しかも、使途不明金が多すぎる。これは横領とみなされても仕方のない数字ですよ」
レイナード様は眼鏡の位置を直しながら、まるでゴミを見るような目でロベルトを見下ろし、冷ややかに告げた。
「ク、クレア! 何とか言ってくれ! お前が管理していたんだろう!?」
責任転嫁。
予想通りの行動パターンだ。
私は手元のファイルを静かに開いた。
「訂正いたします。私が管理していたのは『先月まで』です。こちらに、業務移管の完了報告書と、ロベルト様ご本人の署名入りの受領書がございます」
私は証拠書類を提示した。
そこには、『以降の財務管理は当主ロベルトが行う』と、彼自身の乱暴な字で書かれている。
「なっ……!?」
「さらに、こちらが私が退任する直前の収支データです。この時点では黒字でした。赤字に転落したのは、ここ数週間の『不明瞭な支出』が原因です。具体的には、某男爵令嬢への贈答品リストおよび、彼女の個人的な衣装代と一致します」
私が別紙を提示すると、ヴァイオレットが顔色を変えた。
彼女は、すがるようにロベルトの腕にしがみつく。
「ひどいですわロベルト様! 私への愛の証だと言ってプレゼントしてくださったのに、経費だったのですか!? 私を騙したのですね!?」
「えっ、い、いや、ヴァイオレット、お前が欲しいと……」
「私は知りません! ロベルト様が勝手になさったことです!」
見事な切り捨てぶり。
さすがは悪女、沈む船からは一番に逃げ出すつもりね。
でも、レイナード様は見逃さなかった。
「……見苦しいですね」
彼の一言で、場の空気が凍りついた。
「ヴァイオレット嬢。貴女が業者にキックバックを要求していた証拠も、既に押さえてありますよ。私を甘く見ないでいただきたい」
彼が指を鳴らすと、衛兵が入ってきた。
「ロベルト殿、貴方は監督責任を問われるだけでなく、公金横領の共犯としての処罰も免れません」
「ち、違う! 俺は知らなかったんだ! クレアが教えてくれなかったから!」
「報告義務は契約に含まれておりません」
私はきっぱりと言い放った。
ロベルトの目を見据える。
「貴方は私に言いましたね。『可愛げがない』『マニュアル対応でいい』と。だから私は忠実に『聞かれたこと以外は答えない』というマニュアル対応を徹底いたしました。貴方は一度も、私に財政状況を尋ねませんでしたね?」
「うぐっ……!」
「私が以前のように、先回りして貴方のミスをカバーし、小言を言いながらも尻拭いをする……それが『当たり前』だと思っていたのですか? それは愛と献身に基づく特別オプションです。貴方がそれを捨てたのです」
ロベルトは顔面蒼白で椅子から崩れ落ちた。
ヴァイオレットも、衛兵に取り押さえられながら、最後まで「私は被害者よ!」と叫んでいた。
これが、私の「ざまぁ」。
魔法も剣も使わない、契約書と領収書による完全勝利。
◇◆◇
監査の結果、ロベルトは当主の座を廃され、横領の罪で裁かれることになった。
フリッツ家は取り潰しこそ免れたものの、莫大な賠償金を背負い、没落は免れない。
ヴァイオレットも詐欺罪で捕まった。
すべてが終わった夕暮れ時。
私は王城のテラスで、赤く染まる空を見上げていた。
肩の荷が下りて、体が軽い。
「……見事な手際でした」
背後から、レイナード様が現れた。
彼は私の隣に立ち、同じ夕焼けを見つめる。
「貴方が監査に来ると分かっていたので、証拠を揃えておいただけです」
「貴女のおかげで、腐った膿を出し切ることができました。感謝します」
レイナード様は、ゆっくりと私の方を向いた。
夕日に照らされたその表情は、会議室で見せた冷徹なものではなく、どこか柔らかく、甘いものだった。
「それで、私の提案への回答は?」
公爵家へのヘッドハンティングの件。
私は眼鏡を外し、小さく溜息をついた。
私は、ヘッドハンティングされた時と同じセリフを吐く。彼を試すためではない。ただの、確認のため。
「……私のような、悪役令嬢のように冷徹で、可愛げのない女でよろしいのですか? 貴方を論理で追い詰めるかもしれませんよ?」
「フッ。どこかで聞いたセリフですね」
「一度、そのせいでしょうもない男に捨てられまして。大切なことですので、念の為」
「あなたのそういう用心深い所も、私は好きです。……望むところです。私の論理を崩せるなら崩してみてほしい。……それに」
レイナード様は私の手を取り、跪いた。
まるで、物語の王子様のように。
彼の黒い瞳が、熱を帯びて私を見つめている。
「私は、貴女のその『強さ』に惹かれたのです。貴女の作る完璧な書類、無駄のない所作、そして誰よりも責任感の強いその美しい魂を……心から、愛おしく思っています」
ドクン、と心臓が音を立てた。
それは、仕事の評価ではない。
紛れもない、一人の男性としての愛の告白だった。
「……レイナード様」
「公爵家の財務だけでなく……私の人生のパートナーとして、隣にいてくれませんか? ……貴女が好きです」
ストレートな言葉。
名前を呼ばれ、私の手甲に優しく口づけが落とされる。
眼鏡を外した私の視界は少しぼやけていたけれど、彼が向けてくれる眼差しの温かさだけは、はっきりと分かった。
破滅フラグは折った。
そして今、目の前にあるのは、ゲームにはなかった「最高のハッピーエンド」への入り口。
もう、強がる必要はないのかもしれない。
この人の前なら、素直な自分になれる気がする。
「……条件があります」
「何でしょう? 何でも叶えましょう」
「残業代はいりません。その代わり……休日には一緒に、その、美味しい紅茶を飲む時間をください。それと……」
私は顔を赤らめながら、小さな声で付け加えた。
「……たまには、名前で呼んでください」
私が精一杯の勇気を出して伝えると、レイナード様は目を見開いて、それから堪えきれないように破顔した。
その笑顔は、どんな宝石よりも眩しくて、少年のように愛らしかった。
「……ふっ、ははは! 承知しました。貴女との契約は、生涯にわたるものになりそうです」
彼は立ち上がり、私を優しく抱き寄せた。
逞しい腕の中に包まれる。
ムスクの香りが鼻孔をくすぐる。
「愛しています、クレア」
耳元で囁かれた甘い声に、私は溶けてしまいそうだった。
◇◆◇
これは後日談。
私はグランツ公爵家に嫁ぎ、レイナード様の補佐として働いている。
職場環境は最高だ。
感情論も、理不尽な要求もない。互いに尊敬し合い、効率的に仕事をこなす日々。
ただ一つ、誤算だったことがあるとすれば。
「クレア、ここの数字が合いませんね」
執務室で、彼が私の背後から覗き込んでくる。
距離が近い。近すぎる。
「あ、はい。今確認します」
「……その前に」
チュッ、と。
不意打ちで、首筋にキスをされた。
「れ、レイナード様っ! 仕事中です!」
「休憩ですよ。……君が真剣な顔をしていると、どうしても邪魔をしたくなる」
彼は眼鏡のブリッジを押し上げ、悪戯っぽく笑う。
かつての「氷の貴公子」はどこへやら。
二人きりになると、彼は驚くほど甘えん坊で、独占欲が強いのだ。
「……君のその赤い髪も、知的な眼鏡姿も、全て私だけのものだ。他の男の前では、その眼鏡を外さないでほしい。可愛すぎて、私が嫉妬で狂いそうになるから」
抱きしめられ、甘い言葉を囁かれるたびに、私の「鉄壁の事務対応」は崩れ去っていく。
でも、それも悪くないかもしれない。
こうして私は、新しい「職場」と「パートナー」を手に入れた。
かつて悪役令嬢だった私は今、世界で一番幸せな公爵夫人として、忙しくも甘やかな日々を送っている。
――え? ロベルト?
ああ……確か、鉱山で働いていると聞きましたが……詳しいことは存じ上げません。
私の管轄外ですので。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
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今作を読んで「スカッとした!」「ロジカルなざまぁ、良いね!」と思っていただけましたら、ブックマークや
ページ下部の星評価【★★★★★】より応援していただけると、執筆の励みになります!
★評価は『星1つ』からでも、とても嬉しいです!泣いて喜びます!
面白かった、続きが読みたい、と思ったら、ぜひポチッとお願いします!
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「読み足りない!」という方や私の作品に興味を持っていただけた方は、ぜひ今の気分に合わせて過去作品もお楽しみください!
▼【笑ってキュンとしたい方へ】(炭酸系ラブコメ)(こちらはシリーズ化して番外短編を2本投稿中です)
冷徹公爵様の心の声がピンク色で大暴走している件について
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▼【とにかく甘やかされたい方へ】(極甘・純愛)
触れるもの全てを殺す『死神公爵』様、なぜか私だけ触れても平気なようです
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