10.道を外れたバケモノ 2
時計の音だけが、やけに大きく俺の耳を打つ。
時刻は夜半。
そろそろアイツも、件の森に着いた頃だろう。
エミリは、天板に頬杖をついていた。
時々、くっつきそうになる瞼を必死で持ち上げている。
「エミリ」
「!!!」
声をかければ、うつらうつらとしていたエミリは、音が出そうな勢いで跳ね上がった。
「…やっぱ寝たらどうだ?」
思わずこぼれた笑いを噛み殺しながら言うと、エミリは首を横に振る。
「……嫌」
眠そうな声で、それでもきっぱりと言った。
「ダンピィが帰ってくるまで、待ってる」
「つったって、朝になると思うぞ?」
「………」
エミリは挑戦的に俺を睨んだ。
…たった1日で、ずいぶん表情が変わるようになったな。
「大丈夫だ。アイツなら、負けない」
鳶色の瞳が、隠しきれない不安を宿してゆれる。
「……強いから?」
「…まあ、な。だから寝ろ」
「…やだ」
俺は苦笑する。
「ねぇ」
ふたたび落ちた沈黙に、エミリが口を開いた。
「半吸血鬼は、どうして吸血鬼とたたかうの?」
「…そりゃお前、聖典くらいきいたことあんだろ?カミサマがそういうふうに決めたんだよ」
「そうじゃなくて」
もどかしげに口をつぐむ。
幼子の知る言葉だけでは、うまく表現できないんだろう。
「…つくられたって、言ってた」
「……やめとけやめとけ。愉快な話じゃないぞ」
「でも…」
エミリは、困ったような顔をした。
「ダンピィも、ピグレドも、やさしいのに」
俺は、小さな人間の少女の、思いもかけない言葉に瞬く。
眠そうな幼い瞳は、不安と猜疑に揺れている。
けれどそこには。
俺たちバケモノに対する嫌悪が、いっさい無い。
やけにアイツに懐いているな、とは思っていた。
血染めのアイツを見た時は悲鳴を上げて気を失ったときいた。
けれど意識を取り戻してからは、アイツの黒外套を掴んで放そうとしなかったという。
それは、頼るもののいない世界に放り出された幼子の、生きるための本能からくる行動なのかもしれない。
それでも、まっすぐなその目に。求めていた光を見た。
……そして、ひょっとするとそれは、アイツも同じだったのかもしれない。
「…………」
知らず詰めてしまっていた息を吐いた俺を、窺うようにエミリが見た。
「……知りたいか?」
彼女なら、寄りそってくれるのではないだろうか。
バケモノであることが、生まれた時から当たり前で、慣れてしまった俺たちに。
バケモノと人の狭間で、ずっと藻掻き続けるアイツに。
俺の問いかけに、エミリはこくり、とうなずいた。
-*-
聞こえるのは、森に響く夜の風音。
多くの生命を湛えた森の息吹が、僕を包む。
いつだって、暗闇は優しい。
ため息をついた。
木々の隙間から、夜空を望む。
けれど、今日は星が見えない。
もう一つため息をつく。
歩みを止める。風が凪いだ。
森の中に、ぽっかりと開けた空間。
______そこに、彼が居た。
「…久しぶり、兄弟」
黒瑪瑙の瞳が夜空と同じ色で、無感動に僕を見ていた。
「手短にいくよ。キミに指定状が出てる」
「………」
兄弟は微かに首をかしげた。
それは、見覚えのある彼のクセで。
懐かしさだったり、悲しみだったり。
そういうものがこみ上げてきて、無性に胸が苦しくなる。
「ねえ、兄弟。ネテロ」
今さら理由をきいたって、どうにもならないのは分かってる。それでも、問わずにはいられなかった。
「どうして人を殺したの?」
「………」
「僕達は、人を守らなきゃいけない。分かっていたはずだ」
ネテロの瞳は、黒いまま。
「まだ間に合う」
祈りにも似た思いで言う。
「今からでも遅くない。キミが、バケモノじゃなくて、人を守れるんだって、そう、示すことができれば……_____」
「できれば、なに?」
「でき…れば…」
…ああ。どうして。
できたとて、死刑判決は覆らない。
死ぬ時期が、精々ほんの少し先伸ばしになるだけだ。
「……相変わらずの綺麗事だね。このウィルトゥーテが」
彼が、僅かに動いた。
咄嗟に顔を背ける。
衝撃が頬を浅く切り裂いていった。
つ、と鮮血が一筋、僕の頬を伝っていく。
「話も長い。飽きた」
呟くようにそう言った彼の目は、鮮血のような紅色に変わっていた。
…僕は静かに笑った。
頬の血を拭う。
そこに、数秒前につけられた傷は既に無い。
ネテロ__いや。
識別番号57が苛正しげに顔を歪める。
刹那、僕らの影が交錯した。
次回は2話連続更新です。




