第九章:『偽りなき診断者 ―最終患者、アーサー・クロウ―』
静寂が支配する《黒紡本院》の地下。
一室の跡にたった一脚だけ残された、古びた椅子。
それはかつて数多の魂が裁かれ、書き換えられ断たれた場だった。
そして今、その椅子に――アーサー・クロウが自ら座った。
自らを“最終患者”として。
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アーサー「記録開始。患者名、アーサー・クロウ。職業、冒険者カウンセラー。分類…自己診断。対象:内在的暴力傾向、感情抑制、倫理歪曲」
彼は水晶に指を触れる。
淡く光る魔法が、彼の脳波と思考を映し出す。
アーサー「初問。俺が“処断”を行う理由は何か――」
しばし、沈黙。
アーサー「……正義? 否。“必要悪”? 否。“美学”? 否。…どれも違うな」
彼は少しだけ笑った。
冷笑というより、自己嘲笑。
アーサー「…それは“自分が壊れている”という事実を、他人の壊れた心で上書きするためだ。“救っている”ように見えて、俺は――“他人の狂気を診て、安心してる”」
沈黙が再び訪れる。
だが今回は逃避ではなく、観察だ。
アーサー「第二問。俺は、誰を救えなかったか」
映像が浮かぶ。
ノアの母――リース・ディノア。
殺しながら、内心で一瞬の“疑問”を抱いた。
あれは、息子のために投降しようとしていたのか?
――それを“記録に残らない動き”として処断したのは、誰だ?
アーサー自身だった。
アーサー「…あれは必要だったんじゃない。あの瞬間、迷いたくなかっただけだ」
彼の声がわずかに震える。
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アーサー「俺は――“判断を絶対にする者”でありたかった。揺らいだ瞬間に、自分が“裁かれる側”になる気がしてな」
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水晶がわずかに赤く光る。
それは“感情反応”の証。
彼は剣を抜いた。
だが振るわない。ただ、膝に置いた。
アーサー「俺はずっと他人を診断していた。だがその根は“診断される恐怖”だった。…アルマも同じだったな。師の最後の言葉、ようやく理解した」
彼は、深く息を吐く。
アーサー「…これは罪の確認じゃない。許しを乞う儀式でもない。矛盾を抱えたまま、それでも診断を続けること。それが、俺の道だ」
手帳に書き記す。
【最終診断:アーサー・クロウ。分類:自己診断完了。処断対象外。継続観察】
アーサー「この記録は誰にも見せない。俺が俺に渡すものだからだ」
椅子から立ち上がる。
闇の中に響いたその足音は、かつての《黒紡本院》の廊下とは違う。
それは、誰かに強制された“処断”ではない――
自ら選んだ診断者の道だった。
彼の背には、黒月がまだ空にある。
だが今の彼にとってそれは“呪い”ではなく“自らを超えた証”だった。